第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その70


 テッサ・ランドールは、しばらくのあいだ呆然としていた。灰になった『ルカーヴィ』は、言わば彼女の父親、ジェド・ランドールの遺灰にもなるのだろうから。


 彼女は、それを手に取り、母親の墓のある教会にでも運んでやりたくなっているのかもしれない。


 危険は、ないはずだ。魔眼でその灰を見ても、まったくの魔力が残存していないからな。そこらの灰よりも、魔力が消えている。まったくのゼロだった。


 これは神を呼ぶ力の、反動と言えるのか。あるいは代償?……物質が大なり小なり宿しているはずの微量な魔力さえも、それには残されてはいない。この灰は、あまりにも空虚なのだ。物質が宿している、あらゆる力を消費し尽くした。


 ……神の肉体を創造し、動かすということは、それほどに多くを要求されるということかもしれん。常軌を逸したパワーとスピード……あれだけの強さを、ヒトが創るとはな。


 しかし。全ては終わったのだ。『ルカーヴィ』は、死に、それを構成していた全てが灰燼に帰した。神は燃え尽き、死に絶えた。


 残されたこの灰から、『ルカーヴィ』が再生されることはないだろう。


 つまり、遺灰を運ぶのは、許されるはずだ。


 ……いいことさ。ジェド・ランドールも、愛する妻のそばで眠りたかっただろうしな。彼のためにやれることがあるのなら、してやるべきだよ。オレは、彼に憎しみは持っていないのだ。


 彼が選んだ、弱者を救おうとする手段。神の実在を知らしめる。その行為は、大きな危険をはらんでもいたが、どうにか人的被害が出ること自体は回避されたからな。主犯の一人であろう、彼の協力のおかげで、テロは未然に防ぐことが出来たとも言える。


「…………親父は、今、満足だろうか」


 久しぶりに口を開いたテッサが、そう呟いていた。


「君の死を、望んではいなかった。その意味では、満足だろう」


「……そう、かな」


「ああ。あの状態になっても、彼の意志は反映されていた」


「どういうことだ……?」


「オレばかり攻撃して、君には、攻撃をしようともしなかったじゃないか」


「……たしかにな。もしも、攻撃されていたら、私は重傷を負っていた」


「ジェド・ランドールは、やさしい男だったからな。娘を、殺したくはなかったのさ」


「……親父め」


「……彼は、試そうとしてもいたように思える」


「試す?」


「色んなヤツに、チャンスを与えてくれた。アッカーマンの敵であるアスラン・ザルネに協力しながらも、アッカーマンを本気で罠にはめることもしなかった。あの両者にも、チャンスを与えていたように思える」


「相反する者たちに、機会を与えるか」


「迷っていたのかもしれない。両者のどちらにも、深い縁を持っていた男だから。もしかしたら、彼は、両者のあいだを仲介することも望んでいたのかもしれん」


「……そんな道が、あるとは思えんがな」


「無かったとしても、あきらめたくはなかったのだろう」


「……それでも、最終的には……『ヴァルガロフ』の敵となった」


「そうだな。それが彼の苦しい選択だっただけさ」


「苦しい?」


「……迷いがなかったわけじゃない。君の説得に応じて、オレたちにもチャンスをくれたじゃないか」


「……っ」


「彼には、黙秘をつづけることだって、難しくはなかったはずだ。精神力の強い男だ。どんな拷問にだって、たやすく耐えただろう」


「ああ、親父は……無言を貫けたはずだ」


「そうなれば、このオペラ座が発見されることはなかった。彼の作戦のせいで、ここは、どこぞの劇団が貸し切っていると認識されていたようだからな」


「……我々は、地下ばかりを気にしていた。盲点だったよ」


「この街のマフィアに詳しいんだ。彼なら、裏をかける。それでも、ジェド・ランドールは、オレたちに、この場所を教えてくれたんだぜ」


「親父は、迷っていたのだろうか?」


「彼自身の信仰に殉ずることは、まったく迷っちゃいなかっただろう。だが、他の者を巻き込むことには、悩んでいたはずだよ……彼はいつだって、他の道でもがく者のことも、ちゃんと見ていたのさ」


 アッカーマンや、アスラン・ザルネ……そして、テッサ・ランドールの選択も、彼は尊重しようとしていた。


「親父は、八方美人だな……」


「そうとも言える。だが、誰かを救いたいと願う者は、やさしくなければならない。選ぶという行為は、選ばなかった者を、見捨てる行為なのだからな」


 ……もしも、万人を救う道があるのならば、誰しも迷うことはない。皆、一致団結し、その道を、当然のように選ぶだろう。


 だが、世界はそう都合良く出来ているものじゃない。この世界は、あらゆる者が救われるほど、上出来には作られちゃいないんだ。


 ……オレたちは勝利した。勝利し、オレたちの『正義』を貫いた。


 そのおかげで、『ルカーヴィ』に殺されるヤツは、ずいぶんと減っただろう。だが、『ルカーヴィ』のもたらす破壊と、神の実在が証明されることでしか、魂を癒やされぬ者たちはどうなる?


 信仰の癒やしでしか、救われぬことのない弱者……ジェド・ランドールの深緑の瞳が映していた、その悲しき者たちは?


