『北天の騎士と幻の竜』
序章 『呪法大虎からの依頼』 その1
『ヒューバード』の夜道をオレたちは歩くのさ。死者を悼む歌が、晴れた夜空に響いているよ。死者に捧げる夜というのは、いつでも悲しくもあるものだが……市民たちの活動が再開している夜でもあった。
監獄から解放された亜人種たちと、この街に残ることを選んでくれた人間族たちが、商いを再開している。
主に飲食店が派手目に営業中だったよ。籠城戦に備えて、たくさん貯め込んでいた食料があるのだが、それらを料理して、さっさと食べなくてはならない。痛むからな。
長期保存が可能な食料は、ハイランド王国軍が買い取りもするだろうが……全てを買うことはない。
雨上がりの街には屋台が建ち並び、ちょっとした祭りのようにも見えた。祭りの時と違って、料理たちは二束三文で売られていたがね……魚のフライが多い。
つまり、どこかに魚も備蓄はしていたらしい。地下の多い街だからな、どこかに氷室があるんだろうよ。
「ひゃひゃひゃ。街の連中、意外と元気っすねえ!」
「いいことですよ……ですが、人混みが出来ていますね」
「ああ、なかなか進まないな。その内、売り子に声をかけられてしまいそうだ」
「……うう、い、色々な臭いがして……い、今のボクにはちょっとキツいです……」
酔っ払っているジャンには、このヤケクソなほど勢いのある屋台から放たれるゴチソウどもの香りも辛いようだ。『嗅覚が良すぎる』というのも、こういう時は困ることになるらしいな。
まあ、オレだって山のように積まれた白身フライから放たれる、圧迫感さえ宿す油のにおいには正直、引いてしまうよ。『ヒューバード人』たちにとっては、慣れたものなのかもしれないが……。
しかし、痛む前に食べてしまえか。
……その発想は素晴らしいものだと思う。
おかげで沈んでいた街が、ちょっと明るくなっているように見えたよ。祈りの声だけでなく、商売っ気に満ちた活気ある声が響く。
祭りのような喧騒があった。こんな夜に、不謹慎?……別にいいさ。全員で昏くなっていても、世の中にメリットなんてない。
……いっしょに呑んで、いっしょに食べていたりするあいだに、ヒトとヒトとは仲良くなってしまうものだしな。
『ヒューバード』の亜人種と人間族の間には、『大きな亀裂』が入ってしまっている。人間族は亜人種を警戒するあまりに、監獄に閉じ込めてしまっていたからな。
仲が悪くなるには、十分な行いだよ。
……可能であれば、その行為によって断絶してしまったであろう両者の絆が、この祭りみたいな夜の力で、いくらか修復してくれたらいいんだがな。
人間族しかいない『ヒューバード』も、亜人種しかいない『ヒューバード』もさ。どっちも間違っていると、オレは考えている。
両者の共存こそが、我々が本当に望んでいるもののハズなのだがな……。
人間族の集団と、亜人種の集団は……今夜も、やはり同じ場所にはいない。まあ、両者が同じ広場にいるだけでも大きな進歩じゃある。
一昨日の夜は人間族だけ、昨日の夜は亜人種だけ、今日の夜は、どっちも街並みにいる。
世の中は、ちょっとずつぐらいは良くなっている。そんな風に考えることにしようじゃないか……。
「―――あれ?ちょっと、お兄さん?」
「ん?」
オレは視界の端から声をかけられる。見覚えのある顔だった。ああ、ドーナツ屋のマダムだよ。
今夜もドーナツを揚げているようだ。本当に祭りみたいな夜になっている。
「アンタ、あのときのお兄さんよね?」
「ああ。そうだ。髪の色は違っているし、眼帯はしているが……あのときの傭兵だよ」
「ケンカが得意のね!」
「ああ、そうだよ!……ホントの名前は、ソルジェ・ストラウス。こないだは帝国側の傭兵だって嘘ついていたが、実のところは、『自由同盟』側の傭兵だよ」
「まあ。そうだったのね。全然、分からなかったわ」
「ケンカ以外にも女性を騙すという特技があるみたいだな」
「色男って程じゃないわよ?……そーれで、嘘つきさん。今夜も、ドーナツ、買ってくれる?」
「ん。ああ、いいぜ。ジャンは……」
「ぼ、ボクは今、油の臭いがするものはキツいです……っ」
「オレ、チョコさんがたっぷり!祭りの夜っぽいし!」
「私はスタンダードで」
「……じゃあ、オレはチョコだな……えーと、土産は……」
ジャンが悲しそうな顔をする。あまり油の臭いを多くさせていると、ジャンが口から何かは言えないが、よくないアレを出すかもしれないから止めておこう。
そにれ、これからメシだしな。女子たちには買わなくてもいいか?……ハイランドのコックが作ってくれるはずだから……死ぬほどボリュームがありそうだしな……。
「とりあえず、三つ!」
「銀貨一枚ね」
「ああ」
銀貨一枚を支払い、オレたちは、この人混みを歩き抜くための栄養源を確保した。マダムがドーナツにチョコを付けてくれるあいだ、ちょっとした世間話を楽しむことにしたよ。
