第二話 『囚われの狐たち』 その3


 ジグムント・ラーズウェルに導かれて、黒い森に入る。潮風にざわめく夜の森は、闇が生きているようだったな。


 猟兵にとっては慣れっこだが、カーリーはどうだろうか?……ちょっとビビっているようだな。あの金色の尻尾が不安げに揺れている。でも、ジグムントについて歩いている彼女は、森のざわめきに怯えると、灰色のローブをかぶったジグムントの背中を見る。


 そうすると、安心するのか尻尾の震えも収まるのだ。


 親族を頼りにしているのだろうか?……そうかもしれないな。まあ、となりにはミアもいるし、リエルにも懐いているから、カーリーは大丈夫だろう。


 闇に隠れる森の道を我々は北天騎士のオーダーの通りに、足音を消して歩いて行く。慎重すぎる理由は、すぐに分かったよ。


 ……前を歩くジグムントが、左腕を上げてカーリーを庇うような仕草を取りながら脚を止める。


 呪われし鬼火が、暗がりの果てに見えた。『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』だ。勇者になるために、戦功を求めて彷徨い続けているようだな……。


 それもまた一種のアンデッドだ。


 赤い炎をまとった呪われし北天騎士の骨が、彷徨っている。錆び付いた剣と鎧を身にまとい、海神ザンテリオンに認められる男になろうと、必死になって名誉を求めているようだ。


 その動きは速くはないものだが、赤い炎に燃えている頭骨と、その眼下の奥で煌めく金色の光は、暗闇を遠くまで見通すことが出来そうだ。


 ヤツはしばらく獲物を求めて、しばらく右往左往していたが……オレたちに気がつかなかったのか、森の奥へと消えていったよ。


「……アレが、音を立てない理由なのですか……っ?」


 押し殺した声で、カーリーは訊いた。


 ローブをかぶった男の頭はうなずいていたよ。


「……そういうことだ。ヤツらは……普段は静かだが。戦いになれば、えらくうるさく叫びやがるんだ。そうなれば、帝国兵に気がつかれてしまう」


「……なるほど……っ」


「じゃあ、移動を再開するぞ。続いてくれ」


 ……『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』と戦うのも、正直、楽しみではあったのだが。大騒ぎになるのでは、大変に都合が悪いな。


 別の機会に戦ってみよう。ガルーナの竜騎士ならば、彼らの求める名誉にも相応しい存在だろうからね。


 移動は再開する。森の奥は、夜行性の獣が走って草むらを揺らす音やら、フクロウの夜鳴き、風に暴れる枝葉の歌……色々なモノが混ざっていた。


 ときおり、『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』の炎が揺らめきながら放つ光も見る……なかなか、夜というのに活動的な森である。


 湿っているのに硬い土を、音を立てないように踏みながら、森を進む―――やがて小さな小屋が見える。小屋といっても、その屋根はすっかりと崩れ落ちている建物だった。


 放置されて久しい猟師小屋だろうか?


 ジグムントはその小屋の南側にある、小さな古井戸へとオレたちを導く。


「……この古井戸の内側には、指がかけられるようなヘコみが設けられている。オレにならって、それを掴みながら降りて来てくれるか?」


「わかった。リエル?」


「うむ。光を呼ぶ」


 『炎』の魔力を操って、リエルは長く伸ばした人差し指の先に、小さな火の球を召喚する。その小さな太陽を井戸の中へと落とすと、闇は消え去っていた。


「力は調整してあるぞ。なので、せいぜい、『ソード・ゴースト』の放つ光にしか見えぬだろう。問題はないか、北天騎士よ?」


 得意げにそう訊くリエルに対して、フードをかぶったままの頭はうなずく。


「十分な配慮をありがとう。では、オレから降りるんで、後からついて来てくれよ、遠方から友たちよ」


 痛むはずの体を動かして、北天騎士は身軽に井戸を乗り越える。そして、その内側にあるヘコみに指とブーツの先をかけながら、素早く井戸の奥底へと降りていく。我々は井戸の近くにいた者から順々に降りていったよ。


 井戸の中は湿度に満ちていたが、底はほとんど枯れていた。水たまりもない。あるのは掘り返したばかりのように濃い土の臭いぐらいだな。


 リエルの呼んだ小さな太陽は、フワフワと女主人であるエルフの周囲を漂っていたが、役目を終えたと感じたのか、風に吹き消されるように消滅する。真っ暗闇が訪れる。


 しかし、夜目が利く者が多いから問題はないのだ。


「……さーて。足音でも頼って、オレに続いてくれ。この地下の道を通り、『アルニム』の城塞の下を潜る」


 井戸の底に北天騎士のしわがれた声が井戸の底にはよく似合った。彼は小さな足音を立てながら、井戸の底からつづく細い通路を進んでいく……。


 我々も彼に続いて歩き始める。狭い通路だが、このメンバーのなかで一番背が高いオレでも、どうにか通れるから問題はなかった。ガンダラのような巨人族ならば、かなり前屈みになるだろうがな……。


