序章 『鋼に魅入られしモノ』 その4


 闘犬酒場を出る。地上へと登る石の階段を、酔っ払った脚で軽やかに登って地上へとたどり着く。夜中に畑の上に顔を出す、モグラにでもなった気分だよ。朝方、野良猫なんかに狩られている無様な小動物に。


 『マドーリガ』の縄張りである、街の西地区……居住スペースが足りないせいだろう、背の高い建物が多く在るこの一帯は、空が狭い。


 石造りで背の高い、6階建てのアパートたちに囲まれたこの路地裏から見上げた夜空も狭いのさ。古くてボロい建物のあいだから、6月の夜空が見える。空はあまりに小さいものだから、星たちは虜囚の身にもなったかのようだ。


 ……『ヴァルガロフ』は、ゼロニア平野のただ中に人々が無理やり集まって作ったような街だからな。他にも幾つかの大きな街もあったようだが、戦に巻き込まれて一つ一つが消えていき、残った大きな街は『ヴァルガロフ』だけ。


 広い荒野ではあるが……他には小さな村と古い砦があるばかり。あまりにもさみしいから、皆、ここに集まって来たのだろうかな。


 その結果、どんな人種も問わない環境が生まれたのかもしれん―――。


「―――帰るか。オレも、さみしい気持ちになってきたから」


 『家族』が待つ、『ワイルド・キャット』に戻るとしようじゃないか。首を回して骨を鳴らして、オレは路地裏を歩き始めるのさ。


 ……深夜になっても、いや、むしろ夜が深まるほどに、『背徳城』の周辺は本気を出すというかな。酒と売春の地区だから、そこらに誘惑が一杯だった。


 ミアには見せられない光景が続く。すっかりと有名人になっている、ストラウスさん家の四男坊は、街路に立つ売春婦のお姉さんたちからも人気だな。


「団長さん!!サービスするわよ!!」


「……自分を安く売るもんじゃないぜ」


「あははは!やっぱり、顔の割りにはいい男なのかも!!」


 酷いウワサを立てられているもんだな。顔の割りにいい男って……?まあ、別にいいけどね。引きつる苦笑を顔面に浮かべながら、騒がしい夜道を歩いて行く。


 ……猟兵としての癖なのか、戦槌で武装した戦士の数を数えていた。売春婦やら、露店で安酒を売る若いドワーフたちは、明るいものだが―――警備の戦士たちは、えらくナーバスになっているな。


 人間族を斬っている殺人鬼を警戒しているのだろうか?……テッサは、以前から治安には気を使っているからな。


 殺人鬼を野放しにするつもりはないのだろう。偉い市長さんだな。オレも手伝ってやりたい気持ちになってくるじゃないかよ―――。


「―――なあ!!女も酒も足りてるならよ、団長サン!!肉はどうだい、肉!!」


 骨のついた鶏のもも肉を売る店だ。ビールに満ちた胃袋には、こういう露骨な上手いモンが欲しくなってくる。ガルーナの野蛮な胃袋が、ついつい、その店に惹かれてしまう。


 甘辛いタレをつけて、炭火を使って金網の上で焼いているのさ……っ。


「マズいハズがない食べ物を売っているな」


「そうだよ?……こんなモノ、マズく作る方が難しいぜ!!」


 焦げたタレと融けた脂が、灰色と黒と赤の色彩で熱を放っている炭の上に落ちて、香ばしい風を起こしている。炭火の熱気に、顔が火照るな……ああ、胃袋が鳴いている。


「一本いいか?」


「一本だけでいいのかい、団員さんたちにお土産は?」


「みんな、寝ちまっているか、どこかに遊びに行っている……もしくは、仕事中さ」


「こんな夜更けに大変なお仲間サンに、差し入れはどうだい?」


「……いい売り子だな」


「へっへっへ。街一番の売り子を目指してますぜ」


「じゃあ、君の出世に貢献するとしようかね……三本くれるかい?」


「銀貨二枚でいいよ!三本目はサービスだ!」


 微妙に高い気もするな。素直なガルーナ人の顔は、口にしない言葉を代弁していたのだろうか?


