第五話 『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』 その39


 ブルーノ・イスラードラは、死せる『弟』の前で膝と手を突いたまま泣きつづけた。雨の中で、オレたちは彼を見守るほかない。あのギンドウでさえも文句は言わない。


 さみしさが伝染してしまったのだろうな、ミアがオレの腰に抱きついて来た。オレは妹の背中にやさしく腕を伸ばしていたよ。


「……僧侶のおっちゃん……ちょっと、かわいそう……」


「ああ。そうだな……」


「……でも……でも、お兄ちゃん、悪くないからね?……それは、ホントだからね?」


 ミアがオレを見上げながら、そう言ってくれる。オレのことを心配してくれていたのかよ。嬉しいな。


「大丈夫。分かっているさ。オレは、自分の『正義』を違えたりしていない」


「……うん」


 そんな返事をして、ミアはオレの胴体をギュっと抱きしめてくれたよ。


 ……そんなに、悲しそうな顔をしていたのだろうか?……そうだな。否定しがたい部分はある。


 この教会で、30年以上前に起きた事件を、オレは全て『夢』で見てしまっているからな。


 メリッサの腹から、『アプリズ3世』が取り上げた双子のうち、奇跡的に生きていた子を……まさか、オレが斬ってしまうことになるとはな……。


 ブルーノは……ミハエル・ハイズマンを抱え上げる。いや、抱え上げようとした。だが、オットーが制止していた。


「オットーさま?」


 オットーは静かに首を横に動かす。僧侶の行為を否定するために。彼は悲しみの色を持つ表情をしていたよ。やさしい声で、彼は僧侶に告げるのだ。


「……ブルーノ司祭。彼は『死霊使い』ですよ。その体には、呪いを仕掛けている可能性があります」


「の、呪い!?……じ、自分の身体に、ですか!?」


 それには同意する。『夢』ではあるが、実際に一つの事実を知っているのだから。


「……『アプリズ2世』のハナシになるが」


「2世……フィーガロ先生は、3世…………先生の、先代の『賢者』?」


「そうだ。まあ……エルネスト・フィーガロの育ての親だ。ヤツは、自分に呪いをかけていた。死後にゾンビとなり、命令を実行するようにとな」


「……そんな……っ!?では……み、ミハエルもそうだと!?」


 死んだ『弟』をブルーノは見下ろす。雨に打たれて、斬り裂かれた傷口から血が溶けるように抜けていく。


 動く気配は全くない。死体は雨に冷えている。ブルーノは死体を見下ろしている。その瞳には期待が感じられる―――ように思えた。ゾンビとなったとしても、動く『弟』に会いたがっているような。そんな危うい期待に見える。


 ……オレは、うなずいたよ。


「可能性はあるぞ。まだ災いを放つかもしれないんだ。だから、この場で骨も残さずに焼いてしまうのが、皆のためではある」


「そんな!?……わ、私の『弟』なのです!!ちゃんと……埋葬してやりたい!!私の、たった一人の『家族』なんですよ!?」


「ヤツは、アンタを殺そうとした」


 大切な存在だと認識されてはいなかった。それが真実だったよ。


「それは…………わ、私にも、非があること。呪いの品を処分して、思い出だけを彼に伝えるべきだった」


「違うぜ。コイツが狂っていたのは、アンタのせいなんかじゃない」


「でも―――」


「―――うぬぼれるな」


「す、ストラウス殿……」


 僧侶を脅すか。魔王らしい行動だ。だが、言っておくべきことがある。


「いいか?ブルーノ・イスラードラ。アンタの行動だけでは、この男の人生を大きく変えるほどの影響力はないんだよ」


 そうさ。


 コイツがそんなタマじゃないのは、殺し合ったオレは理解している。自信過剰で、それに見合うほどの地位や権力を求めていた。承認欲求のカタマリで、貪欲な野心家だ。


 竜太刀に斬り裂かれた骸を見る。この男の本能は、間違いなく邪悪だった。


「……コイツが外道だったのは、コイツ自身が、自分で選び取った結末だ。コイツの人生の選択を、軽んじるんじゃない」


「……ミハエルの、選択を、軽んじる……っ!?」


「悪人なりに、矜持というものはある。コイツは、自分にとって大切な人物を全て犠牲にしたとしても、自分の『野心』を達成したかっただけだ。それは確かに悪人の道ではある。だが、一つの男の生きざまだよ」


