第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その17


 雨の音を聞きながら、僧侶の歌を耳にする。女神イースを讃え、女神イースの慈悲を乞う歌だった。


 ブルーノ・イスラードラは、友であり『弟』を失っていた。その喪失の苦しみを、女神イースへの信仰が癒やしてくれるのだろうか。信仰心のある者にとっては、信仰は意味のある行いだ。きっと、彼の信仰は、彼の心を救うのだろう。


 そうあって欲しい。


 ……しばらく時間が過ぎた。


 オレも、オットーもイース教徒ではないが、ミハエル・ハイズマンの冥福を祈っていたよ。オレたちが、彼を殺した当事者であるからな。あの夜を追体験したオレと、爆破作戦の立案者であるオットーには、彼の冥福を祈る義務などなくても、義理はある。


 ミハエル・ハイズマンよ。


 将としてのお前の強さは、分かっていたよ。


 だから、お前を戦場に出す前に殺せて、良かった……。


 あの世では、安らかに在れ……。


 ……雨が、より強まって。少し、雷も鳴る。ゼファーは、雨雲を体で押し分けながら、体の表面に張りつく氷の膜を楽しんでいる……。


 心でつながった竜の仔の一人遊びを見ていると、心が癒やされる。世界には、やはり竜が足りない気がするな。世界中の空に、竜がバサバサと飛んでいたら、ヒトはもっとやさしくなれるだろうに―――。


 ―――悲しい祈りの後で、ゼファーの喜びを感じ。オレは心の強さを取り戻す。悲しいままでいると、弱った心のままでいると……ヒトは、厳しくなれないからな。


 追及すべきことはある。


 オレには、この哀れで善良な僧侶に訊かねばならんことが、まだまだあるのだから。それは悲しみに心が折られて者では、出来る行いではない。強さがいる行いだった。


 ……祈りの時間が終わったよ。


 ブルーノ・イスラードラは組まれた指をほどいて、泣きはらした赤い瞳を何度か瞬きさせていた。


「……時間を、取らせましたな」


「……いいさ。今日は、オレは休みだ。戦も、今日はないからな」


「……そうですか。平和なのは、何よりです……」


「それで。もう一つの方を、訊いていいかな?」


「質問は、二つある。そうでしたね」


「ああ」


「……あなたと同じく、答えられるかは、内容にもよりますが……」


「……ブルーノ・イスラードラ。アンタ、『アプリズ3世』の『研究日誌』を読んだな」


 予測していた質問なのだろう。


 オレが竜の力の宿った呪われた眼で、過去を見たと知ったときから。


 ブルーノ・イスラードラに託された任務……それは、二つある。『ミハエルの存在の秘匿』と、『アプリズの遺産の処分』―――。


「―――アンタは、『アプリズ3世』に……いや、『エルネスト・フィーガロ』に託されたな。ミハエルと……」


「……ええ。『日記』、そして……あの禍々しい剣の処分」


「それを、アンタは全うしたのか?……アンタはね、『アプリズ一派』の口癖というか、価値観を反映した言葉を使うんだ」


「言葉?」


「ヒトは、『信じたくなる嘘』を信じる……」


「……それは」


「アプリズ2世の口癖というか、彼らの勧誘のやり口というかな。魔術の才を持たぬ者に対して、魔術を使えるようになるというまやかしの希望を見せて、かつてアプリズの魔術師たちは勧誘を行っていた。詐欺みたいなもんだよ」


「……なるほど。魔術師の結社に、ヒトが惹かれるのは、そういう力を求める心を利用されるからなのですね」


「持たないことに対する『劣等感』。そいつは、ヒトを盲目にさせてしまうこともあるものだからな。詐欺師は、そこを突く」


「……分からなくも、ないかもしれません。ミハエルは、いつも強くなりたいと語っていました」


「……そうか」


「彼がもらわれていったハイズマン家は、裕福とは呼べない家庭です。それでもハイズマン夫妻は、ミハエルを愛して慈しんだ。子供の頃は、ミハエルもその愛を信じていましたが、大人になると……」


「……『持たない弱さ』を知ったか」


「……はい」


「軍隊の指揮を任されるほどの大出世だ。彼の才能、努力、それらは素晴らしいものがあったのだろうが―――傭兵たちの動きを見るに、彼に統率されることを拒んでいた勢力もいそうだな」


「……街に多く居てもしょうがない。彼は、そう言っていましたよ。私には、よく意味は分からないですが」


「……籠城戦をするには、兵力が多すぎても不利になるからだ。むしろ、彼なら、籠城戦をする『ヒューバード』の外に、機動力のある部隊を置いて、ハイランド王国軍が包囲を完成させる時期を、少しでも先延ばしにしたかったんじゃないかと考えている」


