第二話 『囚われの狐たち』 その2


 『ベイゼンハウド』の黒い森は夜でも静かであるとは限らない。星明かりに葉を青く光らせながら、枝葉は風に踊らせてわめき散らす。うねる幹は黒に染まり、それだけで不気味だが、彷徨う鬼火の光がそれらを照らして邪悪さを深めた。


 北海から来る強い波が、崖の岩壁に当たり塩っぱい風になっていく……。


 薄暗くて、湿度の多い風が吹く崖の上。


 そこに『北天騎士』たちの聖なる墓所、『剣塚』は存在している。海神ザンテリオンに捧げた古強者の剣たちの多くは赤く錆び果てながらも、その無造作に積まれたようにさえ見える『荒削りの巨石たち』に突き立てられている……。


 無数の剣がある。


 それだけ多くの北天騎士たちが、命を落として来た。


 荒ぶる海神ザンテリオンに捧げることが相応しいほどの戦いを見せつけながら、北天騎士としての義務を全うして、その人生の物語を終えたのだ。無私の騎士たち。自分などではなく、民草のためだけに剣であり盾であった真の勇者たち……。


 彼らの多くの骨はここになく、戦場である黒い森や北海の底で眠るだけだ。しかし、それでも……戦士として、この巨大な破壊しに剣を突き立てられて、先人たちの勇名に並ぶことが出来たのならば……何ら名誉に問題はなしということか。


 ……まったく。


 どこまでも、ガルーナ人好みの戦士たちであるな、『北天騎士団』よ!!


 その生きざまも、死にざまも……どこまでも、戦士だな!!


「……いい墓だな!!」


「ハハハハ。そうだろう?……ここには、北天騎士たちの多くが眠っている。骨は無いが魂を宿した剣が突き刺さっている。やがて、潮風に食い荒らされて―――その鋼の全てが海神ザンテリオンの奉じられる日が来るまで。北天騎士の武勇の誉れは尽きん!!」


「……ああ。クソ、こんなカッコいい墓は、初めてだぜ」


 芸術的な良さなどない。


 あるのは重さと、鋼のみだ。


 故郷の土から切り出された巨石を乱暴に積んで、その岩に騎士の象徴である剣を突き立てまくっている。それが、墓だと。どこにも、名前などはない。不必要なのだ。誰もが勇敢に戦い、北天騎士を全うしたからな。


 どの剣の持ち主も、正体はただ一つ。


 骨の髄まで、魂の底まで、生きざまと死にざまの全てにおいて……ただ北天騎士であっただけということさ……。


「うらやましい。こんなカッコいい墓は、他には知らん」


「そうだろう?……貧しき土地だ。本当に明るいハナシも少ない。家畜は病に罹りやすく悪人どもには狙われる……北天騎士としての戦いに、見返りを求めることはなかった。我々は民草に尽くす。全てを尽くし、そして消え去り、勝利を残す。それが北天騎士だ」


 ……ああ。


 酒を酌み交わしたい。


 可能であるのなら、この場所で三日三晩、この『剣塚』に突き立てられた鋼と、赤錆が付着してしまい、元の灰色の肌が見えなくなってしまた岩と……酒を飲み続けたいほどだな。


 時が許すのならば、その三日三晩は、ガルーナの竜騎士の人生における、最も偉大な酒宴の一つとなるのだと確信を抱いているのだが……。


 すまないな、北天騎士たちよ。


 ……オレには、その時間が許されていないのだ。


 だから。


 竜太刀を抜く。


 北海から来たる夜風を、鎧と肌で受け止めながら……一族伝来の炎のような赤毛を揺らしつつ。騎士として、すべきことをする。


 竜太刀を名まで捨てた、真の勇者である北天の星々に掲げる。敬意を示し、野蛮なる低い震えを受け継いだ、ガルーナの竜騎士、ストラウスの剣鬼の声で語るのさ。


「―――我が名は、ソルジェ・ストラウス。『パンジャール猟兵団』の長であり、ガルーナの竜騎士、ストラウスの剣鬼、翼将ケイン・ストラウスの四男…………北天騎士たちよ、そなたらの武勇を、我らストラウスは全ての星が消え去る日まで忘れんぞ」


 ……それだけでいい。


 騎士の名乗りなんて、それだけでいい。無私なることを尊きと信じる勇者たちに、ガルーナの竜騎士は敬意を抱いていることを告げるだけでいいんだよ。


 竜太刀が―――老竜アーレスの魂が、勇敢なる霊魂たちに震えているのが分かる。鋼の奥で、この邂逅を祝っているのだ、アーレスは。勇者を愛するのが、竜の本性なのだからな。


 ……長いあいだ、こうしておきたい。幼き頃より聞かされた、北の勇者、『北天騎士団』の物語を心に思い浮かべながら、赤く朽ち果て、潮風へと呑まれていく、彼らの剣を見ておきたい。


