第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その76
ゼファーに乗り、戦場の空を駆ける。朝露の融けた風は少しだけ重たい。それでも、このゼロニアの空をゼファーはマスターしていた。不規則に暴れる乱気流をも、楽しみながら飛んでいる。
空にはそれぞれの物語があり、読みやすさが異なる。知識を使うことも大切だが、慣れることも有効なのだ。気まぐれな猫のように荒れる、見えにくい乱気流に揺さぶられたとしても、ゼファーは受け入れる。
『あははは!』
楽しいから笑うのさ。風に二十メートルほど上空まで持ち上げられていく。ゼファーは旋回しながら、闇にまぎれようとして、北東の方向にむけて火を使わない、『ヴァルガロフ自警団』の陣地を見た。
『……あっちからみるとね、ほとんどみえなかったよ!みんなの、ごはんのほのお!』
「そうだ。シンプルな工夫だけど、有効だよ。遮蔽物を使って、炎を隠す……ゼロニアの戦を知るベテランたちのコツだ」
伝統と歴史を受け継いでいることは、幸いだな。闇をまとう術を、彼らは多く知っている。炭火で炊事するとかな。火の明かりを敵に悟られないどころか、上手くすれば煙も立てずに調理が可能。
ゼロニア平原という場所を、彼らは心得ているわけだ。こうして実戦で使うことにより、古強者たちの技巧と知識が、若き戦士たちに受け継がれることになる。有効な技巧であると共に、それが有効である意味も理解できるからな。
隠れること。
それが戦場では最高の武器でもあり防具にもなる。敵から発見されないのであれば、どんな大軍にも襲われることはない。平野では、遠くまで見渡すことが出来る。炊事の煙や炎なんてものは、可能であれば消すべきものなんだよ、この土地では特にね。
まだ星が残る、早朝のゼロニアをオレたちは移動する……辺境伯軍の隊列はすぐに見えて来た。
1万1000。7300で、老齢の戦士を過分に含む『ヴァルガロフ自警団』からすれば、実質の戦力は二倍か……いや、三倍かもしれないな。辺境伯軍は精強な軍団だ。
よく訓練されていて、複雑な隊形も使いこなせる。昨日の朝の戦いでは、イシュータル草の影響下にありながら、重篤な者たちを隊列の後方に移動させながらも、前面の戦力を保つことに成功していた。戦場で進軍しながら、隊列を編成し直すなんてな……。
指揮系統が有能だ。奇襲だったはずだし、意識の外からの攻撃だったはずだぜ、イシュータル草の煙が霧に紛れて襲いかかって来るということはな。竜での挑発にも、乗ってこなかった。
重武装した騎兵にもなれるし、軽装歩兵として山道を駆け抜けることも出来た。命令一つで、複雑な戦術をこなせるし、複数の装備を使いこなす器用さを持っている。個人の熟練だけでなく、指揮官の能力の高さだろう。
……つまり、そいつが辺境伯ロザングリードの真の強さだ。自分の軍団を掌握し、最適の指示を素早く与えている。それを兵士たちは信じているのさ。欲深い面もある男だが、ロザングリードという男は極めて有能な軍人でもある……。
欲に詳しいから、敵の狙いも分かるものだ。
残虐だから、敵への攻撃の切れ味も優れている。
亜人種を殺すことや、道具として扱う行為への躊躇いの無さは、帝国人としては正しいことだとも言えるわけだよ。
……帝国軍人としては、最高の人材であるし、実に有能な軍団でもある。侵略師団はエリートぞろいというハナシだが……コイツらの柔軟性は、非エリートだからこその強み。戦力の数は多くはないが、侵略師団よりも多彩な戦術を採れちまうさ。
エリートの騎士に、馬から下りて山道を走れだなんて、とても言うことは出来ないからな。
そんなクソ強いロザングリード卿が率いる、辺境伯軍……そいつらと、今朝はイシュータル草の煙ナシで戦うことになるわけだ。昨日の戦勝で、連中は活気づいてもいるはずだ。隊列の乱れが少ないことを見ると、士気も落ちてはいないな。
