『狂気の賢者アプリズと失われた禁呪』

序章 『鋼に魅入られしモノ』 その1


 『ヴァルガロフ』の夜が過ぎていく……六月中旬のゼロニア平野の気温は、どうにも生ぬるいものだから、よく冷えたビールが美味い。


「ああ!!……最高だぜ……っ!!」


 美味い酒には素直な言葉が似合うものさ。ここは『背徳城』の近くの闘犬も楽しめる酒場、『ドッグ・オブ・グラール』さ。今は闘犬たちは休業中だ。辺境伯との戦に駆り出されたせいで、ほとんどが負傷している。しばらくは休むことになるそうだ。


 まあ、いいさ……酒が美味いしな。


「……あー……ヴァカンスってのは、いいもんすねえ。働き過ぎて、死んでしまうところだったから……ここ数日は、天国っすわ」


 ギンドウ・アーヴィングも、ビールをグビグビ呑み込みながら、至福の顔だった。


「そうだな。ギンドウ、今回はよく働いてくれた」


「へへへ。今回もってのが、正式な評価っすね。オレは働きモンだから」


「そうだったか?……久しぶりにあったら、『ゴルトン』の賭場にいやがったよな?」


「へへへ。だって、敵状視察で仕方がなくっすね。単独潜入ミッションだ!」


「くくく!ああ、そうかい」


「オレは今回ばかりは勤労青年やっていたっすよ。団長の吸血鬼のヨメから聞いていないっすか?……オレのおそろしい活躍を」


「いい爆弾を作ってくれていたらしいな」


「西の砦にいた辺境伯の兵士どもは、オレの爆弾を探しても探しても見つけられず、寝不足だったはずっすよ。撤退していくときも、ハイランドの『虎』どもに、散々に蹴散らされていたっすから」


「彼らは、30分で、4000殺したって?」


「……んー。ハナシを盛っているワケじゃねえっすねえ。それぐらいの勢いは、たしかにあった」


「辺境伯軍は精強だったが」


「あっちも、相当なモンだったすよ。傭兵並みに柔軟で器用、そいつらが一流の兵士の規律で動くようなイメージっすわ」


「本隊と同じようなものだな」


「……オレたちの陽動があってこそでもあるっすけどね、それを差し引いても、やっぱりハイランド王国軍ってのは、クソ強い」


「だろうな。そうでなくては、こちらとしては困る……『自由同盟』、最強の軍団だ」


「あれなら、侵略師団の二つか三つは、潰せるかもしれねえっすよ。ロロカんところのユニコーン騎兵が手を貸すのならっすけどね」


「……そうだな。ハイランド王国軍の、騎兵の少なさは不安要素じゃある」


 だからこそ、バシュー山脈に近しく、森と斜面、そして山岳という、『天然の城塞』が多くある土地まで駆け抜けさせたわけだ。


 悪路では、フーレン族の『虎』は強さを発揮するし……『虎』の唯一の弱点である騎兵の機動力が弱まるからな―――。


「―――だー……やめとこう。仕事のハナシしていると、せっかくの酒がマズくなる!!」


 酒と遊びを愛する変人、ギンドウ・アーヴィングは実に彼らしい言葉と共に、ビールを追加する。


「オッサン、ビール追加だ、二つ!!……どうせ、団長も、まだまだ呑むんだろ?」


「もちろんだ」


 さすがは我が友だよ。オレの体に、どれだけアルコールが入るのかを、よく知っているではないか。追加のビールが来る前に、さっさと呑んでしまわなければな。


 ビールってのは、実に繊細な生き物だよ。樽から出て来てしまうと、すーぐに美味さが消えてしまう!早く呑んでしまうことが肝心だ!!


 木製ジョッキを持ち上げて、グビグビと『マドーリガ』のビールを、ノドの奥底へと流し込んでいく。


「へへへ!いい呑みっぷりっすよ、さすがは団長」


「ああ!『ヴァルガロフ』にある全部の酒だって、呑み込んじまうよ!」


「お待たせしましたー!!ビール、二つお持ちしましたー!!」


 弾むような若い声が聞こえて、人間族……いや、ドワーフとの『狭間』の娘か。その小柄で細身のウエイトレスが、オレたちのテーブルにビールを運んで来てくれる。笑顔の可愛い娘だな。酒場の花は、明るい娘がいいもんだ。


