序章 『鋼に魅入られしモノ』 その9


 左右から同時に矢が飛んでくる―――どちらも胴体を狙っているな。その矢を追いかけるように、長剣を抜いたエルフが斬りかかって来ていた。長剣野郎の左斜めには槍使いか。闘技場で作った連携なのだろうか?


 ……逃げ場が少ないな。三方向からの攻撃を、どうにかして躱すか生き残れば槍の追撃か。悪くはない。闘技場の技巧というものも、なかなか楽しいじゃないか。


 だがね。


 攻撃に対して逃げるとは限らない。踏み込んでいた。矢が放たれる直前に。エルフの弓の使い方は、リエルのおかげで熟知しているのさ。エルフ族は、あまりにも正確に狙える。だからこそ、タイミングや軌道を予測することも難しくはない。


 避けられるさ。


 『虎』の技巧だ。沈み込みがら、足裏を大地に押し込むような形にするんだ。そして、左右の脚で、素早く二歩ほど踏み込めたなら、勝手に矢は外れてくれる。


 だが、それは向こうも想定内。左右の射撃を、こうやって回避されても、中央にいる長剣のエルフが襲いかかる。


 でも。別に、避けただけじゃないんだよ。人間族なんでな。『虎』ほど素早くはないが、怪力任せの加速なら負けちゃいない。


 下がった重心に……蹴り込める大地がある。攻撃される前に、ただ素早く……強力にもう一歩踏み込み、さらにもう一段階、加速する。極めて短い距離で、力任せに加速したよ。


 それだけの、単純な体術だ―――シアンならば、ここから何でも出来る。左右に踊ることも、何なら、バックステップを組み込むことも出来るんだが……オレは、『虎姫』の柔軟さは持っていない。


 ただ真っ直ぐに加速して、長剣野郎の顔面に右フック一発入れるだけしか出来ない。技巧の差がある。シアン・ヴァティには、遠く及ばないな。


 それでもシアンにも負けていないことが、むしろ、上回ることが一つだけある。圧倒的な腕力だ。拳が、エルフの細い顔面を砕いていく。ヤツの鼻骨が潰れて、上あごの前歯が全滅していく。素敵な感触を得ていたよ。


 ……エルフの意識が消失する。そのまま崩れ落ちていく長剣野郎を放置して、オレは次の獲物に向かう。追いかけて来る槍使いじゃない。無防備な状態になっている弓使いのほうだ。


 まっすぐ走る。連携を考え過ぎていて、狙い過ぎていた。二人の弓使いは、呼吸も合わせて同時に撃つ。それこそが、威力を生み出すための仕組みではあるがね……『攻撃』の連携ってのは、それじゃあ未完成だ。


 同時ではマズいな。同時に外してしまうと……次の攻撃を準備するまで、二人してガラ空きだ。速いヤツもいるんだぜ?……君らが、想像出来るよりも、はるかに速く動く者たちがいる。


 7メートルの間合いを、安心すべきじゃないな。シアンならば、一瞬。オレなら、それに少しだけ遅れて、襲いかかることが出来るんだよ。今は、鎧も着てないから、速いもんだぜ。


「うああ!?」


 怯えた顔が悲鳴を放ち、矢も放とうとしていたが。オレの方が速い。弓使いに接近している。弓よりも、手前に入っていた。矢を撃ったところで、これでは当たらない。リエルなら、弓そのものでオレを打撃する。あるいは矢を持つ手で殴りつけるのもいい。


 彼女にはそう仕込んだ。でも、誰もが『それ』を出来るわけじゃない。とくに、スピードで負ける相手には、そんな緊急防御は出来ないさ。それに……したところで、竜騎士の怪力が止められるとも限らないからな。


 左の拳を動かす。わずかに上げた。エルフ族は人間族よりも、反応が早いヤツが多い。彼もそういった類いだ。殴られることを想定し、あごを引いた。後ろに跳ぼうとした。でも、そうじゃない。まだ、前に踏み込み、衝突してきた方がマシだな。


 オレの本命は、右手だよ。左手は囮。反応を誘うためだけの動作。本命の右手を伸ばして、ヤツの襟首を掴み取る。あごを引いてくれたおかげで、掴んでからが動かしやすい。掴んだ瞬間、オレの腕力にヤツの動きが負けた。


 後ろに動いていたから、こちらの引き込む力とぶつけられるんだ。後ろに動いた重心を、再び後ろに動かすためには、脚を動かすしかないが。脚を動かすヒマなど与えん。貴様は、『盾』にするんだからな。


