序章 『鋼に魅入られしモノ』 その25


 初めての場所ではあるが、迷うことはない。ヒトが住む場所というのは、基本的に分かりやすい構造となっている。城や砦のように軍事的な拠点であるならば別だが、およその建築物というのは素直な作りをしているものだ。


 そして、猟兵の鼻は戦場のにおいに慣れている。


 オレもリエルも、この円形闘技場の通路を右側に走っていく。その先から、血のにおいが漂うからだよ。


 この闘技場の観客用のスペースは、やがて終わりを告げた。曲がりを帯びた広い通路の奥には石組みの壁があり、その白い壁には、地下へと続く階段の入り口があった。壁には看板が打ちつけられていた、『剣闘士以外の立ち入りを許可しない』。


「あそこだぞ!」


「そうみたいだな。リエル、オレが先に行く」


「うむ!さすがは、竜騎士!お前の愛するお姫さまを守るのだぞ!」


 オレが前衛、リエルが後衛。当然だ、剣士と弓使い。それに彼女の夫だしな。縦列に並んで、地下への階段を踏んでいく。


 古いがしっかりとした造りをしている。ドワーフの仕事だな。石段の一つ一つは、かなり広い。つまり、数段飛ばしでも、駆け下りることが出来る。


 担架で負傷者を担ぎ下りるための構造かもしれないな、地下には剣闘士たちの鍛錬所と、あの『ザットール』のエルフたちが『入院』している、病院がある。医務室という規模ではなさそうだ……『風』を放ち、地下の空間を識る。かなり広いぜ。


 幅広の石段を駆け下りて、オレとリエルは闘技場の地下施設へとたどり着く。壁には、アルコールが燃料のランプが埋め込まれていて、地下だというのに明るいものさ。カビ臭く、汗臭く、血のにおいと、鉄さびのにおいが混じる。


 まさに、剣闘士のための空間だよ。


 地上の廊下も広いものだったが、この地下施設も広い。部屋が多いな。剣闘士たちの控え室でもあり、壊れた鋼を打ち直すための鍛冶屋もあれば、かつての闘技場の英雄たちの名前が、壁にはめ込まれた純金のプレートに刻みつけられている。


 テッサ・ランドール、アッカーマン……剣闘士たちの名前の羅列があり、古い年号と共に、ジェド・ランドールの名前も刻みつけられている。『聖なる戦槌』。いかにも信心深い彼らしい二つ名だろうな。


 『ヴァルガロフ』の歴史に触れているようだが、今はそんなことをしている場合はないんだよ。


 血のにおいを追いかけて、首を左に捻る……医務室があったな。そこのドアが、これ見よがしに開け放たれていて、その場所から、濃密なまでの血のにおいがあふれている。


 殺人現場があるだろう。


 一人じゃない。複数人を斬り殺しているはずだ。


 舌打ちしながら、竜太刀を抜いた。そして、そのまま足音を立てずに早歩きといこう。いつもの鉄靴ではなく、魔獣の革で編まれたブーツだ。足音が聞こえにくいものだよ。


 リエルほどではないが、ほとんど足音を立てることのないまま、それでも殺人……いや、殺戮の現場に急いだ。


 開け放たれた医務室の入り口に近づくと、背後にいるリエルに左手の指でガルフ・コルテスが考案した合図を送る。オレから行く、サポート任せた。


 返事を聞く必要はない。


 マジメなリエル・ハーヴェルは、この状況で、オレの指示を見逃すことなどないのだ。リエルは音もなく鋼を抜いた。腰裏に革のベルトで保持している、ミドルソードを抜いた。弓は、室内では使いにくいからな……。


 ……突入の合図は、動きで現した。


 医務室のなかに、侵入する―――魔力があることは、知っていたからな。消えそうなほどに弱い魔力……あとは、鼻の天井を衝き上げてくるほどの、血のにおいだけ。生きているのは一人。


