第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その37


 屋上からゼファーを呼んだ。ゼファーは夜の闇に紛れて、黒い森から飛び立ち、この『銀月の塔』の上空へとやって来る。やさしげに風と遊ぶ無音の飛行だ。その漆黒の姿は闇と一体化し、全てを夜空のもつ黒の中へと隠してしまう。


 帝国軍の兵士どもに、気づかれることはなかったよ。


 ゆっくりと羽ばたきながら、ゼファーは夜空から降りてくる。脚爪が、『銀月の塔』の広い屋上へと当たる。古い塔はわずかに揺れたが、この幾つもの世紀を越えて来た偉大なる石造りが崩壊するのは今夜ではなかった。


『……みんな、おまたせ!』


「ほう。竜も喋るんだなぁ」


「そうなんです。ゼファーは、とっても賢いの」


『うん。りゅうは、とてもかしこいらしいよー?』


「ハハハハ。自分で言うのだから、そうなのだろうなぁ?……さてと、オレはジグムント・ラーズウェル。北天騎士の一人。よろしくな、竜のゼファー?」


『よろしく。じぐむんと』


 挨拶は完了だ。さすがは北天騎士か。竜が喋ったことには驚けども、その巨大さなどに怯むようなことはないようだな。


「よし、ゼファーに皆で乗ってくれ。南に向かい、『アルニム』へと向かうぞ」


「ええ!伯父上は、わらわの後ろに!」


「ん。ああ、そうすればいいのか?」


「そうしてやれ。アンタは最後尾から二番目だ。ジャン、彼が落ちたりしないように見張ってくれ」


「りょ、了解です!」


「……そんなに心配するようなことか?馬のような、ものじゃないのか?」


「念には念を押す。アンタは疲れすぎているからな」


「……心遣いに感謝するよ」


 というわけで、ベテラン北天騎士と彼の姪っ子を後方に配置して、ゼファーは屋上からピョンと跳ぶ。翼を広げて空へと戻るのだ。


 長居するわけにはいかない。時間をかけるほどに、ゼファーを目撃される確率が上がるからな……。


 『銀月の塔』の頂きから、ゼファーは塔の南側を埋め尽くす黒い森の上空へと、すべるように飛んでいく。羽ばたきを用いることのない、静寂に隠れることが許された飛び方だった。


 またたく間に『銀月の塔』とその周辺の森からは遠ざかっていた。人の気配を感じることの無い場所まで飛び抜けた後で、ゼファーは翼を用いて加速を始める。


 それなりに揺れることにはなるが、ジグムント・ラーズウェルは無事のようだった。大陸中を旅して回り、馬の背に慣れている人物だからな。


 フーレン族だから身体能力も優れている。勇猛果敢なその人物は、空を怯えることはなかったのだ。


「……これは、速くていいなぁ……ガルーナ人は、素晴らしい力を結託していたようだ。ストラウス殿、お前さんたちの伝統と文化と歴史に、敬意を捧げる」


「……ありがとうよ。死んで歌になっている先祖にも、『北天騎士団』のファンは多かった。褒められて喜んでいる」


「……しかし、これほどのスピードならば……ものの十数分で、『アルニム』まで到達することになる。十都市連合の町を、これほど短時間で移動出来るとはなぁ……考えたこともなかった」


 この圧倒的な機動力が、今の『パンジャール猟兵団』が持っている他には無い能力だな。ゼファーの存在を知られなければ、オレたちの行動を敵が有効に予測することは難しくなる。


 我々の能力を研究されることがない間は、ファリス帝国に対してゼファーは最も有効な力として機能する―――今は弓による迎撃ぐらいしか、帝国のヤツらは思いつけてはいないからな……まあ、そのうち、どんな対策を用意されるか分かったもんじゃないがね。


 ……少なくとも、『ヒューバード』では対策が一つは用意されていたわけだ。高い位置まで飛ぶ矢という対策がな……。


 有名になって来たことは、騎士としては名誉ではあるが、対策を取られ始めるということについては楽しくないことだった。今後、より一層、気を使うことになるだろうな、ゼファーの戦い方というものも、さらなる研究を積みたい―――。


