第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その20


 メアリー・ドーンの家から出ると、ジャン・レッドウッドが集落の女たちに囲まれていたよ。


 スパイスを求めている女たちと、ジャガイモや薬草を交換しているのさ。この集落の女たちは、慣れた顔の行商人とは異なる照れ屋の若者の反応を楽しんでいる―――。


「―――どう、いいジャガイモだろう?……甘味もいいんだよ。それと交換しようじゃないかね?」


「そ、そんな!?ジャガイモ一袋と、く、く、く、黒コショウ100グラムじゃ、ぼ、ボクたち大損です。ろ、ロロカさんに殺される……っ」


「……あら。ジャンくん。私はジャンくんのことを殺したりしませんけれど?」


「ひいっ!?す、すみません!!すみません!!こ、言葉のあやさんですう!?」


 ……テンパり過ぎて、ジャンはオレのやさしいロロカにまでビビっているようだ。ジャンのリアクションのせいで、ロロカの微笑みに裏があるように見えてしまうじゃないか?


 少なくとも、集落の女たちはジャンの女主人に対して、迫力を感じてしまっているな。


「じゃ、じゃあ。ジャガイモ一袋に、薬草もセットでつけましょう!……血止めヨモギと魔力切れを防いでくれる月光草の根の粉末薬。それぞれ、10回分でどうだい!?」


 一気に正当なトレードになったようだな。ジャンは、ホッと胸をなで下ろしている。


「そ、それなら、いい取引になると思います。で、では、こちらが黒コショウです」


 ジャンは小さな麻袋に入ったそれを手渡して、ジャガイモの袋と薬草のセットを受け取ると、『白夜』の背中に乗せていく。


「……あ、あの、ロロカさん。薬草を中心に購入しました。こ、この薬草は質がいいみたいです。においも、とてもいいもので……」


「ええ。森の濃い土地ですからね、薬草に宿る魔力も強くなるものです。良いトレードをしてくれたみたいで、助かります」


 天下を取る勢いで伸びている『ストラウス商会』の敏腕副社長サマに褒められて、ジャンは安心している……。


「あ、ありがとうございます!!バートア村の皆さんも、ありがとうございます!!おかげで……お、怒られませんでしたあ!!」


 ……オレのロロカ先生は、ものすごくやさしいけどな。オレの知らない顔とかあるのだろうか?……いや、苦手意識か。ロロカ先生の持つ『教師属性』に、ジャン・レッドウッドは苦手意識があるのさ。


 集落の……いや、バートア村の女たちも、ジャンが女主人に怒られなかったことを喜んでいる。


 彼女たちはジャンのことを、騎士夫婦に仕える気の弱い従卒ぐらいにしか認識してはいないだろうからな……下手な仕事をしたら、とんでもない罰を与えられると考えているのかもしれない。


 涙目になる中年女性もいた。


「うう。良かったねえ、ジャンさん。叱られなくて」


「は、はい……っ。み、皆さんのおかげですう……っ」


 ……むしろ。この態度がロロカ先生の怒りを買うようなことになるのは、オレの気のせいだろうか……?


「ジャンさん。これも持ってお行き?……ノドの痛みが良く取れる、バートア村特産のハーブ・ティーだよ?」


「す、すみません。ありがとうございます、ありがとうございます!!」


 同情を引くタイプの交渉術になっているな。ロロカ先生は……ああ、ニコニコしているな。気にしていないらしい。学者でもあり、商人でもある彼女は、より多くの利益を得ることが出来たから満足しているのだろうか……?


