序章 『鋼に魅入られしモノ』 その24


 馬車を降りると、肉を焼く屋台から、食欲をそそる焦げたソースの香りが漂ってくる。よく晴れた日の空に、勇ましさを感じる城塞のような白いレンガ造りの建物は、よく映えていた。


 青と白のコントラストに、人々の活気。大道芸人たちの愉快なかけ声に混じり、闘技場から漂ってくる血と鋼が由来であろう、鉄のにおいを帯びた風。


 ストラウスの血が、戦いに反応するのが分かる。


 この場所は、娯楽ではあるが……ホンモノの殺し合いを提供してくれる場所だ。一対一で戦士が殺し合う場所。賞金と賭けの銀貨が飛び交う、欲にまみれた罪深い土地。オレがゼロニア人として生まれていたなら?


 ……間違いなく、ここを第二の故郷と呼んだのだろう。


 魅力的なソースと肉の脂が焦げるにおいにも、剣を呑み込む大道芸人の楽しさも、滑稽な鎧とアホみたいな黄色いマントを身につけた、人気のない若い剣闘士も。


 気にすることもないままに。


 猟兵の脚は闘技場へと向かうんだ。迷いは、さっき殺した。誰が相手になろうとも、オレは敵を排除することになるだけだ……。


 リエルと、片脚を引きずるニコロ・ラーミアが、オレの背中について来る。ニコロはステッキを持っている。少しでも早く歩くためでもあるし、仕込み杖だ。鋼が、杖のなかには潜んでいたし、袖の内側には投擲用の毒が塗られたナイフがあった。


 鋼で打ち合いをする戦士としては死んだが、暗殺者としての技巧は冴えている。彼は頭脳と暗殺が武器であり……今もって、その戦闘能力は十分だろう。戦いではなく、殺すことだけなら、彼は十分にやれる。


 エルフの弓姫も、すでに警戒している。常に警戒しているほど、集中力に隙が無いのが、マジメなリエルの強みでもあるな。翡翠の瞳と、エルフの長い耳が動き、この闘技場の周辺を素早く索敵していた。


 暗殺者や弓兵が隠れることの出来そうな場所には、一通り、リエルの鋭い視線が走ったはずだ。森のエルフの聴覚は、あふれるような生活の音の中からでも、敵の息づかいを悟らせる。


 その魔術的才能は、『風隠れ/インビジブル』の無音が放つ魔力さえも感じ取るのさ。


 オレも全身全霊と、魔眼を使うことで、この場所に異常が潜んでいないかを調べていく。


 異常は見つからない。


 少なくとも、闘技場の外に関しては、敵意もなければ伏兵もいないのだ。


 それが歓迎すべきことなのかは、オレにはよく分からない。どうせならば、敵にいて欲しいものだ。これが、敵の誘導である可能性も、ゼロじゃない。


 オレと、テッサ・ランドールを分断する作戦だとすれば?……テッサのいる市庁舎が襲撃されるかもしれない。


 そうなれば?


 ガンダラとオットーが仕留めるだろう。


 ……あるいは、あまりして欲しくはないが、『戦槌姫』テッサ・ランドールその人が、直々に悪党を成敗してしまうかもしれない。


 自分を守ることを、優先すべき立場だ。


 それでも、彼女は、きっと前に出たがる。戦士としての本能が強いし、テッサは『ヴァルガロフ』を守ろうという鋼よりも堅固な意志があるのだ。彼女には、王だけが戦場で逃げていいという事実を、理解して欲しいところだが―――難しいだろうな。


 闘技場に入る。


 武骨な城塞の入り口は、守衛がいたな。屈強な巨人族の男が二人。どちらも長剣を背中に2本ほど刺していた。アッカーマンに憧れて、二刀流を目指しているのだろうか。アッカーマンと、重心の動きが似ている。悪くない強さだ。


「……サー・ストラウス。お待ちしておりました」


「ああ。異変はないかな?」


「今のところ、ありません」


「……そうか」


「ですが……同胞が、一人、殺されていました」


「同胞?剣闘士か?」


「いえ。巨人族の者です……入れ墨を彫る男」


「……その人物が、殺されたのか?」


「はい。先ほど、『ゴルトン』の者が教えてくれました」


「人間族で、太刀の使い手ばかりが襲われているんじゃなかったのか?」


「……そのようなのですが、彼は、もう戦士ではなく、父も母も巨人族。ただの職人なのです」


「……そうか。君の、知人か?」


「近所に住んでいました。オレが試合に出るときは、よく応援に来てくれた……彼も、太刀で斬り殺されていたそうです。東方の流派の太刀により……」


 ……オレを模倣した剣でか。


「……彼を殺した分まで、罪過の重みを敵に知らせてやる」


「……頼みます。出来れば、オレの手で殺したいですが……腕前で、及ばないでしょう」


「ああ。死ぬことはない。ムダに傷つくな。オレに任せてくれ。武舞台とやらは、このまま進めばいいのか?」


「はい。戦で負傷者ばかりです。剣闘士の試合は、今日もわずかばかりでした。午前の部は終わり……今は、休憩時間。武舞台と観客席にいるのは、事情を知る職員と、ヒマな酒呑みだけ」