「…………『野心家』……それが、ミハエルの生き方だった……」


「そうだ。誰に強いられたわけでもない。コイツが選んだだけのこと。アンタのせいじゃない。コイツ自身が、そう在りたいと願っただけだ」


「……でも。呪いの品を処分していれば…………ミハエルは、死者の眠りを妨げたり、自分の部下であった兵士たちをも死霊にするような暴挙には……」


「……その時は、この街に火を放っていただろう」


「……ひ、火を放つ……?」


「そうだ。コイツの作戦は、いわゆる『焦土作戦』。補給の拠点と成りえるような、敵に占領された街を破壊することだ。アンデッドの群れで、それが成せないのなら?……街中に油でも撒いて、火を点けたろうよ」


「……っ」


「残虐だが、帝国軍としてはある意味で正解の行いだ。『ヒューバード』でハイランド王国軍は休息を取れている。この街が焼失すれば、休息は取れない。北への遠征の負担が増えてしまった」


 『ヒューバード』を失えば、『自由同盟』が北海の軍港を奪うメリットが下がる。この中継地点が無ければ?……北海とゼロニアを結ぶ道は、あまりにも長くなりすぎる。


 我々にとって、この『ヒューバード』は戦略的な要衝なのさ。是が非でも手に入れたい街なんだよ。


 だから。


 帝国からすれば、奪われるぐらいなら灰にしたいと願うほどの街ってことさ。


「……『遺産』を継いでいなければ……『それ』を、ミハエルがしたと……?故郷を……焼いたと言うのですか……?」


「帝国軍の中で出世したい男なら、やっただろうさ。現状では、『焦土作戦』よりも有効な策だと考えていたから、アンデッドを呼び起こしただけだ。その策が無ければ、街を焼いた……雨が降っていなければ、この騒動に対して、それを重ねたかもしれない」


「……ッ」


 ブルーノ・イスラードラは理解していた。オレの言わんとすることを、分かってしまっている。


 もっと賢くなければ、盲目的に否定の言葉を使えたのにな……。


 賢いことは罪ではないが、余計な苦しみに出会ってしまうこともあるものさ。


「……そうなのかも、しれませんね」


 力の無い声で、僧侶殿はそんな返事をしていたよ。


「……そうなっていたと、オレは確信しているぞ。そうすることが、帝国軍とコイツ自身のメリットとなった。想定以上に、早い敗北を喫してしまったからな。名誉を挽回するためにも、この男は故郷でも焼いた」


「…………それが、軍隊として、メリットがあるから……?」


「ハイランド王国軍は精強だ。それを少しでも疲れさせるために、コイツは何だってしたよ」


「…………戦とは…………なんと、酷い…………」


 同意すべき言葉だったよ。戦の残酷さについては、知り尽くしている。今度の戦では、侵略者の気持ちまでも理解してしまったからな。


 戦と世界の残酷さを再認識している。いや、より深い部分まで、その邪悪さを知ったな。


 ……まったく。


 吐き気を催すほどに、世界は醜く邪悪な側面があるんだよ……。


 空を見あげる。


 雨が降る、黒い雲が渦巻き、世界を闇がおおっていた。


 残酷で悲惨で、あまりにも、むごたらしい地上から……美しく穢れない空を隔絶したいかのように、分厚くうねる雲がオレたちの頭上を占拠しているんだ。


 かつて、奇跡の子として生まれた男は。両親と双子の兄の死と引き替えに誕生した場所で、オレが斬り殺してしまったんだよ……。


 その虚しさというものは、おそらく、オレにしか分からん痛みだろう……。


 世界ってのは、どこまでも酷く。


 運命ってのは、どこまでも残虐なのか。


 ……心が絶望に沈みそうになるさ。自分たちの行いの価値が、意味が、とんでもなく希薄になっていくようだ。大きな川で、泳いでいる。そのときに知る、自分の小ささ。そんなちっぽけな自分にさえ、全身が罪で穢れ果てているんだ……。


