第三話 『ヒューバードの戦い』 その30


 ―――目を覚ます。腕にミアを抱いたまま。あまりにも悪い夢を見たせいで、冷や汗をかいているな。ミアを、あまりに強く抱きしめちまったりして、痛い思いをさせなかったか、とても心配になったよ。


 ああ……アレが、全て変な妄想に基づく夢だったら良いのにな。困ったことに、オレの魔法の目玉は熱くなっているんだ。魔力が働いていた痕跡を残している。十中八九、特別な夢だったのだろうよ。


 普通の夢とは異なり、詳細まで思い出せるからな。夢なんて、すぐに特徴を失っていくもののはずなのに。この『夢』はそうじゃない。まるで実際に体験した事実のように、頭のなかに残りやがるんだよ。


 きっと。


 アレはかつてどこかで、実際に起きたことなのだと考えている。どうしてそんな『夢』を見てしまったのか?……ここが、『アプリズ魔術研究所』の跡地でもあるからかもしれない。


 連日で『アプリズ2世』の『夢』を見てしまった。意味があることだと考えている。無意識のままに使える呪術なのだろう……。


 オレの人生に、『アプリズ2世』が関係することがあるのだろうか……?今まで、こういう『夢』を見たときは、そうだったのだがな。


 『モルドーア・ドワーフ』の呪いとは異なり、アプリズどもの呪いを積極的に追いかける気は、今のところ持っちゃいないのだがな……。


 そもそも、実害というものがない。大昔にろくでもないことをしていた魔術師の秘密結社だが、現在は鳴りを潜めている。そもそも2世の段階で組織は事実上、崩壊しているじゃないか?


 ……アレが、今も存続しているとは思えない。6才の頃から、とっくに『アプリズ2世』並みに壊れている少年が、何十年も正気を保てるものだろうか?……洗脳で創られた精神というものが、一体どれほど強いというのか。


 はなはだ疑問だよ。『家族』との思い出も持たぬ者が……いいや。彼の場合は事実上、名前さえもないのだ。野良犬のような、みじめで空虚な存在じゃないかよ。


 あまりにも孤独であり、大いに病んだ精神を継承してしまっている。そんな人物が受け止められるのだろうか?


 多くの賢者たちが求めて、失敗してきた生命の秘密を解明するだなんていう、大それた研究テーマを幼くして壊れてしまった、しかも、『アプリズ2世』よりも、はるかに孤独で未熟な少年が……?


 ……どうにも。


 ……オレには彼にそんな大それた研究を完遂することなど、出来ないように気がする。押し付けられた精神は、あの子を蝕み…………ただ、狂人にしてしまうだけなのではないかと考える。


 ……そうだとすれば?


 この世の中に大きな害悪を流すことはない。あの隠れ里の中で、呪術を研究しながら、やがて孤独と狂気に苛まれて壊れて死を願ったのではないだろうか?……それは、あまりにも悲しい人生だが。社会の誰も犠牲にはしない生き方だ。


 ……ああ。


 何とも悲しい物語を知ってしまったな……。


 『アプリズ2世』、あの狂った犯罪者め。


 あの悪人はけっきょくのところ、あの少年を道具として消費してしまった。奇跡の子だったのに!……魔力や魔術的な才能に優れていたからじゃない。死んだ母親の腹から、奇跡的に救出された赤ん坊だったからだ。


 どうして。


 どうして、そんなことが出来るのだ?


 助けて、育てたのに。


 自分の子供や、何なら孫みたいな存在のはずじゃないか?


 どうして。


 どうして、そんな子供に自分の苦しみをなすりつけることが出来るんだよ?


 ……知っているさ。


 『アプリズ2世』は知っているんだ。


 どうせ、生命の秘密の謎なんて解けるはずがないと、彼は考えている。理解しているのさ。いや、誰よりも理解しているのだろうな。その難解さと、どれだけ大それた愚かな願いに過ぎないのかなんてよ……。


 押し付けるべきではなかったよ。


 自分でも分かっていただろう?……どうせ、叶うことのない夢なんだということを。


 ああ……。


 まったく……。


 ヒドい夢を見てしまったよ。


 ……オレは、ミアの寝顔を見ている。彼女は、オレの腕のなかで、くーくーという可愛らしい寝息を立てて眠ってくれている。オレの腕のなかを安心して、睡眠拳法を放ってくれるのだ。


 熟睡しているミア・マルー・ストラウス。オレの最愛の妹だよ……彼女を見ていると、幼く純粋な者の持つ尊さを知ることが出来るのに。


 ……。


 ……。


 ……オレも、『アプリズ2世』のように、クソ野郎なのだろうか?


 猟兵であることを強いているのではないか?


 そのことで、本来ならばミアが歩めたはずの、多くの可能性を奪っているのではないだろうか?


 戦いに巻き込んで、ミア・マルー・ストラウスの一つしかない人生を、消費しているのではないか?……ファリス帝国を打倒し、皇帝ユアンダートを殺し、オレのガルーナを取り戻す。


 そんな夢のために、オレはこの子の人生を大きく歪めてしまっているのではないだろうか?……あの大悪人である、『アプリズ2世』が己が慈しむべき存在であった、どこまでも無垢な子を、洗脳して、消費してしまったように……。


 ……ああ。


 ……困ったことに、オレは自分のことが信じられなかった。『アプリズ2世』の弱くて壊れてしまった精神と、同調する時間が長すぎたせいなのだろうか?オレの精神は弱っているのかもしれない。壊れた心は、他人にも伝染するからな……。


 ……オレは。


 ミアにとって害悪なのだろうか?