 さて。好奇心というものは、いつでもヒトの心に住んでいるものだよ。沈黙の行進はそう長くは続かなかった。小声ではあるが、キュレネイ・ザトーの感情の伴わない音質の言葉が聞こえたよ。


「……ここは何なのでありますか?」


「『北天騎士団』が作った、秘密の抜け道だ。幹部級しか知らない。あるいは、幹部から冒険と任務を命ぜられた者にしかな」


「どう使うでありますか?」


「基本的には、秘密裏に『アルニム』への出入りを行いたいときさ。敵に町が占拠される可能性もある。城塞が、オレたちのための盾ではなく、オレたちを拒絶する盾になる日も。そんなときは、これを用いて北天騎士は敵に占拠された町の中央を攻める」


「感慨深い道であります」


「……まったくだね。しかし、今の状況には悪くない道だろ?」


「イエス。それで、どこに出るのでありますか?」


「海神ザンテリオンの教会の裏庭だ。夜間はヒトがいないはずだ」


 ……教会には秘密が多いな。夜は静かな場所だから、色々と秘密を隠すのには適しているのかもしれない。


 長い秘密の地下トンネルを進んだ後で、やがて行き止まりに突き当たる。北天騎士はその天井部を覆っている重量のある石をゆっくりと動かしていく。わずかに動かすと、外とつながったのだろう。新鮮な空気の流入を感じた。


 地下トンネルの淀んだ土臭い空気に混じり、その鮮度のある心地よい夜の風が香ったよ。


 北天騎士は出口の周囲に誰もいないかを気配で探り、誰もいないと判断したのだろう。石のフタを押し開き、出口を開放するとそこから跳ぶような身軽さで脱出した。


 騎士道は紳士の道だな、彼は上からカーリーを始め、女性陣に手を貸してやる。彼女たちの誰もが、2メートルの高さぐらい、容易く飛び越えるような人物たちではあるが、武術の達人だからといって紳士的な行為の対象から外れることはない。


 とくにカーリーは嬉しそうに見えたね。


 オレとジャンにも手を貸してくれるのだから、ジグムント・ラーズウェルは素晴らしい騎士だ。オレも見習うとしよう。リエルが背中越しに、見習えよガルーナの竜騎士、という小声を浴びせて来たから。


 オレだって女性にはやさしいと思うんだがな……。


 まあ、それはいいさ。オレは新鮮な空気を肌で楽しむためと、周囲を把握するために首を動かす。海神ザンテリオンの教会だな。古い灰色の石材で建てられた、武骨で四角い建物。


 我々が出て来たのは、その裏庭にある『石像』の下からだった。巨大なその身をうねらせる、荒ぶる北海の守護神―――大海蛇の聖獣、それがザンテリオンだ。


「……この石像が動くとは思わないだろうな。かなり大きい」


「きっと、中身をくり抜いて軽量化がはかられています。それでも、かなりの力を使わなければ動かなさそうですわ」


「正解だよ、賢いロロカ殿。これの中身はくり抜いている。フツーなら、二メートルもある石像を動かそうと試すような者はいないだろうからなぁ……っと!」


「手伝うよ」


「あ、ぼ、ボクも」


 さっきの礼だな。オレたちはその石像を押すジグムントを手伝ってやった。三人で押すと軽いものさ。まあ、ジャンの桁違いの腕力があれば十分だが……しかし、これの中身をくり抜いているか。


 海神ザンテリオンの胴体は、うねっているんだぜ?……そのうねりのなかをくり抜いている。数百年は耐えていそうな強度を保ったままか。


 ずいぶんと器用な職人がいたようだな。


「さてと、オレに続いてくれるかな?……ここからなら、路地裏の細道を使い、例の酒場にもすぐに着くはずだ。兵士の巡回に遭遇すれば、オレが対応する」


「殺すのでありますか?」


「……今夜はそれはしないよ。騒がれると、スパイさんに迷惑がかかっちまうんだろうからなぁ……」


「そうだな。気を使わせて悪いが、可能な限りはコッソリと動こう。その方針を貫いてくれよ?……アイリスたちに負担を強めたくはない。ただでさえ、ムチャをしているさ」


「……そうだな。情報収集も、命がけであるぞ」


「……元・仲間たちに追い回されるオレには、思い知らされる言葉だぜ。とにかく、オレに続いてくれ。敵に遭遇すれば、大商人に雇われた者だと説明しよう……」


 商人には帝国の兵士も弱いからな。


 商人のフリをすれば、彼らを騙せることが多い。戦時下でも、他国に帝国の経済圏を拡大しようとする行為そのものを、帝国は推奨しているからな……経済圏に巻き込む。そうすることで支配を強められる。十都市連合も、その力によって砕かれた。


 暴力よりも欲望の方が、強い威力を持つことがあるというわけさ。



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