……とはいえ、あまりの強行軍により、疲労は蓄積しているさ。エルゼの予想では、イシュータル草の影響で、睡眠を取れなくともしばらくは元気に動ける……オレたちには悪い知らせ?……そうでもない。
彼女はつけ加えてくれた。
―――ただし、薬物の影響で無理やり見せかけの好調なので、いきなり大きな負担が出てくるはずです。疲れを認識していないだけ。薬物の影響が失われ、不調が現れたら、普段の倍の疲れが来るでしょうし、筋力も発揮することは出来ない。
彼らの仮初めの元気……そいつを引っぺがすために、ロロカ先生とユニコーン騎兵たちは、昨夜チクチク攻撃を繰り返した。伸びきり薄まった隊列に、少数で突撃をかましたり、遠距離から矢を射る。ゼファーの急降下と火球の援護を受けながらな。
ヤツらは夜空も地上も、警戒しなければならなかった。いななき一つあげずに襲いかかる最強の騎兵や、強襲する黒竜……彼らの進軍は絶対に楽なものではなかったさ。
しかし、それだけやっても隊列が乱れていないということは、それだけ兵士一人一人が完成された駒であるということだし、やはり指揮官ロザングリードの有能さがあるからだ。
兵士はヤツを信じ切っている。その時点で希有な有能な将だが、実際にその力量を感じさせる隊列を見下ろしていると、底知れぬ不気味さを覚えるな……。
ロザングリードに与えられた兵士が、2万足らずで良かったし、『ルカーヴィスト』の攻撃があったことも大きい。『ルカーヴィスト』の攻撃がなければ、現状の戦力だけでは仕留めきれなかったかもな。
……とんでもなくイヤな敵だが。
今日、殺せることは良いことだ。ロザングリードに、もしも5万の兵士でも与えられていたら?……その5万の兵士をヤツが訓練し、このゼロニア平野に戻って来やがったら?
おそらく、ハイランド王国軍でも、大損害を与えられていただろう。
当初の予定のように、『ヴァルガロフ』周辺で攻防戦など繰り広げて、ロザングリードに時間と機会と、再攻撃の兵力を与えられていたら?……ハイランド王国軍という、『自由同盟』最強の武器が、止められてしまうところだったな。
テッサたち、『ヴァルガロフ自警団』の功績は大きい。そして、『ルカーヴィスト』たちの犠牲も、結果的にオレたちを助けてくれた。もし、彼らがゼロニアの地に居場所がないというのなら、いつかオレが奪還したガルーナに呼ぼう。それが恩返しになる。
……この事実は、『自由同盟』の指導者たちに伝えるぜ。オレたちは、お互いに良い協力関係になれるはずだ。
そのためにも、この戦で完全な勝利を手にしなければならん。まずは、ロロカ・シャーネルと合流するとしようか。
鉄靴の内側でゼファーの鱗をやさしく叩いて、行こうか、と告げる。ゼファーは旋回しながら上昇するのを止めると、首をゼロニア平野に向かって下げていた。ゼロニア平野が見える。闇に沈んでいるが……竜の魔力を宿す瞳には、その先が見えた。
ユニコーンの騎兵たちが、辺境伯軍の隊列から南におよそ400メートルの距離を保ちながら、追いかけていた。そこに、愛しい者の魔力を感じる……我がヨメの一人、ロロカ・シャーネルだ。
ゼファーが翼で空を叩き、下降の速度に鋭さを与えた。遠くもない距離だからね、その移動はすぐに完了する。
ユニコーンの隊列の頭上を飛び抜けて、ゼファーは右の翼を高く持ち上げる。翼が風を受け止めて、空に大きな弧を描きながら右旋回していく。減速と共に高度も下げていき、オレたちはユニコーン騎兵たちに手を振られながら、ゼロニアの荒野へと着陸したよ。
『とうちゃく……っ!』
ゼファーは脚爪を地面に強く突き立てながら、満足げに語った。見事な着地さ。ほとんど揺れなかった。飛び方の一つ一つが、どんどん上達している。『ルカーヴィスト』の負傷者たちを運ぶことが出来たのも、ゼファーの飛び方の向上あってこそだ。
「上出来だ」
褒めるための言葉を使い、そろえた指でゼファーの首を撫でてやる。
