序章 『鋼に魅入られしモノ』 その2
……アリスちゃんとギンドウくんが、腕とか組みながら酒場から出て行く。上手く行くといいな、我が友ギンドウよ。そんな祈りをビールの入ったジョッキに捧げていた。
一人でビールを呑む。さっきと同じ味なのだが、楽しさが消えているな。一人で酒を呑むのはつまらないが……あれほどの鼻血を噴き出したジャンを起こすのは、気が引けた。トマトジュースがジャンの血液を補うように、血管を回るまでは、安静を保つべきだな。
半裸の女を見たぐらいで、男は死ぬようには出来ちゃいないはずだ。とくに、強靭な身体能力を有する『狼男』である、ジャン・レッドウッドは。
……なんだか、マジメに考えているとアホらしくなって来た。
オレは酒場の天井へと視線を上げる。薄暗い天井を覆い尽くす影を見ながら、心のなかにアリスちゃんの言葉が浮かんだよ。
―――昨日も一昨日も、人間族が斬り殺されたんですよう。
……辺境伯軍は人間族ばかりだったからか?……辺境伯ロザングリードが死に、ファリス帝国の影響力から、『ヴァルガロフ』は解放された。この街は、テッサ・ランドール市長に支配された街であり……『人種の共存』は保たれている。
だが、帝国は人間族ばかりだからな。その帝国と敵対した現在、『ヴァルガロフ』の住人たちの憎悪が、人間族に向けられているのだろうか?
帝国人を許せとは言わないが、無差別に人間族を襲うような思想が蔓延するのは、『人種の共存』とは違うな……。
しかし、帝国と敵対するということは、『人間族に対する憎悪』という感情を、この『ヴァルガロフ』の人々の心に生み出すことにつながる可能性は高い。
そうだとすると。少し悲しくなるな……オレ自身が人間族だから?多分、それもある。そして、それだけでもない。『人種の共存』という寛容さが、この『ヴァルガロフ』の唯一の魅力みたいなモノなのに……そいつが、薄汚れちまったように思えて、イヤだった。
戦に勝ったぐらいでは、世の中には理想は訪れない。
日々、その土地に暮らしている人々が、理想を追及して、多くの困難に耐えながら、少しずつ世の中というモノは良くなる。
オレたちの勝利が、『人間族に対する憎悪』をこの街に呼んだのだろうか?……そんなコトを考えてしまい……ビールがさっきよりも苦く感じるんだ。
……一人酒もつまらんな。まだ、12時。酒呑みからすれば早い時間だが―――宿に帰るとするかね。
残りのビールを一気に呑み込み、席を立つ。銀貨を8枚ほど置いてな。酒の熱を帯びた体を左右に揺らしながら、ジャン・レッドウッドのそばに近づいていく。ジャンは、オレに気がつくと、あの青ざめた顔を動かした。
「……大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です」
「オレはそろそろ宿に戻ろうと思うが……お前はどうする?」
「ぼ、ボクは……そうですね……今、このまま地上に出ると……死ぬ気がします」
真剣な表情だったよ。ジャンは、命の危険を感じているらしい。戦場でも恐怖心を見せない男なのだが……半裸の売春婦を見ると、自分は死ぬと語っている。冗談……とは思えない。澄んだ瞳をしているからな。
「……じゃあ、朝まで、ここで寝てから戻るといい」
「は、はい」
「バーテンダーよ!ジャンを、朝まで置いていていいか?」
カウンターで、ジョッキを回収しているドワーフ族が、ゆっくりとうなずいてくれる。
「かまわんよ」
「そうか……恩に着るよ」
「いや。ワシも、その赤茶色の髪の若造と、ハナシがしたくもある」
「ん?ジャンと?」
「ああ。そうだ。そいつは、アレだろ?」
「アレとは?」
「デケー犬がいたじゃないか?」
「犬?……ああ、ジャンは『狼男』だから、巨大な狼にも化けるよ」
「やはりな!そいつからは、『いい犬の気配』が漂っているからな」
「……『いい犬の気配』?」
