第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その75


 …………戦場では、眠たくても目を覚ますものだな。暗がりのなか、懐中時計を魔眼で読む。


 午前4時……まだ外は真っ暗闇だというのに、寝坊癖のある竜騎士サンとしては早起きなものだぜ。


 オレは、テッサが用意してくれたテントの中に寝ている。肋骨は、リエルの秘薬のおかげで痛みが少しだけマシになっているな。まあ、痛くても働くしかないんだけどね。


 ……寝転んだまま首を捻り、骨を鳴らした。フェルト生地のテントは荒野の風を浴びながら、わずかに揺れている。


 それ以外は、静かなものさ。ジャンも寝息を立てていない。ジャンはいつも緊張しているせいか、戦場でも緊張することはない。異常な状況の方が落ち着くという、日常生活には向きにくいタイプの男でもある。


 ……すでにガンダラはいない。オレも起こしてくれたらいいのにな……まあ、一秒でも長く眠って、体力を回復しろということなのだろう。何日も戦いが続いていたからな。


 ケガもあちこちしているし、働きまくっている。


 だが、よく働いたものだという実感もあるな。どうにか、ここまで来たぜ。後は辺境伯軍を潰して、ゼロニアをファリス帝国の手から奪い返すだけだ。


 オレは立ち上がる。ジャンを起こすと悪いから、静かに竜鱗の鎧を身につけていく。気配を消して動くのは、得意なものでな。


 どうにかジャンを起こすことなく、鎧を身につける。戦場にいるのに、ジャンは普段よりも落ち着いていやがるせいで、こちらの行動に気がつくことはなかった。大物と呼ぶべきなのかもしれん。


 しかし、ゆっくりも鎧を身に付けたせいで、存外、時間が経ってしまっているな。ジャンをそろそろ起こしておくとするか。十分とは言えないが、睡眠時間は与えられたはずだ。


「……ジャン」


「……ん。そ、ソルジェ団長……?」


「もうすぐ朝だぜ。起きておけよ」


「は、はい。そうします……う」


 上半身だけでゆっくりと起き上がっているジャンが、小さなうめき声を上げていた。


「どうした?」


「……ちょっと、胸焼けがしたんです……く、クロケットが続きましたから」


「そうだな。『マドーリガ』は、ここ一番には、アレらしい」


「ドワーフって、油っこいものを讃えているみたいですよ。胃がもたれます……刺激が無いものも、た、食べたいです……」


「まあ。キュレネイとオレたちをつないでくれた、素晴らしい料理だがな」


「……ボクの鼻、今もクロケットのにおいを感じているんです」


「キュレネイか?」


「い、いいえ。そうじゃなくて……きっと、今朝も、クロケットですよ……」


「くくく。ここ一番の料理らしいからな。オレの雑嚢のなかに、乾パンならあるはずだぜ。それでもいいなら、食べておけ」


「は、はい。ありがとうございます、ソルジェ団長……そうしておきます」


 オレよりも若いし、そもそも『狼男』なのに。クロケットの油っこさに胃もたれしてしまうとはな。胃袋は、人それぞれだってことさ。


 ……オレは乾パンをポリポリとかじり始めたジャンを置いて、猟兵男子用のテントから抜け出していく。


 テントを出た直後、荒野に吹く早朝の風の洗礼を浴びることになった。砂粒の混じった風が、一際強く、『ヴァルガロフ自警団』の陣地を走り抜けていた。目を細めてしまうぜ。砂が目に入ると、ちょっと痛いしな。


 風が吹いた方角を睨む。北東……あと二時間もしない内に、ヤツらは現れる。こちらの動きに気づかれている様子は……今のところは無さそうだ。左眼を押さえてゼファーの視野とつながる。


 辺境伯軍の隊列は、南西に向かって道を進んでいた。ゼファーに問いかける。


 どんな状況だ、ゼファー?


 ―――あ。おはよう、『どーじぇ』。ろろかたちがね、いちじかんごとに、つついてたよ。ぼくも、いっしょに、こうげきしたんだ。


 そうか。よくやってくれたな、オレのゼファー!


 ―――うん。がんばったんだ!


 闇に紛れての襲撃の数々、敵の集中力を削れたことだろう。闇に紛れた攻撃で、ヤツらは疲れ切っているさ。それでも進軍を止めないところを見ると……こちらには気づいてはいないようだ。


 ロロカ先生たちの攻撃も、散発的な攻撃に見せかけて行っていたはずだ。本気の突撃は、まだ先になるし……それには、彼女の夫としても『パンジャール猟兵団』の団長としても、同行すべきだ。


 ゼファー、こっちに戻ってくれ。


 ―――うん!もう、ていさつは、いいんだね?


 ああ。敵は、予定通りのルートで仕掛けて来るさ。『ヴァルガロフ自警団』が陣地を築いたここに現れる。


 ―――りょーかい!すぐに、そっちにもどるね!


