第三話 『ヒューバードの戦い』 その12


 邪悪な魔力と、獣の肉の腐臭を感じる……年を経た巨大な木々が並ぶ場所で、オレたちは静かに速度を緩める。足運びを遅くして、ゆっくりと歩くのさ。


 トミー・ジェイドが『風』属性の特製油と、鎧をオレの肌に合うようにアジャストしてくれたおかげで、減速時の揺れでも、鎧の鋼が無様な音を立てることはない。さすがは、『ヴァルガロフ』で一番の鎧打ちだな。


 薄暗く、獣と腐肉の臭気が満ちた場所を、ゆっくりと進んでいく。朽ちかけた落ち葉に沈む道を、気配を消して進む。心臓の音さえ鼓膜が拾い上げそうなほどに、静かに、集中して、無音を作る。


 今日は魔術を使わない。『風隠れ/インビジブル』を使わないつもりさ。何故か?……魔術を使い過ぎているし、王城地下のダンジョンにおけるバハルムーガとの戦いで、想像以上にダメージを負った。魔力を使っているからだ。


 ……それに。


 リエルから、森のエルフとしての狩猟術を学ぶためでもある。リエルは、自分の部族の奥義を見せたがらなかったが、今日は違う。体の動きそのものが、いつもより数段、研ぎ澄まされていた。


 魔力を使わずに、全くの無音になっている。森の専門家だからな。ミアの隠密動作よりも、この環境ならば、リエルの方が上だった。


 ……今まで出し惜しみするわけだ。オレもだが、とくにミアにこの体の使い方は難しい。まるで、水のように今のリエルの体は動いている。全くのよどみが無く、ゆっくりとしていて……無音。


 自然と一体化する。言葉にするのは簡単だが、今のリエルはまさにそれだった。足運び、重心の操り方、呼吸……木漏れ日の具合や、地面の土の湿り具合。吹き抜ける風の方角と強さ。敵の警戒心……あらゆるものと噛み合いながら、リエルの気配は消えた。


 ……猟兵でさえ、殺気を込められるその瞬間まで、リエル・ハーヴェルに森で狙われたら気がつけないだろうな。


 これはね、何の変哲もない動きにさえ見えるけれど―――間違いなく森のエルフ族の奥義なんだよ。深い森のなかで、今のリエルの動きをされたなら……誰にも悟られることなく、背後を取るまでは行える。


 ミアは、リエル・ハーヴェルの深奥を、また一つ知った。マネをしても、90%ぐらいしかマネできない。その10%の欠落を、完璧主義的なところがあるミアは、認めたくないほどの嫉妬を持って評価することになる。


 鍛錬しても、努力しても。


 『暗殺妖精』、ミア・マルー・ストラウスの才能をもってしても。森のエルフ族の弓姫が見せつける今の動きを、ミアが体現する日は来ないかもしれない。それでも、99%までは近づけて見せると、ミアは覚悟を決めただろう。


 オレは、今、50%ぐらいの不出来な生徒として、動いている。彼女たちの倍ほどの体重と、重装備、そして鈍くさい人間族だからな。50%もマネ出来たら、十分と言えば十分だろう。


 現に、あの自分たちは悪臭を放ち、そのいびきはグゴゴゴルル!と大変にうるさいというのに……接近する外敵の臭いには鼻が利き、やたら滅多と音にも敏感だという『踊り狂う伸び顎/バンダースナッチ』にも、オレの気配は悟られていない。


 十分なステルス性能さ。リエルもミアも、より高みを極めたいという達人の自己満足の世界ではあるさ。しかし、ミアにその動きを見せたことで、リエル・ハーヴェルはミアに追いかけられることになる。


 一挙手一投足を模倣しようとするぜ。その動きに込められた意味の一つ一つを、ミアは今夜、考えながら眠り、おそらく、リエル・ハーヴェルの夢だって見るさ。


 ミアは、『バンダースナッチ』に対してよりも……リエルのことに注意していた。ミアにならば、自分たち森のエルフの奥義を継承してもいいと判断したのだろう。ミアは、これでまた未熟を識り、より高みを目指すことになる。


 真なる意味での『暗殺妖精』に、ミアは至るための課題を与えられたのさ。森における最強の狩人、リエル・ハーヴェルの奥義を帯びた動きを目撃することで。


 ……弓姫と妖精候補の無音と、それを邪魔しないように必死な竜騎士サンは、いびきの爆音と、腐った息の立ち込める、ヤツらの巣に接近していく……問題ゼロの水準を保ちつつ、我々は、15匹の異形の獣たちが、腹を空に向けて眠る森の空き地に辿り着く。


 『踊り狂う伸び顎/バンダースナッチ』と遭遇するのは、久しぶりだが、相も変わらず臭くてうるさくて、不気味な形をしている。首から下は、狼そのものだろう。四つ足に、剛毛の毛皮……夏毛に生え替わろうとしてまだらに抜けていて、より不細工だったが。


 ……大イノシシを喰らい尽くすことで、でっぷりと膨らんだ獣の腹を空に向けて、ヤツらは折り重なるようにして眠っている……。


 色々と醜いヤツらだが、やはり特徴的なのは首から上だろう。『口が裂けたヤツメウナギ』と形容されるほど、醜い頭部がそこにあったよ。


 瓜のように、楕円形の長い頭であるが―――その先端が、寝息により、ブルブルと震えている。六つほどに、その頭部の先端は斬り裂かれたように分かれており、それらの一つ一つに対して、内側には無数の牙が、何重にも列を成して生えているのだ。


 あの独特な顎は、伸縮性があり、戦いの時は50センチ以上は伸びて来やがるんだ。それに噛みつかれたら?……おろし金で、自分の肌をリンゴみたいにすり下ろされることがイメージ出来たら、見当ってもんがつくだろう。


 それに加えるように、ヤツらの『炎』の呪毒を帯びた唾液が、肉を焼いてくる。酷いモノだな。


 ……アレが、大イノシシの骨から全ての肉を削ぎ取った口だということさ。あの歪で暴力的な形状に、噛みつかれても、骨は折られないが―――その代わりに皮膚が焼かれ、ヒドければそのままズルリと持っていかれちまうのさ。


 ガルフがイヤがるのも、分かる相手だろ?


