第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その87


 宙を舞うロザングリードの体は、象徴的な意味を宿していた。それを目撃したしまった、ロザングリードの護衛たちは絶望の底へと落とされていく。


「ロザングリード卿おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 主君を討たれた者たちの、悲痛なまでの声が戦場に放たれていた。辺境伯軍の兵士からは復讐の怒りがわき上がることはなく、戦意の消失という現象が多発する。


 ……とっくの昔に限界以上に疲れ果てていた肉体から、意志の力がかけていた魔法が外れてしまうのだ。ガックリと膝からゼロニアに大地に倒れ込んでいき、『ヴァルガロフ自警団』の鋼の前に殺戮されていく。


 死と絶望の連鎖が、周囲に広まるのが見えた。


 ……オレたちは知っていたよ。この精強な辺境伯軍の『最大の弱点』。それは指揮官に対する『忠誠心』と、複雑で多彩な作戦を実行することが出来る『有能さ』だ。


 それらは、確かに強さでもある。とんでもない強さであり、事実、それこそが辺境伯軍に短期間で山岳地帯を占拠する『ルカーヴィスト』を殲滅させた理由でもあるし、我々との戦いにおいて苦境に追い込まれても、強さを失わなかった理由でもある。


 利点ではあるが……あまりにも、依存していたな。


 辺境伯ロザングリードの強さは、その指揮能力。ヤツは、最善に近しいと考えられる選択を選び―――兵士たちはそれを信じて、忠実に動いてみせた。だからこそ、辺境伯軍は強かった。


 ……だが、複雑な指揮により、最善の陣形を構築するという行為は、たしかに強いのだが、弱点がある。複雑な作戦というものを、混沌とした戦場で実践するのは至難の業だ。


 ロザングリードは、戦況を読み、細かく指示を出していたのさ。ヤツはまさにこの組織の『頭』であった。『頭』からの命令で、体は動くモノだ。


 逆に言えば、この『体/軍隊』は……ロザングリードがいなければ、その高度で急すぎる作戦の変化をこなすことが出来ない。兵士の大半は、作戦の意味を識ることまでは出来てはいないだろうからな。


 混乱が生まれていく。戦意の喪失だけでなく、ロザングリードは勝利を目指して軍を動かそうとしていた最中であったからな。動くべき場所が、動かなくなり……理想の陣形は不完全なものとなる。


 連動して動かなければ、陣形を変える結果は、無意味な混乱に終わるだけだ。シンプルな突撃の方が、まだマシなときさえある。完全に消え去った辺境伯軍の勢いに、『ヴァルガロフ自警団』も、ユニコーン騎兵も、難民たちも勢いを上げていく。


 一方的な虐殺になり、辺境伯軍の兵士どもが、唯一取り囲まれていない北へと駆け出していく。逃亡が始まったな。混乱はますます大きくなり、戦列は崩壊する。ユニコーン騎兵はそれらの追撃を敢行したよ。


 辺境伯軍の兵士は、精強である。コイツらを生き残らせることは、大きな災いにつながるからな。


 全滅させてもらうぞ。可能な限り、多くを殺す。降伏も認めることはない。捕虜を取る余裕も、『ヴァルガロフ自警団』にはないのだ。


 殺戮の時間が始まる。逃げる敵兵をユニコーン騎兵が背後から槍で突き殺し、ドワーフの戦槌が抗う兵士たちを打ち殺していく。オレたちが参加するまでもないさ……仲間はこれから一人も死なない。意地っ張りな敵兵も、数名がかりで仕留めれば楽に殺せる。


「決まったでありますな」


「……ああ。もうヤツらは死ぬだけだ」


 キュレネイがそばにやって来る。


「……疲れたか?」


「イエス。色々と、ありましたので……」


「くくく!変な予言もされたしな」


「笑い事では、ないであります」


「いや。笑い事だ。お前が、オレを殺すことなど、ありえんよ」


「……はい。そうであります。私は、これから62年間、ソルジェ・ストラウスにお仕えするでありますから」


「そういうことだ。オレたちは、ずっと『家族』だよ、キュレネイ」


「むー」


「……どうかしたのか?」


「笑顔を浮かべるべき、タイミングでありますな……」


 無表情のまま。キュレネイは、自分の無表情に悩んでいるのかもしれない。


「その内、笑えるようになるさ」


「ホントでありますか?」


「ああ。必ず、そうなる」


「根拠は?」


「オレには、今のお前が心の中で笑顔になっているのが、分かるからだ」


「ほー……乙女心を、読めるのでありますな。さすがは、私の団長であります」


「まあな。ガンダラたちのところに、行こうぜ?」


「イエス。何だか、皆で集まりたい気持ちが、心の中にあるのであります」


「そうだな」


『ぼくもいくー』


 追撃に参加して、敵兵を何人か呑み込んで来たゼファーが戻って来る。オレはうなずいて、ガンダラたちのもとに歩き始めたよ。


 猟兵たちはテッサ・ランドールと共に……ロザングリードのすぐ側にいた。


 大地に寝転がるロザングリードは、まだ死んではいない。血を吐いているし、黒金の戦槌『シャルウル』に打たれた腹からは、大量の出血が起きている。失血死寸前なのは明白だったな。


 ガンダラは、何か尋問を行っていたの様子だ。メモを取っているからな。ロザングリードは、素直に答えたのだろうか……?