 右腕を戻しながら、ヤツの体を引き寄せる。襟元を絞り、頭突きを叩き込む。ヤツはそのとき、矢から指を離していた。虚空に向かって矢が飛んでいく。


 ヤツは気絶しなかったが、それでも動きは止まる。一瞬でも止まれば、問題無い。そのまま、右手の指を器用に動かして、エルフの細首に噛みつくように突き立てた。頸動脈というモノは、エルフ族も人間族も同じ場所を通っているんだ。


 そいつを怪力を帯びた指で掴めば、ヒトは一秒半で気絶する。エルフが失神する。その脱力したエルフの体を両腕で掴み、持ち上げる。背後から迫ってきていた槍使いに、対する『盾』に使うのさ。


「……く、くそ!?」


 槍使いが怯み、突撃を止める。泡を吹きながら呻く仲間のことを、見捨てないとはな。


「いい子だ。仲間想い。そのまま下がれ。コイツの細首ぐらい、オレの力なら一瞬でへし折れるぜ」


 ……槍使いが、後ろに下がる。素直にな。素直だが……そいつは罠だってことを知っている。視線を誘導するために、タイミングを作るために、あえて素直にこちらの言葉に応じたな。


 だから、分かる。見なくても分かる。オレは『盾』にしているエルフを、思い切り左腕で引き寄せる。脚を踏み換えながら、体さばきも使ってな。


 ズグシュ!!


「が、はあ……ッ!?」


 『盾』が呻いた。激痛が気付けになっているらしい。そうだ、もう一人の弓使いが、矢を放っていた。ムシしていたのは、忘れていたワケじゃない。槍使いに夢中なフリをすれば、精密な射撃で、矢を放つと信じていたからだ。


 素早く、隙がなく、ムダがない―――それだけに、タイミングを読める。エルフ族の生真面目な射手としての精神は、慣れてくると読みやすいものだ。誘いには、十中八九乗る。


「……おいおい。悪い子だな。肩甲骨に入らなかったら、死んでいたぜ?」


「痛え……痛えよおッ」


「動くな。心臓に近い位置にまで矢が入っている。変に動くと死んじゃうぞ。腕も動かすな。矢の位置がえぐれて、致命傷になる」


「……う、うう……っ」


「クソッ!!……す、すまん!!」


「……こ、コイツ、オレたちの考えが、読めるのか!?」


「エルフ族の射手とは、よく訓練した。君らより、はるかに素早く、技巧に深みを持つ者とな。リエル・ハーヴェルを超えるエルフ族の射手でもなければ、オレには絶対に勝てん」


 戦いが速く動くほど、エルフ族の射手は反応に頼る。それが一番強いからだ。だが、それを逆手に取られることもあるんだよ。


 戦場が膠着状態になる。槍使いは、この弓使いが死ぬことを望んでいないようだ。いい子だな。だから、死なせたくもない。


「……なあ。ここらで、止めないか?君らのリーダーも、無様に気絶しているだろ?君らだって、彼の友人なら、彼が『ザットール』の長になどなれぬことぐらい、分かるはずだ。少々、腕が立つだけの、凡庸な男だ。ムダに付き合い、死ぬことはない」


「……お、おい。どうする?」


「……正直、勝てる気がしねえ」


「ああ。絶対に勝てんぞ。四対一で相手にならないのに、二対一で勝てるなんてことはありえんよ」


「……た、たしかに……ッ」


「オレも、まだまだ全力で動いているわけじゃない。殺さないように手加減している。君らのような未熟者を、殺したところで何にもならんからな」


 一番、気に食わないリーダーは、一生、顔面の陥没骨折と戦うことになる。残念ながら、死ぬまで入れ歯暮らしだし……雨が降る日には、顔中が死ぬほど痛くなるだろう。


 身の程知らずという言葉の意味を、よく理解できるようになったさ。


「うう……こ、降参しようよう……ッ。い、痛え……は、早く、病院に、連れてってくれええ……ッ」


「君らの友だちが、哀れな悲鳴を出しているぞ……?馬鹿な兄貴分についても、何にもならんぞ?仲間を、犬死にさせるのか?」


「……それは……ッ」


「ああ。そんなに兄貴分の許可がいるのなら、ちょっと待ってろ」


 オレは矢を動かさないように、寄りかかってくる『盾』を右腕で支えたまま、左腕を動かす。手首の内側に仕込んでいる、細いナイフを取り出すと、それを指で操り、気絶したまま地面にうつ伏せに倒れている長剣の使い手に、投げつけていた。


