エピローグ 『賢者の終焉』
……夜には雨は上がる。星々は英雄たちの物語を伝えるために、今宵も北の空に輝いていた。星々に捧げられた、無数の英雄物語。戦いと恋と神罰と不可思議、そういうテーマを持つ伝説たちだ。
土地により、それらの伝説は違うようだ。一つの星を見上げても、それに幾つもの物語を捧げる。当然と言えば当然か。ガルーナでは、夜空の星の半分は、竜騎士の物語で占められてしまうからな……。
星々に送るために、死霊の亡骸が燃やされて行く。
あの膨大な数の亡骸を埋葬する穴を掘る労力を、発揮することは困難だった。『虎』たちはともかく、市民たちは亡骸が死霊化することを恐れているしな……。
帝国人たちが、コッソリと流しているのか―――あるいは、もしかすればハント大佐も噛んでいるのか……今回のアンデッドの群れは、元から地下にあった呪いの暴走ではないかという噂話があるようだ。
幾つからの酒場を巡ったギンドウが報告してくれた。
おかしなものだ。ハイランド王国軍の公式な発表では、『帝国軍人による呪術を用いた破壊工作』……『呪いテロ』ってことになっていたのだがな……。
……まあ。
分からなくもない。帝国人たちは、自分たちが『信じたくなる嘘』を求めている。自国の軍人が、自分たちの先祖の骨をアンデッドにして戦争利用したなんてことを、考えたくないらしい。
そして。
ハント大佐もな。シアンの分析によると、『呪法大虎』という『須弥山』の大物が絡んでいる可能性があるそうだ。その人物が、『呪いテロ』の存在を隠そうと言い出したのではないかと。
……『呪法大虎』という胡散臭さが爆発するような名前をしている人物だが、その実情は、むしろ言葉から来るイメージとは異なり、違法な呪術を取り締まるという使命を持つ人物らしい。
呪術の『法』を守る。そんな存在らしいな、『呪法大虎』殿は。
……呪術の濫用を防ぎたい。それが『呪法大虎』の主張らしい。『須弥山』の大物である彼の意見と、ハント大佐の意見は一致している。『須弥山』にいる、上位の『虎』の力を借りたいハント大佐としては、同意しない理由がないな……。
呪術は、存在自体があやふやなところがある。『呪法大虎』は、その点を利用しているらしい。
偽りの噂話を流すことで、真実をさらに薄める―――呪いなんて不明確なモノの輪郭を崩す。噂話と偽情報で、その信憑性を喪失させる……これも、ある意味では『儀式』なのかもしれない。
まあ、『アプリズの遺産』についての情報が消え去ってくれるのなら、オレとしては何だって構わないんだ。呪術の戦争利用……そんなモノは、二度と見たくはない。もちろん、何度か見ることになるだろうがな……。
帝国軍の内部では、非公式ながら呪術を用いる部隊がいるようだ。ミハエル・ハイズマンと行動を共にしていた兵士たち―――捕虜への尋問結果によると、数日前にどこからともなく現れて、どの兵士たちと一言も話さなかったという。
怪しげな呪術師部隊の存在を感じるよ。
きっと、あるんだろう。何せ、呪術は有効だ。個人技と才能に頼るところが大きい、魔術を軍事利用することは難しいが……呪術は、より大勢が使うことも出来るようだ。そして、効果範囲や時間も大きい……。
この二ヶ月半のあいだ、戦に負けまくっている帝国軍とすれば、何らかの手段で帝国軍の『補強』を行いたいと考え出す時期だろう。
……帝国軍内でも『日陰者』であった呪術師たちが、表舞台に出るチャンスを得ている可能性がある。
それゆえに、呪術の有用性をアピールするような行為は避けるベき……ということらしいよ。
オレは賛成だ。
……しかし、ハイランド王国軍の全員が『呪法大虎』の方針に従いたいようではないらしい。アンデッドとの戦いで死んでいった『虎』の遺族たちは、アンデッドたちとの戦いにまつわる情報が消えることに不服らしい。
ガルーナ人の感覚とすれば、『歌が穢される』と言ったところだろう。
『帝国の邪悪な呪術師が呼び出した死霊と戦い、名誉の戦死となった』。その『伝説』を薄められるようなものだ。名誉を毀損された気持ちになるのさ。
……難しいもんだよ。
『呪法大虎』の言い分を、オレは受け入れられるが……アンデッドとの戦いで弟を失ったエイゼン中佐は、『呪法大虎』とハント大佐に怒りを抱いているようだな。
