第五話 『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』 その20


 雨に打たれながら、しばらく歩き。オレは、その『異変』に気がついていた。


 ……一瞬、雨が眼に入ったから視界がぼやけたのだろうかと考えたが、そうではないようだった。


「……『イナシャウワ』が、動いたな」


「……え?」


「ど、そういうことです?」


 言った通りの意味だった。


 呪いの赤い『糸』が、動いていた。『呪刀・イナシャウワ』だと、オレが判断している『糸』のほうだ。そいつが、雨のなかで、わずかに動いていた。今は……止まっている。


「……気のせいではないが、わずかに動いたぞ」


「……両者は、離れているのですか?」


「さっきまでは、同じ場所にあると感じていたが、今は、ただ大雑把に同じ方向にあっただけのような気がしている」


「動いたのは、こちらが―――つまり、観測者である団長が動いたから、事実上、そう見えるだけでは?」


「否定は、出来んな……」


 残念なことに、オレはこの『呪い追い/トラッカー』を完全に使いこなしてはいない。ガントリー・ヴァントが教えてくれて、たまたまオレの魔法の目玉が、この術に適していたのだろう。


 なにせ、オットーでも出来ない瞳術だ。竜の力は、呪い関連には多くの適性を持っている。


 才能とコツだけで運用しているが、奥義を究めたというレベルではない。知識も、そして何よりも経験値が少ない行いだ。


 オットーの言う通りに、相手ではなく、こちらが動いたからかもしれない。たしかに、動いてはいるのだが―――こういう仕様の術なのかもしれない。ハーベイ・ドワーフ族の目玉ではないから、若干、違う部分もあるだろうしな。


 ……迷っていても、しょうがない。


「……とにかく、近い方から向かおう。ここから南……」


「……陥没した、ミハエルの宿舎ですね…………」


「大丈夫か?」


「だ、だいじょうぶ。だって、朝も行ってきましたから……救助作業は行われていましたが……事実上、アレは、もはや遺体の回収です」


「朝から休むことなく行われているのなら、ミハエルが回収されている可能性もある」


 指揮官だ。しかも、『攻撃的』な指揮官。細かな命令をしていたはずだし、命令の効果を確認するために、高い位置にいそうなものだがな。


 それなら、比較的、救助されやすい。


 もちろん、出かける直前とか、外から帰ってきたばかりとか。状況次第ではある。オレたちだって、狙いすました攻撃じゃなかった。陽動の一種であり、ヤツを巻き込めればラッキーだなという雑な計算しかしていなかった。


 結果は、ドンピシャ。


 厄介そうな指揮官、ミハエル・ハイズマンを足下から吹き飛ばしてやった。


 そうだ。


 吹き飛ばしたんだ。


 だから、これだけの『大穴』が生まれている。


「……これは……ッ」


「オットー、気に病む必要がないことで苦しむなよ。お前のおかげで大勢の味方が死ななかった」


「……っ。は、はい」


 その『大穴』の大きさを見て、オットー・ノーランの罪悪感は膨れ上がっていたようだった。あまりにも、それは大きな穴だ。大規模の崩落も伴い、大きな屋敷が一つ丸ごと砕けて沈んだ地面に呑み込まれていた。


 地下水道のダンジョンに落下したようだな。5メートルか、6メートル……最上部では、13メートル以上の落下になっただろう。その威力を生き延びられる人間は少ない。


 崩落した屋敷に、周囲からは土砂が流れ込み、それらが屋敷を半ば埋めてしまっている。屋敷本体も崩れてボロボロのようだったな。


 オットー・ノーランのようなやさしい男には、この破壊の凄惨さは罪として映るかもしれない。


 戦士の血が濃い人物たちは、大喜びするほどの破壊だが―――オットーはそういう類いとは、もちろん趣を別にする人物だったよ。


 彼は悲しさみと苦悩により、顔を歪めている。可能な限り、その歪みを少なくしようとしているものの……彼は、冷静さを完全には維持することが出来ていなかった。


「……酷い破壊ですね」


「ああ。オレたちの作戦の結果だ。『誰』と戦うのかを決めるのは、団長であるオレの特権だよ。『パンジャール猟兵団』の『掟』だ。これは、オレの意志が反映された結果だ。スマンな、ブルーノよ。これも戦だ」


