序章 『鋼に魅入られしモノ』 その10
「……やりおるのう!!」
年寄りの声が、頭上から響いていた。首を捻り、二階建ての工房に視線を向ける。まっ白な髪と、傷だらけの顔面……そして、右目を眼帯で隠す老人がいる。人間族にして、この『ヴァルガロフ』で一番の鎧職人である、トミーじいさんさ。
寝室でもあるのだろうか、二階の窓から顔を突き出して、こちらを見下ろしている。
「いい腕だ!!テッサ嬢ちゃんが惚れ込むだけはある!!」
「彼女はオレになびいてないぜ?」
「顔が悪いからな。乙女心じゃなく、武人としてだ。お前さんの腕前は、超一流……という言葉が、安っぽく聞こえる。天下で二番目ぐらいじゃないか?」
「一番じゃないんだな」
「ああ。一番強いじゃ、嘘くさいじゃろう?」
……そうかな?褒められるのなら、一番って褒めてもらった方がいい。二番目という評価は、何というか生々しいというかな。でも、褒められたことは確かだ。褒め方に文句をつけるののも間違っているだろう―――。
「―――街一番の鎧職人に、褒めてもらって嬉しいよ」
「……まあ、あの鎧を見せてもらった後じゃあ、ちょっくら自信喪失中じゃがなあ」
「ガルーナの竜騎士の秘伝と、カルロ一族が心血を注いで作ったシロモノだからな」
「カルロ一族……ワシと同じ、人間族の職人……くくく!いいモノを、見せてもらった。冥土の土産になったのう」
「じいさんは、まだまだ生きるよ」
「……そうか?最近、血尿が出るんだが」
「年寄りには、よくある。薬草医に相談しろよ」
「……ああ、そうするさ、仕事がヒマになったらなあ……それで、ソルジェ・ストラウス殿よ」
「なんだい?」
「ちょっくら、上がっていけ。茶でも出すぞ」
「……いや。オレは、例のヒト斬りを探しているんだが?」
「ずいぶん、お前さんが暴れたからなあ。来やしないさ」
ふむ。たしかに、あのエルフの若造どもが騒いだせいで……職人街の連中が、店から外に出て来ているな。これでは、人間族ばかり狙うヒト斬りも、出て来られないかもしれない……。
ゼファーからの視点によると、こちらに向かって、剣士たちが大勢、走って来ているらしいな。エルフの声を聞いたのか、それとも、負傷しているアイツらを見て、早とちりしてしまったのか……。
夜が、騒がしくなりすぎているな。
トミーじいさんの言う通りに、ヒト斬りは出て来ないかもしれない。いい狩り場だと思っていたのだが……どうでもいいヤツらが、引っかかってしまったせいで、台無しだ。
「……茶を出す。美味い焼き菓子もあるぞ?」
「……そうだな。小腹が空いているから、頂くとするよ」
このまま外にいたら、オレの方がヒト斬りに間違えられるかもしれない。地面には、エルフの青年たちが流した血痕が、あちこちにあるしな。
不審人物だよ、オレは……剣闘士どもに根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だし、トミーじいさんのトコロに避難しておくとしようか。じいさんなら、剣闘士たちの信頼も厚いだろうしな。オレのことを質問されても、どうにか上手く誤魔化してくれそうだしな。
トミーじいさんの工房の玄関が開く。ニコニコ笑う青年がいたな。やけに愛想がいい。鎧を預けに来たときはいなかったが……じいさんの内弟子だろうか?
「こちらに、どうぞ!サー・ストラウス!」
「……ああ。ありがとう……君は?」
「ボクは、ポール・ライアンです。トミーじいさんの弟子で……剣闘士もやっています」
「……そうか。どうりで―――」
―――どうりで、強そうだ。そう褒めるための言葉を口にしようとすると、背後から慌ただしい言葉が響いていた。
「こっちだ!!怒鳴り声が、聞こえたぞ!!」
「急げ!!殺人鬼かもしれん!!」
「……クソ。オレが捜査を妨害して、どうするってんだ」
「……サー・ストラウスも、ヒト斬りを探しているんですか?」
「ああ。まあな……」
「あ。お入り下さい。外にいたら、いらないケンカを巻き起こすかも?」
……そんなことになったら、テッサに怒られてしまいそうだな。だから、オレは、ニコニコと笑うポール・ライアンの誘いに応じて、急ぎ足でトミーじいさんの工房に入っていたよ。
……職人の気配を感じる。
打たれた鋼から飛び散る火花、焦げた炎のにおい。そこらに積まれた油くさい木箱、天井から無数に吊り下げられている柄の長い工具に、壁に立てかけられたハンマーたち。燃え尽きた炭火が並ぶ、製鉄の炎が踊る窯。炎に空気を送るふいご。
熱気に負けぬように、炎に強いレンガの壁。すす焦げた、新月の夜よりも暗い天井。職人の住み処だな。この小汚い雑多な感じに、ベテランの風格を見出せるってもんだよ!!
