第二話 『アプリズの継承者』 その20


 石の階段を昇ると、白い石で組まれた鐘楼が見えた。武骨なドワーフ文化とは異なり、その先端は洒落て尖っている。


 100年か200年ぐらいの建造物といったところだろう。『モルドーア』のモノではない。ここに移住してきた者たちが建てた、女神イースの鐘撞きの塔だよ。


 夕暮れが迫っているからだろう。黒くてゆったりとした僧侶のローブをまとった、禿げ頭の中年がその鐘楼に昇っている。


 尖り屋根の下には、そこそこ大きな鐘を見ることが出来た。さっきの骸骨よりは二回りほど大きい。その鐘は、二つ並んでいるな……真鍮のそれらには赤さびが薄らとついていて、街と同じく夕焼け色だ。オレ好みの古さを醸し出しているな。


 城塞都市の真ん中にある、このイース教会。


 その敷地にある、そこそこ古い鐘楼に登った僧侶は、やや汗ばんだ顔のまま鐘を揺らすためにロープを引いていた。


 澄んだ鐘の歌が、夕焼けに燃える『ヒューバード』の空に響き渡っていく。カラーン!カラーン!と双子の鐘たちは、競り合うように揺れて、大きな歌を放つのだ。


 ……死霊だらけの地下迷宮を走り抜けたせいなのか、こういう綺麗な音色を耳の穴に入れると心が洗われるようだな。


 ちょっと罪悪感も湧いてくる。


 他の皆は、まだ地下の中。ギンドウ以外は、『英雄繰り/シャウト・オブ・モルドーア』の余波を浴びて蠢く、ドワーフ族のアンデッドたちを破壊したりしながら、地下水道のダンジョンを走り回っている。


 視線を鐘楼から外して、街を囲む高さ7メートルの城塞を睨む……南側の城塞。オットーの狙いは分かる。一見して、最も頑丈な部分だよ。その場所の地下を調べるはずさ、デカいほど、古くて壊れやすくなっている。


 地下水道のせいで、湿気が多く、流れる水に削られて地下は弱くなっている。黒カビが生えるダンジョンの寿命は短い、そんなウワサを酒場で聞いたことは多い。


 土や岩の成分による結果なのだろうが、とにかく冒険者や盗掘人の答えとしては、あの黒カビが生えやすいダンジョンってのは、風化も早いってことらしい。つまり、この地下の岩盤は、意外と脆いのさ。


 地盤が脆いからこそ、『モルドーア・ドワーフ』たちは地下を掘り返して要塞化に利用してもいる。そして、その弱い地盤に多くの細工を施した以上、地下に強固な『基盤』を用意したというわけだ。


 城塞の地下には、岩だかレンガを積んで作った、『巨大な柱/基盤』がある。それに、城塞は『乗っている』のさ。つまり、ギンドウ製の爆弾を使い、『基盤』を破壊すれば?……地下の空間ごと城塞を沈めることが出来るわけだ。


 南の分厚い城塞……あそこの城塞の地下を崩落させるコトが出来れば、一番強い城塞に大穴を開けることになる。


 分厚い城塞が消えてなくなることなど、敵サンは想定もしていない。城塞が破られた!その報告を聞いた時、よほどの馬鹿でない限り、あの分厚い南の城塞に救援へ駆けつけたりはしない。弱い部分は、幾つもあるからな。


 戦場を大きく混乱させることが出来そうだ。誤った状況認識が、戦力を有効に配分する知恵を奪ってしまう。


 理想的には、夜だな……。


 『虎』の対人戦闘能力を、最大限に発揮出来るその時刻に、城塞を破壊し……その穴から雪崩込む―――ガンダラならば、そう考えるハズ。正確には、きっと、それ以上の策も作っているだろう。


