第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その19
戦士にとって、敗北こそ罪深いものは他にない。
もしも9年前のあの戦で、オレたちストラウスの剣鬼たちと、アーレスの血を引く竜たちが、バルモア連邦なんぞに負けさえしなければ―――ベリウス陛下をファリスのクソどもに暗殺されることもなかった。
そうなれば。
そうなれば、やがて本性を現した皇帝ユアンダートと戦うことになっただろう。『耐久卵』から生まれた、ゼファーと共にな。
そうだったら……。
そうだったら……少しは『今』が違っていたんじゃないか?……ガルーナの竜騎士がいれば、必ずやこの騎士の国に力を貸したはずではないか。オレたちと同じ、人種の共存を掲げていた騎士のために力を貸せたはずだ。
ガルーナの竜騎士がここに来ていたら―――『北天騎士団』の勇者たちと肩を並べて戦えていたら。
負けなかったはずじゃないか?
誰にも負けることはなかった。
ファリス帝国だって、押し返していたさ。
……全てが変わっていただろう。全てが変わっていたはずだった。オレは、セシルを失うことだって無かったのだ!!
あにさま、あにさまと、舌っ足らずな声でオレを呼んでくれるセシルのことを死なせることもなかったのに―――ああ、アーレスよ。弱いということは、敗北するということは、なんて罪深いのだろうな。
「……そうかい。聞いたことがあるよ。ガルーナの竜騎士たちの物語を」
メアリー・ドーン。北天騎士に愛され、愛された人物。『北天騎士団』の、十都市連合の、『ベイゼンハウド』の魂を知る彼女の長い耳に、オレの一族の物語が届いてくれていたことが嬉しくて仕方がないのだ。
泣きそうになる。あまりにも、嬉しいからな。
「……ソルジェさん」
でもね。ヨメの一人が見ているから、ストラウスの剣鬼は泣かない。『家族』がいると、オレは強くなれるんだ。9年前よりも、ずっと、ずっと強く。
「……ソルジェ・ストラウス殿。貴方が悲しまれることはない。貴方たちこそ、真なる騎士道を全うされたのだから。民草に仕え、大悪に怯むことは無かった。物語は伝わっているぞ。ファリスの卑劣な裏切りに遭うまでは、ガルーナ騎士は民草の剣であり盾であったと」
「……それでも、オレたちは敗北してしまった。全てを、変えるためには……勝たなければならなかった戦なのに。オレたちは、負けてしまったんだ、メアリー・ドーン」
「……敗北することも、あるものだ。だが……貴方は生きていた。この勇者たちの土地に辿り着いてくれた……それは、無価値なことではないはずだ」
「ええ。そうです。メアリー・ドーンさま。ソルジェ・ストラウスは……ガルーナ最後の竜騎士は、戦いに来ました。ファリス帝国を打ち倒し、ガルーナの国土と正義を奪還するために」
ロロカ先生が、オレに代わって答えてくれる。そうだった。オレは、まだ終わってはいない―――。
「―――なるほど。ソルジェ・ストラウス殿よ。そうであったか。やはり、貴方がたの物語は終わってはいなかったのですね」
「……ああ。ストラウスの歌は、まだ終わっちゃいないよ…………オレは、ストラウスはまだ戦い続けているんだ、メアリー・ドーン」
「……ガルーナの竜騎士は、ストラウスの剣鬼は何人にも屈することのない、死すら恐れぬ蛮勇と伝え聞いていた。それは、我々の『北天騎士団』と、共通するところが多くある……」
「そうだと思います。ソルジェさんは、ストラウスの生きざまと継承しています。誰よりも戦場の最前線で、竜太刀と共に踊る。剣であり、盾である。竜騎士の哲学を体現しています」
「だろうなあ。事実上、帝国の属州と成り果てた、この『ベイゼンハウド』に脚を運ぶことなど……並みの戦士ではやれることではない。北天騎士のうち、人間族であった者たちは、もはや帝国の軍人だ……捕まれば、貴方に慈悲を彼らは注がない」
「……そうなのですね。やはり……人間族の北天騎士たちは、もはや我々とは違う側の人種なのですか……」
ロロカが落胆している。考えていたことではある。『北天騎士団』が解散された時に、彼らはその組織哲学を失ったのだ。もはや、かつての誇りを鋼に宿すことはない……。
「……残念じゃがな。人間族と、亜人種族の間には、もはや信頼関係など成り立たなくなろうとしている……」
「……帝国の価値観が、根付いているのですね。悪帝ユアンダートの、人間族第一主義というものが……」
「亜人種族の未来は……この土地では閉ざされようとしている。森の闇よりも、それは暗く……北海の冬の嵐のように絶対的だ。我々は……この土地で滅びの憂き目に遭っている……ソルジェ殿。我らの魂は……もはや錆び付いている……」
「……亜人種族の、元・北天騎士たちは?」
「彼らも疲弊し、困窮している。多くの者が、鎧も剣も売ってしまっただろう。家族を養うためには、それしか道はない。帝国は、それを目論んでいた……蜂起するための力も、我々から奪って行った。我々は……意志を示す声を奪われ、意志を示す剣も奪われた」
「…………しかし。メアリー・ドーンよ」
……信じたいから、それを信じようとしているのだろうか?……『罠』である可能性さえも承知しているのに、それでも……。
……賢者アプリズは悟っていた。
ヒトは、『信じたくなる嘘』を選ぶと……オレは、それを選ぼうとしているのだろうか?