 籠城戦をする『ヒューバード』を、外から守り、また囮ともなってハイランド王国軍を誘導する部隊がな……。


 別働隊。あれだけの傭兵がいれば、それを外に置きたかったんじゃないだろうか?そっちの方が、リストラするよりも、より有効に傭兵を使えた。一晩は、保ったかもしれないのにな。


 街にいる金持ちや貴族たちは、自分を守らせるために傭兵を囲い込んでいた。それが籠城戦においては負担になると承知の上で。戦力が多ければ、ムダに食料を消費する。ミハエル・ハイズマンの作戦を、無視する行いだった。


 だから、変に労働させたあげく、強引なリストラを行い、傭兵の数を減らすことで組織を洗練させたわけだが。


 理想を言えば、そのリストラした傭兵の戦力だって、使いたかったはずだ。でも、それは叶わなかった。彼を邪魔して、無視する者たちが大勢いたからだろう。彼の作戦を、軽んじるバカが大勢いたのさ、偉いヒトたちの中にね。


「……彼は、『持っていなかった』。『地位』をな。ただの貧乏人の子だから、どんなに出世したところで、権力者たちは彼の言葉を軽んじたわけだ。もしも、彼が貴族だったら?……兵士も傭兵も完璧に掌握出来ていたなら、この街は、まだ粘っていたかもしれない」


「……戦士とは、通じる心を持っているのですな。ミハエルは、そのようなことを口にしていたましたよ」


「世の中の悲しい現実の一つだ。実力よりも権力が、モノを言うことは多い。そして、それゆえに大きな失敗をすることもあるんだ」


「……この敗北も?」


「全てが、そうとは言わないが。ミハエル・ハイズマンは、もっと力を発揮することが出来ただろうな、生まれが良ければ」


「……ミハエルが、あの名医であられた、エルネスト・フィーガロ先生の子息であることが、世に知られていたら……」


「……彼の言葉を忘れたか?……魔術師たちの結社が来たかもしれない。あの親子の死があったからこそ、ミハエルは守られた」


「……そうだとしても、30年以上が経っているんですよ?……だから、知られても、いい頃ではないかと…………」


「……まさか。アンタ?……教えたのか?ミハエルに?……彼がエルネスト・フィーガロの息子であることを?」


 ブルーノ・イスラードラは、あの禿げた頭をゆっくりとうなずかせる。


「……はい。彼は、夫妻の実子ではないことを、悟っていました。育てのご両親のどちらにも似ておりませんでしたからね。彼が十代の終わりの頃に、ハイズマン夫妻は、彼に養子であることを教えたんです」


「……そして、アンタが、真実を?」


「……真実を教えたのは、2年前です。帝国軍の軍人として大きな功績をあげた彼は、出世していましたが、自分の血が、貴族のものではないことで、大変な不利に晒されたと私に告げて来ました。彼は、自分が貧乏人の捨て子だと考え、苦しんでいた」


「……劣等感か」


「……私は、彼に……彼を慰めるために、真実の一部を語った。彼は、私のような名も無き捨て子などではなく……立派な名医の息子であったことを、語りました」


「……だが、大人だ。そんなハナシを信じるためには、真実の一部だけでは足りないだろうな。全てを話さなければ、彼は、アンタが彼を慰めるために作り話をしていると考えるだけだったはずだ」


 捨て子だと考えていた自分が、なんと30年も前に亡くなった名医の息子だった?……そんな都合の良いハナシを、大人の男は信じることなんて出来ないさ。


 希望に飢えているガキならともかく、世間の荒波に心がガリガリに削られてしまっている大人は、そんなハナシを信じられるほどに単純ではない。


「全部、教えたな」


「……ええ。その通り。彼には、知る権利があるでしょう?……彼が、彼の実の両親に、一体どれだけ愛されていたかを。ご両親が、どんなに勇敢に、愛を実践された方々だったのかを……?……だって、彼こそが、あの二人の子供なのですから」


「……たしかに、知るべきことだったかもしれないが……アンタ、どこまで、彼に教えてしまったんだ?」


「……知っている限りの、全てを」


「あの雨の夜のことについてのみか?彼が、『産科医エルネスト・フィーガロ』の子であるという事実だけか?……それとも、アンタは……」


「…………処分していませんでした」


「……それは、どれのことだ?『呪刀・イナシャウワ』か、『研究日誌』か……?」


「……その、どちらもです。私は、フィーガロ先生の言いつけを、破りました」



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