第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その16
ブルーノ・イスラードラに招かれるまま、『エルイシャルト寺院』へと入る。僧侶たちが忙しく動き回る中を、会釈されながらも進む。オレは、たしかに邪魔をしている。イース教徒でもなく、まして帝国人の敵が、このタイミング訪れるべき場所ではない。
しかし、時間をムダにしたくはないのだ。
わざわざ、アーレスが見せてくれた『夢』。あの過去と現在には、つながる部分が出て来ているのだからな。
……単純な好奇心ってだけじゃない。『呪刀・イナシャウワ』や、『アプリズ3世の研究日誌』。アプリズの遺産どもは、使い用によっては大きな脅威になり得るからな。
「では、こちらへどうぞ」
「……ああ」
「失礼いたします」
応接室に案内された。誘導されるままに、質素なイスへと座る。教会らしく清貧を感じされるアンティーク……ボロくて、シロウトの修繕カ所があるイスだ。文句は言わない。
古くてボロいアイテムは好きなんだよ、歴史や物語が宿っている気がするからね。
ブルーノ・イスラードラは警戒心を強めている。だが、オレたちを拒絶するつもりはないようだな。ドアに鍵をかけて、彼もまたイスに座る。こちらに対面するような形となった。
丸い鼻に禿げ頭。
ヒトの良さそうな彼は、今、苦しみさえも垣間見えるほどの渋い表情を浮かべている。
「……どうして、知ったのですかな?」
30年のあいだ守って来たであろう秘密を、オレが知っていることに彼は納得がいかないのだろう。
「……私は、あの『アプリズ魔術研究所』という場所には、行ったことはありません。とても禍々しい場所と聞いていますしね。あの山麓には、ヒトを襲うモンスターが多く生息すると」
「そうだな。あの土地は、かなり危険な土地だ」
「そこを、調べて…………どうして、フィーガロ先生のことを知ったのです?……おかしいじゃありませんか……?」
「……一つハッキリさせてから、話したいのだが」
「……何でしょうか?」
「オレはアンタに嘘をついていた。身分を詐称し、偽りの名前を吐いた。しかし、オレは『自由同盟』の傭兵であり、竜騎士だ。魔術師の結社とは、何の関係もない。かつて、この地でおきた悲劇にも、部外者だ」
「……それを信じろと?」
「信じてもらいたいな。真実だから」
「……分かりました。たとえ、裏切られても信じるのが、聖職者の役目ですからね」
「いい心がけだ。これからは、嘘はつかん。教えてやれないことは、話せないがな」
「……それで、どうして、貴殿はフィーガロ先生のことを?」
オレは眼帯を外す。金色の瞳をあらわにした。ブルーノ・イスラードラは、わずかにギョッとしていた。異形に対して、拒絶の感情を隠さない。動揺してもいるし、猜疑心が強まっているからこそ、心が素直になり、攻撃的になることもある。今の彼がそうだった。
「その瞳は、呪術……?」
「かつて相棒であった竜が死に際で、オレに命と共に、この眼をくれたんだ。この眼は竜の呪い、あるいは祝福で出来ている魔眼だ」
「魔眼……そんな力が、ガルーナには?」
「ガルーナに伝わる力ではなく、ただの副産物らしい。由来の詳細はともかく、この眼には、過去や他人の考えを『夢』で見せてくれるときがある」
「まさか!?その『夢』で、フィーガロ先生のことを知ったと!?」
「そうだ。『アプリズ研究所』で……『エルネスト・フィーガロ』を名乗る男、その先代というか育ての父親である、『アプリズ2世』の日記を読んだ」
「……『アプリズ2世』の、日記……?」
「ああ。それが一種の呪術の媒体となったのだろう。ヤツとのあいだに生まれた因縁を、竜の魔眼は辿り、『アプリズ2世』……そして、『エルネスト・フィーガロ』こと、『アプリズ3世』の人生の一部を、オレは見たんだ」
「そんなことが、起こりえるのですか……」
「オレだって、竜の力を完全にコントロール出来てはいない。見たいと思って、見たことではない……30年ぐらい前になるんだろ?」
「ええ、33年前の出来事です」
「……あの夜、アンタは『アプリズ3世』、いや、産科医エルネスト・フィーガロと共にこの場所にいた。エルフの女魔術師に斬られて死んだ、メリッサの腹を手術するのを、アンタは手伝っていたな。双子が産まれ、一人は死んでいた」
「……その通り。そこまで、知っているのならば、貴殿の言葉は真実なのですね……」
「そうだよ。この魔法の目玉には、そういう能力があるらしい」
「……過去を知るのならば、それ以上に、何を求めるというのですか?」
「二つあるな」
「何と何でしょうかな?」
「……一つは、ちょっとした好奇心というかね。あの夜、お前がエルネスト・フィーガロから預かった赤ん坊のことさ」
「……彼のことは、秘密なんですよ。フィーガロ先生から、そう言われた。彼の願いを、私は裏切れません―――」
「―――知っている。死んだ子の名前は、セバスチャン」
「……っ!!」
「……そして、死んだ母親の腹から、生きて産まれたもう一人は……ミハエル」