 オレたちの勝利は、彼らに希望を与えることは全くない。神しか救うことの出来なかった、彼らの絶望。それは明日からも、永遠に継続することになる……神サマを証明することは、叶わなかった。


 誰も、彼らを救うことは、出来ない。ジェド・ランドールの『正義』でしか救うことの出来なかった者たちは、この悪徳が支配する街には、本当に大勢いたのだろう。


 ……オレたちは、神じゃないからね。神サマにしか救えないヤツらのことは、どうしてやることも出来ないのだ。


 選ぶということは、『正義』を貫くということは、そんなものだ。限界がある。誰かを選び、誰かを見捨てる。それがヒトが出来る、一つの限界だった。


 自分たちと違う『正義』を持つ者たちからすれば、オレたちはまさに魔王であり、悪魔であり、地獄の使者で……絶望の化身そのものなんだよ。


 全ての者たちを救う『正義』など、この世には存在しない。


 そうだとしても―――。


「―――テッサ。君の親父は、より多くの者を救いたいと、悩んでいた。だからこそ、自分以外にもチャンスを与えたんだよ。この状況に至っても、彼は破壊者の道を選ぶことには、戸惑いがあった。それゆえに、オレたちを、ここに招いてくれたのさ」


「……親父は……止めて欲しかったのかな」


「君になら、それも良しとしたのかもしれない。そもそも、彼の勝ちは決まっていた。それなのに、あえて負けるかもしれない勝負をしてくれたんだからな」


 もしも、『紅き殲滅の獅子/ルカーヴィ』が、ここから外に解き放たれていたら?……どれだけ多くが殺されていたのだろうか?


 殺されて、供物にされて、命を吸われて……アスラン・ザルネの言う通りに、開祖ベルナルド・カズンズの血を引く、浮気性の『ヴァルガロフ』の民を喰らうことで……さっきの状態よりも、さらに強化されていたのかもしれない。


 ……このオレでさえも、一対一では絶対に敵わないと瞬時に悟らされる強者だぞ。アレが、もっと強くなっていたとすれば……?


 そうなれば、誰も勝てなかっただろう。


 より完成された存在であったなら、オレたちも殺されていた。ヤツがまだ未完成であり、オレとテッサの攻撃力があったからこそ、どうにか勝てただけさ―――いや、おそらく、ジェド・ランドールの意志も、『ルカーヴィ』に反映されていたからか。


 『ルカーヴィ』が、オレよりも弱いテッサから殺しにかかっていれば?……彼女は、数秒もたずに殺されていたさ。


 そうなれば、完全には防ぐことも避けることも出来ない、あの攻撃的な怪物に対して、オレは孤独な戦いをすることになっていたんだ。その状況で、もしも3分間でも生き残れたら、奇跡と言えただろう。


 あまりにも、強大な敵だったな。


「……アレが、完全に仕上がっていたら……とんでもない被害になるところだった」


「親父は……それを見たくなかったのだろうか」


「見たくはなかったさ。その被害が、彼の目的には必要な犠牲だったとしても、彼だって苦しむ者を見たいわけではなかった」


「迷っていたか……」


「彼も、もがいて、あがいていたのさ。より正しい道を選びたかった。他の可能性も見たかった。彼は……やさしくて、強かった。悩みながらも、他者を尊重しながらも、自分の道を貫いた。彼らしい生きざまだよ」


「知っているさ。知っているよ。私は……ジェド・ランドールの娘なんだからな」


「ああ。そうだな。テッサ……」


「……なんだ、ソルジェ・ストラウス?」


「君の父親は、満足して死ねたんだと思うぜ」


「……そうか。そうだな。共に戦った、お前がそう言うのだから、信じてやるとするか」


 テッサ・ランドールは、その幼く見える顔に微笑みを浮かべていた。そして、疲れた、と一言つぶやくと、その場にしゃがみ込んだ。


 舞台の端から細い脚を垂らして、彼女は壊れてしまった己の戦槌を見つめる。割れてしまった柄だ。アレを砕いてしまうとは、とんでもない膂力だな。


「……明日も戦だというのに。親父め、私の一番の戦槌を……壊してしまいやがって」


「……代わりの品がある」


「ん?」


「エルゼが、見つけてくれているよ」


 オレはテッサのそばに座りながら、客席の方から、こちらに歩いてくるエルゼ・ザトーを見つめる。聖なる笑顔は、いつものように。ニコニコしていた。


「テッサさま。お父さまの戦槌を、回収いたしました」


「……そうか。ありがとう……エルゼ・ザトーよ」


 黒金の戦槌は、壊れちゃいなかったな。テッサはエルゼから受け取った黒金の戦槌を、くるくると器用に回している。確かめているのだ。損傷がないかを。


 一目瞭然だったよ。あのテッサの戦槌と、幾度となく衝突し合ったというのに……彼の戦槌は壊れてはいない。


「それならば、君が明日、振り回すに相応しい戦槌だ」


「ああ、元々、コレを元にして、私は自分の戦槌を作らせたのだからな」


「……ミスリルを混ぜた、古い鋼のようですね。ビンテージの、ブラック・ミスリル。時の経過と共に、その強靭さは増すはずです」


「うむ。年を取るほどに、ドワーフの鋼は落ち着くものだ……コイツは、私が受け継ぐべき品物だな」


「……ランドールの戦槌か」


「その名は、『シャルウル』だ。病魔をばらまく悪鬼を、打ち砕くために……戦神バルジアが振り回したという、黒き戦槌がモチーフだ」


「いい武器だ。テッサ・ランドールに、相応しい鋼だよ」


「……明日は、コイツで辺境伯ロザングリードを、打ち殺す。私たちの『正義』を、示さねばならない。私たちは、負けているワケにはいかないからな」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る