ソファーに横たわるジャンを見下ろす。ジャンは、眉を寄せながら、不安そうな顔をしている。その顔面が、こっちをゆっくりと見上げて来たよ。
「……ボク、い、犬ですかね……?」
「いや。『狼男』だろ?」
「……キュレネイは、ボクを……い、『犬男』だって呼んでいました……ボクは……犬なんでしょうか?」
部下から、そんな質問をされたとき、上司はどう答えてやるのが正しいのか。修行不足のオレには、よく分からなかったな……。
「……安心しろ、『犬男』とか、聞いたことないし―――」
「―――そう、ですよね……ぼ、ボクは……犬じゃないと思うんですよ」
はたして自分は犬なのか狼なのか。なかなか、その状況に立たされた者でもなければ、共感してやることの出来ない悩みだろう。
少なくとも、オレにはよく分からない苦悩だ。そもそも、自分が狼だったら良いということでもない気がするしな。犬よりは、マシだが……。
「そうだ……ちがうんだ。ボクは、い、犬じゃないよね……『おかあさん』……」
自分の存在について、不安げに考察を深める部下を見つめていると、背後から熱気をまとった声が聞こえていた。
「闘犬を育てるワシらには、分かる気配がある!!」
バーテンダーが……いや、多分、アイツ、この酒場のオーナーなんだろうな。闘犬酒場の主は、えらく興奮していたよ。
「いい犬からはな、気配がするんだ!!それを、ワシらは分かる!!」
「……ジャンは、『狼男』だぞ?」
「それがどうした!!戦場で、ワシは見たぞ!!アレは、犬だ!!巨大な犬だぞ!!」
「……え」
ジャンは目を見開いていた。犬だと断言されて、ショックなのかもしれない。
「……ボクは、犬、だったのか……」
26年間も生きて来たというのに、初めて聞いたセリフだったな。酔っ払いの口からさえも聞いたことのない言葉に、オレは爆笑しそうになったが―――ジャン・レッドウッドの真剣、あるいは深刻な表情が、爆笑を自重させたよ。
「いや。『狼男』だ。しっかりしろよ?」
「そ、そうだ。そうです、ボクは、狼ですよ!!」
「犬とか狼とか、そんな小さいコトはどうでもいい!!」
「ち、小さなコトって!?……ボクの、アイデンティティーが、か、かかっているんですよ!?」
『犬男』にはなりたくないらしい。ジャンは、貧血気味の体をソファーから起こす。そして、ボヒュン!!という音と共に、狼に化けた。巨狼ではなく、2メートルほどのサイズだ。
『ほら、完全に、狼ですよ!!』
「素晴らしい犬だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
闘犬酒場の店主は叫び、カウンターの向こう側から身を乗り出して、いや、こっちの方に這いずり出て来た。興奮し熱狂するドワーフの中年は、その野太い短躯を走らせて、ジャン・レッドウッドが化けた狼の前にやって来る。
人見知りの『狼男』が尻込みしている。
『な、なにか!?』
「この毛並み……このサイズ。この筋肉の付き方……まったく、理想的な犬じゃないか」
「いや。狼だろ?」
「違う。デカい犬だ。狼ってのは、デカい犬のことだ」
……そうなのかな?
あまり深く考えたことはない。デカい野犬と狼の違い……ふむ。どうにも大きな違いなど、見つけられない。
『ち、ちがいますよう!!狼は、犬とは、ち、違うはずです!!』
「何が違うというのだ?」
『そ、それは……ボクにも、よく分からないですけど!?』
「分からないのではない。無いのだ」
『え……?』
「狼とは犬だ。犬も狼も、同じなのだ」
そうなのだろうか?……何か違いがあるかもしれない。だが、よく分からない。大量に摂取したビールのせいだろうか?でも、しらふの時に、狼と犬がどう違うのかを答えなさいと訊かれたとして……どんな返事をすることが出来たのか……。
……あまり、考えたことがないテーマだからな。動物専門の学者とかに聞けば、何かが分かるのだろうか?