「あんがとさーん!ほら、団長、ビールっすよ!」


「おうよ」


 ギンドウから木製ジョッキを手渡される。ギンドウが、ニヤニヤしながら待っているので、大人の挨拶、乾杯を実行する!……ぶつけ合わされたジョッキから、泡と麦酒の金色の雨が少しだけ降った。酔っ払いなもので、力加減が上手くいかないのだ。


 腕にちょっとだけビールの雨を浴びたが、問題はない。ビールの香りは好きだし……戦から勝利した後は、酒浸りの毎日が許されているのだ。リエルの秘薬のおかげで、折れていた肋骨の治りも早い。


 腕を振り上げても、全く痛くないのだからな……戦場では、この動作でも痛かったのだが、この三日で、ヒビ割れていた肋骨がくっつきかけているようだ。


「へへへ。腕の動きが、スムーズになっているっすねえ」


「ああ。ほとんど治ってるよ、痛みも無い」


「さすがはエルフの秘薬っすわ。弓姫ちゃん、薬草を煎じるのが、どんどん上手になっているっすね」


「色々な経験を積んでいるからな。オレたちよりも、若いリエルは成長の度合いが早い」


「エロい意味で?」


「くくく!このスケベ野郎め!」


「ヨメが三人いるような男に、言われたくねえっすわ!!」


「たしかになあ!!ハハハハハハハハ!!」


「ガハハハハハハハハ!!」


 酔っ払いの男たちは、無意味な爆笑を闘犬酒場に響かせる。ウエイトレスの娘は、苦笑していた。


「へー。英雄さんたちも、酔っ払っちゃうと、フツーのお兄さんたちなんですねー?」


「まあ、男に過度な期待をするものじゃないよ」


「そうそう、フタを開ければ、みーんなドスケベっすからねえ」


「あはは。まあ、それなりに知ってるケドー?」


「へー。さすがは、酒場の看板娘さんだぜ」


「私、細いから。ドワーフ族の男にはモテないんだけど、他の種族の男には、それなりにモテるんですー!」


 ウエイトレスは若い体をしならせて、腰のくびれを強調させる。なんだか、自信ありげなドヤ顔だな。ドワーフ族は太った女性を好む傾向があるようだし、スレンダーなことをコンプレックスに感じているドワーフ女子も多い。


 しかし、『ヴァルガロフ』という雑多な人種が共存するこの街においては、彼女のようにスレンダーで小柄な女性を好む男も少なくないようだ。ここは、『マドーリガ』の支配する西の街。売春宿だらけの地区だから、種族を問わずスケベな男は自然と集う。


 オレは安い酒が目当てだけどな。テッサ・ランドール市長のおかげで、『パンジャール猟兵団』は西地区の店では飲食代に割引がかかっている。


 戦に勝つとモテるからな。独身だったら、オレも売春宿に出かけるのだが―――ヨメを三人も拠点にしているホテルに残している身としては、女の子には興味がない。


 だが。ギンドウ・アーヴィングは違う。


「オレ、腰の細い子は好きっすよ」


「あらー。ホントですー、英雄さーん?」


「もちろんさ!そのスレンダーな体を維持する君の努力にこそ、惹かれるんすよ」


「へー?ほんとですかー?」


「好みの子に嘘なんてつかねえっすよ。ウエイトレスちゃんは、オレの好きな形の顔をしているんだ」


 ……口説きにかかっているな。ギンドウは変人だが、若い男だ。飛行機械や発明にばかり興味があるわけじゃなく、酒、博打、女と、一般的な男がいくらでも金を注ぎ込むものも好んでいる。


 堕落している男だ。


 ちなみに顔が悪いコトはない。エルフ族の血のせいだろうか、スラリとした若い女のウケが良さそうなヒョロイ体型をしている。アゴの先も細いし……まあまあ、いい男ではあるんだ。


 よその土地では、ハーフ・エルフという『狭間』だからモテない。それどころか、ガキの頃には迫害までされていたほどだ。だが、ここは『ヴァルガロフ』。相手の娘も『狭間』というのであれば、ギンドウのそれなりに良い顔も機能する。


 戦に勝って、英雄になっているのに……モテないはずはないのだ。ギンドウがウエイトレスの娘に対して、本気の恋愛感情を持っているのか、ただのスケベ心なのかは分からない。


 だが、確実にギンドウ・アーヴィングはウエイトレスを口説いていた。彼女も、『英雄に抱かれた』という武勇伝が欲しいだけなのかもしれないが、入り口はどうあれ、コレが素晴らしい恋の物語が始まりかもしれない。