 ……ああ。


 ……世界ってのは、ヒトってのは、本当に……心が砕けて、むちゃくちゃになりそうなほどに思う。なんて、なんて、なんて―――邪悪なんだろうな。


 ……。


 ……。


 だが、それでも、オレには『夢』がある。


 自分の欲しい『未来』を、掴み取りたい。オレと、オレの『家族』。そして、やがては生まれてくるであろう、オレたちの子孫のために……欲しい世界が、一つだけあるのさ。


 流されていく多くの人々の血が、やがて注がれる世界……。


 この戦いばかりの醜い歴史は、その日のためにある……。


 それも、きっと、不完全な世界ではあるのだろう……。


 ヒトは憎しみと怒りから解放されることはない……。


 戦うことを、争うことを止めやしないだろう……。


 それでも、オレは、その世界を目指したい……。


 この虚しさと悲しみに、報いるためにな……。




 ―――戦乱の時代に、雨雲は来たる。


 絶望の風は荒み、聖なる者は嗚咽した。


 これが歴史の転換点、『ヒューバード』の戦の真実の一つ。


 語られることのない、壮絶なる裏の歴史……。




 ―――アンデッドとの戦いは、歴史に残ることはない。


 多くの当事者たちが、呪術の有効性を隠すために。


 歴史に残すことを、ためらったから。


 それは、この戦いで死んだ『虎』たちの名誉を隠しもした……。




 ―――その事実は、ハイランド王国軍の新たな歪みをも招く。


 エイゼン中佐の実弟が、『不浄なる霊帝』との戦いで亡くなっていた。


 彼は、弟たちの名誉ある戦いが、書き換えられることに苦しんだ。


 ……弟を失った兄の、大いなる苦しみは、やがて王国の災いの種になる。




 ―――歴史を覆い隠す闇を、ソルジェは知らぬうちに睨みながら。


 この乱世を破壊し、『未来』をその指に掴むと誓うのだ。


 呪いに呑まれてしまった奇跡の子、それを斬り裂いた感触を指に残しながら。


 その感触を罪だなんて、彼の『正義』は思わない。




 ―――血の穢れをも越えて、その魔王の指に『未来』を掴むと決めている。


 竜太刀は呪刀を喰らい、その魔を深める。


 竜太刀も呪刀と似ている、怨霊をも喰らい力を高める。


 ソルジェは、より大きな力をその身に宿すことになるんだよ。




 ―――『自由同盟』は、より強大になっていく。


 戦いの虚しさを、荒れる雲が放つ強雨のように浴びながら。


 ボクらは『未来』を求めて、鋼と踊る。


 戦いの虚しさの意味を知れば知るほどに、『未来』に焦がれてしまうのさ―――。




「―――分かりました。ストラウス殿……ミハエルを、ここで燃やしましょう。彼は……あまりにも罪深く、あまりにも危険な男になりました。私は、友として、『兄』として、そして、エルネスト・フィーガロに彼を託された者として……彼の犠牲者を出すわけにはいかない」


 女神イースの僧侶は、涙を拭い。あのお人良しの丸顔に強さを帯びていた。覚悟をしたのだ。この、実に厄介な呪いを秘めていそうな死体を、安全に処分することを。


 オレはリエルから霊酒を受け取る。


 そいつをミハエル・ハイズマンに対して、ドボドボとかけてやるのさ。油は一度かけて焼いているからな。二度もあんなもので焼くのは、殺した者として気が引ける。


 酒を浴びて燃やされるのならば、悪くない葬式だろ?……それに、慈悲の女神イースの僧侶が、貴様のために祈ってくれる。貴様だけのためにな。


 それは大罪を犯した貴様にとって、数少ない救いの言葉だろう。貴様は多くの者から恨まれる。邪悪なる人物として嫌悪され、名誉も、死体の眠る墓もない。このまま酒と共に煉獄の焔に焼かれて、ただ世界から消え去る。