 この子の才能と努力と心を利用しているだけに過ぎないのだろうか?


 オレは、ミアのためにどんなことでもしてやろうとしているのは、シスコンだからとか、セシルへの罪滅ぼしだとかだけじゃなく、ミアの人生を破壊していることに対しての罪悪感からなのだろうか―――。


 ―――困ったことに。


 今のオレは否定することは出来ない。


 オレも……壊れてしまうのかな?


 ……いいや。


 そうはならないんだよ、『アプリズ2世』。


 オレは9年前に壊れてしまってから、ゆっくりとだが成長している。失い、得たのだ。今のオレは孤独ではない。お前が、どんどん仲間を失っていったのとは、まったくの逆だよ。


 『家族』がいるんだ。


 それだけが、お前の狂気とオレの『正義』の違いなんだ。


 オレはね、お前とは違って、ミアのことを、ミアだと認識している。セシルの代わりの道具なんかじゃない。


 色々な運命の結果、オレのところにやって来てくれた、オレの大切な第二の妹なのだ。初めて会った日は、セシルと叫んでしまった。人買いどもに負われて、逃げている小さなあの子は、まったくもってセシルとは異なる姿だったはずなのに。


 炎みたいな赤毛じゃない。


 そもそも、人間族とケットシーだ。


 ぜんぜん違うってのによ。


 オレは、ミアのことをセシルだなんて思い込み、人買いどもをぶっ殺した。あの頃のオレにとっては、小さな女の子は、みんなセシルに見えてしまっていたのさ。いや、今もそうかもしれないが……。


 でもね。


 今、オレの腕のなかにいるのは、ミア・マルー・ストラウスなんだ。誰の代わりでもない。オレの大切な、第二の妹なんだよ。


 それは。


 それだけは、きっと。


 『アプリズ2世』よ、小さく幼気な者を利用し、消費しているオレとお前とのあいだにある、決定的な違いだ。


 オレには『家族』がいて。


 オレには、セシル2世なんかじゃなく、ミア・マルー・ストラウスがいてくれるのだ。


 ……。


 ……。


 ……帝国を打倒したら、皇帝ユアンダートを殺したら、ガルーナ王国を取り戻したら。ミアはどんな夢を見るのだろうか?……オレの執念から解放されたとき、ミア自身が見るのは、どんな夢なのだろうか?


 ……オレが知っているミアの夢ってのは、『竜騎士になりたい』なんだけど。オレは、ミアのために……そして、ゼファーのためにも……もう1匹の竜を見つけ出して、ミアに女竜騎士になって欲しいのだけれどな。


 その才能があるんだ。


 竜に愛され、竜を御す、偉大な竜乗りの才能が、ミアにはある。竜騎士ならば、誰もが惚れ込んでしまう才能が、この子にはあるんだよ―――でも、その夢って、オレの存在が言わせているかもしれないし……。


 ミアは、いつでも笑ってくれている。


 それでも。


 それでも、オレは、ミアを自分の過酷な人生の因果に巻き込んでいるのは確かだよ。


 だが。オレには猟兵ミア・マルー・ストラウスの能力が必要なんだ。オレ自身の『夢』のためには、必要なんだ……。


 ……結局のところは、オレも『アプリズ2世』みたいなクソ野郎に過ぎないのだが、オレがヤツと決定的に違うのは、ヤツが3世を道具としてしか見えていなかったのと違ってね。オレは、本当に、心の底から我が妹ミア・マルー・ストラウスを愛しているのさ……。


 オレは、オレの腕のなかで安心して寝息を立ててくれているミアがいてくれて、とても幸せなんだ。愛しい妹だからね……。


 見ているだけで、笑顔になれる。


 安心しきり、微笑み、ちょっと開いた口から、ヨダレが少し垂れている。元気で天真爛漫な我が妹を見ていると、自然と笑顔になるんだ。だから、オレはきっと壊れないよ。


 『アプリズ2世』よ。罪深い人生だったとしてもね、お前は、お前のところに来てくれた、あの才ある子供を、あの奇跡の子供を、道具ではなく、ただの子供か孫としてでも育てれば良かったのだ。


 そうであれば。


 どんなに罪深い自分に対しても、笑顔を見せてくれる幼き者がいるのだと識ることが出来たなら……お前も、きっと、壊れずに。長い人生で世の中に害悪ばかりを垂れ流していた思えにとって、唯一したであろう『人助け』を全う出来たんだぞ。あの子の命を救ったことを、誇りに思いながら生きられた。


 そうすれば、きっと壊れずに済んだのだろうにな……。


 オレは、ミアのことを愛している限りは、壊れないさ。オレの『未来』は……誰もが生きていていい世界ってのは、ミアのためでもあるんだからな。これも、『信じたくなる嘘』なのかね?


 ……オレは、これをそういう言葉では呼ばない。


 きっと、希望と呼ぶべきものなのだ。大陸の覇権国家と、戦をしてぶっ潰す。そんな大それた夢にはね、そういう希望がいるんだよ。オレは……何だかミアのおかげで安心することが出来たから。眠気に囚われている。今度は、悪い夢を見ないまま眠れるだろうよ。



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