第二話 『囚われの狐たち』 その13


「―――ふむ。君たちのプロ意識は、壮絶だな。助けに行きたくても、この手紙だけではどうにもならん。『エド・クレイトン』と『ルーベット・コラン』は、自ら犠牲になることを選んだか」


「……そうね。二人とも、ルード・スパイとしては最高の仕事をしたわ。ミスを挽回する行為にはなる……」


「そうだな。君たちは守られた。そして、情報も送ることが出来た。どうやって、送られて来たんだ?」


「フクロウを使えるのは、貴方たちだけじゃないわ。それに、私以外の指で封を開けようとすると、燃えてしまう呪いぐらい……幾らでもかけられる。私たちも援護射撃を行っているわ。私たちと無関係な、帝国軍人の元に、怪しげな手紙を送っている」


「……どんな手紙でありますか?」


「『同志よ、逃げてくれ。我らの裏切りが暴かれようとしている』。こんな文面の怪文書よ。『エド・クレイトン』の筆跡で書かれているものね」


「あらかじめ用意していた。そういうことですわね?」


 『人魚』の瞳に嘘はつけない。アメジスト色の瞳に見つめられながら、アイリス・パナージュはうなずいていた。


「そう。あっちにも、私たちの手紙が用意してあるわ。状況次第では、せめて敵に混乱をばらまくようにしているのよ……」


「あちこちに協力者がいそうだな。シャーロンは、長期の潜伏者はいないと語っていたのだが」


「数年ぐらいじゃ長期じゃないわよ?」


 ……閉口してしまう言葉だったな。ルード・スパイの壮絶さを思い知らされる。


「……まあ、それはともかくとして。シャーロン・ドーチェ氏が黙っていたのは、ルードの安全保障上の理由です。お互いのためでもあるわね。スパイは敵地で活動している。その存在は、可能な限り誰にも知られない方が安全」


「敵はもちろん、味方にもというわけでありますな」


「ええ。もしかすると、シャーロン・ドーチェ氏も知らないのかもね。お互いを知らないということは、誰かが捕らえられた時に、芋づる式に逮捕されるようなコトを防げるでしょう?」


 ……シャーロンは、一応、彼女の『弟』なんだが。人一倍、他人行儀に呼ぶな。バラすな、というメッセージをオレに送っているのだろう。『ルードの狐/パナージュ家』については、ルード・スパイのかなり深い秘密らしい。


「……ふう。スパイの職業観はシビアなものですのね?」


「まあね。でも、悪くないでしょう?……犠牲になるのなら、せめて一人で。あるいは敵を混乱させてやれ。そういう発想よ」


「……だが。君はオレに、今、話しているな」


 この書類を見せた。そんなことをしなくとも、『メーガル第一収容所』にまつわる情報を口にすればいいだけだ。


 脱税ドワーフのホフマン・モドリーが、その収容所の設計を手伝い、彼に訊けば侵入経路の一つや二つ、教えてもらえそうだということも……。


「言葉で済んだはず。何故、あえてコレを見せたのかな?」


「……『パンジャール猟兵団』の能力に、ちょっと期待している。『エド・クレイトン』と『ルーベット・コラン』は有能なルード・スパイよ」


「彼らを助ける手段がないか、オレに訊いているんだな」


「そう。この手紙だってね、見せるかどうか、今さっきまで迷っていた。彼らの『遺言』を守り、私たちルード・スパイの矜持に殉ずるべきか……ってね」


「誇り高い行動だよ。それはそれで素晴らしい決断だ」


「疑いの余地なく、そう考える。私はルード・スパイの一員であり、あの二人の上司でもあるからね。部下の名誉を、守る。その行為は無意味ではないわ―――でも、色々と不思議な力を持っている、貴方たちなら?……どんな手段を思いつくか聞いてみたくなった」


