第一話 『ベイゼンハウドの剣聖』 その18


 ハーブ・ティーを口に含む。温かくて、心が安まるような味というかな。微妙な苦さがあるが、風味はとても甘い。ロロカ先生の方には、蜂蜜がたっぷりと入れられている。


 ……男は蜂蜜が苦手だとでも考えているのかな。


 まあ、苦い茶も好きだよ。健康になりそうな気がするからね。


「……アンタたちは、どこから来なすったんだい?」


「大陸中を旅しているからな。ここから南西だよ」


「南西かい。若い衆たちが、徴兵されて出かけて行ったよ」


「……ああ。ハイランドの軍と戦になるんだってな?……婆ちゃん、詳しいな」


「このメアリー・ドーン婆さんは、物知りエルフって有名なのさ。顔も広いしねえ」


「そうかい……それで、メアリー婆ちゃん。どれぐらい徴兵されたんだ?」


「人間族の若者は、ほとんどじゃないかね?」


「……そうか。それじゃあ、オレは元・北天騎士たちと手合わせすることは叶わないようだな」


「フフフ。豪気な男だねえ。死んだジイサンを思い出すよ。まあ、ジイサンは、ジイサンになる前に死んじまったけどね」


「『一つ目の大悪鬼/サイクロプス』と戦ってか」


「……サイクロプスは、身の丈が7メートルはあるという、巨大なモンスターですよね?この森にも出るのですか?」


 ……だったら嬉しいんだがな。『一つ目の大悪鬼/サイクロプス』と戦う?……ストラウスの剣鬼の血が騒ぐぜ。想像するだけで、沸騰しそうになるほど、血が熱くなる。


「安心しな。ここいらの森には、いないよ。もう十年は、見かけちゃいない」


「……そうか」


「ハハハハ。ガッカリしているよ、この赤毛は!……勇敢な男を旦那にしちまったねえ。さっさと子供を作っておきな。こういう男は、いつの間にやら死んじまうんだ」


「……ええ。でも、そうならぬように……私も槍を鍛えていますの」


「……そうかい。私も、治療薬じゃなくて、そっちを習っていれば、一緒に死ねたのにねえ」


「さみしいハナシをするなよ?」


「ハハハハ。そうだねえ。まあ、後悔はしていない。うちの旦那は騎士で、それが良かったから結婚した。王無き土地の民草のために戦い、そして命を散らせる。それが北天騎士ってものさ!」


 尊敬を集める存在らしい。オレたちのような外部の騎士たちだけでなく、『ベイゼンハウド』の民衆から、北天騎士たちは尊敬されているようだ。


 そのことが、何だか嬉しかったよ。


 ガキの頃に憧れた、英雄たちの一部が、北天騎士たちだよ。そんな人々が、本当に『ベイゼンハウド』で讃えられているんだ。嬉しくないはずがないだろう。子供の頃の英雄ってのは、きっと、男にとって永遠の英雄になるんだ。


「……婆さん」


「なんだい?」


「……この土地の暮らしはどうだい?」


「田舎だよ。世界のどこの田舎と同じだろうさ。何もないが、すべきことはそこそこあるんだ。森に入り薬草を摘み、痩せた畑を耕している。薬草を煮込んで傷薬を作り、それを売って海から来る小麦を買う」


「……小麦は、海から……?」


「帝国産の小麦さ。私は嫌いだけどね!……でも、他に小麦粉を買う手段はなくなった。昔は、ザクロアとかアリューバからでも船で小麦粉が運ばれて来たんだけど……今じゃ、全てが帝国産!同じものばかりで、市場の商人たちと話す楽しみも消えちまったよ」


 メアリー・ドーンはウンザリとしているようだ。ため息を吐いた。そして、胃袋の平穏のためにだろうか、ハーブ・ティーをグビグビと呑んでいったよ。


「……帝国が好きではないか?」


「……ああ。当然さ」


「……亜人種を弾圧している連中だからかい?」


「当然、それもある。人間族が優れているだって?……勘違いも甚だしい。傲慢で、欲深く、身勝手だ……大陸で一番、大きな国だからといって、何でも自分たちのルールを押し付けてくる。好きになれるかい……」


「……そうだな。オレも、連中は大嫌いだ」


「フフフフ。だろうね。亜人種のヨメを持つ男だ……その大きな太刀で、帝国人を何十人も斬ったのだろう?」


「二桁違うかもしれないな」


「ハハハハ!……なるほど。北天騎士と出逢うべき道にある男じゃったようだな」


「お婆さま、彼らは解体されてしまったのですか?」


「……そうだ。帝国との戦の終わりの方になり……人間族の多い都市の連中が、帝国に寝返った。より良い経済のためだとか、これ以上の戦いは国力を疲弊するだけだとか。そんな言葉で……『北天騎士団』から、戦う理由を奪っちまいやがった」


「……人間族が、結束を破ったか」


 同じ人間族として、恥ずべき行いだな。


「そうだ。まあ……他の市民も似たようなもんじゃ。帝国が約束する『豊かさ』とやらに、若い者は騙された。年寄りもだがな……」


「結果は、違っていたのですか?」


「……ああ。違っていたよ。富める者は、人間族の商人ばかりだった。十都市連合の結束は破れていったよ。またたく間にね。帝国は、人間族ばかりを優遇した。十都市連合の議会も、人間族だけにしちまったんだ」