 その一人の魔力が漂ってくる方向を、オレの両目は睨みつけていた。赤に染まる医務室の奥に、壁にもたれかける鎧を着た男がいる。


「……正面に、敵はいない」


「側面もクリアだ。敵はいない、死体が四つあるだけで……死にかけているのが、一人だけいるぞ」


「……ああ」


 犯人は、この場から逃げたようだな。オレは、生きている男に近づいていく……ベッドに横たわる男たちにも、視線をやりながら―――ああ、コイツら、昨夜のエルフたちだった。


 下らん出世欲に駆られた、『ザットール』の若い男たち。悪い腕ではなかったが……テッサの護衛を4人も殺すような猛者が相手では、どうすることも出来なかった。


 唐突に訪れた、死をまとった運命。


 そいつに抵抗こそしたのだろう、剣を持ち、ナイフを握りしめている……そんな腕が、床には転がっていた。圧倒的な暴力……しかも、これは……ムカつくことに4連続の剣舞かよ。


 関節を狙い、出血量を上げている。死を与えるためにデザインされた、斬撃―――オレが戦場で放つ、ストラウスの嵐に、かなり似た技巧で、犯人はオレと悪縁のあるエルフの青年たちを斬り裂きやがったようだな……。


 悲鳴を上げる間もなかったか。


 早業だ。


 ……あるいは、奇襲的なものかもしれない。『敵』と認識されずに、近づいていた。そして、そこから素早く斬りつけ、殺して回ったか。血塗られた足跡が、ステップを刻んでいる……。


 いや。これは、エルフの血が床に広がった後に、あの頭をかち割られて顔面が血まみれの剣闘士と戦った後だ。赤い足跡は……似ているな。たしかに、東方の技巧だろう。踊りながら、片腕に握った太刀で、斬りつけていく。


 ……鎧の男は、翻弄されながら、斬撃を無数に浴びて…………ッ!?


 脚が、鎧の男の直前で止まる。


 警戒心が背骨に電流となって奔った。


 左腕を使い、リエルに近寄るなと合図を送る。リエルが、立ち止まり。魔術の準備を開始する。『雷』の魔力を、準備している。この目の前にいる、生きている男が『死んだフリ』を解き、いきなり斬りかかって来る可能性に備えたのさ。


 『雷』ならば、一瞬でヤツを焼き、その身を瞬間的に麻痺させて、止めることが出来る。そうなれば、罠として機能することはない。一瞬でも動きが止まれば、オレが安全に、コイツを解体してやればいいのだから……。


 ……しかし。


 この傷は……演技ではなさそうだ。エルフの血をかぶって、重傷者を装っているのかもしれないと、オレは考えていた。邪推が過ぎたのかもしれない。


 斬られた篭手に作られた、大きな裂け目からは、新鮮な血がしたたり落ちている。演芸では、そこまでは出来ないよな―――ポール・ライアンよ。


「……おい、ポール。斬りかかって来るなよ、オレだ。ソルジェ・ストラウスだ」


「…………サー・ストラウス…………?」


 赤く染まった頭が、動いた。頭部にヒドい斬撃をもらっているが、生きている。さすがだな。頭蓋を斬り裂くための横薙ぎ払いを、仰け反ったか、あえて突撃して間合いを潰したかして耐えきった。


 斬られているのは、額の皮と骨がわずかにという深さだ。頭は血管が浅いところを走っているからな、少しでも斬られたら血が噴射する。骨を裂いた感触を、指に覚えたら……殺したと解釈するだろう。


 オレは、竜太刀を背中の鞘にしまうと、ポールのそばにしゃがみ込む。彼は動こうとするが、止めさせる。両手でポールの頭部を固定したよ。


「急に動くな。額の血が止まりかけているんだ、こちらが指示するまでは、絶対に動くんじゃないぞ。リエル」


「うむ。造血の秘薬を使う」


 リエルもポールのそばにしゃがみ、腰裏にある医薬品パックから、彼女が調合した造血の秘薬を取り出す。


「ポール、腹は斬られているか?」


「…………だいじょうぶです……はらは、きられていないです……かわしましたから」


「さすがだ。いいか、首を動かすぞ。秘薬を飲み込ませるために、君は上を向く。失血がヒドい状態だから、その動作で意識が瞬間的に飛びそうになるかもしれない。でも、耐えろ。そして、口から入ってくる秘薬を呑み込め」


