第二話 『アプリズの継承者』 その21


 ……コイツ。『ブルーノ・イスラードラ』は、自分のことを『司祭』と名乗ったな。


 『ヒューバード』の駐留している帝国軍の幹部と、仲良しの司祭ってのは、コイツのことかよ。


 ニコニコとした丸顔で、大きな鼻の中年僧侶。何よりも、その黒いローブは力仕事の土とホコリに汚れている……。


「……いや。『司祭』ってのは、この教会の責任者だろう?……つまり、偉いヤツだ」


「偉くはありません。ヒトは、女神イースの慈悲とご加護の前には、皆が平等の立場なのですから」


「……いや、そういうんじゃなくてよ」


 言いにくいから口ごもる。


 視線で気づいて欲しい。


 泥だらけで、ホコリまみれのローブを着込んだ『司祭』?……ちょっと、違和感が強いってものだ。


 偉いヒトは、そんな格好をしないものなんだぜ。常識ってヤツの中ではな。


 ブルーノ・イスラードラは、オレが彼の汚れたローブを見つめていることに、ようやく気がついてくれたようだ。


 自分のローブの汚れを、手でパタパタと払いながら、何度かその愛嬌のある禿げ頭をうなずかせていたよ。


「ああ……この格好は、いわゆる作業着なんです」


「……それが正装という司祭サマなど、この大陸のどこにもおらんだろうな」


「ええ。実は……戦で、孤児院の子供たちも疎開させました。その時に、僧侶たちも子供たちと共に、各地の街に向かわせましてねえ……貴方の言葉の通りじゃありませんが……人手不足なのですよ」


「……そうか。そう言えば、この教会……いや、『エルイシャルト寺院』にも、あまり人気が無いようだな」


「ええ。貴方もご存じでしょうが。城塞を補修して下さっている方々の中には、負傷者も多く出ていますから。なので、薬草や医学の知識がある僧侶たちは、そこにも出張っていまして……」


「なるほどな。だから、『司祭』殿まで鐘楼に登っているのか」


「本当は、若い衆のすることなんですけどね。まあ、でも、私だって、若い頃は鐘を鳴らす当番をこなしていたのですから」


「……偉いヒトなのに、大変だな」


「偉くはありませんよ」


「……わかった、わかった。女神イースの慈悲の前では、皆が平等なわけだ」


「はい。我々の教義を、少しでも理解していただけたこと、とても嬉しく思います。では……そろそろ、夕刻の祈りの時間となります。信者たちの前では、さすがに泥だらけだと不安がらせてしまう」


「……だろうな。司祭の格好に着替えて、イースの信徒たちを安心させてやれ」


「ええ。真実を見抜く目を持った、若き戦士に逢えた。そのことを話せば、皆、この戦に希望を持ってくれるのではないでしょうか?」


「オレのことなんて話すより、聖なる物語の一つでも、語って聴かせてやれ。ハイランド王国軍は、多いし、強いぞ」


「でも。貴方もいることですしね」


「……戦士が一人いても、数万の軍を留めることは出来ない。オレの国も、たった一騎の特攻では……運命を変えられやしなかった」


「滅びるのでしょうか、この『ヒューバード』も」


「……皆が、それぞれの『正義』のために……それぞれの利益のために……欲しいもののために必死に戦い、足掻くだけだ。負け戦になれば、傭兵のほとんどは逃げる」


「そうですか。それも仕方がありません。ここは、旅人たちからすれば、故郷ではないのですから……」


「……避難させられる者がいるのなら、避難するといい。アンタ自身のことも言っているんだぜ。アンタは『司祭』さまだ。ここから逃げ出すための方便も、用意出来るんじゃないか?」


「……そうでしょうけれど。この街には、多くの同胞がいますからね。私だけ逃げるわけにはいきません。親しい友人たちも、多くここに残りますから」


「……ならば、戦になれば、教会にヒトを集めておくことだ。武装はするなよ。生兵法では何にもならん」


「……わかりました。女神イースの慈悲に、委ねましょう」


「……ではな。ブルーノ・イスラードラ」


「ええ。さようなら、『ポール・ライアン』さま。どうか、ご武運を」


 ……敵の街の司祭殿から、武運を祈られるべき立場ではないのだがな。


 それに、ポールは偽名だ。


 居心地の良くなる祈りではないが……オレは、踵を返す。街の来たに向かおうと考えている。何たる偶然なのか、人手不足のおかげで『司祭』に出会ってしまった。


 ……ブルーノ・イスラードラを誘拐したところで、何が得られるのか分からない。ニコニコと笑う丸顔の中年男に、拷問を仕掛ける気も起きないしな。


 それに…………。


 ……いや、そんなことよりも、情報収集に出かけよう。亜人種たちが閉じ込められている場所が分かるのならば、戦が始まった時に、ゼファーで救援に向かうべきだろう。彼らを孤立させていては……帝国人に虐殺される可能性も少なくない。


