第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その18


 良くない事態が起きていたようだ。今から2年前、『アプリズ3世』の息子は自分の出自と共に、使い用には大きな災いを招きかねない、呪われた力の存在を知ったらしい。


 色々な考えが頭に浮かんでしまい、怒りにも焦りにも失望にも、それらの全てであるごちゃ混ぜの感情が頭の中を支配していた。


 どんな言葉を吐くべきか?……分からないから、感情的に奥歯を噛みしめながら沈黙しちまったオレに代わり、オットー・ノーランが冷静さを発揮してくれたよ。


「……『呪刀・イナシャウワ』と、『研究日誌』。その両方を、貴方は処分なさらなかったのですね、司祭殿」


「……ええ。フィーガロ先生の言いつけには、従えませんでした」


「どうしてですか?」


 オットーはオレの訊きたいことを、オレじゃ言えないようなやさしい声音で訊いてくれる。ありがたいことだ。しばらく、オレは黙っておくか……。


 僧侶ブルーノ・イスラードラは、オットーの言葉にうつむいてしまう。だが、長い沈黙を使うことはなかったよ。彼は、己の『罪』を告白することを決めているようだった。


「……お恥ずかしながら、好奇心もあったのです」


「好奇心。それは、私にも分かります」


「……目の前で起きてしまった事件。あの、あまりにも凄惨な事件。その理由を、私は知りたくなってしまった……ミハエルを産婆に預けた後で、私は先生の遺言を果たそうとしました。先生の病院に向かい……先生の言いつけに従いました」


「彼の『研究日誌』を回収したんですね?」


「……ええ」


「そして、読んだ?」


「……すぐには、読みませんでしたがね。やはり、あの悲劇の理由を、知りたくなってしまい……故人との約束を破ることとは承知で……恥ずべきことです」


「……いいえ。その謎を解明することが、ご自分の使命のように感じられたのでしょう。ヒトの死に、意味を見つけることで……その死の悲しみに、ヒトは耐えるのですから」


「……まるで、僧侶のようなことを」


「すみません。本職の方に、私なんかが、差し出がましく」


 ブルーノ・イスラードラは首を横に振る。オットーの言葉に、彼は救われているように見えた。


 そして、オレもオットーの言葉に納得を手にしていたよ。


 あまりにも、ヒドい事件だったからな。


 妊婦が斬り殺されて、その犯人と、妊婦の夫が殺し合った。大勢が死んだ。大勢が死んだ挙げ句、死んだ妊婦の腹から、その夫は双子を取り出した。片方は死んでいた。片方は命を守るために存在を秘匿しろと告げられた……。


 予備知識も無いまま、ただただその事件に巻き込まれただけの10才の子供は、あまりにも不安だったろうし、その事件の『理由』を知りたくなったのだろう。


 オットーの言うように、あの夫婦と赤ん坊が死んだ『意味』、それを知ることはブルーノ・イスラードラには必要な行為だったのかもしれない。


 オレが同じ立場だったとしても、おそらく気になって読んでしまうだろうな。彼らが何故、そんな死にざまをしなければならなかったのか……?神さまに訊いても知ることは出来ないが、手元にある一冊の本を読めば答えが知れる。


 ……読むだろうな。


 そうでなければ、納得することも出来ず、神に返るはずも無い問いかけを繰り返すだけだっただろう。


「……あの事件は、あまりにも酷かった。幼い私は、憤りを隠せなかった!なぜ、あんな事件が起きたのか!なぜ、あんなことにならねばならなかったのか!……どうしたって、気になった。知らねば、私は自分の信仰を失うような気がしたのです……」


「……分かりますよ。私も、貴方の立場なら、同じことをしたでしょう」


「……私は、好奇心に負けた」


「必要なことでした。それで……」


「どんなことが、書いてあったかを聞きたいのですね」


「はい」


 真実を求める探険家の言葉は、短く、真摯で、本気であった。


「…………『アプリズ3世』の名前を、知っているのですから。先生の人生に大きな闇があったことも、知っているのですよね」


「はい。我々は、竜の見せた『夢』により知ったのです。『アプリズ3世』と呼ばれた人物について、多くの事実を。彼は、殺人鬼でもあった」


「…………はい。そうです。私は、先生が、一方的にエルフたちに殺されていたと信じていた。でも、そうじゃない。先生は……先生は、罪を犯していたのです」


「そうですね。彼は、猟奇的な手法でヒトを殺め、己の研究のためには、どこまでも残酷になれた人物です……」


 そうだ。女に化けて、魔術師を騙して殺して奪う。そして、娼婦を弄び、殺して、その腹の皮を斬り裂き、自分の腹に巻いて、『理想の女装』をしていた人物……。


 狂気の殺人鬼だな。


「……先生の『研究日誌』の半分は、私には理解の出来ない研究の資料と……日記の部分から成り立っていました。日記には、先生の後悔と懺悔の言葉が綴られていた。先生は、その日記の中で、自分が、どんな悪行をして来たのかを、告白しておられた」