 ガルーナの伝統と血を継ぐ、この右目で。


 アーレスの願いと力を継ぐ、この左眼で。


 だが、皆が待っている。女子たちは、手を繋いでガルーナの竜騎士の儀式を見守ってくれているよ……。


 レディー・ファースト。オレは守るベき彼女たちを、この寒く険しく壮絶な場所に待たせておくべきではない。アーレスは竜騎士姫の騎竜なのだから。


 その教えと力を継いだオレが、その流儀を曲げることは終生許されぬことだろう。


 竜太刀を背中の鞘に戻すと、仲間たちの元へと戻っていく。『剣塚』の崖を、ジグムント・ラーズウェルと共に満足げな顔で急ぎ足だ。


「……待たせたな」


「……いや。ストラウスの竜騎士には、必要なことだったのだろう?正妻として、邪魔はすることは出来ん」


「ソルジェさん、もういいんですか?……何なら、もう少しくらいは……?」


 リエルもロロカもオレのヨメとして、本当に最高の女性だよ。


「いや。十分だ。伝えるべきことは伝えた。鋼には、鋼で通じる。騎士の魂の宿る剣ほどに、雄弁な鋼はないものだ」


「うむ。そうであるな!……やはり、ガルーナの竜騎士と、北天騎士は、よく似ておるのだろう」


「……ああ。そうだろうな、北天騎士のジグムント・ラーズウェル殿?」


「ハハハハ。間違いねえなぁ、竜騎士ソルジェ・ストラウス殿。我らは、もっと早くに邂逅し……真なる同盟を組むべきであったように感じている」


「……そうだな。きっと、親父も、ベリウス陛下も……ガルーナの騎士たちの全てが、この『剣塚』に敬意を払っただろう」


 もしも。


 もしも―――なんて言葉を使わなければならない物語を、好むようには竜に教わってはいないのだがな。でも。そのあり得ることのなかった『もしもの物語』は―――オレたちガルーナ人と『ベイゼンハウド人』の幻の血盟の軍勢は……。


 心に描くだけでも顔が動く。


 貌を狂暴さに歪めなければならないほどに、どこまでも素敵な熱量を帯びているモノだったよ。


 ああ、運命よ。どう考えても魂の双子のような我らに、交わることを許さなかったとはな……何だか、リエルとロロカがやがて産むであろう、新たなガルーナの血を、『ベイゼンハウド』の血と婚姻させたくなってくるな……。


 しかし。 


 今はその楽しい婚約を決めている場合ではない。周りに、それに相応しい血は…………ふむ。いない、はずだな……。


 墓場の恐怖と戦うために瞳を閉じて心に平常心を生み出しているミアと、そんなミアの手が合体している親友さんの姿を見る。金髪に……碧眼、金色の尻尾に水色のリボンがよく似合う『チビ虎』、カーリー・ヴァシュヌ。


「……何を見ているのよ、赤毛?……シスコンだけじゃなく、ロリコンまで発芽してしまったのかしら?」


「……いいや。気にするな。この場に、偉大なる須弥山の『呪法大虎』の血までもが、いてくれるという運命に、ちょっと感動しているだけさ」


「……そう。そうね、たしかに……この『剣塚』は墓場だから、アレだけど……竜騎士と北天騎士と『虎』がそろっているなんて……奇跡みたいね。すごく、尊い価値があるってことは、分かるわよ、わらわにだってね」


 武の心を理解する、素晴らしい少女だ。将来が楽しみである。第二のシアン・ヴァティではなく、カーリー・ヴァシュヌの名で大陸に勇名を馳せる日も来るのだろう……。


 ……この子の血は、それほどまでに激しい定めを宿している気がするんだよな、『十七世呪法大虎』殿よ……。


「……じゃあ。そろそろ、行こうぜ。夜風に当たりすぎても、体に悪い」


「そうでありますな。ジャンが、青い顔をしているであります。空気を読めない男なのでしょう」


「よ、読めてるよ!?ちゃ、ちゃんと、感動しているから!?」


 ジャンも涙ぐんでいる。ちゃんと感動していてくれていたのさ。だが、寒そうなのは確かだな。ジャンは『狼男』だけど、寒さに弱いからね……。


「さて。ジグムント・ラーズウェル。案内してくれ」


「おうよ。任せておけ。分かっていると思うが、竜以外、全員でついて来てくれ。もちろん、静かに。葉っぱを踏むときも、気を配りながら、オレに続け。ちゃーんと、『アルニム』に、コッソリと侵入させてやるからなぁ」


 古強者の北天騎士は、そう語りながらローブのフードを頭にかけた。そうだな。その方がいい。北天騎士は名が知られている。町に近づくのだから、顔ぐらいは隠すべきだ……オレは、まあ赤毛でいいか。今日は移動が多く、体も冷えている……。


 体力も魔力も温存させてもらうとしよう。『ベイゼンハウド』には、『予言』の相手もいるらしいからな―――ジークハルト・ギーオルガは、このジグムントにも手加減しつつ深手を与える剣士だという。


 ……ふむ。戦うのが楽しみだな、アーレスよ。体力も魔力も、可能な限り取っておくとしようじゃないか。北天騎士は好きだが、負けるわけにはいかんからな。



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