「……マダムの家族は無事だったかい?」
「ええ。おかげさまでね」
「……それ皮肉かい?」
「いいえ。ハイランドの兵隊さんと傭兵さんたちが、アンデッドを倒したんでしょう?つまり、貴方も戦ったんじゃない?腕っ節、強そうだから」
「まあな」
「皆がバラバラのことを言っているのだけれど、アレは帝国軍が呪いを使ったということなの?」
「噂が錯綜しているらしいが……実際は、そうだ」
「……そうなのね。正直、何がどうなっているのか、私には分からないわ。それに、何を信じていいのかも、本当に分からなくなってる……」
彼女にとっては自分の国の軍隊が、自分たちの先祖の墓を荒らして、アンデッドを量産したという状況なわけだ。
自国の軍がすべき行いではないのは明白。少なくとも、大手を振ってやれるような行為じゃなかったな。
「心中、察するよ。混乱して、当然の状況だ」
「そうね。だから、これからは自分が信じられそうなヒトを信じることにするわ」
マダムはニッコリと大きな笑顔さ。暗い世の中を明るくする力。そいつを笑顔は持っていると思うんだよな。このヒトからは、太陽を感じる。
……しかし、彼女の『信じられるヒト』か……。
「マダムの家族のことかい?」
「うふふ。そうよ。あいつらも、そうね。信じられる。ボンクラどもばかりだけど、どうにか生き抜いてくれた。私を一人にしなかった、それはとても嬉しいことよ」
マダムはそう言いながら、今度は静かなやさしさで微笑む。月みたいに。その笑みと言葉には、ヒトに問いかけるような魅力がある。彼女はきっと、失うことの痛みを知っているヒトだ。
やっぱり、オレはお袋を思い出したよ。
まあ、このマダムはオレに『戦場で死んで歌になりなさい!』……って、怒鳴ることは無いと思うけれどね。
どこかが似ているのさ。そう。居心地がいい。太陽と月を感じる。そうだな、空みたいだからか?
……ガルーナ人には、きっとこのヒトはモテただろうな。ああ、ドワーフにもモテモテだったかな。彼女のドーナツは、安くて美味いしね。
「そうか。マダムの家族は、無事だったのか」
「ええ」
「……ああ。それは良かったよ。マダムの家族については、斬りたくないんだ」
「ありがとう。でも。おかげさまで、仲間なんでしょ?私たち?」
「そうだ。『ヒューバード』は、『自由同盟』のメンバーだよ。どちらかが裏切らない限り、オレたちは互いに剣を向けることはない……マダムは、今度はオレの背中がちゃんと守るよ」
「あら。いい男ね!……そういうセリフを、本気で言えるんだもの。ちょっと目つきが悪いぐらいで、気にしちゃダメよ?」
「ククク!見た目はイマイチか?」
「見ようによっては、カッコいい顔をしているわよ、お兄さんは?中の上よ」
「そこそこイケるわけか」
「でも、目が怖いのと―――全体的に迫力が有りすぎるかな?……森の動物とか、逃げそうな雰囲気があるもの」
「獲物に気づかれるようなドジはしないよ」
「アハハ!きっと、見た目よりも言動の方で損しているのね!……お兄さんは、人情味を感じる。でも、激しい生き方をしているのよ」
「……当たっている。マダムは占い師になれるよ」
「ドーナツ占い?」
「そうだ。ドーナツ占い。オレの妹なら、楽しそうって喜ぶよ」
「ウフフ。じゃあ、早く帰ってあげなさい。お土産がいらないってことは、晩ご飯が貴方を待っているんでしょう?」
「ああ。そうだよ」
「じゃあ、はい、三つね!落とさないようにね!」
「わかったよ、マダム」
「はい。ハーフエルフさんも」
「あざーす」
「そっちのヒトは人間族?まあ、なんでもいいけど。はい、どうぞ」
「ええ。出来たてで、美味しそうです」
「あーら。美味しそうじゃなくて、美味しいのよ、細い目のお兄さん!」
「フフ。これは、失礼しました」
オレたちはマダムからドーナツを受け取ったよ。砂糖と油の甘い香りがする。素朴な美味しさ。何ていうか、ホント、お袋を思い出す。
……ジャンも、何だかドーナツをうらやましげに見つめていたよ。彼もまた母性に飢えている男だからな……。
オットーは、やさしいし紳士だった。ジャンの表情の意味に気がつき、オレがしてやろうとしていたことを先にしちまう。ああいう手際の良さっていうか、スマートさが、オレには足りない。
オットーは、ドーナツを二つに割った。その片方をジャンに差し出していた。ジャンは、とても喜んでいたよ。
「……マダム。家族と共に、長く生きてくれ」
「ええ。そうするわ。貴方もね、本当は赤い髪の傭兵さん!死なずに、がんばって戦うのよ?」
「マダムに似た、太陽と月と空に誓うさ。オレも、二度は失いたくないんだ。『家族』を、守るよ」
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