新兵たちと、例の軍曹が、オレの耳に伝えてくれたよ。ストラウス特務大尉としての立場も、確立されつつあるのかもしれない。情報収集には、役に立つが……あまりに居心地がいいと、いつの間にか、ハイランド王国軍に組み込まれてしまいそうだな。
そいつも悪くは無いんだが、オレにはガルーナ王国を復活させなければならんからな。何かになるためには、何かをあきらめなくてはならないこともあるさ―――。
……とりあえず。
ハント大佐と『呪法大虎』が接近し、エイゼン中佐は彼らとの間に溝を感じているようだ。ハイランド王国という国も、なかなか内輪モメの絶えない国らしいよ。テッサ・ランドールには教えにくいな。エイゼン中佐に忍び寄ろうとするかもしれない。
とはいえ、その三者もまたハイランド王国の武人。
敵を前にしては一致した動きをするだろう。戦を政治的に安定に使う、歴史上よく見られる古典的な手法を、ハント大佐は使うことになる。本人が望もうが望まなかろうが、戦が持つ、その副次的効果を有効に活用して欲しいところだな。
争いを起こせば、ヒトは二つに分かれ。それぞれの勢力はまとまりを深める……ヒトの闘争本能が、群れて敵を殺せと働きかけているのさ。
とにかく、仲良くして欲しいもんだよ。ハイランド王国が内紛でも起こせば、『自由同盟』はお終いだ。この6万の『虎』の戦力を、どれだけ維持することが出来るか。それが大切になる……。
ハント大佐とエイゼン中佐は、4万の兵士を引き連れて、北上を開始した。闇に紛れて北上し、北海沿岸部に集結しつつある帝国軍の勢力を叩く。
……帝国のヤツらも『ヒューバード』がまさか、こんなに容易く陥落するとは考えてもいなかっただろうからな。
敵が集結するよりも早く、ハイランド王国軍は強襲を仕掛けるのさ。ここに残っている2万は昨夜の戦いで南から突撃していった、エイゼン中佐指揮下の集団だよ。昨夜の主力部隊……ゆっくりと休んで、明日には5000の兵を出撃させる。
精鋭の5000だ。
その指揮官は、シアンが中佐を一人ぶっ殺したから、足りていない?……いいや。『呪法大虎』が就任する。
権力闘争の勝者だからかな?ただの実力者だからってことだといいんだが。エイゼン中佐は、自分の精鋭部隊を『呪法大虎』に奪われた形になる。火種にならないとは、言えないかもしれん。
……色々と悩ましいことが、各地で起きている。
ハイランドの内輪モメに、ゼロニアとハイランドの緊張感、ザクロアとアリューバの対立……ルードとグラーセスの仲が良いということは、ホント癒やしだぜ。
……ヒトとヒトとが仲良くするってことは、何だかんだで難しいことでもあるわけだ。
……まあ、いいさ。
戦にならない程度にもめるのならば、それは国と国の関係としては、ある種、正常なことでもある。利益を巡って対立するのは、ヒトの性じゃあるからね。
今は、出来ることをしようか……。
何をしているかって?……見ているよ。『賢者アプリズ』の終焉をな。崩落した帝国軍の屋敷だよ。
雨に濡れたせいで、『研究日誌』はふやけてしまったのかもしれない。呪いの赤い『糸』は、ずいぶんと細くなっているんだ。
その状況に加えて、さっきから油を大量に注ぎ込んでいる。『研究日誌』の直上から、十数個の樽に入ったヒマワリ油が投入された。
ハント大佐の予想では、水溶性のインクなら雨で溶ける。油溶性のインクなら、このヒマワリ油で溶けてしまうんじゃないかという説だ。どっちのインクにしろ、どっちもたっぷりかけてやればいい。雨と油さ。
この油は瓦礫の隙間を這うようにして染みて行く。
水をすった『研究日誌』は、油をしばらく弾きそうだがな……星を見ながら、酒を呑みながら待つ。小一時間もすると『糸』は、かなり細くなった。油が『研究日誌』に届いたのだろう。
……さてと。火葬が始まる。『虎』の一人が油に火を点けた。火はまたたく間に広がっていく……ああ。地下水道のダンジョンの方からも、火を放ってくれている。燃える油を上から垂らして、下からは油が燃えて屋敷の瓦礫を焼却していく……。
『研究日誌』も厄介だが、ミハエル・ハイズマンが呪術師ならば他にも怪しげな資料を持っているかもしれない。全て、焼き払ってしまえばいいさ。