 オレの考えなど、どうせガンダラには筒抜けなのだから、オレは最善を尽くせばそれでいい。ガンダラなら、後から上手に取り繕ってくれるのさ。


「……お祈りですか?」


 教会の敷地に突っ立っているオレに、鐘楼から降りて来て中年の僧侶が話しかけてくれた。オレは首を横に振るのさ。僧侶にウソをつく気分でもなかった。


「……いいや。ちょっと立ち寄っただけさ」


「そうですか。傭兵の方ですかな?」


「そうだが?」


「私の故郷を『蛮族連合』の脅威から守って下さる、貴方に、女神イースの祝福を」


 僧侶は善良そうな丸顔で、ニコニコしながら女神イースの名の下に、オレに祝福を与えてくれる……何だか、居心地が悪い。


 別に会ったこともない女神イースのことが、嫌いなワケじゃない。我が友ルクレツィア・クライスと、同じ顔しているかもしれないしな。美人は大好きさ。


 でも。


 オレは、この丸顔の善人の故郷のために、鋼を振り回す側の存在じゃない。彼が忌避している『蛮族連合』の雇われスパイみたいな存在だ、彼に祈ってもらう価値はない。


「……すまない。オレの神さまは、イースじゃないんだ」


「ああ、そうでしたか。それは、すみません……他宗教の祝福を得ることは、教義や戒律に抵触しますかな?」


「ちょっとね。オレには、イースの祈りはいらない。僧侶よ、アンタの祈りは、この街の住民のためにしてやれ」


「……はい。そういたしましょう、戦士殿」


「そういえば……住民は、避難しているのか?」


「……避難した者たちも、少なからずいます。商人の家系は、遠方に親類も多い」


「ここは商業が盛んな交易の土地だからな」


「ええ。逃げられる方たちは、逃げました」


「アンタは逃げないのか?」


「多くの住民が残っていますので。イースの慈悲が必要となる方々は多い」


「悩ましい時代だからな。乱世だ、多くの苦しみがある」


「はい。貴方も、お若いのに……苦労が見える貌をしておられる」


「老け顔かな?」


「いいえ。そうではありません。住民のことまで心配してくれる傭兵は、稀なものですから……他者を気にかけられる方は、多くの苦労を知るヒトであることが多いものです」


「……傭兵の品位を下げる輩も多くいる。だが、真の傭兵は、騎士道に勝る道さえも持つ。真の戦士は、荒ぶる破壊者だが……必要以上の残虐さを好まない」


「貴方は、真の戦士であられるご様子ですな」


「……職業倫理を全うしたいだけだ。ヒトを斬る仕事だからな。タガが外れてしまえば、どこまでだって堕ちていく」


「……頼もしくもあり、恐ろしくもある職業です」


「ああ、アンタたちと同じだよ」


「私たちは、恐ろしいですかな?」


「……ある戦場で出会った、『カール・メアー』の異端審問官は、べっぴんさんだし、やさしいけど……とても怖い女性だった」


「……『カール・メアー』派は、我々、イースの中でも、確かに……戦士の様相が大きいですね」


「……すまない。鋼を振るうことの無さそうな坊さまに、変なことを言ってしまった。アンタは……恐ろしくなさそうだ」


「ははは。迫力のない顔をしておりますからねえ」


 大きな鼻を揺らしながら、中年の僧侶はやさしげに笑った。


 これから数日後には殺し合う側にも、こんな人物たちはいる。ハント大佐には、『侵略者』としての職業倫理を王国軍に全うさせて欲しくもあるが……どんな状況だって起こりえる。


 ……これも何かの縁だろう。


 このヒトの良さそうな僧侶殿に、質問してみるか。


「……この街の亜人種たちは、どうしているんだ?」


「……半分は、追放されましたよ。半分は、拘束されています」


「そのことを、どう思う?」


「……街の仲間でした。イース教徒もいます……しかし、今は、『人間族と亜人種の戦』をしているのです……共存することは、難しいでしょう。とても、残念なことです」


 ……『人間族と亜人種の戦』か。


 『自由同盟』は、人間族との共存だって願ってはいる。だが、帝国人の一般的な考えとしては、そんなものなのかもしれないな。


 まあ、亜人種側にも、人間族を憎み、排他的な感情を抱く者も大勢いるのは確かだ。人種の溝とは、大きいものだな。関わってしまえば、同じようなモンだと気づけるが……それでも、ヒトは、自分たち以外を、憎んでいる……。


