第五話 『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』 その32
業火の奥底から、燃え盛る灼熱の奥から―――『そいつ』は現れていた。
形容しがたい姿ではあるが、オレはムカデを連想している。無数の白骨の兵士どもが、絡み合いながら組み立てられて存在なのか。無数につながった肋骨たち。肋骨同士でとなりの白骨兵士と一つにつながっていく。
それが、何十も、何百も、何千人分もつながっているのかね。どこから見ても骨しか見えず、どこから見ても刺々しくて。何とも長い骨の列が、燃え盛りながらも雨空へと走っている。
何が何だか分からんが、どうにもこうにも邪悪で醜悪な存在だよ。雨天のうねる曇り空にそびえ立ち、この物体は世界に君臨でもしているかのように、どこか偉そうだったな。
三十メートルほどの高さを持った、異形の集合体。骨を呪術で組み合わせて、何を作りやがったのだろうな、ミハエル・ハイズマンは。
この場にいる全てのモノが、狂気の産物を見上げながら、しばしその身を固めていた。あまりにも異質な現実を、どうやって処理すべきなのか……まったく想像することも出来ない。
……オレたちは、何を見ているのだろうか?
悪夢が心の奥底を突き破って、出て来ちまったような気持ちにでもなっている。猟兵たちも、『虎』たちも、皆が見上げている。
この狂気の巨塔を見上げながら……嫌悪による吐き気とか、恐怖による引きつけだとか、理解の及ばぬ現実に対する虚脱なんかを体現しつつ。オレたちは空から降る雨の向こうに狂気を見ていた。
アイツは、何と呼べばいいのだろう?
オレには名付ける気にもならなかったんだ。
「あ、あ、あああ!!」
ブルーノ・イスラードラが、震えながら歩く。
「おい、あまりアレに近づくな、ブルーノ。アレが何かは知らないが―――」
どう考えても武装だし、近寄るべきモノじゃない。とくに戦闘能力の低いアンタが……。
そんな忠告をしてやるつもりだったのだが、彼はそんな場合ではなかったようだ。どこか精神活動が鈍麻しているというか、心ここにあらずというかね。彼は、現実に耐え切れていないようだったよ。
青ざめた唇が、その名を告げた。恐怖の震えを帯びた声で。
「―――『不浄なる霊帝』……『レゲイオン』…………ッ」
「……『レゲイオン』?」
オレの言葉に応えたのは、問いかけた対象であるブルーノではなく、我が愛しのヨメの一人、ロロカ・シャーネルであった。
空を見あげるディアロス族の槍聖は、北の海のように大きな知識からその名前を拾い上げて、そいつに連なる物語を口にしてくれる。
「……『不浄なる霊帝/レゲイオン』とは、イース教の聖典に出てくる魔物の一つ」
「イース教の魔物……」
なるほど。ブルーノの口から出て来そうだな。僧侶の見る邪悪な夢には、この異形の魔物が現れたりもするのかもしれない。
ロロカ先生は続けてくれる。
「『レゲイオン』は悪神と契約して、自分の国の全ての民を『供物』とした帝の物語。悪神は見返りとして、その帝に不死と巨大なる力と、永遠の国を授けるはずだった―――」
「―――しかし悪人は、帝を騙していた。帝が求めていた結末と、その与えられた姿と力は全く違っていた」
青ざめて震えるブルーノ・イスラードラが、ロロカ先生に代わって、聖典のなかにいる魔物について教えてくれる。彼は……おそらくだが、今は何かを話すことで楽になれるのさ。
何かをしていなければ、恐怖に心が砕けてしまうとでも考えているのかもしれない。彼は、不安に感じているのだ。この現実が、どうにもこうにも不安でたまらない……。
雨に打たれながらも、熱病患者のように汗をかいている。ブルブルと震える体は、あの異形の物体から、後ずさりしたり立ち止まったり、勇気を奮い起こすかのようにして一歩近づいたりしている。
そんな不安定な彼は、それでも物語をつづけてくれたよ。きっと、彼自身のために。
「その身は!!骨と化していた!!その肉は消え去り、その血は蒸発し、あらゆる臓腑がなくなり、肌は溶けて、空虚だった!!だが、骨が……臣下の骨が、国民の骨が、恨みによってうごめき、彼に食らいつき、彼は……彼は、死霊の国そのものと成り果てた!!」
「……死霊の国そのものか」
「邪悪な衝動と、生者への執着、殺し、奪い、取り込み……それでも満たされぬ永遠の苦しみを与えられた、哀れなる存在……それこそが……それこそが、『不浄なる霊帝/レゲイオン』!!……ああ、イースよ!!どうして、貴方の封じられた、六十六の魔獣の一柱が、ここにいるのですか……ここは、ここは、貴方への祈りに聖別された、尊き家なのに……」
……ブルーノ・イスラードラは半狂乱状態になりそうだ。彼には、あまりにも辛い日だったからな。
坊主に手を上げるのは、罪深い行いだってことは知っているんだがね―――オレはブルーノのほほにビンタを一発食らわせていたよ。脂のついた中年僧侶のほほは、よく揺れたていた。
