序章 『鋼に魅入られしモノ』 その11
工房の片隅……多くの鎧が並べられた場所があり、そこに竜鱗の鎧も存在していた。作業台の上に、寝かされているよ。ガルーナ竜騎士の伝統が結集して作られた、その黒ミスリルの鎧がな。
「……これほどの鎧は、そう目にすることが出来るものじゃないのう。手元に置いておきたいぐらいじゃ」
「やらないぜ?」
「ああ。分かっている。お主には、この子が必要じゃし、この子にとってもお主は必要な存在だ」
「そうなのか?」
「この鎧は、矛盾を体現している。硬くて、柔軟。軽くて、頑丈。しかし、ピーキーな仕様とも言えるな。能力が高いからこそ、使い方を把握仕切れん者には、使い切ることが出来ない。ストラウス殿だけが、この子の全ての力を出し切れるのじゃ」
老いた瞳は、やさしげで。そのシワだらけの老職人の手は、いたわるように作業台の上に寝かされた竜鱗の鎧の装甲を撫でている。
彼は、鋼の声が聞こえているのだと思うよ。ドワーフの耳がとらえるモノとは、異なっていたとしても、彼は間違いなく鋼と語り合えている。
「……スケイルアーマーとプレートアーマーのハイブリッド。なんとも、複雑な構造をしている。本来ならば、これは重くて、壊れやすく、使いにくいものだ」
「そうかもな」
「だが。ガルーナの竜騎士という者たちの、体格、鍛錬方法……そして、この鎧を使うためのテクニック。そういったもので一致させることで、この子は、頑丈さと軽さと柔軟さをお主に与える。いいとこ取りじゃな。お主のためにだけ、存在している鎧だ」
「ですよね!」
鎧を見てキラキラしている男が、もう一人ここにはいた。ポール・ライアン青年だ。剣闘士であり、トミーじいさんの弟子でもある彼も……オレの鎧を見て、一般人の見せない興奮を発揮している。
「こんな子、ボクは見たことがないですよ!!」
……彼も、鎧のことを『子』って呼ぶ癖があるようだ。まあ、別に悪いコトじゃないんだけどね。職人たちの持つ職業愛が強すぎたって、そう困るようなことはないよ。
「いい目をしている弟子じゃろう?……闘技場のランキングも上々でな」
「だろうな、強さを感じるよ」
ガルーナ人のように、身長が高くて筋肉質。運動能力も高そうだし、タフさがあるだろう……。
「ボクも、先の戦には参加させていただいてまして……遠くからですが、サー・ストラウスの戦いを、見学させてもらえて……参考になりました!!」
まだ20ぐらいだろうか。若手の戦士に、キラキラした瞳で見つめられると、お兄さんは照れてしまうな。
「ああ。参考になったのなら、幸いだ。君の技巧の糧にでもしてくれ」
「ええ。同じ人間族の戦士として……とても参考になりました。さっきのエルフたちとの戦いもそうですけど……まるで、フーレン族のような動きです」
「……分かるか」
「ええ。フーレンの突撃に、仕掛け方がそっくりです。沈み込むことで、より早いタイミングで速く走れる……柔軟さで作る動きだと考えていましたが、脚力に任せることでも、似た動きが可能なんですね」
「いい目をしているな。まだ、若いのに」
「22になりました」
「オレより、4つも年下だ。それなのに、よく見えている」
「ポールは、9才の時から闘技場に出ているんじゃ。闘技場だけのキャリアなら、古株に入るじゃろうよ」
「……ずいぶん、幼い頃から戦っているんだな」
「ええ。捨て子でしたもんで。両親の顔を、知りません」
「苦労しているな」
「えへへ。そうですね。それでも、戦いに向いた体に、親が産んでくれたことは感謝ですよ」
前向きな青年は、にこやかに笑う。どこか嘘くさいほどに笑顔だったが、口にしている言葉には嘘はなかろう。彼は喜んでいる。自分の体格が、戦いに向いていたことに。
そうでなければ、アレほどに鍛えられないし……長年、闘技場で稼いで来たのに、この鍛冶屋で丁稚奉公みたいなマネをしたりもしない。戦いを愛しているのさ。おそらく、鎧のこともだが―――。
「―――まあ、クッキーでも食べながら、話そうじゃないかね!!」
「……じいさん、甘党すぎるぜ」
「いいではないか。酒は、ひかえておるのから。甘いモノぐらいは、許されるのではないかね?」
「オレに訊くなよ?主治医に相談しろ」
「……融通の利かない女薬草医にか?」
「女の薬草医は、有能な者が多い。男の薬草医よりも、よっぽど、しっかりと診察してくれるものだぞ」
「そうかもしれんが……あまりクッキーを食べるなと、毎度、言ってくるんじゃ」
「薬草医の言葉には、従ったほうがいいと思うぜ」
「まあ。ほどほどにするし……そうじゃな。これを朝メシにすることにしよう!」
トミーじいさんはそう言うと、ポール・ライアンが持って来てくれたクッキーを、素早く指でつまむと口の中に放り込んでいた。バリボリと甘そうなクッキーを貪る彼は、満足げにうなずいていた。
「……うむ。いい甘さだ。砂糖がたっぷりと、使われておる……ッ。『荒野の月』の店主め。また、腕を上げおってからに……ッ」