 ……ガルーナの魔王の道は、とても難しい道ではあるな。ベリウス陛下、そして、クラリス陛下……あの二人の偉大さを思い知らされる。人種の共存を、実現していたのだからな。


 オレは、彼らの『正義』が好きで……彼らの『正義』が宿った風が吹く土地が好きだ。いつか、その風が大陸の全てに吹く日は来るのだろうかな……。


「……まあ、同じ種族同士でも殺し合うのが、ヒトだ。種族がどうだとかは、実際のところ、戦の根源的な原因ではないのであろうよ」


「……人種の対立は、建前に、過ぎぬと?」


「それを利用して、権力や富を得たい者が大勢いる方が問題なのさ」


「なるほど。そうかも、しれません……ですが、世の中は、もはや人種の対立という構図に至っているように、拙僧には感じてしまうのです」


「……そうだな。悲しいことだが、その側面を否定することは難しいのかもしれない。だがな、坊さん。違うんだよ。戦ってのは、為政者の野心のみで形作られる……政治力か富を求めているだけだ。それ以外の理由では、戦は絶対に起きん」


「……興味深い言葉を聞くことが出来たように思えます。拙僧には、分からぬ世界も多々有り、貴方の歩む世界も、そうなのでしょう」


「……ああ。そうかもしれないな。オレは、悪党だからね。善良な僧侶とは、ハナシが合わなくて当然さ」


「……貴方の言葉は、秩序に反してはいるように思いますが。それでも、間違いではないように思えますね」


「実体験に裏打ちされているからな……『蛮族連合』とファリス帝国の戦は、人種の違いを政治に利用した、ユアンダートの野心が生んだ構造だ。広大すぎる帝国領を、政治力で掌握するには……敵が必要だった。亜人種を敵にし、数の多い人間族を味方につけたのさ」


「……なるほど。貴方は、どこか不思議な傭兵です」


「『敵』の肩を持ちすぎかな?」


「……いいえ。貴方には、秩序や戒律とは異なる力学で作られた世界が見えておられるのでしょう。ヒトは『信じたくなる嘘』に飛びつくものですが……貴方は、痛ましくても、真実を見抜こうとしているようです」


「…………」


「……お気に障りましたかな?」


「……いや。そうじゃない。アンタ……坊さんのくせに、そんな言葉を吐いちゃダメなんじゃないか?……まるで、アンタの道が、『信じたくなる嘘』とやらが混じっている道だと口にしているようじゃないか?」


「はははは。そうですねえ。いけないことです。もちろん、イースの道は、正しい。嘘も偽りもありません。ですが……それを扱うヒトまでもが、正しくあることは、難しいように思えていましてね」


「……そうかい。なあ、もう一つ訊いてもいいか?」


「なんでございますかな?」


「……拘束された、亜人種の連中ってのは、どこにいるんだい?」


「興味があられますか?」


「傭兵稼業はお仕事の幅が広くてな。ときどき、『ヒト探し』とか、『人材捜し』もするんだよ。ユアンダートのせいで、奴隷不足の世の中だ……城塞を徹夜で作るような作業を任されている業者も多くてね……アンタには、これだけ言えば、オレの目的が分かるだろ」


「……少しは、分かったかもしれません。『労働力』をお探しならば、街の北側に向かうとよろしいかと」


「……恩に着るよ。おかげで、仕事がはかどりそうだ―――ああ、オレの名前は、『ポール・ライアン』っていうんだ。坊さんの名前は?」


「拙僧は、『ブルーノ・イスラードラ』。この『エルイシャルト寺院』の『司祭』をやっております。以後、お見知りおきを」



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