第一話 『失われた王城に、亡霊は踊る』 その2


 オーブンが最高のエビの焼け具合を放つ頃、屋根の上にいたキュレネイ・ザトーが座禅と瞑想を解除していた。彼女は音も立てずに、屋根を走り、そのままレストランの中庭に飛び込むと、井戸で手洗いとうがいをすませ、レストランの中へと走り込んできた。


 魔眼の力を、無駄遣いしているのは分かっているが……何だか、気になっていたからな。


「『グルメ防衛班』所属、キュレネイ・ザトー、帰還したであります」


「……どういう意味っすか、キュレネイちゃん?」


 無表情で不思議な言葉を語ったキュレネイに、カミラはマジメに問いかけていた。キュレネイは、静かにうなずいていた。


「『グルメ防衛班』とは、我々のステキな晩餐に対して、いかなる攻撃も許さない。そんな態度を貫き、皆を守るための戦士であります」


「……えーっと。分かんないっすよ……?」


 カミラがポニーテールにした金髪を、ぶんぶんと揺さぶっていた。


「ミアは分かる。守りたい、皆のゴハン!!」


「そうでありますな、来るであります、ミア」


「うん!!グルメ防衛班、合体!!」


 ミアはキュレネイの背中に跳び乗り、肩車モードで合体していた。


「この高さを利用して、グルメの敵を見つけて叩く!!それが、この合体フォームの意義なんだよ、カミラちゃん!!」


「……そ、そうっすか……?」


 不安げな表情にカミラは陥る。マジメで素朴な彼女は、自分が間違っているのかもしれないと考え始めている。グルメ防衛班など、架空の組織についても、カミラは考えてしまう純粋さがあるのだ。


 そこを、オレは守りたくもある。


「あ。ジャン発見!!」


「何だか、書類を読んでいるでありますな」


 ジャン・レッドウッドも、『ドッグ・オブ・グラール』から帰還していた。今、彼は店主から頂いた闘犬の調教マニュアルを読み漁っているのだ。闘犬の技巧と、戦術を学ぶことで、強くなろうとしている……。


「……ミア。タイトルがマズい本であります。目を、セルフでカバーするであります」


「え?……エロ本?」


 ミアが目を自分の小さな手で覆いながら、ジャンに対してそう呟いていた。ミアも、13才。エロ本といういかがわしいアイテムが、この世にあるということを知ってしまったのか。


 お兄ちゃん、ちょっと心臓がドクン!!と言った。これが、動悸ってヤツだな。ちょっと衝撃を受けているんだよ。ミアには、あんな邪欲のカタマリでしかない本など、存在さえも知らずにいて欲しかった。


「ち、違うよ!?これ、ちょ、『調教』についての本で……え、エッチな本とかじゃないから!?」


 ……『調教のススメ』。いや、うん……間違いじゃないが、色々と言葉足らずのタイトルというかな。


「こ、これは、『マドーリガ』の地下酒場の店主から頂いた、ぼ、ボクのバイブルなんだよ!!」


 ……おかしいな。真実しか語っていないというのに……どうしてだか、疑惑が深まっていくな。地下酒場の店主からもらった、『調教のススメ』というタイトルの本か。うむ、なんだかエロ本みたいな気がする。あるいは、それよりもハードな本かもしれない。


 ちょっとした犯罪のにおいさえ、漂っているような気がするのは、オレの勘違いなのだろうか?


「……おい、ジャン・レッドウッドよ。食卓に、そんな下劣な本を、持ち込むんじゃない」


 下劣って?


 なかなか、普段、耳にする類いのレベルの悪口じゃなかった。シアンは、『パンジャール猟兵団』の風紀を守ろうとする。オレがヨメたちと四人で愛を伝え合うことさえ、どこかいかがわしい行為みたいに感じている、聖なる倫理観の持ち主だからな。


 『調教のススメ』はいけない。タイトルだけでも、インクで塗りつぶした方がいいかもしれないな……。


「ご、誤解です!!シアンさん……っ!!よ、読んでもらえれば、この本の素晴らしさが伝わるはずで…………っ」


 『虎姫』が、金色の双眸で睨みつけていた。ジャンが、ガクガクブルブルと震える。歯が衝突し合う、ガチガチという音が、オレの耳に響いていた。


「……その本を、しまうのだ……さすれば、今夜は不問に処す」


「……は、はいッ!!」


 認めてしまうと、ますます何て本を読んでいたんだろう?……って空気になりそうだな。そんなジャンの隣りで、食卓イスに座るギンドウ・アーヴィングが、爆笑していた。


 性格の悪い、あのハーフ・エルフは、ジャンが誤解による不幸に見舞われることも好きなのだ。どうでもいいが……酒場の子には、振られたらしい。詳細は、また後日、酒が入ったときに語ってもらいたいな。


 ガチで、大人のトークになりそうだもん。どうせ、彼女に主導権を奪われてしまったとか、そんな男として情けないハナシとかだろうが……男って、そんなハナシをするとき、ハナシを盛るもんね。


 とんでもないドスケベな子だったとか、そんなことを言うに決まっているんだ。そんな話題は、ミアがお手伝いしてくれたエビグラタンを食べる、聖なる食卓に相応しくなどないのだ。


 カランコロンカラン!