職人の店は、小汚いほど好きだ。色々なモノがあるほど、試行錯誤の履歴を嗅ぎ取れるってものさ。
「ははは。大騒ぎじゃのう」
トミーじいさんが、二階から笑いながら下りてくるよ。
「……面目ない。『ザットール』の連中に、絡まれちまってな」
「大声で叫んでおったから、事情は察しているつもりだ。ヤツら……ソルジェ・ストラウス殿の鎧を、盗むつもりだったか」
「……鎧を人質にされるか。効果的な嫌がらせではある。竜鱗の鎧は、オレにとってはかけがえのない鎧だもんな」
「だろうな。アレと共に、幾多の危険な日々を過ごしているんじゃな。鎧って、いいもんだろう?」
鎧職人の美学に、火が点きそうだな。じいさんの片目しかない年老いたはずの瞳が、星みたいにキラキラしている。
長話をされると、ちょっと寝てしまうかもしれない。だから、オレは先手を打っておくことにしたよ。
「……ああ。じいさん、小腹空いちまったよ」
「む。おお、そうか。ポール、すまんが、例のクッキーを」
「親方も、食べるんですか?」
「当たり前じゃ!!アレは、ワシが買ってきたもんじゃぞ!!客だけに食わせてなるものかい!!」
「……なんか、食べちまうのが悪い気がするけど?」
「気にするな!!ワシも食べるし、ストラウス殿も食べる!!それで、全てが丸く収まるんじゃ!!」
「いや。親方……あんまり、遅くにクッキーなんて食べてると、健康に悪いですよ?」
「どうせヒトはいつか死ぬんじゃし、片目も無いし、鋼の打ちすぎで、片耳も聞こえんようになってしまったワシなんぞ、老い先短い!!好きなモン食うて死ぬんなら、それはそれでええんじゃ!!頼む!!ワシも、クッキーをくれ!!」
……トミーじいさんは、自分がクッキーを食べたかっただけのような気がする。年寄りの健康を思えば、こんな時間に甘いモノを食べさせるのは、良くない気がするな……あのエルフどものせいで、仕事は出来ないし、甘党の年寄りの体調を崩しかけている。
なんだか、自己嫌悪のため息を吐いてしまいそうだ。
「わ、わかりましたよ。じゃあ、応接間に……」
「いいや。ここでええじゃろ?」
「ん。ああ、どこでも構わん」
「ふむふむ。そうじゃろ。お主も、自分の鎧の近くにいたいものじゃろうからな。ヨメより長い時間、肌を重ねておる。もうヨメよりもヨメなのが、鎧というものじゃものな!!」
そこまでの鎧に対する偏愛はない。アレは、大事な商売道具だが、金属の塊である。鎧よりもヨメのほうがヨメだけど、情熱的に持論を語るときの職人の言葉には、刃向かわないほうがいい。
この老人が、かなり濃い特殊な哲学と偏愛の持ち主なのは、この短いあいだの言動だけでも十分に察知することが出来た。
職人を極めすぎて、変人になりつつあるのだ。狂気の人物ではあるよ。
「さあ。こっちに濃い!!クッキーと、それに見合う紅茶が完成するまで……より美しくなったストラウス殿の鎧を、愛でようではないか!!」
「……ああ。出来ているのか?」
「ほとんどな!!……ほら、こっちに来るんじゃ!!お主の最愛の彼女が、待っておるぞ!!黒ミスリルで打たれた、特別にべっぴんさんがのう!!」
トミーじいさんは、細く枯れた脚を、まるで小型の猟犬みたいに素早く動かして、自分の住み処である、職人の仕事場を駆け抜けていく。
……牝鹿みたいに素早いな。それほど、竜鱗の鎧に早く会いたいのか。オレよりも、あの鎧のことを愛してくれているようだな。
鎧が、ヨメよりヨメ?
初めて耳にした言葉だったよ。
あそこまでの情熱があってこそ、真なる『超一流の職人』という高みにまで到達することが出来るのかもしれない。
重ね重ねになるが、オレには職人は向いていないかもしれないな。朝早く起きることも苦手だし……やはり、鎧よりもリエルとロロカとカミラの方が、間違いなくヨメだもん。
……じいさん。
若い頃、鎧と一緒に寝ていたりしたのかな……?
ありえるな。変な意味ではなく、寝るときまで鋼と一緒なら。ドワーフ族でもなかったとしても、『鋼の声』を聞こえるようになるのかもしれない。
「早く、来い!!お前の、べっぴんさんが、待っておるぞおおおおおおおおおおッ!!あと、クッキーもおおおおおおおおッ!!」
「……くくく!……楽しいじいさんだぜ」
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