序章 『呪法大虎からの依頼』 その11


「では、いいお返事を期待しておりますぞ」


「……ああ。じゃあ、気をつけて帰れ」


「はい。失礼いたします。『虎姫』、シアン・ヴァティさまにもよろしくお伝え下さい」


 そう言い残してシーグ・ラグウはあの2メートルを超える巨体を揺らしながら、しかし足音を立てることもなく、この部屋から出て行ったよ。


 静かにドアを開けて、会釈をして、ドアを閉じる。


 オレの反応に好感触を得ていたのだろうな、フーレン族の尻尾を、機嫌良さそうに揺らしていたよ。


 ……しかし、興味深い依頼が来たもんだな。


 『北天騎士団』と接触するために、彼らの土地である『ベイゼンハウド』に侵入するか。北天騎士だった、ジグムント・ラーズウェルを接触し、彼にどれだけの能力があるのかを推し量る。


 ……まあ。


 これが言葉通りのものであれば、文句を言うところはナシなのだがな……。


「……なかなか特殊な依頼ではありますね。軍隊を進める日の朝に、いきなり依頼が変わってしまいました」


「……急すぎるな。しかも、王国軍の上層部の軋轢にも関わっている」


「……そうですね。任務の内容よりも、そちらの争いのほうが気になりますよ……」


 ロロカ先生の意見に、オレは全面的に同意できる。そうだ、任務の内容よりも、須弥山とエイゼン中佐の対立関係の方が気になる。


 この任務は楽しそうなんだが、オレが関与することで、火に油を注ぐような事態になるんじゃないかとか、考えてしまっているよ。


 ……とりあえず。


「皆を集めて会議だ。意見を聞きたい」


「うむ。そうだろうな。ならば、私は男どもを呼んでくる。オットーに話せば、他の二人も連れて来てくれるだろう」


「そうしてくれ。頼むぞ、リエル」


「了解だ、ソルジェ」


 そう言い残して、リエルは素早く駆け出していた。


 オレは、首を左に回す。


「……ミア、シアン。聞いていたな、こっちに来てくれ」


 壁がコンコン!と軽やかに鳴った。


 シアンではなくミアの手による合図だろうな。可愛げがあるもん。


 オットーたちよりも早く、二人はやって来た。


「お兄ちゃん、おはよー!」


「おう!おはよう、ミア!」


 ミアが走って来て、オレにお早うのハグをする。仲良し兄妹の朝らしくていい光景だ。全ての仲良し兄妹は朝から抱き合っていると思う!スキンシップは大事だもんな!


 ……ミアに無精ヒゲを指でいじられながらも、シアン・ヴァティを見た。


「お早う、シアン」


「……ああ」


 何か物憂げというかな。朝からの黒髪美女のそんな顔を見るのは眼福というか、シアンの微笑みも素敵だが、何かを考えている時の彼女も美しい。


「……ヤツとは知り合いか?」


「……須弥山の者だからな」


「そうか」


「…………」


 無言になる。琥珀色の双眸は鋭い。美しいからといって見とれている場合ではないようだな。


「……君のせいじゃないぞ、須弥山とエイゼン中佐の軋轢は」


「…………ああ、『虎』には、分かっている」


「それでいい。君らしい答えだ」


 強い決意を取り戻した双眸を、オレに見せてくれる。シアンは、これで大丈夫だ。


「……迷うぐらいならば、殺さない。あの殺しは、『正義』の執行。『虎』は、それに迷うことはないのだ」


 この通りだ。


「ああ。そうだな。シーグ・ラグウを知っているということは、ヤツの主である『呪法大虎』も知っているのか……?」


「……ああ。知っている、『呪法大虎』とは、古い付き合いだ」


「なるほど。どんな人物だ」


「……世間知らずではある」


「そうか。螺旋寺から出ることも少ないだろうからな」


 あそこは剣士にとっての聖山。武術寺院しかない場所だ。『白虎』が支配する荒れた土地であろうとも、あの土地だけは漂う空気が澄んでいた。


 武術を究麺とする者たちが、あの場所で無限の鍛錬をしながら、やがて老いて死んでいく土地……聖なる場所だよ。俗世とは、あまりにも異なる。


「……善人かい?」


「……ああ。ヤツは善人だ。シーグ・ラグウの言葉にも、おそらく偽りはないだろう。事実の通り、ヤツは話したのだと信用していい」


「分かった。初対面の2メートルのオッサンではなく、オレたちの猟兵、シアン・ヴァティを信じるよ―――ああ、彼がよろしくって言っていた」


 聞いていたとは、思うが、一応、伝えておくことにする。


 シアンは無言でうなずいた。


 シアンが認めるということは、おそらく『呪法大虎』とやらの依頼に嘘も偽りもないのだろう。


 だが、問題は……。


「……ジグムント・ラーズウェルとやらを、私は知らん。そこが、問題だ」


「……そうだろうな。オレも、そこが気になるし、おそらくエイゼン中佐も、そこを気にしているのだろうよ」


 ……この数年間、連絡が無かったジグムント・ラーズウェル。


 彼が寄越した耳よりの情報……。


 しかし、その手紙は、ホンモノなのか?……ホンモノのジグムント・ラーズウェルなのだろうか?