『えへへへ!くすぐったいよう、『どーじぇ』っ!!』
笑いながら身をよじるゼファーを見ながら、オレは幸せを感じていたよ。もっと幸せになることもあった。
「ソルジェさん、おはようございます」
ロロカ・シャーネル。彼女がユニコーンの『白夜』と共に、隊列から飛びだしてゼファーのすぐ側にやって来てくれていた。金色の長い髪と、そこから斜め後ろに伸びる水晶の角……眼鏡の奥で輝く、彼女の知的なサファイア色の瞳。
どこからどう見ても、オレのロロカ・シャーネルだった。オレはゼファーの背から飛び降りて、ユニコーンに乗る彼女へと駆け寄った。
「おはよう、ロロカ」
「はい、おはようございます―――って……?」
ロロカの体を『白夜』の背から奪うように持ち上げるのさ。夫の特権だろう。彼女も協力的に体を動かしているし、もっと言えば『白夜』も気が利いている。『彼女』も脚を曲げて、オレにロロカを抱かせようとしてくれるのさ。
オレはロロカを地上に降ろすと、そのまま両腕で抱き寄せていた。ロロカの金色の髪に鼻を埋めるようにして、久しぶりのロロカ・シャーネルを体全体で感じていたよ。
「……会いたかったぜ、オレのロロカ」
「はい!私も、ソルジェさんに抱きしめられたかったです……」
なんだか癒やされる。ここが戦場でなんて思えないほどに。ああ、ゼファーも『白夜』に近寄っていき、鼻と鼻を突きつけ合っている。コミュニケーション中だな。平和な時間が過ぎる。
オレの腕のなかにロロカも、疲れているようだ。オレに体重を預けるようにしてくるのさ。ああ、鎧さえ着てなければ、彼女の豊かな胸の感触を味わえたが……いや、ロロカがこの体勢で安心出来るのなら、オレはそれで構わんよ。
「……疲れているな」
「……はい。少しだけ。でも、こうしていると、すぐに元気になれますから」
「そうか」
「……はい。そうなんですよ、ソルジェさん……」
ロロカが癒やされるなら、大木にでもなってこのまま何時間でも立っていてやるのも良いのだが―――残念ながら、ここは戦場だったな。
大人女子のロロカ・シャーネルも、状況を理解しているからか。ゆっくりとオレの腕のなかで動いていた。彼女はおだやかな微笑みを浮かべる。
「ソルジェさん。もう十分です!元気、いただけちゃいましたから!」
「うん。正直、時間があれば、もっと色々なことをしたいが……今は戦場だから、ガマンするよ」
「は、はい。そ、そっちの方は、また戦が終わった後に……っ」
「ああ、楽しませてもらうぞ」
「は、はい……っ」
顔を赤くするロロカが可愛くてたまらないが、今は、戦場だからな。敵から400メートルも離れちゃいないし、『ストラウス商会』の連中からは、20メートルも離れていなかった。
オレたちを見ていたディアロス族の若者たちが、ニヤニヤしている。
「社長!おひさしぶりでーす!!」
「副社長と、仲が良いようで、羨ましいでーす!!」
「……か、からかわないで下さい!……皆、ソルジェさんがゼファーちゃんと来たということは、そろそろ突撃のタイミングなんですからね!集中するように!」
「了解です!」
「待ってましたよ、ヤツらに、本気の突撃を喰らわせてやりたかったところです!」
「オレたちの突撃が、あんな軽いモンじゃないってことを、教えてやりますよ!」
「くくく!たのもしいな!!特等席で見せてもらうぞ、君らの突撃を!!」
「ええ、社長にも、ユニコーン騎兵の力、お見せします!!」
北極圏の雄、ディアロス族……帝国人には、ほとんど未知の力、ユニコーン騎兵。その力が最も発揮されるのが、このゼロニア平野でもあるのさ。吹雪に襲われながら、雪を蹴散らす必要もない。
騎兵に祝福を与えるこの場所で、『ストラウス商会』の威力を存分に発揮しようじゃないか。
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