 とにかく、これ以上、物資を獲得することは不必要に見えた。今は、ゼファーの元に戻り、狩りに出かけたチームと合流したいところだな。


 腹も空いてきている……もう昼になろうとしているからね。


「では、ジャン。行くぞ!」


「は、はい!サー・スト……じゃなくて、サー・シャーネル」


 『白夜』に乗ったオレとロロカに、ジャンが追いついてくる。ジャンは村の人々に別れの挨拶をするために、ペコペコと頭を下げて回る。


「い、色々と、ありがとうございました。皆さん、お元気で!ば、バートア村の皆さんの健康が、末永く続くことを!!」


「ええ。アンタもいい騎士になるんだよ?」


「黒い森の奥まで、旅しているんだ。いい騎士に必ずなれる。昔の北天騎士みたいにね!がんばるんだよ、ジャンさん!」


「は、はい!!が、がんばりまーす!!」


 『白夜』が駆け始めて、ジャンはそれについてくるために駆け足になったよ。


 この場所は居心地が良すぎるからね。勢いよく立ち去らなければ、後ろ髪が引かれてしまうから、走り去ってしまうべきなのさ。


 黒い森をしばらく走り、バートア村から離れると、ジャンは狼へと変身する。ぽひゅん!という音を立てて、2メートルほどの狼に化けていた。


 『白夜』と併走するには、この姿の方がいいよな。


 ……ユニコーンに駆け足でついて来る青年ってのは、ちょっと違和感がスゴい。従者に厳しすぎる騎士夫婦みたいなカンジもして、印象が悪いしね。


『……だ、団長、ロロカさん。じょ、情報は手に入りましたか?』


「ああ。元・北天騎士の多くが困窮しているようだ」


『そ、そうですか……っ。バートア村も生活は苦しいみたいです。元々、豊かじゃなかったのに……『ベイゼンハウド』の伝統薬は、帝国が流通を拒んでいるみたいなんです』


「……教化政策の一環でしょうね。『ベイゼンハウド』の文化を奪う。心や考え方まで、帝国人にしてしまおうとしているんでしょう」


『そ、それって……何か、ヒドい気がします……っ。皆、それぞれ違う歴史や考え方を、持っているはずなのに……』


 心まで帝国人に変えるか。そうした方が、帝国からすれば支配しやすいのだろう。合理的で経済重視、多様性を軽んじる。帝国による大陸の支配は、多くの伝統的な知識を失わせているのだろう。


 それは何とも大きな学術的損失なのだと、いつかロロカ先生が教えてくれたことを思い出す。文化や知識の伝統が潰えて、同じようなものだけになるか。


 メアリー・ドーンが感じている閉塞感の原因は、それなのだろうな。色々な土地の小麦粉を選ぶことも出来なくなった。それでは買い物の楽しみも減る……。


「暗いことは多いが……吉報もあるんだ」


『ど、どんなことですか、団長?』


「ジグムント・ラーズウェルは、北天騎士たちから尊敬を集めている立場の者らしい。彼が健在ならば、大きな指導力を発揮する可能性がある……かつて、北天騎士の妻であったメアリー・ドーンは語った」


『じゃ、じゃあ、『呪法大虎』さんへの手紙は、ほ、本物だったんでしょうか?』


「信じたいところだし、これから会いに向かうつもりだ。だが、ジャン」


『は、はい?』


「お前の鼻を頼るコトになるだろう。『呪法大虎』宛の手紙についたにおいが、ジグムント・ラーズウェルのモノなのかを探る必要はある」


「……そうですね。ジグムント・ラーズウェルが有力な元・北天騎士である以上、彼を利用しようとする帝国軍の兵士もいるでしょう。武勇を誇る国……須弥山に対しての修行旅行について、多くの者が知っている可能性もありますもの」


『……つ、つまり、ジグムント・ラーズウェルが、『呪法大虎』さんと親しいことを、知っていた帝国軍の兵士もいる……?』


「……帝国軍に鞍替えした、人間族の元・北天騎士たちも知っているはずですよ」


『……っ!!そ、そうか……そうですよね……っ』


 人間族の元・北天騎士たち。信用することが出来ない者も、当然、出てくる。忠誠心の強い人々だからな。仕える先を変えたとき、その忠誠心の強さも引き継がれているかもしれない。


 帝国軍に対して、従順な元・北天騎士たちも大勢いるということだ。そんな人物が、帝国軍への忠誠を果たすため、ジグムント・ラーズウェルと『呪法大虎』の間にある関係性を利用しようと、偽りの手紙を書く可能性もある……。


 ……注意は必要だ。


 ここは敵地だからな……。


「……とにかく、リエルたちと合流する。森の『罠』の仕組みも合わせて、ハント大佐と『呪法大虎』に連絡を送ろう。オットーたちに、フクロウを飛ばせば、二人のクライアントたちにも連絡がつく」


「そうですね。手紙は、私が書きます」


「頼む。オレの手紙より、君が書いた方が要点を上手くまとめていて、説得力があるだろうから」


「お任せ下さい。得意なんです、情報の整理」


 ……得意なことが多くて、いつもながら、とても助かるよ。ロロカ先生の分析と交渉術なら、ハント大佐やエイゼン中佐も納得させる報告書を書き上げるだろう。


 ……さてと。


 ゼファーの魔力が近づいて来ている。皆も狩りから戻っているようだな。腹も空いてきた。旅立つ前に、昼メシを作ることになりそうだよ。



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