 気絶したエルフの肉に、ナイフはよく刺さっていたよ。


「ぐがああッッ!?」


「いい気付けになったか、大将」


「あ、あ……い、痛ええ……っ!?」


 ヤツは粉々にされちまった顔の方を、手で押さえている。震える手で、口元を覆い……ドロリとした血と唾液の混じったものを手のひらで受け止める。折れたしまった前歯も、何本か指で感じ取れただろうな……。


「か、か、顔があ……ッ」


「顔よりもな。実は、お前の腰裏にナイフも突き刺しているんだ」


「は、は、はあ!?」


「そいつには、毒が塗ってある。『出血』を促進させる、『炎』属性の毒だ」


「ま、マジかよ……っ」


「動くなって。腰裏には、腎臓サンがある。急所で有名だ。ナイフを立ててしまうと、すぐ死んじゃう、出血しやすい臓器だよ。そこに、ナイフが刺さっている。病院に行くまでは、抜かない方がいいぞ」


「……お、お前が、や、やったのかよ!?」


「君が無様に失神しているあいだにな。ああ、もう一つアドバイスだが、動かない方がいい。『炎』の呪毒は、体の動きに反応して暴れる。腎臓を、焼いて壊して、お前を殺すことになる」


「……ッ」


「さてと。未来の『ザットール』の長とやらよ。どうする?……このまま、死ぬのか?それとも、仲間に武器を捨てさせて、撤退して、皆で助かるか?」


「……くっ」


「オレはお前のつまらんプライドが粉砕してくれるのなら、死までは望まない。二度とオレさまに逆らう気は、起きなくなるだろうしな……ああ。次は、顔見せただけで殺すぞ」


 長剣使いのエルフの体が、ビクリと揺れていた。アホで無謀な男であっても、野蛮人のシンプルな言葉の意味は分かったらしい。本当に、次は殺す。というよりも―――。


「―――もしも。お前が戦士として、今から死にたいのなら、戦ってやる。お前だけを殺すのも、難しくはないんだ。選べ。戦士として死ぬのか?……それとも、無様な敗者として、生き残るのか?」


 ……どちらでも構わん。オレは、別に善人じゃないからな。こんな敗北を経験したからといって、あのエルフがマトモな性格になることはない。ヤツには何の期待もしていない。


 むしろ、あんなヤツは死んだ方が世のためだろう。別に殺したっていいんだが、この気の毒な三人のエルフを、巻き込むのは可愛そうだ。


「……え、エドガー……っ」


 『盾』がリーダーの名を呼ぶ。そろそろ、彼も危険かもしれない。肺にも突き刺さっているからな。呼吸が乱れると、とても危険だ。咳き込めば、心臓に鏃が触れるよ。病院で、処置してもらう方がいい。闘技場には、いい腕の医者もいるだろう。


「…………わ、わかった…………撤退だ……」


「未来の『ザットール』の長の命令だぞ。君たち、武器を捨てろ」


「……あ、ああ!」


「ほらよ!」


 弓使いと槍使いが、それぞれの武器を捨てる。オレは槍使いを呼び、『盾』を渡す。弓使いの方に、肩を貸して貰うのは……ちょっと、気まずいだろうから。オレは『盾』のほほをやさしく叩いたよ。


「悪かったな。でも、殺されずに済んで、幸運だぞ?」


「……う、うう……っ」


「……ゆ、揺らさずに、ゆっくりと運べ」


「あ、ああ!しっかりしろよ、すぐに医者のトコロに連れて行ってやるから」


「あ、ありがとう、トーマスぅう……っ」


 友情を目撃しているな。さわやかな気持ちになれるよ。弓使いは、『ザットール』の長候補のことを、ゆっくりと起こしていく。


「ナイフが抜けないように、手の腹で支えてやりながら歩かせろ。しっかりと、そしてゆっくりと歩けよ?転けてナイフが抜けたら、死んじまうぞ」


「…………っ」


 恨み言の一つぐらい、言い残しても、怒るつもりはないのだが―――長候補の青年は、無言のまま、この場所から離れていったよ。更正することは望めないが、これだけ怖がらせてやれば、二度とオレには絡んで来ないだろうさ。


 それで、良しとするかね。


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