 レストランの入り口につけられた、可愛らしい小型の鐘が歌っていたよ。入店した者の存在を告げる音だった。猟兵たちは、気配で分かっている。


「ただいま、戻りました!!ククル・ストレガ、ガンダラさんと、オットーさんを、連れて参りました!!」


 我が妹分、ククル・ストレガは任務を果たしたのさ。市庁舎に出向いて、ガンダラとオットーを連れて来るという。


 二人とも、しばらくテッサに貸しっぱなしだった。文官としての能力も高いからね、二人は、この『ヴァルガロフ自警団』というマフィアだらけの組織と、『自由同盟』の諸外国をつなぐパイプ役であり、交渉役であった。


「うむ。三人とも、食卓に着くといい!!そろそろ、ゴハンの準備が完了するぞ!!」


「そうですか。お手伝いすることも出来ず、すみませんね」


 ガンダラが無表情で語る。リエルは首を横に振った。


「いいや。ガンダラもオットーも、休暇をロクに過ごすことなく、多くの仕事をこなしてくれたからな。この宴は、お前たち二人のものだ」


「そうですか、ありがたいですね……オットー」


「……え?」


 オットー・ノーランは、テッサ・ランドールから渡された古い手記を読み耽っているようだ。ジェド・ランドールのものだろうか?三十数年前、オレたちが明日から潜るダンジョンに彼は……って。仕事はダメだ。


「オットーさん。その書類たちは、ホコリっぽいですから、どこか隅っこの方に置いて下さい。それに、書類に食事をつけては大変です。保存状態が、悪くなりますから」


 ロロカ先生は、本を大事にしないと怒る。


 眼鏡の下の瞳に、わずかながら怒りがあるのさ。オットーが怒られるか、珍しい瞬間だ。オットーは、趣味のことになると暴走する面もあるからね。


 考古学に、探険……そのための資料は、オットー・ノーランという探険家の魂に響いてしまうのさ。


「すみませんね、皆さん。食卓にホコリを舞わせては、たしかに大変です。片づけて来ます」


 それでも素直で誠実な行いを取れるのが、大人の紳士だなあって思う。オレだったら、夢中で読んでしまっている。団長だし、ロロカ先生の夫であることを利用してしまうかもしれない……。


 仕事中毒は、禁止である。その内、『パンジャール猟兵団』の『掟』にすべきかもしれないな。


 さてと。


 これで、『ヴァルガロフ』にいる『パンジャール猟兵団』は集合だ。ヴェリイや、テッサ、エルゼにアレキノやラナ……それに、キュレネイと仲直りさせたいニコロ。難民たちのリーダー……良き友人となった、ポールにトミーじいさんも招きたいが……。


 まあ、それは、また後日だな……ポールは重傷だし。他の皆も忙しそうだ。今夜は、『パンジャール猟兵団』だけで集まるってのも、いいものさ。


 ……オレは、オーブンのフタの裏から放たれる香りを嗅ぐ。エビグラタンが、最高の状態へと至ったことを、察知したのだ。


 ニヤリと笑う。


 自信があるからだ。


 オレはそのままオーブンを開けて、うなずくのさ。


 いいカンジに、焦げ目がついた、エビグラタンがある。最高傑作だよ。オーブンをやさしく叩いた。いい仕事をしてくれた、相棒に礼を告げるためさ。


 おかげで、最高のエビグラタンを食卓に届けられるのだからね。


 『グルメ防衛班』の二人も、察知していたよ。


「キュレネイ!!」


「グルメが、来たでありますな」


「うん!!エビの風が、来てるッッ!!!」


「はい。海からの偉大な贈り物が、ここに」


「……ああ。オレがそっちに持っていくからな。熱いから、ミアもキュレネイも暴れないように?」


「うん!暴走、禁止!!合体、解除!!」


「ラジャーであります」


 キュレネイの背から、ミアが飛び降りた。合体は解除されたのである。オレはドヤ顔を浮かべながら、仲間たちの顔を見合わしたよ。


「さて!!晩飯にようぜ!!」


 その言葉を、『家族』に捧げる幸せの尊さを、オレは全身に感じながら、エビグラタンを運ぶのさ―――世界で最も大切な『家族』がそろう、オレたちの食卓に……。


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