 にんまりと、ウエイトレスは笑う。酒場の看板娘は、恋愛経験豊富そうだな。


「ギンドウさんのタイプなんですか、私?」


「そうっすよ。君は、ドワーフの血を引いているけど、死んだお袋に似ているんすよね」


「あはは!エルフとドワーフじゃ、種族ちがうしー!」


「笑顔の作り方が似ているんだって」


 ……そこそこ良い顔で、マジメな表情になる。それだけで、そこそこカッコいい雰囲気が出せるんだから、顔の作りがいい男ってのは腹が立つ。普段、ギンドウはニヤけ顔ばかり浮かべている男だからだろうかな。ヤツがマジメな人物みたいに見えた。


「お袋はオレを庇って、近所の村人どもに撲殺されたんすよ。お袋のことで嘘はつかねえんだ」


「ギンドウさん、重たい過去を背負ってるんですね」


「『狭間』には、よくあるハナシっすよ。お袋みたいな笑顔の君に聞いてもらって、慰めてもらいたいっすねえ」


「あはは。そうですねー……他の店で、二人で飲みながらってのは、どうです?」


「他の店を儲けさせちゃっても、いいんすか?」


「私、今日はもう10時間近く働いているんです。ワンちゃんたちの治療もしてたから。そろそろお家に帰る時間なんですよ」


「そっかー。それなら、そうしよう。団長は、一人酒も好きっすよね?」


「……大人の男だからね」


「それに、一応ジャンもいるし?さみしくねえっすよね」


「ジャンか……」


 この酒場にはいるんだけど、隅っこの方にあるソファーで寝ちまっている。ジャンも連れて三人で街に出かけたのは良かったが……失念していたのさ。『背徳城』近くに行くと、そこら中に売春婦のお姉さんたちがいる。


 ジャンは、女性に対して奥手過ぎるせいなのか、街路に並ぶ半裸の女性たちを見ると、大量の鼻血を噴き出していた。ジャンのいるトコロだけが、戦場だか殺人現場のように血の海に染まったな……。


 気を失いそうなジャンに肩を貸してやりながら、オレたちは『ドッグ・オブ・グラール』へとたどり着いた。元々、この店には来る予定だったから別にいいけどね。


 今のジャンは……ソファーに寝転がっている。大量に失血したジャンは、この店でトマトジュースを求めた。たくさんのトマトジュースを飲んで、そのまま横になって眠っているのさ。


 ……どうしてトマトジュースなのか?


 ジャンは、『鼻血が出たから、トマトジュースを飲むといいんですよ』と、個人的には納得しにくい民間療法を語る。いや、民間療法というよりも、ジャン個人の意見なのだ。


 『色が似ているし、これを飲んでおくと大丈夫な気がするんです』。果たして、医学的に正しい行いなのか?……自信がない。年寄りどもに伝わる、根拠不明の謎治療みたいなものかもしれない。いわゆる迷信だ。


 だが、ジャンがそれで納得しているなら、別に文句は無かった。もしも、トマトジュースが出血に効くとするのなら、戦場に大量に持ち込むべきだな―――。


「―――良かったー、英雄のギンドウさんと一緒なら、帰り道も怖くないですよね」


「そうそう、ムチャクチャ、安全っすよー。オレは、安全な男っすもーん」


「あはは。嘘くさーい。でも、ちょっと安心なのはホントです」


「……ここらは危険なのかい?ドワーフの戦士が、たくさんいるが?」


「まあ、『ヴァルガロフ』ですもん。悪い男はそこらに、いくらでもいるしー……でも、戦があってからは、いつにも増して物騒ですかね」


「戦の後は、混乱が残るものだ」


「うん。そうみたいです。今は、人間族を襲うヤツが多いみたい」


「人間族か……」


「昨日も一昨日も、夜中に人間族が斬り殺されたんですよう」


「そうか。物騒だな。君も人間族の血を引いている。ギンドウ、彼女を守れよ」


「了解っす!……じゃあ、出かけようぜ、ウエイトレスちゃん!……名前なんだっけ?」


「アリスちゃんでーす」


「そっかー!じゃあ、アリスちゃん、行こうぜ!猟兵ギンドウ・アーヴィングが、君のことを、怖い殺人鬼から守ってやるっすよ!」


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