「―――お兄ちゃん!」


「どうした、ミア?」


 脚の間にいるミアに呼ばれていた。ミアは左を指差している。


「あそこ見て!夜の森のなかに……鬼火が見える」


「鬼火……ああ、本当だな」


 真っ暗に沈む『ベイゼンハウド』の黒い森。そこに鬼火が幾つも見えた。青やら赤い色に燃える炎が……森を徘徊しているようだ。


「……伯父上、あれは……呪われた北天騎士たちですね」


「……分かるかい、さすがは『呪法大虎』殿の孫娘だな」


「はい……」


「北天騎士殿、質問があるであります」


「なんだい、キュレネイちゃん」


「アレはどういった存在なのでありますか?」


「……オレたちの文化が招いた、一種の弊害と言うべきものかなぁ……剣を回収し、遺体を回収しないことも少なからずある。それがアンデッドとなることも」


「では、あの鬼火もアンデッド?」


「残念ながらね。海神ザンテリオンに捧ぐ『剣塚』だけでは、供養が足りないのかもしれない」


 『剣塚』、初めて聞く言葉だったな。まあ、前後の彼の言葉で想像はつくが、その疑問をジャン・レッドウッドが訊いてくれる。


「け、『剣塚』っていうのは、何なのですか?」


「海神ザンテリオンを崇拝する、オレたち『ベイゼンハウド』の騎士には墓が二つある。海へと遺体を流す。それが一つ。海こそが墓だ。そして、戦場で散った北天騎士にはもう一つの墓が許される。名誉ある北天騎士の墓、それが『剣塚』だ」


「お、お墓なんですね……?」


「海が見える丘に、土の奥から掘り出した大岩を引きずっていく。そこに剣を突き立てるのさ」


「そ、それが『剣塚』なんですね」


「そうとも。海神ザンテリオンの領域たる海からの風に錆果てるまで、赤い『剣塚』に我らの武勇は残るのだ。『剣塚』、それこそが、我々、北天騎士の真なる墓だ」


 さまざまな文化があるようだ。


 北天騎士たちは、戦場に屍を残すことを苦痛とも恥辱とも思わない。自分たちの骨を葬ることよりも、剣を『剣塚』に捧げることを大切だと考えているわけか。


 剣に宿った物語を伝えようとする……勇者には相応しい墓かもしれないな。


 ……だが、弊害がある。


 ヒトの心には闇が巣食うことがあるものだ。心を、宗教や哲学、倫理や掟だけで完全に制御することは適わない。規範にそぐわないイレギュラーが生まれてくる。


「あの鬼火の多くは、名誉を穢した者。逃亡者や、掟破りの裏切り者……そういう連中の魂が成り果てたものだ。彼らの骨は放置され、『剣塚』にも剣が捧げられることはない……彼らは海神ザンテリオンの許しを求め、己が罪を武功で贖おうと彷徨っている」


「……罪を犯した北天騎士たちは、死霊になるのでありますな」


「そうだ。あんな風にならぬようにと、戒めのために放置した。除霊をすることもなく、呪いを放置している」


「伯父上、それは……」


「ああ、良くないことでもある。死者の骨に、悔恨の呪いがつき、周囲を汚染する。かつて、須弥山で『呪法大虎』殿から、それもまた新たなモンスターや災いを招くことにつながるとも学んだ……しかし、伝統はオレが他国から持ち帰った言葉では変わらない」


 伝統を変えようとすることは、大きな挑戦になるだろうからな。まして、『剣塚』と『贖罪の鬼火』は、北天騎士の哲学の形成に大きく関わっているようだ。


 なかなか変えることは難しそうなことに思えるし、事実、そうだったようだな。


「……今もって、あの鬼火たちは供養されることなく、武功を求めて彷徨うのみだ。帝国兵を襲うこともあるが……『ベイゼンハウド人』の集落を襲うこともある」


 色々な文化がある。そして、どの文化にも闇のように暗い側面があるものさ。勇猛果敢を強いられる、それが北天騎士の難しさだ。オレたちのようにあまり深く考えることなく、戦場に鋼と共に特攻することを喜ぶ者もいるが……。


 ……どうしても心が、戦士に向かない者だっているんだよ。


 勇気に恵まれなかった男として生まれたら、『ベイゼンハウド人』には向かないようだな。


「『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』……オレたちは、あれを積極的に祓うべきな気がしているんだがねぇ……」


 鬼火たちの彷徨う黒い森を見下ろしながら、北天騎士ジグムント・ラーズウェルは故郷の夜に漂う歴史に語りかけた。


 しかし、彼が悪霊退治に奔走する夜は、今日ではないのさ―――。


『―――『どーじぇ』、みえてきたよ!』


 黒い森の果てに、暗い海が見えた。そして、その海面を明々と照らしている街の光も見えている。十都市連合の一つ、『アルニム』……オレたちの目的地がそこに見えていた。



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