 分かったものじゃない。ジグムント・ラーズウェルの名を騙る何物かの策略である可能性を否定することは出来ない。


 その手紙に釣られて、ひょいひょい足を運ぶと帝国軍に包囲されていたりするかもしれない。


「……団長」


「ああ。待っていたぞ、オットー、そしてジャン」


「お、お早うございます、団長!」


「お早う、ジャン。ギンドウを背負わせて悪いな」


「い、いえ」


 ギンドウ・アーヴィングは『隠れ働き者のギンドウさん』では無くなっている。グースカ寝息を立てている。まあ、いいさ。寝ながらだって、何となく、ヤツのハーフ・エルフの耳はこっちのハナシを聞いていたりするのだから。


 ハーフ・エルフの特性じゃない。


 怠け者が身につけた奥義である。


 だから、オレは起こすつもりはない―――うん、オレはな。ギンドウは忘れているようだった。この場所には、シアン・ヴァティがいることを。


「ひっ!!」


 シアンの接近に気がついたジャンが、表情を青くしながら悲鳴を上げていた。ガクガクと震えている。それはそうだろうよ。


 あの黒くて長い尻尾を雷雲に棲む大蛇のように唸らせながら、無表情になった『虎姫』が近づいてくるのだから。


「ぼ、ボクは悪くないと思います!!」


 ホント、そうだと思う。ジャンに落ち度は全くない。


「……ああ。ジャンよ、お前は、悪くない。お前はな」


 ……獣は、攻撃を実行するとき。表情を消すものだ。


 今のシアン・ヴァティのようにな。


 ギンドウ・アーヴィングが、殺気に反応して目を開けるが―――目を開けた瞬間には、左の頬をシアンの鉄拳に打ち抜かれていた。ジャンとギンドウが、絡み合うように転けた。


「……い、痛えっすよ、シアンちゃーん……っ」


「ひ、ひどい。結局、巻き込まれちゃった……ギンドウさん、なんで殴られた瞬間、ボクのことを脚で挟むんですか……?」


「……兄貴分がやれるんだ、弟分も巻き込まれるべきなんすよ……」


「な、なんですか、それえ!?り、理不尽ですよう……っ」


 ジャンの文句は最もだった。


 オットーは困った顔をしているが、ミアは笑っていた。


「ギンドウちゃん、悪魔ー!」


「ミアっち、このギンドウさんは、善良なるハーフ・エルフっすよう?……昨夜も皆のために、『こけおどし爆弾』をたくさん作っていたんすから、ホント?」


「えー、なにそれ、あんな酔っ払っていたのに?」


「嘘くさいな」


 リエルはそう断じていたよ。


 ギンドウは平気で嘘をつくから、あまり信用してもらえないのだ。何かの童話でも聞いたことがある、そんな人物である。反面教師的な要素を多く含んだ人物なのである。


「ええ?ホントっすよ、ホント!真実、真実!」


 ヘラヘラと笑いながら、ギンドウは立ち上がる。巻き込まれて、床に叩きつけられるハメになってしまったジャンも、ゆっくりとだ。悲しい顔がよく似合うのが、ジャンではある。


 まあ、本気でイヤがっていないようなところもあるか。マゾっ気があるとかじゃなくて、ギンドウとのこのコントが好きなようなね。ジャンの耐久性なら、正直、痛くも痒くもないだろうしな。


 何というか、ジャンが感情を強く表すのは、ギンドウ関連の時だけでもあるしね。これは、ジャンにとっても必要なコトなんじゃないかと思うよ。


 ギンドウも、わずかに身を捻ることでシアンの鉄拳の威力を逃がしてはいる。じゃないと、アゴの骨が折られていたもん……。


 ギンドウも、アレはアレで天才的な武術の素質は持っている。磨かれていないだけでね。


「……さて。とりあえず、中に入ってドアを閉めようぜ?……『パンジャール猟兵団』の早朝作戦会議と行こう」



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