「剣闘士たちは?」


「地下の修練場にいます……ああ、それと」


「それと?」


「昨夜、貴方に『襲われた』、『ザットール』の若者たちも、地下の医務室にいます」


「事実誤認がある。襲われたのは、どちらかと言えばオレの方だぞ?」


「ええ。何となく察します。サー・ストラウスに襲われたなら、生きているはずがないでしょうから。連中は、貴方を殺して、名を上げたかった。貴方は、それを軽くあしらっただけです」


 巨人族のおだやかで黒い瞳は、真実を見ていてくれるようだ。そうだ。彼の言葉こそが真実だ。襲われたのはオレの方だし、オレもあえて殺さなかった。


「……それで、彼らの容態は?」


「矢を背に受けた者も、腰にナイフを指された者も、手術は済みました。命に別状はありません。腰のナイフも、急所を外してもらっていたようですし」


「ああ。本気で殺すつもりでもなかったからな」


「見舞いに行かれますか?」


「ケガ人を脅す趣味はない。それに……今は、敵に集中したいところだ」


「わかりました。では、どうかご武運を」


「ああ。ありがとう。君らも、ムチャはするな。敵の腕はいいぞ。怪しい客人が来るのなら、素通りさせてもいい」


「……はい」


「わかりました」


 そうだ。犬死にしなくていい。戦場で正義を掲げて敵と殺し合うのではない、この襲撃で死んでも名誉にはならん。邪悪な悪意の犠牲となっただけだ……それは、戦士として、あまりにも名誉の足らぬ死だった。


 オレは武舞台に向けて、歩き始める。ニコロが素早く、小さな声を聞かせてきた。


「……犯人の傾向が、変わっていますね。人間族で、太刀を使う者ばかりを狙って来ていたはずなのに……」


「別人なのか?」


「いや、違うよ、リエル。きっと、準備が終わったんだろ」


「準備?……ソルジェと戦うための、用意が終わったと?」


「人間族の剣士を斬るためのイメージは出来たのさ。あるいは、オレを殺すための技巧を見つけたか……」


「返り討ちにしろ、私の旦那さまよ」


「ククク!ああ、当然だよ」


 リエルの銀色の髪に、やさしく触れる。彼女の強気の瞳には迷いはない。オレが負けるなどと毛ほども考えちゃいないんだよ。強さを信じてくれる、その行いが……猟兵の男にとっては、何にも勝る名誉だ。


 見つめ合いながら、不敵に笑う。猟兵らしい、牙を見せる笑顔だよ―――。


「―――なぜ、入れ墨の彫り師を、襲ったのか……」


 心配性のニコロ・ラーミアは、最新の情報に対して考え込んでいる。


「ニコロよ、狂人の行いなど、考えるでない」


「リエルさま……」


「意味など、当人にしか分からぬことばかりだろう」


「……リエルの言う通りだ。狂気の人物の行動など、正常な者には読めん」


「……そうですね。今は、ただ行動が変わったことだけが、分かりました。殺された職人には気の毒ですが、ある意味では、『いい事実』でもある」


「人種間の対立を煽るための行為ではなかったようだな」


「ええ。人間族を孤立、あるいは、不安にさせる試みかとも考えていましたが……そうではないようです。市庁舎でも、その彫り師も……亜人種に対する殺人です」


「……見境がなくなっているとも、言えるのだぞ?」


「はい。その点は、とても悪い徴候ではあります……しかし、帝国人による政治的な揺さぶりを目的とした攻撃ではなかった。『アルステイム』の暗殺者としては、安心することの出来る情報です」


 『自由同盟』に組み込まれたことも影響しているのか、それとも新たな長の『クルコヴァ』の影響なのか……『アルステイム』は、スパイのような考えをするようになっているな。


 悪いコトじゃない。いつか、ヴェリイ・リオーネごと、『アルステイム』のスパイとしての仕組みを、引き抜いてマネしたいとも考えているからな。オレが再建するガルーナにも、影に潜める有能な猫耳が欲しくてね……。


 だが、今は任務をこなすとしようか。


「……武舞台に向かうとしよう」


「ええ。今は……問題を解決すべきですね」


「うむ。私たちも武舞台に上がるよりは、観客席だか、控え室だとかに潜んでいた方が良いかもしれんな――――――」


 リエル・ハーヴェルが立ち止まる。森のエルフの王族が持つ、あの長くて綺麗なエルフ耳が、ピクリと動いていた。


 何かに気がついたようだな。


 オレとニコロも集中する。何かを探ろうとする。感覚を針の先よりも細く集中するように心がけていたよ……オレは、鋼のぶつかる音と、濃い鉄のにおいを、この闘技場に感じる。


「―――下だぞ!!」


 エルフの弓姫はそう断言して、オレと共に、走り始めていた。血のにおいを嗅ぐのだ。戦場のような、血のにおい……。


 つまり、誰かが誰かを殺している。


 致死量の血が出ていなければ、これほどヒトの鼻に届くことはないだろう。汗や血や、錆びた鋼や、火花となって散った鉄の欠片ではない。


 魔力を帯びた、新しい血のにおい。


 そいつをオレとリエルは認識している。


「地下ですね!?誰か、ヒトを向かわせましょうか!?」


「シアンたちが、もう外まで来ている!!彼女たちに、伝えればいい!!君は、この場で待機していろ!!……ヤツは、ここでも、誰かをすでに殺しているぞ!!」


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