 ああ。頼んだぜ。


 オレは左眼から手を外すと、テッサの控えているであろうテントへと向かう。テッサはそこでドワーフの戦士隊長と、ケットシーの弓兵隊長、そして精鋭ぞろいの剣闘士たちの隊長と共に、戦場の地図を睨みつけていた。


 ……闘技場での戦いには慣れているだろうが、戦場はテッサも初めてのようだからな。なかなか落ち着けないだろう。7300人の命を預かる……その立場は、優越感にひたれる場合もあるだろうが、こういう時は緊張するのさ。


 初陣だからな。


 何でも、初めてのことは緊張するもんだよ。


「おはよう、テッサ」


「ん。おお、ソルジェ・ストラウスか……よく眠れたか?」


「それなりだ」


「そうか」


「君は?」


「……少しは寝れた」


「素直だな。強がりを言ってもしょうがないことが、分かっているようで何より。緊張してしまうのは、しょうがないさ」


「……まあな。色々と考えてしまっている。だが、迷いはない。すべきことは分かっているのだ」


「そうだ。この戦いは『守り』だ。攻め込んでくるであろう辺境伯軍を、受け止める。どうしたって一度は騎兵の突撃が来るさ。辺境伯軍は精強。どんな状況になったところで、その一撃は来る」


「それを、柵で止め、矢で射殺し、さらに近づかれたら戦槌で馬ごと倒す」


「そうだ。ガンダラの与えた作戦の通りに動け」


「敵が弱り切ったら、精鋭と共に突撃していいわけだな!!」


「ああ。選りすぐりの兵で敵陣を貫き、辺境伯ロザングリードを仕留める。案内は、ジャンがやる」


「……あのガキか」


「有能な男だ」


 胃袋は弱いが、本当に優秀だよ。


「ロザングリードの居場所を、ジャンなら嗅ぎつける。そこを貫けば、辺境伯軍にトドメをさせるさ。タイミングは、ガンダラが教えてくれる」


「……分かった。軍師殿を、信じよう。少なくとも、理屈は完璧だということは分かる。想定外のことが起きなければ、十分な勝算があるな……」


「十分に勝てる戦だ……で。ガンダラは、どこだ?」


「私はここですよ、団長」


 背後からガンダラの声が聞こえた。テントの外で、作業をしていた?……そうか、フクロウを使っていたようだ。


「……南か?」


「ええ。戦勝の知らせですよ」


「もう勝ったのか?」


「持久戦よりも、痛みと戦果を選ばれたのでしょうな」


「……痛みか。クラリス陛下は無事だな?」


「もちろん。ご無事です。戦果も上々、御自ら、槍を持ち突撃に参加されたとか」


「くくく!周りが普段の三倍強くなっただろうよ。乱世の大陸は烈女だらけだな」


「そうですな。被害は、軽微と言えるでしょう。『アルトーレ』の城塞と物資を手に入れて、徴兵可能な大勢の奴隷を解放することが出来ました」


「さすがはクラリス陛下だ。シャーロンに、今度、飲むぞと送ってくれるか?」


「わかりました。団長は、もう出撃なさるのですね」


「ああ。行ってくるよ。ヤツらの朝食のタイミングを襲う。少しでも、敵の質を下げておきたいからな」


「彼らは長い行軍の果てに、疲れてはいるでしょうが、精強ぞろい。弓兵の群れには、突撃なさらぬように」


「分かっているが、弓を撃たせておきたくもある……飛び道具が減れば、こちらの被害を大きく減らすことも出来るからな」


「……兵の損耗を抑えようとすることは、正しいですがね。ムリは禁物です」


「……ん。分かっているさ。お前の策も信じている。個人プレーだけには、頼るつもりはない」


「そうして下さい。リエルたちからも、知らせが来ています。配置は、十分です。合図が来るまで、皆で『寝ている』でしょうよ」


「地理に詳しいということは、大きな利点だぜ。ヴェリイから、地図をもらった甲斐があった」


「油断は大敵です。見抜かれたら、彼女たちは窮地に陥ることになる……そのときは、ゼファーと団長によるカバーに頼るしかない」


「分かっている。リエルはオレのヨメだぞ」


「そうですな。ですが、彼女もまたムチャをする乱世の女傑そのものです」


「……守ってみせるさ。時間を稼げば、ユニコーンもカバーしてくれる。リエルたちを攻撃の『決め手』ではなく、『囮』にしてしまう可能性もある。そのときは……右翼を動かしてくれるか?」


「ええ。取り囲み、殲滅する。『ヴァルガロフ自警団』、『ユニコーン騎兵』、『難民たちからなる志願兵』……この三者で、どうにか立ち回りましょう」


 ……その三者の中では、明らかに『難民たちからなる志願兵』が不安だな。兵種は豊富で、潜在的には対応力もあるが、そもそもシロウト集団だし、歩き疲れてもいるだろう。


 十分に注意しておくとしよう。状況次第では、戦果を稼げる編成なだけに、若者たちが戦功をあげようとムチャをするかもしれない。


 ……志願兵たちだからな。士気は高い。それが災いすることもある。彼らの多くは、若すぎているし、未熟だから。この戦を無事に生き延びれば、大きな経験値を得ることとなるだろうがな……成長する前に、死なれるのはイヤだぜ。


「……ふう。色々と考えていると、個人プレーでムチャしたくなってくるぜ」


「やめておいて欲しいモノですが、それも貴方の性分でしょうから、止めはしませんよ。ただし、死なずに帰って下さい。この戦を仕上げたら……我々の出番は、より増えるでしょうから」


「ああ。食い破るぜ、帝国をな……じゃあ。行ってくる!!テッサを頼むぞ!!」


「ええ。お任せ下さい」


 信頼というのは便利だ。ガンダラに任せておけば、ここは大丈夫だと安心することが出来る。そうだ。この戦場で、最も安全な場所がここだ。猟兵たちもいるし、凄腕の剣闘士たちもいるからな。


 ……さてと。


 一番槍の名誉を、頂きに行くとするか、ゼファーよ!!


 まだ暗い夜空のなかを、ゼファーがその巨大な翼を広げて旋回していた。


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