燃え始めてから15分もする頃には、呪いの赤い『糸』がずいぶんと細くなる。燃えているのか、それとも伝わって来た熱に焦げているのかな……。
どうあれ、消滅は時間の問題だった。オレとギンドウとオットーで、並んでワインをラッパで呑みながら、くすぶりながら燃える瓦礫の山を見守っていた。ジャンも呑んでいたんだが……人見知りと並ぶ弱点だな、酒に弱くてすぐ眠ってしまう。
視界の隅っこで、ジャンは巨狼に化けて眠っている。毛皮がモフモフしているから、あれなら雨上がりの夜風なんかに吹かれていても、寒くはないのだろうな。
……ああ。
赤い『糸』が……途切れて、千切れる……霧散して、風に消えてしまったな……。
「……終わったんですか?」
オットー・ノーランが訊いてくる。オレは、酔っ払っている頭を二度三度とうなずかせたよ。
「ああ……消えちまった。呆気ないもんだ。100年以上も続いたんだぜ?……初代の女賢者アプリズ、アプリズ2世、エルネスト・フィーガロ……そして、その子供である、ミハエル・ハイズマン……」
「長い因縁でしたね。ようやく、全てが終わるんです」
「これは、いいことなんだよな?」
「……ええ。呪いを、封じましたからね」
「……そーだな。生命の秘密なんて、別に解けなくもいいや」
「そうそう。ほーんと、しつこい連中っすよねえ?100年もかけて、見つからないモンを探し続けるなんて?」
「ククク!……ギンドウ・アーヴィングが、その言葉を口にするのかよ?」
「飛行機械は、100年もかからねえっすよ?」
「……マジかよ」
「そうっすよ。あと10年で、飛ばしてやるっすよ」
「そうか。まあ、楽しみにしておくよ」
「なーんか、信じてもらえてないっすねえ?」
「そんなことはないさ。なあ、そうだろ、オットー?」
「ええ。必ず、ギンドウくんは空を飛ぶモノを作るんじゃないですか?……マジメに研究することが出来たら」
「……ひゃひゃひゃ!……あー、それ一番、オレちゃんには難しいヤツっすわあ!」
マジメなギンドウ・アーヴィングを見ても、酒が不味くなりそうだから。別にいいや。オレは、もう空に戻れているからね……ゼファーがいてくれるから……。
星空に遊ぶ、ゼファーを見上げる。
オレたちにつき合って、『呪い退治』を見守ってくれているような……星空を見ながらの、くるくると螺旋的な軌道での飛行を楽しんでいるだけのような。
……どっちでもいいや。酒が入ってて、細かいことは分からないしね。肝心なことは、ようやく『研究日誌』が消えて無くなったということだ。『呪刀・イナシャウワ』も、『研究日誌』も、この世界から滅んじまった。
狂ったアプリズどもの研究成果は、闇に消えたのさ―――酒も、空になっちまった。このまま男たちだけで、街中で野宿するってのも楽しそうだ。色々なことを話せそうだが、さすがに腹も減っちまった。
「……宿に戻ろうぜ。オレたちも、『呪法大虎』と北上する5000に同行する。屋根がある場所で、美味いモンを腹一杯食べて、しっかりと眠るとしようぜ」
「そうですね!」
「……おい!ジャン、起きるっすよ!!」
『は、はい!?……あれ?…………皆さん、もう夜ですか……?』
「そうだ。もう夜だ。宿に帰るぞ。リエルたちも待っているからな!」
『りょ、了解です!』
ゆっくりと、夜の『ヒューバード』を歩くのさ。猟兵4人で、酒瓶片手にな。ダメな大人みたいだけど、たまにはこんな夜もいい。
とくに、イヤな戦いがあった日には、酒を呑んで、悪いコトをアルコールに漬けて忘れてしまうんだよ!!
さーて。
明日も冒険が始まるぜ!!……北に向かい、帝国軍と戦だぜ!!アーレスよ!!星になった同胞たちよ!!……見ているか?……ガルーナが、近づいている。
……オレが、取り戻してやるぜ。
オレたちの故郷を、いずれ、近いうちにな!!
第八章、『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』、おしまい。
第九章、『北天の騎士と幻の竜』に続きます。
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