 オレはその羊皮紙を持ち上げる。


 鼻を近づけて、そのにおいを嗅いでいく……。


「……コイツは、かなり強い酒のにおいがするな。酒で、洗っているわけだ」


「においを消すためね。帝国軍も、北方遠征部隊には猟犬を連れて来ている。狩りをするためだし、森に隠れる敵を見つけるためでもあるわ」


「では、ジャンの鼻でも、ムリでありますか?」


「……彼らから預かった手紙も、同じ処理が?」


「当然ね。気配を隠すことは、私たちの得意技だから……」


 ……ならば、ジャンの嗅覚も使えないかもしれない。


「……そもそも。彼らのにおいを追いかけていったところで、辿り着くのはフェイクかもしれないわけですものね」


 さすがにレイチェル・ミルラは勘がいい。知識というか、勘で思いついたんだろう。天才肌だから、そんなことも思いつけるんだよ。


「ああ。囮を撒くかもしれない。敵に見つかるつもりではあるのだろうが、敵を混乱させたいという願望もあるわけだからな……」


「逃げ切れると考えている相手なら、逃げ切りを企む。そうじゃないのは、それだけ追い詰められていた証ね」


「これでは、『リング・マスター』もお手上げなのかしら……?」


 挑発的な目線で、レイチェルがオレを見ている。どうにかしなさい。そう言われているような気がするな……。


 彼女は思いつけていない。策が見つかっていない。自分にはね?……でも、オレならば見つけて然るべきだと考えている。期待しているし、信じられている。『パンジャール猟兵団』の長ならば、何かを見出せると……。


 ああ。


 そうだよ。一つだけ、思いついた。おそらく、キュレネイ・ザトーも思いついている。


「……キュレネイ、仮眠中のジャンを起こしてくるか?」


「ノー。乙女として、断りたいであります」


「ウフフ。そうね、ジャンはキュレネイにも好意を抱いているものね?」


「え?そうなのか?」


 ……気づかなかった。むしろ苦手なんだと思っていたんだが……。


「困ったことですな。私のような美少女に、心を奪われるのは自然の摂理ではありますがな」


「まあ、モテて良かったじゃないか?」


「……ふむ」


 キュレネイがいつもの無表情のまま、オレを見つめながら、ガルーナ人の頬肉をあの白い指でつまむのだ。


「……痛いんだが?」


「そうでありますか。なるほど、そうでありましょう。ですが、それでいいのでありますよ」


「……いいのか?」


 オレの頬肉が痛めつけられるだけの時間なのだろうか、これは。


「ああ、面白いわ。それじゃあ、私がジャンを起こしてきてあげますわ」


 未亡人の色気を高めた表情をしつつ、レイチェル・ミルラが語るのだ。ジャンのヤツ、『鼻血狼事件』を、この北海に面した土地でもしでかしそうなのだが―――まあ、いいか。


「頼むぜ」


「イエス・『リング・マスター』」


 鼻歌を奏でながら、超絶美人の踊り子さんは客の帰った酒場を歩いて行く。長い脚を色気たっぷりに交差させながら、露出の多い上半身をくねらせて、悩殺の準備をしているような気がするな。


 色気に弱い部分を克服するための荒療治になりそうだ。しかし……。


「いいかげん、頬肉を解放してくれないか?……お前の指の美しさを知れるのは嬉しいことだが?話しにくくてな」


「分かりました。機嫌が少し直ったので、許してあげましょう」


「……オレは何かしたのか」


「さて。秘密でありますな」


 ガンダラの口まねをしながら、キュレネイはそう言った。アイリス・パナージュお姉さんは苦笑している。


「ああ、部下のピンチを告白したら、犬とご主人さまの逆転プレイを見せられるなんて、バカみたいね」


 ちょっとオトナっぽいセリフで文句を告げられていたよ。だが、聞き流そう。イライラしているときの、オトナの女性に文句を言うなんて、火に油なんだってことは、偉大なる古竜アーレスからも聞いている。


 頬肉も乙女の指から解放されたから、問題はない。


「……とにかく、オレとキュレネイは思いついているぜ」


「イエス。この手紙には、証拠隠滅の『呪い』が仕掛けられているであります。団長の魔眼ならば、『呪い追い/トラッカー』という術を使えるであります」


「……その分かりやすいネーミングの術は、つまり……そのまんまの意味ってこと?」


「……オレのネーミング・センスじゃない。ノーベイ・ドワーフ族に伝授されたんだ」


「由来はいいの。なら、その術で、追いかけられるというの?」


「ああ。追えるぜ……この呪術をかけた人物が、『エド・クレイトン』と『ルーベット・コラン』のどちらかは知らないが……その人物がいる場所までは、追いかけられそうだよ」


 そうだ。


 すでに見えているぜ。『呪い追い/トラッカー』は完成している。細くて弱く、今にも掻き消されてしまいそうだが……呪いの赤い『糸』が宙に向かって伸びているのが、よく分かる。


「……じゃあ。頼んでもいいかしら?」


「もちろんだ。犬死にさせる必要はないだろうからな」



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