「いい肉を使ってますからね!!タレにも、オリジナルの工夫がしているんだ!!ああ、スパイスを多めにする?……夜中にも働くお仲間サンたちの目が覚めるように?」


「そうだな、それじゃあ頼む」


「了解でーす」


 炭火の熱と煙の向こう側で、若いドワーフはニコニコしながら作業を続ける。カンジのいい商売人だよ。彼は、またたく間に、よくタレの染みこんだ鶏の脚を、三本ほど焼き上げて、竹の皮に包んでくれたよ。


「ありがとう。機会があったら、また寄ることにするよ」


「ええ!!ぜひとも、おいで下さいね!!英雄サンたちには、サービスしますから!!」


「……英雄ね」


 ……『パンジャール猟兵団』は、『背徳城』でも、大暴れしちまっているのだが。まあ、『ヴァルガロフ』の住民たちからすれば、細かな理由なんて気にする必要もないか。彼らの大半は貧しく、日々を生き抜くことに必死な連中たちばかり。


 ……あまり、深く考えることも無いだろう。どこか脳天気な戦勝ムードがあるおかげで、テッサは街を動かしやすくもあるのさ。


 鶏のもも肉に噛みつきながら、オレは東に向かって歩いて行く。この鶏肉、なかなかイケるよ。たしかに、いい肉だ。金網の下に垂らしていた脂の量で分かっていたけれど、元気に育ち、よく食べて肥えた鶏サンの脚だよ。


 わずかに焼き目がついた分厚い鶏皮はジューシーで、旨味たっぷりの脂を含んでいた。その下にある肉も、弾力があるいい肉だ。ハーブとスパイスのおかげで、風味もいい。


 肉の楽しみ方を、よく分かっているヤツだよ。


 ああ、ミアがいたら……間違いなく、この肉食系野蛮人の胃袋を満足させる露店グルメに対する感動を、共有しているのになあ……ミア、早く大人にならないだろうか?対象年齢の高い地区にも、一緒に連れて来れるような年齢に……。


 大人ミアか、理想的な小悪魔系美女に育っているのだろうな。


 ……成長した妹の姿を心に浮かべながら、オレは口の中にあるもも肉を何度も噛んで、鶏肉のボリューム感に舌鼓を打つ。こういう食べ物を、歩きながら食べる。野蛮な文化ではあるが、ガルーナ人には丁度いいのさ。祭りっぽいしな。


 肉を食べながら、脚は進む。向かったのは『ヴァルガロフ』の中央区だ。3日前まではファリス帝国から派遣されていた役人どもが居座っていた、古い庁舎……200年前からある、そこそこ古い建物。


 市長の『城』だよ。三階建ての古くさい役人のための施設。色気は少ない構造物だが、四大マフィアの紋章が飾り柱には刻印されていた。ここがテッサ・ランドール市長の新たな職場である。


 『背徳城』で市政をしようとしない辺りが、インテリだな。本当にただのマフィアだったら、あそこで政治活動をしようとするだろうさ。街の中心にある……それこそが、この地味な建物に与えられている重要なメッセージだった。


 テッサは『ヴァルガロフ』の調和を目指さねばならない。四大マフィアは、彼女の市長就任に文句はない。有名だし実力者、戦を指揮して辺境伯ロザングリードを討ち取った存在。


 しかも?


 ……『自由同盟』からの支持もあると言うのなら、四大マフィアの連中は彼女に逆らわないだろう。だが、この街は、四大マフィアを構成する四つの種族がいるからな。テッサが『マドーリガ・ドワーフ』ばかりを優遇している様子を見せれば?