「……そこまでも、知っているのですか……」
「他人の秘密を暴くことが好きなわけではないが、知ってしまった以上、無視することも出来なくてな。オレたちは、ミハエルという名に、聞き覚えがある」
「……彼の出自を、私たちは隠しました。今さら、答えたくはない」
「答えにくいのならば、答えやすくしてやろう。『ミハエル・ハイズマン』とは、あの夜に産まれた人物だったのか?」
長い沈黙が生じていた。
オレも、オットーも、押し黙るブルーノ・イスラードラから言葉が放たれるのを待った。しかし、彼の苦悶の表情と沈黙から、推察することは可能だった。この沈黙の重みこそが、真実の重みだろう。否定なき、深き苦悩。答えを教えてくれているようなものだ……。
その沈黙は、数分のあいだつづいたが、体感的にはそれよりも、ずっと長く感じたよ。
守らなければならない秘密を、暴かれた。そのことによる心痛も、ブルーノ・イスラードラの精神を襲っているのだろうな。
僧侶をいじめている気になり、オレも居心地が悪かった。
……だが、その聖職者は、ついに語り始めたのさ。隠し事をする重みから、解放される日が来たのだ。
ブルーノ・イスラードラが、静かな瞳でオレを見ていた。睨んではいない。敵意はない。ただ、とても疲れていた。彼の口が動く。
「……そうです。あのミハエルが、『ミハエル・ハイズマン』です」
「……そうか」
隣のイスに座るオットー・ノーランの糸のように細く閉じられた目が、ピクリと反応していた。彼の肩が、少し沈んだように思える。おそらく、オレの勘は外れていないのだろうよ。
「……産婆の協力を得て、ハイズマンさん夫婦に彼は託されました。子供を馬車にはねられて亡くしたばかりのご家庭です。彼は、そこで育ちました」
「この『ヒューバード』でか?」
「ええ。彼は、兵士になるまで、『ヒューバード』から、そう離れることはなかった」
「……そうか」
「彼は、奇跡の子でした」
「……そうだな」
彼の父親同様に、死んだ母親から取り上げられて、生きていた。
それは確かに奇跡だった。
彼の双子の兄、セバスチャンが、女エルフの斬撃を肩代わりして受け止めてくれてもいる。彼は、本当に幸運だった。
「それを……『蛮族連合』の、あ、あ、あなた方がッ!!」
「……そうだな。オレたちが殺してしまったようだな。しかし、これも戦争だ。お互いが殺し合い、お互いの掲げる『正義』を成就させる。それが、オレや彼の選んだ生き方だ。戦士も軍人も、その点では同じ」
「…………ええ。わかっていますよ……戦争なんです。私たちも死にましたが、あなたたちも死にました……」
「悲しいことに、どちらも死ぬ。さして悪い人物でもない若者が、大勢、死んでしまう。それが戦だ」
「……ああ、ミハエル……」
「……彼の遺体は、まだ見つからないのか?」
「……はい。彼のいた屋敷は、爆破されて、地下に沈んでいる。瓦礫も多く、彼を回収することは困難でしょう……時間が、かかると思います」
「……そうか。アンタには理解しがたいかもしれないが、殺した当事者としても、彼の死を悼む気持ちは深いんだぜ。彼は、いい指揮官だった。兵士の配置を見れば、彼の軍略の深さも読み解ける。彼の大敗を、歴史は嘲笑うかもしれないが、彼は偉大な指揮官の器を持っていた」
「…………たしかに、私には、理解が及ばない考えですな」
「我々のような、人殺しと、アンタはやはり違う人種だからだ」
「……ええ。でも…………」
「……でも?」
「……こう思ってしまうことが、心中、複雑なことなのですが…………そういう褒められ方をしたとき……ミハエルは、きっと……喜んでいると思います」
「……ああ。そうだと思うぜ。戦士は、強さを誇るものだ。いつか、オレを討ち取る戦士が、オレの目の前に現れたとしても……オレは、自分を殺した戦士のことを、冥府から讃えてやるつもりだ」
「……戦士とは、恐ろしいものですな」
「そうだ。戦士も軍人も、ただの人殺しだからな。殺し方を褒められて、大喜びする、野蛮で罪深く、愚かだが……どこか、敵と味方を越えてつながれる価値観を持ってもいる」
「私は……ミハエルとはそうなれませんでした。私は、軍人としての彼を、理解してやることが、完全には出来ないのでしょう」
「友人だったか」
「……私は、弟のような存在だと見ていました。彼も、私を慕ってくれていたんです」
「彼に、家族は?」
「……いません。育てのご両親はすでに他界されて……彼は結婚していませんでした」
「……そうか。遺体が見つかることを、願っている」
「……ええ。ありがとうございます…………ミハエル」
ブルーノ・イスラードラは、ミハエル・ハイズマンのために祈る。彼は涙を流している。オレは、その祈りのために待つことにした。
この時間は、大切な時間だったと思う。彼の両親が死んだ、この教会で……彼は、自分を母から取り上げた『兄』に祈りを捧げられていた―――。
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