「お兄ちゃんだ!!」


「おう。ミア。無事で何より」


「うん!お兄ちゃんも、ケガはない?」


「ああ。大したことはない。たんに返り血まみれなだけだ」


「そっか、良かった!それじゃあ、勝利の抱っこ!!」


 ミアはそう要請しながら、オレに向かってピョンと跳んでくる。オレはミアを両腕で掴まえて、高い高い状態にする。


「あははは。捕まっちゃったー!」


「血まみれだから、ハグはダメだろ?」


「ううん。血まみれでもいいから、抱っこ!!」


 ミアがねだるから、しょうがない。血がついてしまうけれど、いいさ。オレもミアを腕で抱きしめてやりたいからな。ミアを地面に降ろして、ゆっくりと腕で抱きしめる。


 返り血のせいで汚れちゃうけど……猟兵らしいとも言えなくはない。ミアが腕の中にいるだけで、安心するな……ミアもそうなのかもしれない。オレとゼファーは孤立がありえる場所に降り立っていたからな。


「不安にさせたか?」


「信じてたー……でも、ちょっとだけ」


「……ああ。すまないな」


「明日は、ハンバーグとハンバーグとハンバーグがいい」


「分かった。三食とも、お兄ちゃん、ハンバーグを捏ねるさ」


「やったー!!」


 ……日常を感じるよ。この死体だらけの場所でも、オレは日常に触れている。そいつは何とも心を癒やすものだった。


 ミアがオレから離れて、シアンに報告しに向かう。


「シアン!ハンバーグだよ、明日!」


「……三食全てか」


「最高のホリデー!!野菜が、すくなーい!!」


「……うむ。草は、『虎』には似合わない」


 黒くて長い尻尾で、ビュンと風を切りながら……肉食民族ハイランド・フーレン族の女剣聖殿は、野菜を『草』と断言していた。なんとか、野菜という概念を覚えさせたいところだな。


『団長、ご、ご無事で何より!』


「ああ、ジャンもな。無事とは思うが、他の連中はどんなだ?」


『は、はい!ロロカさんとリエル、あと、ククルさんも、こっちに向かっています。その内に来るかと……』


 さすがの『狼男』の鼻だな。辺境伯ロザングリードの居場所も、突き止めていたし、いい仕事をしたよ。何より、今はヨメたちと妹分の無事を確認出来たことは喜ばしい。


 リエルもロロカ先生も、自分の部隊を指揮している立場だ。仲間たちを放置して、オレのところに駆け寄ってくるほど、無責任な女じゃない。リエルは、今ごろドヤ顔浮かべて難民の戦士たちに胴上げとかされていそう……。


 そんな予想をしながら、南西を見ると、当たっていた。


 ドヤ顔エルフさんが、難民たちに胴上げされていた。リエルさまを讃える歌が、聞こえて来そうだな……ククルが、その光景を戸惑いながら見つめている。自分も胴上げされたいのか?いや、異文化に対して驚いているだけなのか。


 ……ロロカ先生は、副社長属性を発揮しているようだな。ユニコーン騎兵たちに、何かを指示しているようだ。敵の掃討が主な仕事になる。逃げ去る敵を滅ぼす。あるいは、数名の捕虜を捕らえて尋問するのもありだ。戦いの後の処理は多いものさ。


 オレも、そうだな。


 命が尽きてしまう前に、ロザングリードに挨拶しに行こう。


 地面に寝転ぶ、その男に近寄っていた。


 ヤツの冷たい青い瞳が、こちらを睨みつける。死の直前でも、その敵意を保つか。敬意を表してやるべきことだ。


「……よう、ロザングリード卿。しぶとくも、生きているな」


「…………竜騎士……か……ッ。さんざん、邪魔してくれおったな……」


「ああ。戦だからな」


「……たしかに」


「いい戦いをしたぞ、ロザングリード卿よ」


「……私は、みじめな戦をしない」


「そうだな。悪手だと感じる策を、アンタは一度も選ばなかった。オレたちにゼファーが……竜がいなければ、こちらも、もっと大勢、殺されていたよ」


 ユニコーン騎兵だけで、時間稼ぎは出来ると踏んでいたが……その認識は甘かったようだな。


「徹底しているな。携帯できる保存食は、ほとんど全て、西の砦に送っていたんだな……立て籠もり、ハイランドの裏切り者どもを、苦しめてやるつもりだった」


「こちらの物資は……一昨日の雨と、襲撃で……大きく減らされていた……そうでなければ……朝メシなど……喰わせるものか」


「だろうな。アンタは無茶なぐらい徹底していたし、兵士もそれについて来た。よく訓練されていたな」


「……私の、領地はな……作物が育ちにくい。この土地に、似ているところもある」


「傭兵と他国への略奪が生業か」


「……生粋の強兵たちだ……身分は低いが……実力なら……私の故郷の兵どもは……どこにも負けない」


「そうだな。少なくとも、侵略師団の兵よりも、強い……いや、多彩で柔軟だった。褒めるに値する戦士たちだったよ」


「……そうか」


「ああ」


「……負けてしまったが……お前たちだけにではない」


「『ルカーヴィスト』の功績もあるな。あの戦いが無ければ、お前たちは倍強く、オレたちを倍は殺していた」


「……そうだとも……それが、分かれば、もう良い。私の軍は……より多くを成し……疲弊により、敗北を喫したに過ぎない……」


「……そうだな。アンタたちの健闘を称える。強い敵だったぞ」


「……お前の敗北を、待っている…………あの世で、もう一度…………私と……私の軍と……戦ってみせろ……竜騎士よ――――――――」


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