 命の謎を求めた、賢者アプリズたちの伝説と共に、貴様は終わる。さらばだ、4代目。あの世でアプリズたちに出会ったら、貴様の教訓に満ちた人生を語ってやるといい。


 ……貴様の父と母は、貴様を殴るかもしれないが、おそらく抱きしめてもくれるだろうな。


 メリッサは、愛する者のためになら、何も恐れない。死も邪悪も、彼女の愛の前には敗北するだろう。


 かつてがそうであったように。これからも、決して彼女の愛は、あらゆるものに打ち克つよ。


 エルネスト・フィーガロは、貴様のためになら何だってするさ。あの雨の日の戦いを、オレは知っているからね。


 認めるよ。最期には、彼は善人だったよ。命の尊さを知って、死ねた。貴様は父から多くを学べるだろう。


 双子の兄に会ったなら、命をもらった礼を言え。哀れなセバスチャンがいたからこそ、貴様は凶刃からも救われた。


 生きている間の出来事を、可能ならば楽しく語って聞かせてやるがいい。


 ……アプリズに属する賢者と魔術師たちには、貴様ほどの教訓はあるまい。悪辣な連中が起こした奇跡の産物でありながら、呪術に囚われて、溺れて、俗っぽかった。


 アプリズの正しさと、愚かしさ。それらを全て、貴様の人生は体現しているかのようだ。


 欲深く。知恵と力と地位を追い求め。身勝手を極めたな。『アプリズ2世』のようであり、彼が否定した他の1世の俗っぽい高弟たちと同じようでもある。貴様は、色々なアプリズどもに似ているのだ。


 ……その結末が、こんなものだということを、生命の謎を求めた者たちに伝えてやるがいい。


 狂気は、何も生み出さないとな。


 ……ただ一つ残ったものを見るがいい。


 何の力もない僧侶だが、貴様のために祈り、泣き、強く在ろうとしている。


 彼だけは、死が来たるその日まで、貴様のことを『弟』と呼ぶだろう。


 貴様がこの世に残した、唯一の絆。


 それはとても尊い。


 よかったな。この僧侶の祈りならば、女神イースの気を引くかもしれん。この男でもムリならば、女神の慈悲など存在しないのだろうよ。


 ……たとえ。


 女神が存在しなかったとしても。


 彼は貴様のために祈り、貴様のために泣く。


 良かったな。


 完全なる孤独を知らぬまま、あの世に逝ける。


 ……ではな、好敵手。お前の剣は強かった。いつか、あの世で、また鋼をぶつけ合おうじゃないか―――。


「―――ゼファーよ!!哀れなる愚者のために、歌ってやれ!!」


『うん!わかったよ、『どーじぇ』!!……がおおおおおお!!』


 霊酒を帯びた骸に、竜の小さな煉獄の炎がもたらされる。その骸は、雨の中でも強く燃えた。何ともヤツらしらい。自分に亡者の呪いをかけていたらしく、みじめに、もがくように暴れていたが……。


 竜と僧侶の祈りと歌のもとに―――あっという間に灰と火の粉に成り果てながら、『ヒューバード』の風に吹かれて雨雲うずまく天へと昇る。


 ……世界は、未だに晴れぬままだが。


 そのうち、いい天気の日も来るさ。


 ……ではな、好敵手よ。あの世で、オレたちが掴み取る『未来』を、見ているがいい。


 さらばだ、狂気の賢者どもよ!!愚かなる野心家、ミハエル・ハイズマンよ!!


 我が名を知るがいい。我が名は、ソルジェ・ストラウス!!……この乱世を砕き、『未来』を掴み取る『魔王』である!!



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