 『虎』が、『城塞都市アルトーレ』を内部から破壊した。あのウワサは広まっているだろう。ハイランド王国軍の強さをアピールするために、ルード・スパイたちも各地の酒場でウワサを流しているのだから……。


 それは良いが、『敵』が街の中にいることに対して、大きな恐怖を抱かせてしまう。


 『虎』ではないが……帝国人からすれば、亜人種は皆、『敵』だろう。同じ国民であったとしても、同じ街の市民であったとしても……ユアンダートの政策は、彼らの絆を断ち切っている。


 ……孤立化させるべきではない。どうにか安全を確保することが出来たなら……最終的には、オレたち『自由同盟』の仲間になってくれる可能性はある。


 そもそもだが、民間人の虐殺など、騎士道にも、猟兵としての職業倫理にも反する。たとえ、それが民間人による民間人の虐殺だったとしても、見過ごせるものか。


 竜と共に在る戦士として、ガルーナの魔王を継ぐ男として、彼らを死なせるわけにはいかない。市民相手だったとしても、ゼファーの火球を叩き込むことに、オレは躊躇するつもりはないのだ。


 やはり。


 女神イースよ。


 お前の慈悲由来の祝福とやらを、ブルーノ・イスラードラから与えてもらう権利はオレにはないようだ。


 オレは……そこらにいる、鋼で頭の一つもかち割ったこともない市民に対して、竜の劫火を放つことさえも考えているような、大悪人なのだからな……。


 それでも。


 悪でなければ、この街の亜人種たちの命を救えないのならば……やはり、オレに躊躇する気は全く起きないんだ。


 街を歩く。


 帝国人だらけの街並みを。


 活気はある。不安げな顔をしている者も少なくはないが……傭兵や帝国軍の兵士が大勢、この『ヒューバード』にやって来ているのだ。


 商人たちには、無職者ではなく、しっかりとした職と仕事と給金を持った良客が、ウジャウジャ集まって来ていることと同義語だ。


「いらっしゃい!!」


「安くしておきますよ!!」


「戦の前に、護符や、薬草、秘薬はどうだい!?」


「いい盾が入荷していますよ!!」


 ……戦が、特別な需要を生んでいる。この街の商人たちは、今、大いに儲けられているのさ……。


 街の中心部を歩いていると、その血なまぐさい戦の特需を受けて、笑顔で商売する者たちが大勢いたよ。


 活気はあるさ。


 本当に、この街には、今、街中にピエロまでいるんだよ。


 でも。


 ここにはね、人間族しかいない。


 それは、オレにはとても異常な光景に映ってしまうのだよ。しかし、帝国人どもからすれば……いや、ユアンダートの政治が創作した『正義』によると―――これこそが美しい世界なのかもしれないな。


 人間族だけの世界……。


 どうにも、オレには下らなく見えるがね。


 …………こんなに心の中は、真っ暗闇なんだが。はるかな上空に、ゼファーがいてくれるおかげでね。


 オレは、作り笑顔のまま、街の中を歩けているんだ……ゼファーが、魔力を使い、オレの心に語りかけてくる。


 ―――『どーじぇ』、げんきー?


 ああ。元気だよ、ゼファー。ちょっと考え事しているけれどね。


 ―――なにか、してほしいこととか、あるー?


 ……お前の声が聞こえるだけで、十分に癒やされているのだが……。


 ―――じゃあね、ぼく、うたおうか?


 ククク!……止めておけ。城塞の上には、高く飛ぶ長弓を持った者たちが、お前を見張っているんだ。


 ―――うん。じゃあ、やめとく!ほかには、おてつだいすること、ない?


 ……ジャンを見つけて、ジェド・ランドールの走った道は健在だと伝えてくれるか?ジャンから、ガンダラに連絡してもらう。城塞の爆破については、調査中だと伝えてくれ。


 ―――わかったー!じゃんを、さがすね!!


 オレの心にそう告げて、夕焼け空に隠れて飛んでいたゼファーは、南に向かって飛び去っていく。仕事を与えられて、よろこんでいる。『耐久卵の仔/グレート・ドラゴン』の血だというのに、やさしいいい仔に育っているな。


 やっぱりね、どうしたって口元がにやけてしまうよ。


 オレは、とても幸運な『ドージェ/父親』であるってことを、再確認することが出来たのだからね。



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