『ボクは……じゃあ、つ、つまり、『狼男』は、『犬男』でもあるんでしょうか!?』
「そこは知らん」
『そ、そんな!?無責任ですよ!?』
確かに無責任な気がする。でも、何だかこのオヤジとジャンの会話が面白いから、見守るとしよう。
「いいか?ワシは闘犬の専門家であり、『狼男』だとか、何だ、『犬男』?……そんなワケの分からん存在については知らないし、後者については知ろうとも思えん。どんなマゾ野郎なんだろうって思うしな」
マゾ野郎?……『犬男』という言葉には、やはりネガティブな印象がまとわりつくらしい。『狼男』が持つ、野蛮さとかが消えちまっているもんな。
古い図書館で、『狼男にまつわる調査と考察』というタイトルの古書を見つけたとすれば、間違いなく、その本へと手を伸ばすよ。
でも、『犬男にまつわる調査と考察』、あるいは『犬男の全て』などというタイトルの古書でも新書でも見つけたとして……指でその本を掴む日が、果たしてオレに来るだろうか?……多分だが、来ない。まあ、今この場にそれがあれば、読むかもしれんがね。
明日の朝には興味も失せているだろうよ。
『ボクは……お、『狼男』です!!』
「そうか。分かった。お前はつまり、『狼男』が化けた犬なんだな?」
『いえ!お、『狼男』が化けたのだから、きっと―――』
「―――ああ、もう。そんなことはどうでもいいんだよ!!」
『そ、そんなことって!?』
「肝心なのは、お前が闘犬に向いているってことだ」
『え?』
「おい。まさか、ジャンを闘犬と戦わせるつもりじゃないだろうな?」
『ぼ、ボク、犬に噛みつくのはイヤですよ!?』
……そうだったのか。たしかに、言われてみれば、犬に噛みつくのはイヤだな。犬が好きなヤツも犬が嫌いなヤツも、その意見には一致した答えを出しそうだ。そもそも……。
「……オッサンよ、うちのジャンは『狼男』。闘犬どころか猛牛だって瞬殺する。弱い者いじめはいかんぞ」
「ハア?闘犬と戦わせたりするかよ?」
「そうか……」
「『狼男』だか『犬男』を、ワシらの闘犬と戦わせるなんて、非常識だろ?」
「オッサンも、そこそこ非常識な気がするのだがな……で。何が目的なんだ?」
「そいつに、技を仕込んでみてえだけだ」
『ボクに、わ、技を……?』
「そうだ。闘犬の技だよ。戦場でお前を見た。たしかに圧倒的だが、力と速さに頼り過ぎた動きだ。犬としての動きが、なっていない!!」
『……っ!!』
……闘犬としての技巧か。『闇』を使うカミラもそうなんだが、ジャンもまた育成に課題の多いタイプなんだよな。『パンジャール猟兵団』は達人ぞろいだよ?……でも、『狼男』や『吸血鬼』の力には、詳しくない。
とくに、巨狼に対して、どんなアドバイスをすべきか……はかりかねる。ジャンに対して、斬りかかることで、敵がどんな動きをするかを教えることは可能だが。ジャンへ敵に対して、どう動くべきなのかを教えてはやれていない……。
「……オッサン。アンタなら、ジャン・レッドウッドに、闘犬の戦術や技巧を、教えられるのか?」
「ああ。おそらくな。ワシらの闘犬の歴史は知っているな?」
「戦場で使う犬だ」
「そう。戦神バルジアに捧げる祭りの一種でもあるが、本質はそこだ。ワシらと共に、街を守り続けて来た、戦士。それが『ヴァルガロフ』の闘犬だよ」
『……戦場で、つ、使える知識が!?』
「あるさ。それを……あの力任せにしか戦えていない、ダイヤの原石みたいな犬であるお前に、伝授してやりたいんだよ」
「……ジャン。どうする?……『ヴァルガロフ』の闘犬の技巧を識れば、お前は今より確実に強くなれるだろう」
『団長……』
「『狼男』の戦術は、お前自身が創り上げる他、無いと思うが、参考になるはずだぞ……騎兵に食い付いて倒す、この街の闘犬の技巧は、お前の牙の威力を確実に上げるだろう」
『ウォー・ウルフ』とかいう呪術に強化されているとはいえ、犬が騎兵を単独で倒してしまう。
アレには技巧がいるはずだ。力だけでは、足りない。力と速さを、より効率良く使う技巧に満ちた動きのはずだ。
「闘犬たちが騎兵を襲うべき部位や、そのための動き。あるいは注意点。それらを学ぶことで、お前は、きっと強くなれる」
「そうじゃ!!ワシになら、教えられるぞ!!」
『……ぼ、ボクっ!つ、強くなりたいです!!狼として!!』
「分かった!!ワシに任せろ!!今から、犬とは何たるか、否、闘犬とは何たるかを、お前に教え込んでやるぞ!!」
『はい!!よ、よろしくお願いいたします、先生ッ!!』
「トレーナーと呼べ!!お前を、いい闘犬にしてやるぞ!!」
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