こんなにクッキーを美味そうに食べるじいさんを、見たことがないな。まあ、これが朝飯代わりというのなら、健康に及ぼす悪影響も少なく済むかもしれん。
甘党の鎧職人は、しばらくクッキーに夢中になっていたな。
ポールが、オレにも進めてくるので、そのクッキーを口に運んだ。
うむ。たしかに甘い。だからこそ、美味いと言えるのかもしれない。菓子は、やはり甘い方が評価が高いからな……。
「美味いじゃろ?」
「ああ。美味しいよ」
「チョコレートを多用する、ビターなタイプもある。あちらの方が、お主の口には合うのかもしれん。『荒野の月』には、一度、足を運ぶべきじゃぞ?」
「……土産にすれば、女性陣が喜ぶかもしれないな」
「そうじゃ。口説くよりも菓子じゃ」
「そこまでの効果はないだろ?」
「そうかね?……女なんて、だいたい、甘いモノが好きなもんじゃし」
……じいさんの中における、甘いモノの地位が高すぎる気がするよ。
「少なくとも、このクッキーなら、不平不満、そしてお主への文句を黙らせるに決まっておる」
朝帰りになりそうだし、『荒野の月』の菓子職人たちに頼るのも、悪くはないかもしれない。一応は、休暇中だからな。プライベートよりも仕事を優先してしまったと考えると、少しバツが悪くもあるんだよ。
ギンドウと飲み明かすのならば、友情のためだと割り切れるが―――今夜の仕事は、こちらが無理やりに首を突っ込んだ結果だしな。しかも、『ザットール』の野心にあふれる若造のせいで……台無しっぽい。
店の外では、殺気立つ賞金目当ての戦士たちが、右往左往しているな。この場所には、ヒト斬りは出ないかもしれない…………べつに、オレが悪いせいでもないけど、テッサに報告しに行くとき、クッキーの一つでもあった方が良い気がするな。
「うむ。買って帰るとするよ」
「ワシの紹介だと言うとええぞ、割引が効く」
「常連なんだな」
「大ファンだ。あそこの職人は、甘いモノを止められておるのに……命がけで砂糖を小麦に混ぜているんだ。口に含んで味見しては、毎度、吐いておる。甘いモノを摂取すれば命を縮めるらしいからのう……っ」
「職人魂ですよね!!」
あまり聞きたくもなかった情報が、耳のなかに入って来たよ。極端な苦労話は食欲を減退させちまうもんだ。
「菓子を作るのに、文字通り命がけなんじゃ!!それでも、ヤツは作っておる!!ストラウス殿よ、是非、買っていけ!!」
「ああ、そこまで聞かされて、スルー出来るほど、甘いモノが嫌いな男じゃないよ。それで……朝からやってるのかい、『荒野の月』は?」
「早朝、5時オープンじゃぞ」
「うお、早いな」
「駅馬車の始発が、5時15分。それまでに、買えるようにしているわけじゃな。今ごろ、オーブンの前で、炎と対話しておる頃じゃろうよ!!」
「バターの焼ける、香ばしい風を吹かせてもいそうだな」
「ええ!あそこは、焼き立てのクッキーも美味しいですけど……朝食用に『パン・ペルデュ』と、コーヒーもやっているんですよ」
「『パン・ペルデュ』?」
「ええ。砂糖と溶いた卵と牛乳を混ぜたものに、古くて硬くなったパンに漬けるんですよね。それを、たっぷりと油をしいたフライパンで焼くんです!!」
「ああ、アレか。オレのところじゃ、ミルク・トーストって呼んでいたな」
ミアが、ウルトラ好きなヤツだよ……っ。ミアだけじゃなく、女子ウケ抜群のヤツだよなあ。うちの女子たちも、きっと喜ぶだろうよ。
「『パン・ペルデュ』は、ワシらの郷土料理だ。貧乏人が多い、このゼロニアには、硬くなったパンを美味く食べるための手段が重宝されてきたわけじゃ」
「なるほどね」
「栄養もあるし、古くて硬くなった安いパンでも、美味しく出来ますから!素敵な料理ですよ!!」
……本当に、戦神バルジアの土地には相応しい朝食かもしれない。古くて硬くなり死んだパンを、蘇らせる料理だからな。姿を変え、転生を司る神……戦神バルジアの土地には、ある意味で相応しい朝食だと思うぜ。
何だか、腹が減ってきてしまう。
甘いクッキーを、もう一枚だけ取るよ。
じいさんのドヤ顔を見ることになった。
「……ハマりおったな。『荒野の月』の虜になってしもうたのじゃな?」
「なんで、じいさんが、したり顔なんだ?」
「この職人街の仲間の勝利じゃからな。言い換えれば、ワシの勝利でもあるんじゃよ」
「拡大解釈しすぎな気もするが、職人たちの仲が良いってことは、美談だな」
「仲良くケンカする。それが、職人同士じゃ。ライバルでファンでもある。そうなれれば最高じゃのう」
「いい哲学だ」
「……さてと。好きなモノが多いと、困るのう」
「……ああ。鎧のハナシ、そっちのけだ」
「ほとんど出来ている。あとは、特注の油を差すだけだ。急いでやりたいが、朝になるまで、油の合成が終わらん……」
「いいさ。急ぐ必要はないしな。今夜は、ヒト斬りと戦う予定もなさそうだ……職人たちが動き出すのなら、そいつも眠っちまうだろうよ」
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