「……帝国の常套手段ですね。王無き土地で行われている選挙……それに介入する。亜人種の議席を減らすために、圧力をかける……」


「人間族は、数だけは多いからね。無能な者でも、数さえあれば偉大な力を預けていいんじゃと?……マヌケなハナシに聞こえるよ。それぞれの種族の代表者に、大きな権利を与えてこそ、種族は共存出来る。以前のように、群れの大小などでなく、立場の種類で議員を選ぶべきだ」


「……そうですね。人間族が多い土地では、選挙なんて、亜人種族からすれば支配の口実にしかなりません。数の暴力。それが、帝国の本質」


 数の暴力か。たしかにそうだな。帝国はデカいから強い。デカいから世界を好き勝手に作り変えられる。自分たちの『掟』に合わない者を、踏み潰しながら好き勝手に暴れる。


 腹が立つことに、人数が多いってのは、強いんだよ……人数が少ない者に対して、何でも出来る―――それがイヤでね、帝国を滅ぼそうと必死になって、足掻いているのさ。


「……婆さんとオレたちの帝国嫌いに乾杯」


 ハーブ・ティーが入ったコップを掲げた。婆さんはノリがいい。コップをぶつけてきてくれたよ。


「……ああ。まったく、いい男はすぐにあの世に行っちまう。アンタも早く来るべきだった。50年も早くに、この土地に来てくれたのなら、本物の勇者たちに会えただろう!民草のために、貧困に耐えて、命を捧げた、無私の勇者たち、『北天騎士団』に!!」


「……会いたかったよ。『氷剣のパシィ・イバル』に」


「ハハハハ。殺されてしまっただろうがねえ。でも、挑むべきだったね。アンタは……何というか……北天騎士に似ている。ひょっとして…………この土地から、そう遠くない国に生まれているんじゃないのかい……?」


 『氷剣のパシィ・イバル』は、ちょっとマニアック過ぎたかな。『ベイゼンハウド』の伝説的な英雄だが、世界的に有名な人物ってほどじゃないものな……。


 エルフの婆さんがオレを見ている……。


「…………北天騎士に、似ている者など。この世界には、そういるものじゃないんだよ。なあ……アンタは、人間族なのに、ディアロスの娘を娶った。なかなか、そういう人間族はいない……」


「愛があれば、何でもいいのさ」


「……ハハハハ!……いい言葉だ。そういう男ばかりの方が、世の中は正しくなるような気がするよ。うちの孫娘なんて、人間族の恋人に裏切られた。帝国の正義によると、人間族の男には、エルフの娘など妻として不適格らしい」


「下らん世迷いごとだ」


「ああ。実に、下らないねえ……でも。変わっちまったよ、この土地は。とんでもなく、くだらなくなった」


「……そうか」


「ああ。たしかにねえ。帝国人の小麦粉を食べて、昔よりは子らの体重も増えた。だが、魂は死んだ。私たち亜人種の貧乏人の言葉は、他者に届かなくなった。富める者たちはますます栄え、我らは与えられる恵みに乞食のように頼るのみ。人々は、苦しみも喜びも共有は出来ん。誰にも声は届かない。これでは、生きている意味がない。命を捧げる価値が、この『ベイゼンハウド』からは消えてしまった……」


「……命を捧げる価値が、無いか」


 ……あの砦に封じられている北天騎士たちの戦い方を見ていると、婆さんの教えてくれる現在があまりにも痛ましい。


 『北天騎士団』が消えた理由を、婆さんは見抜いている。帝国の価値観や法律に染まってしまった『ベイゼンハウド』には……物語がない。伝説がいない。


 命などを燃やして、守るほどの重みを消失してしまったのだ。かつての十都市連合が織り成していた『正義』。貧しくも平等な世界なればこそ、『北天騎士団』が仕える意味があったのだ。


 この土地には、もう平等はない。多数が少数を一方的に支配するだけの、無慈悲な獣どもと同じ世界となった。貧しき者の声は誰にも届くことはなく、苦しみにあえぐ者たちも人間族でなければ勇者は来ない。


 貧しい者のために、弱者のために、大悪を斬る。


 それこそが北天騎士の本懐だったが……今では全てが人間族のためだけに動いている。十都市連合が帝国の犬になったそのとき―――『北天騎士団』の正義は砕けていた。


 北天騎士たちが、命を賭けるべき『正義』など……『ベイゼンハウド』からは消えていたのだ。


 ……そのことが、とても悲しい。騎士道は、この土地では死んだ。やがては森に呑まれて、亜人種たちの村も消えるだろう。十都市たちからも、亜人種の多くは消え去るだろうな……このまま帝国が蔓延れば。


「……すまんな、婆ちゃん」


「……どうして、謝るんだい?」


「……いや。ガルーナが滅びていなかったら……あの戦で、オレと兄貴どもと親父が、バルモア連邦をさっさと倒しておけば……ガルーナが、今でも在れば……きっと、『ベイゼンハウド』と組んで戦い、この国には、まだ勇者のいる価値があっただろう」


「……アンタ。ガルーナの子なのかい……?」


「そうだ。我が名は、ソルジェ・ストラウス。ガルーナ最後の竜騎士、翼将ケイン・ストラウスの四男だ」



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