 ブルーノ・イスラードラは大きく肩を落とした。


「失望した部分もありました。私にとって、エルネスト・フィーガロ先生は、とても尊敬出来るお医者さまでしかなかった。偉大な知識で、街の皆を助けた。私のような教会に捨てられていた孤児にも、高価な薬を惜しみなく使って下さった……」


「……立派な行いも、多くした方だったのですね」


「ええ。そうなのです!彼は……まるで、イースさまの使いのようだった。メリッサさんも、やさしかったんです。とても、やさしくて、素敵なご夫婦で、街の皆から、尊敬を集めていたんですよ?」


「……心中、お察しします、イスラードラ司祭。子供の貴方には、あまりにも大きな衝撃だったことでしょう。恩人であり、街の名士でもある彼の『血塗られた半生』を知ることは……」


「ええ!……気が狂いそうになりましたよ。なんて……なんて、恐ろしい事実なのか。私は、先生に恐怖も抱いた……ですが、それでも、私は……先生を、やさしい人物だと思います」


 やさしい人物か。


 人生の最後は、彼は確かに素晴らしい人格者だったようだ。悪にまみれてはいたが、娼婦であった不幸な少女、メリッサに救われたのだ。


 『産科医エルネスト・フィーガロ』を知る者たちは、彼のことを、心の底からは嫌いになれないかもしれない。彼の慈悲により、肺炎を治してもらった子供でもある、ブルーノ・イスラードラも、そんな人物の一人なのだろう。


「……悪魔の所業と、それを悔恨する言葉!それが先生の日記の全てです。私は、怖くて、悩みました。何が正しいことなのか、よく分からなかった。それでも……」


「それでも?」


「先生を、嫌いになれませんでした。嫌いになるべきでは、ないでしょうか?……大悪人なのに」


「ヒトは、色々な側面を持っています。貴方が知っているエルネスト・フィーガロは、偉大な人物だったのです。否定できなくて、当然ですし……私は、否定する必要はないと思います」


「……貴方は、柔軟な方のようだ。そして、おやさしい」


 本当にオットー・ノーランはやさしい。オレには、ブルーノ・イスラードラを今のよううな、どこか安心した表情にさせることなんて、出来なかったと思う。


 でも、分かるよ、オットーの言葉は。世の中には、白黒つけられないこともある。善であり悪でもある人物については、典型的な例になるかもしれない。


「……私は……その日記を読み。多くのことを知りました。先生は、日記に繰り返し、あの言葉を書かれていました。『信じたくなる嘘』を、信じる……私の心に、その言葉は染みついた……っ。私は、先生の善行が、虚構なのかもしれないと不安にもなりました」


 『信じたくなる嘘』、その言葉をブルーノ・イスラードラが知ったのは、そんな経緯か。子供の時分に経験すべきことじゃない。そして、知るべきことでもなかったな。その言葉は、ブルーノ・イスラードラの心に、余りにも深く刻まれたのか。


 発狂しなかっただけでも、幸いかもしれない。


 何とも大きなストレスにだっただろう。


 とんでもない苦痛だな。


 何もかもを信じられなくなりそうだ。それでも、答えを出したわか。


「……私は、何が真実か、分からなくなりました。でも、だからこそ、信じたい事実を、必死に信じようとしたのです」


「……殺人鬼、『アプリズ3世』としての彼ではなく、あくまでも、『産科医エルネスト・フィーガロ』の善意を信じたんですね」


「ええ。先生は、奥様を愛し、子供たちを守ろうとしていた。過程も悲惨で、結末は救いの少ない悲劇でした。でも、先生は……先生は、私が知る誰よりも、やさしくて、偉大な人物だった……っ。お、奥様を斬った、エルフのことまで、許していた……っ。あ、あんんに慈悲深く、あんなに大きな愛情を持っていたヒトなんて、私は知りません……っ」


 ブルーノ・イスラードラは、大粒の涙をあふれさせながら、声を震わせて、創断言していた。それは、彼にとって、『信じたくなる嘘』だったのだろうか?……いいや、違うな。『信じるべき真実』だった。


 たしかに、あの雨の夜の行動は、『エルネスト・フィーガロ』は、偉大なる愛のためだけに戦い抜いて、命を全うしたのだから……。




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