「……痛っ!?」
「なあ。しっかりしてくれるかい、ブルーノ・イスラードラよ?」
「す、ストラウス殿……悪霊の塔が、『不浄なる霊帝/レゲイオン』が―――」
「―――アレはそういうモノじゃない」
「え?」
「……『呪刀・イナシャウワ』が作りあげたに過ぎない、そいつの模造品だ。『不浄なる霊帝/レゲイオン』の物語を下地にして、呪いを練り上げただけの……ただの模造品なんだよ」
「……模造品……」
「ああ。オレはイース教徒じゃないから、興味はない。だが、アンタはイースの僧侶だろう?……教会なんぞに、そんなバケモノは現れないんだろ?」
「ええ!も、もちろん、女神イースが守って下さる場所なのですからな……」
「そうだ。冷静になれ。これは、ただの呪術。ミハエル・ハイズマンが作りあげた、ただの邪悪な『兵器』に過ぎん。イースの信徒であった遺体を使った、呪術師ミハエルの哀れな傀儡だよ」
「…………ミハエル……ああ。なんて、罪深い行いを……っ」
『……罪深いのは、貴方もだろう?』
『不浄なる霊帝/レゲイオン』が、その身を構成する無数のしゃれこうべのアゴを揺らして、たった一人の声を放っていた。
「ミハエル!?」
「……ほう。ヤツめ、『呪刀・イナシャウワ』の反応が、あのバケモンの中にあると思ったら……自分を『呪いの中心』にして、アレを組み上げたか」
『……そうだ。賢しいな。お前は……赤毛に、金目……バケモノ混じりの人間族。劣等種である亜人種どもとつるむ、狂った人間族…………しかも……竜を連れている』
『不浄なる霊帝/レゲイオン』は、上空を旋回しながら様子見をしているゼファーを睨む。その無数のしゃれこうべにある眼窩には、揺らめく紫色の炎がある。
無数の眼窩の全てには、その紫の光は存在しているな。その光りが、ぼんやりと灰色に昏い空を照らすのさ。不気味な光りは、視線となってゼファーを見ていやがる。
ゼファーは怒りを覚えているが―――このバケモノに対しての突撃は、オレの指示があるまで待とうと考えてくれているな。それでいい。このバケモノは、一対一で戦うような相手じゃない。
……この場にいる全員で挑むべき存在なんだよ。
ゼファーを紫色の視線で睨みつけていた無数のしゃれこうべが、『不浄なる霊帝/レゲイオン』のなかで、ぐるりと動いた。今度はオレは見下ろしている。
軽蔑の視線でな。
『……竜騎士。滅びた国の野蛮人……ついに、私の故郷を焼きに来たか』
「焦土作戦を実行しようとしていたのは、アンタの方だろ、ミハエルよ」
『ほう。我が姿が、恐ろしくないのか?』
「まあ、おぞましくは感じている。ドン引きだよ。アンタ、何でそんなものを選んだんだよ?」
『これはイース教徒の恐怖の象徴……私は、そういうものになりたかったんだよ。無論、この結末は望んでいなかったが』
「何になりたかったのか」
『……大いなる存在だ。誰からも軽んじられることのない、完全にして無欠の存在』
「大きく出たな。誇大妄想があるようだ。そして、大きな自意識過剰の癖を持っている」
『お前には、分かるまいさ。私の苦難の人生などな』
「ああ。他人の痛みは誰にも分からん。その痛みと苦しみは、アンタだけのものだよ」
『……そうだ。私だけの苦しみ。誰にも共感することなど、許さない。私は、ようやく尊きモノになれた。完全にして、無欠だ……』
「理解に困るな」
『理解さえも、求めない。私は、強く偉大であれば、どんなにおぞましくても、邪悪な姿になろうとも―――いいや、心さえも、醜い存在になろうとも……構わない!!なあ、ブルーノ!!ようやく、私は、『王』になれたよ!!一番、偉い存在に、なれたんだああ!!』
「……な、何を、い、言っているのです……ミハエル、止めましょう。それは、それは、きっと間違っている!」
『私を、正そうとすることも許さない!!お前は、お前は、お前は、偽善者だ、ブルーノよ!!私の、真実を知りながら!!私が、どれだけ偉大なる血族の存在なのかを知りながら!!どうして、隠した!!』
「そ、それは、貴方のお父さまの……フィーガロ先生の願いで―――」
『そんな偽りの名で、私の偉大なる父を呼ぶなああああああ!!私の父親の名は、『アプリズ3世』ッ!!』
「……い、いいえ、彼は、その名を捨て……エルネスト・フィーガロとして生きた!!貴方のお母さまの、メリッサさまのおかげで!!」
『うるさい!!うるさい!!うるさいぞ、ブルーノ!!お前は、いつも私のためだと言いながら、私から奪うんだ!!私が、偉大なるアプリズの継承者だと!!どうして、教えてくれなかった!!どうして、あの『遺産』を、私に早く譲らなかった!!譲ってくれていたら、私は、私は、こんなことにはなっていないんだああああああああ!!』
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