 他の三つの種族に不満が増えていく。テッサ・ランドールは、『マドーリガ』の長ではあるものの、他の勢力たちにも気を使う必要があるのさ。乱世だ。仲間割れをしていれば?すぐさま、外敵に滅ぼされてしまうよ。


 このゼロニア平野は、攻めやすい土地だ。守りにくさはつきまとう。


 テッサにとって、四大マフィア以上に、この街の市民から支持されるということは、街の調和を保つということは、大きな意味を有しているのさ―――だからこそ、人間族を斬るという殺人鬼は、やはり許しておくべきじゃないだろうな……。


「……邪魔するぜ」


「いえ!ようこそ、サー・ストラウス!」


「夜分、遅くまで、お疲れさまです!!」


 市長の『城』を守る、ドワーフとケットシーの門番たちと、そんな挨拶を交わしながら、その古い役人の仕事場へと入って行く……目指したのは、市長の執務室ではなく、その執務室に隣接する小さな会議室だ。


 ノックをする?


 ……いや、気配で悟られているから、別にいいだろう。そんな判断をして、不作法な指でドアノブを回したよ。


「―――お疲れさまですな、団長」


「……ああ、お疲れ、ガンダラ。そして、オットー」


「ええ。お疲れさまです」


 マジメでインテリな猟兵男子は、夜を徹して作業中だったよ。会議室にある巨大な円卓の上には、書類の山がある……なんだか、遊び呆けている自分が恥ずかしくなるが、差し入れの焼いた鶏のもも肉で誤魔化そう。


 銀貨2枚で、この恥を少し軽減出来るのなら、高い買い物ではなかった。


「差し入れだ。食ってくれ。かなり美味いぞ」


「……そうですね、ちょうど夜食にしようかと思っていたんですよ。頂きましょうか、ガンダラさん」


「ええ。しかし、差し入れですか。団長にしては、気が利くじゃありませんか?」


「オレは、いつだって部下の心配をしている、いい経営者のつもりなんだけどな?」


「そうですか?まあ、おかけ下さい」


「ああ」


 オレはガンダラに差し出されたイスに座るよ。背負っている竜太刀が、ちょっと邪魔だから、スライドさせてね。


 二人は、鶏のもも肉を食べてくれたよ。ガンダラは、浅黒い肌に、いつもの無表情だった。冷静だな、食事中さえも?


「美味いだろ?」


「ええ。美味しいですよ」


 ……だったら、そういう表情をしてくれた方がいいのだが。巨人族は、グルメに対して興味が薄いらしい。オレは……ガンダラの隣で鶏肉にかじりついている三つ目族の探険家に視線をやった。


 いつものやさしげな微笑みを浮かべていたよ。糸のように細く閉じられている瞳が、こちらを向いた。


「美味しいか?」


「ええ。温かいですから」


 ……温かいかどうかが、味よりも美味しさの決め手なのかもしれない。『サージャー/三つ目族』の価値観だろうか?標高の高い土地で暮らしていたらしいから、そういう価値観になってしまった?


 というよりも、極地の探検をも愛してやまないオットー・ノーランだからこそ、そんな哲学を手にしたのだろうか?……それは、温かいメシは美味いけどさ。なんか、もっと味にまつわる具体的な感想を欲しくもある。


 ともかく。『パンジャール猟兵団』の男どもの中で、一番目と二番目に賢くてマジメな人物たちは、美味しい鶏肉を手早く食べ終わる。オレは、質問しようとしていることがあるのさ。『ヴァルガロフ』市政の、ややこしそうな問題点とかではなく……。


「……『人斬り』がいるんだって?しかも、人間族専門のヤツがさ」


 ―――そいつについて気になっている。そいつは、誰だろうか?……人間族に憎悪を募らせた、ここの市民たちか?……それとも、街の不和を高めようとしている、帝国の密偵。


 前者であっても、後者であっても、問題だ。


 ……オレは、左眼は竜の怨霊に呪われているけれど、れっきとした人間族だ。オレで釣れるのなら、今夜は『囮』をしてやるつもりになって来ているんだけどね。ガンダラとオットーが働いている姿を見てしまった今では、とくにね。


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