 さて、今、我々の目の前で、いびきを合唱させているのは、15匹の群れだった。昔、ガルフと遭遇した時よりは少ないな。あのときは20匹はいて、なかなか困ったよ。狼よりも速く動き、狼よりはややタフだ。そして、あの口と呪毒。


 本当に不気味で、厄介な敵だってことさ。年寄りには難敵だな。ガルフもケツを一噛みされて、あやうく二度とイスに座れないことになるかと、割りと真剣に心配するハメになっちまったのさ。


 用心深いガルフが、ケツに魔獣の革のシートを差し込んでいたから、実際のダメージは割りと軽かったんだがな。そうだ。コイツらは、背後から襲いかかろうとしてくる。狼並みには知能もあるってわけさ。


 だから。


 数を減らすべきだ。


 そして、狼のように連携をして来る、この邪悪なモンスターを混乱させるための最大の方法は一つ、『統率者/リーダー』を狙うことだ。一番、大きい個体のはずだ。そいつが、リーダーである、この群れの『母親』さ。


 いたぞ。


 醜く群れなす太い腹どもの、中央だ。二匹の『踊り狂う伸び顎/バンダースナッチ』が、彼女のとなりでいびきをかいている。護衛だろうか……?それとも、年若い甘えんぼうの個体だろうか。


 どちらにしても、関係ない。


 処分することになるだけだからな。コイツらに、夜襲される趣味はない。モンスターの群れとヒトは、共存できないのさ。お互いに、殺し合う結末にしかならない―――竜は別だよ?


 さてと。


 ……リエルもミアも、それぞれの射撃体勢を完了させている。オレも、弓を持って来ていたら、参加出来たのにな……でも、いいさ。たった15匹。ミア・マルー・ストラウスの、いい経験値稼ぎだ。


 未知のモンスターを殺すことで、命の壊し方をまた一つ指と頭が覚えるのさ。死と殺しの種類を多く識ることが、暗殺者としての技巧を深める。殺すことでしか、手に入れられぬ強さはある。訓練ではなく、真なる戦いの場でしか、命の消し方の重みを理解できん。


 お互いの命を、危険に晒す。


 この状況だからこそ、真なる学びとなるのさ。その力は、ミア自身を守り、ミアが守りたいあらゆる者を守るための力となる。我が妹ミア・マルー・ストラウスよ。役立たずの、あにさまはな……お前にだけは、死んで欲しくない。


 リエルが、このタイミングで森のエルフの奥義を教えてくれるのも、オレがさみしそうな顔で笑い、セシルのことを想いながら、ミアを抱きしめて笑ったからかもしれない。


 強くなってくれ、ミア・マルー・ストラウス。


 お兄ちゃんが守ることの出来ない瞬間であったとしても、お前の幸福と、お前の命を奪おうとする、あらゆる敵を殺して―――お前が、返り血のなか、栄光と共に……お前自身の『未来』を勝ち取れるようになってくれ。


 『踊り狂う伸び顎/バンダースナッチ』よ、その命を、我が妹、ミア・マルー・ストラウスのために……寄越せッ!!


 オレの戦意に反射したのか。


 リエルとミアは同時に、射撃を開始した。


 リエルの矢が狙ったのは、『リーダー』の胸だった。弓の弦が鳴り、神速の矢は薄暗い森の空を射抜いて走り、稲妻のような威力をもって『踊り狂う伸び顎/バンダースナッチ』の胸元を深く貫いていた。


『ぎゅうううううううう……ッ!!?』


 その醜い太い体を揺らしながら、心臓を射抜かれた『バンダースナッチ・リーダー』は醜い頭部を、ひっくり返らせる。ああ、バナナの皮を剥いた時みたいな光景だ。あのときほどのワクワクは、オレの心に去来したりはしないがね。


 壊れた心臓と、射抜かれた肺腑から、爆発的な出血が起こり、ヤツはその不気味に反り返った口から、爆発するような勢いで血を吐いていたよ。そして、痙攣しながら、死を迎える。


 ミアの弾丸は、手前にいた『バンダースナッチ』の頭を打ち壊していた。脊髄と、あの異形の口を構成するための歪な頭骨の、つけ根辺りから、脳目掛けての破壊の弾丸を撃ち込んでいた。


 剛毛と、分厚い筋肉を裂いて、弾丸は『バンダースナッチ』の頭骨を射抜き、その内部にあるであろう、脳まで破壊していた。十分な威力がある。


 ミアは、『バンダースナッチ』の肉体が、どれぐらい強度があるかを確かめるために、最大威力を出せる角度と部位と距離を使い、壊し方を試してもいる。どれぐらい有効なのか、よく分かっただろう。


 毛皮と肉と骨を穿ったときの音を猫耳で聞き、消えゆく『バンダースナッチ』の動きを観察し、ミアは、新たな命の壊し方を認識する。


 『バンダースナッチ』たちが、動き始めた。リーダーを失ったことを嘆き、怒り、そして目覚めた以上、彼らは走り回しながら捕食する本能がある。彼らには、母親の仇さえも、ただの食料でしかないのだ。


 リーダーを失った以上、統率もされずに、本能に従うのみさ。



 

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