「……わ、わかり…………ました……」


「動かすぞ。動きは、オレに任せて、お前は秘薬を呑むことだけに集中しろ」


 オレは血まみれかつ、虚ろな瞳になっているポール・ライアンの顔面を、ゆっくりと上向きにさせた。切れた額の傷口から、白いものが見えた。骨だ。骨が、数ミリは斬り裂かれているようだな……。


 あと数ミリ深いか、あるいは数百分の一秒ぐらい回避の動きが遅かったら?……ポールの頭骨はもっと深く斬り裂かれて……頭の中身がヒドいことになるところだった。


「外側だけで良かったな。そうか、篭手の鋼を『使って』、斬撃を遅くさせたのか」


「ええ……っ」


 ポールの瞳にある黒い部分が大きくなる。瞳孔が開く。戦場で死ぬヤツの目玉の動きだった。だが、リエルの造血の秘薬が、ポールの口に注がれていったよ。ポールは、その激しく苦いエルフ族の秘薬を……飲んだ。


 ノドが動いたのを感じたよ。胃袋が斬り裂かれていないのなら、注射よりも大量に秘薬を体に回せる。本来は、飲み薬だからな。この秘薬のおかげで、ポールの血は量が増えていくはずだ。


 あとは、止血をしたいところだな。リエルは、血止めの秘薬も使う。コレは注射器でやるのさ。ポールの首の根元に突き立てた。鎧に覆われていない部分が、少ないから、そこしかなかった。そのために、仰向けにさせてもいるんだよ。


 血止めの秘薬が、ポールの首に注射されていく……これで、生命力が強ければ、生き抜くことが出来るはずだ。


「朝食に、栄養満点のチーズたっぷりを選んでいて、良かったな。アレは、血になるんだぞ。そのおかげで、死ぬことはない…………」


「…………は、はい……いつも、ぼくは……ちーずたっぷりを……えらぶんです」


「そうだな」


 リエルを見る。薬草医の知識を持つリエルは、険しい表情をしている。半々かな?いや、もうちょっと、悪そうだな。何かって、決まっている。ポールの生存確率だ。


「いいか。大丈夫だぞ。死なん。これぐらいでは、剣闘士は死なない……」


「そ、そうですね…………」


「ソルジェ。寝かせよう。脚を高く上げるんだ。血を、胴体に確保させる」


「おう。寝かせるぞ、ポール。ゆっくりとだ、オレを見てろ。寝るなよ?情報が聞きたいんだ」


「は、はい……なん、です……か……」


 リエルの手を借りて、ゆっくりとポールを壁から離し、床へと寝かせていく。少しでも傷口が、開かないように、ゆっくりとだ。


 仰向けに寝かせること成功したよ。リエルは、すぐに医務室にあったイスを持ってくる。そのイスを横に寝かせると、ポールの両脚を、その横倒しのイスに乗せていく。


「リエル、オレの分の秘薬も使おうぜ」


「うむ……やるだけ、やってみるべきだな」


 不吉な言葉ではあるが、現実的だな。ポールは、意識が消えてしまいそうだ。オレは腰裏のパックから、エルフの秘薬を抜くと、リエルに手渡した。リエルは、膝裏に鋼の隙間を見つけて、そこからも注射で秘薬を注いだよ。


 オレに出来ることは、おしゃべりだな。意識を失うと、多分、ポールはこのまま死ぬだろう。血が出過ぎているんだ。オレは、ポールの右の篭手を、外しながら、瞳孔が開いたり閉じたりしている若者に向けて、語りかける……。


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