騎士の妻であるメアリー・ドーンの言葉を、否定しようとしているのは、オレの願望がゆえのことなのか……?
「……何でしょう、ソルジェ・ストラウス殿?」
「……オレは、ハイランド王国の『呪法大虎』に言われたのだ。かつての北天騎士の一人である、ジグムント・ラーズウェル……彼が、反乱を企てていると」
「……っ!?」
「その人物に、心当たりはあるかい……?」
「……ええ。たしかに、たしかにあります。ジグムント・ラーズウェル……誰よりも北天騎士の魂を継いだ男たちの一人でした。腕前だけならば、騎士たちのなかでも一二を争う存在…………そう。彼ならば、まだ……魂が錆び付いていないのかもしれない」
闇のなかで、希望の光を見つけたような気がしたよ。
ジグムント・ラーズウェルを、このメアリー・ドーンは認めている。彼ならば、可能性があると、彼女は口にしてくれた。『一つ目の大悪鬼/サイクロプス』との戦いで、命を落とした偉大な勇者の妻である、このメアリー・ドーンが……。
信じるべきだ。そう確信する……ジグムント・ラーズウェルを信じるべきだとな。
彼は、きっと、まだ伝説を継承してくれているのではないだろうか……。
……だが。
「……彼だけでは、世の中を動かせないだろう。力となる者は……いないか?」
「……『北天騎士団』が解散されて、多くの者たちは、かつてほどの絆を保てない。自暴自棄になり森に赴き自害した者も、絶望して酒に溺れた者もいたと聞く。誰もが困窮し、仲間に言葉をかけることも無くなった…………だが、ラーズウェルが健在ならば、絆は蘇るかもしれない」
「……彼のリーダーシップは、それほどなのか?」
「強かった。そして、傷を負うことにも怯まなかった。剣であり、盾であった。従う者は多くいるはず」
「……ソルジェさん。彼に会うべきですね。北天騎士たちの尊敬を集める人物。彼をリーダーにすることで、『北天騎士団』を再建することが出来るかもしれません」
「ああ。会いたくなったよ。会って、ハナシをしてみたくなった……『呪法大虎』に託した手紙に嘘偽りが無いのなら……『北天騎士団』の物語も、終わってはいない」
そうだ。
ストラウスの歌が続いているように。終わることはないのだ。たとえ、国が変わり、騎士団が消え去ったとしても。ヒトの魂までもが、朽ち果てるとは限らない。
魂が朽ち果てなければ、そして生きていてくれるのならば―――会うべきだよな、アーレスよ。
竜騎士と北天騎士として、オレたちは語らうべきのような気がするんだよ。
「…………ストラウス殿。私も、また……手紙を、夫の同僚であった者たちに送りましょう。亜人種族の元・北天騎士にしか送りませぬ……」
「ええ。メアリー・ドーンさま。そうして下さい。人間族の、元・北天騎士は……信じるには危険過ぎます」
「……うむ。残念じゃが……警戒せざるをえまい。だが、彼らの中にも、大勢が、かつての『北天騎士団』の再興を願っている……北天騎士団は、民草のためにある。民草が、かつて帝国への恭順を選んだからこそ、己の心に反して剣を納めた者も多い……」
「……反乱を起こせば……彼らもまた、こちらにつく可能性はあるのですね」
「……どれだけの数かは、断言出来ませんが……必ずや、応える者はいる」
「……いい言葉だ。希望が持てたよ、メアリー・ドーン。ありがとう。真の北天騎士であった君の夫に、手合わせを願いたかった」
「いつか、あの世ですればいい。死者は老いぬ。待っているさ、貴方のことを。私の夫も……かつて貴方が失った者たちも」
「……長く生きるから、その楽しみは先になる。今度こそ、勝ち取らねばならんからな」
「……ご武運を」
「……ああ。アンタも、長く生きてくれ、メアリー・ドーン。見せてやりたい。新たな『北天騎士団』と……オレのガルーナ王国の誕生を」
「待っているよ。私は、薬草医だ。長生きのコツは知っているからね」
「……達者でな。オレたちは、北天騎士に会いに行く」
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