「……ええ。それは、すでに割り切っています。戦なのですから、誰もが、殺し合う。そちらも……そして、こちら側も…………戦なんて、無ければ良いのですが」


「戦でしか変わらんコトもあるからな。話し合いだけでは、変えられない現実も多い」


「……ですが、僧侶としては…………いえ。私も、憎しみを持っている」


「オレから見たアンタは、マシな方だよ。アンタは亜人種を殺さないしな」


「……そうですね。でも、嫌悪の感情も、あるんです……とくに、エルフが憎い」


「エルネスト・フィーガロとメリッサ、そしてセバスチャンをエルフの娘に殺されたからだろ」


「はい」


「僧侶なら、憎しみは隠せ」


「……そ、そうですね……でも、難しいんです」


「まあ。オレも帝国人もバルモア人も、大嫌いだからな。偉そうなコトは言えん」


「……バルモア人に、何か恨みが……?」


「オレの妹とお袋を、竜教会に閉じ込めて焼き殺した」


「……ッ!?」


「それ以来、無条件でバルモア人は嫌いだ」


「……ヒトとは、ヒドいことをする……」


「そうだ。だからこそ、戦士は敵を阻むために要る。いなければ、一方的に殺され、奪われるだけだからな」


「世界は、奪い合いなのですね……」


「ヒトは、戦をする習性があるからな……」


「悲しいことです」


「だからこそ、オレたちだけじゃなく、アンタみたいなヒトを殺さない僧侶もいる。世界が、あまりに血なまぐさくならないようにな。それに、祈りでしか救えぬ現実もある。とくに……ここで死体となった帝国兵どもには、その祈りの慰安だけが有効だろう」


 死というものは、永遠だ。


 ずっと、会えなくなってしまう。


 切ないものさ。そういうモノに挑めるのは、宗教とか……復讐心ぐらいだ。


「……とにかく。今は、『呪い追い/トラッカー』に従うぞ。ブルーノは、どうする?足場が悪いし、濡れている。崩落の危険性もある。アンタは、ちょっと重たいから。正直に言わせてもらうと、アンタのせいで足下が崩れるのは、少しイヤだな」


「わ、わかりましたよ!?……ここで、皆の安らぎを祈っておきます」


「そうしてくれ。ついでに、オレが預かっていた部下たちのも頼む。16才のガキどもばかりだったが、大勢、死んだんでな」


「……ええ。死者を、分け隔てることはしなくてもいいことですから」


 ストラウス特務大尉として預かった、オレの部下である新兵たちは……どんな宗教だったのかは分からない。それでも、この僧侶なら、ブルーノ・イスラードラなら、いい祈りの歌を捧げてくれるのではないだろうか。


 そのことに期待しながら、オレは『呪い追い/トラッカー』を追いかけて、崩落した場所に侵入していく。


 『虎』たちに監視されて、手脚を鎖につながれた帝国兵の捕虜どもが、瓦礫を少しずつ取り除く作業を行っているな……。


 オレは、さっそく『虎』の一人を捕まえて、彼に訊いてみる。


「なあ、ちょっといいか?」


「はい、何でしょうか、サー・ストラウス?」


「敵サンの指揮官の死体は、見つかったか?……ミハエル・ハイズマンは?」


「いえ。ヤツらの反応を見る限り、まだ見つかっていないようですよ」


「そうか」


 まあ、指揮官が見つかれば、何らかのリアクションを示しそうなものだからな。探している者たちの中で、一番、偉い人物じゃあるからな。


「……それで。他の死体は、見つかったか?」


「はい。十人近くは見つかり、近くに並べていますよ」


 『虎』の太めの指が、東を示す。オレとオットーは首を動かす。穴の反対側には、死者たちが並べられていた。それなりに階級の高い兵士たちだったのだろう。高級そうな赤い服を着ていたよ。


 『呪い追い/トラッカー』の赤い『糸』は、ヤツら目掛けては向かっていない。『糸』は、瓦礫の中心部に向かい、そこで瓦礫に吸い込まれるようにして消えている。


 『研究日誌』の方は、この瓦礫の下に埋もれてしまっているようだな。さてと、釘を打っておこう。


「耳を貸せよ。こいつは……オレの独自情報なんだが」


「は、はい、何でしょうか?」


「……敵に呪術師がいた可能性がある」


「呪術師?」


「ああ。何か、怪しげな品が発見されたら、下手に触るなよ」


「とくに、『本』です」


「そうだ。『本』は可能な限り、見つけ次第に焼いておけ。重要そうなモノなら、まとめておいて、ハント大佐に報告をあげろ。怪しげな気配がする品は、保管するんだ」


「りょ、了解しました。皆に、伝えておきます」


「たのんだ」


 『虎』は素直だな。こういう人物ばかりだと、ハイランド王国は誤解されにくいんだろうが。色々と、厄介なひねくれ者も多いし、野心家も少なからずいるからね。


 まあ。


 とにかく、瓦礫の中央に、行くだけは行ってみよう。浅いか深いかでも分かれば、安心感が違うんだがな……もう一つは、やはりここには無いし……さっきみたいに、動いたぜ。


 オレが移動したせいなのか、それとも……やはり、動いているのか。


 とりあえず、近い方から調べよう。回収不能なならば、それはそれでいいんだ。



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