第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その71
そうだ。疲れてはいるが、まだ戦いが終わっているわけではない。むしろ、辺境伯軍との戦いは明日が本番だ。オレは、肋骨をあちこち痛めてしまっているが、テッサは大きな負傷はなさそうなことが幸いだ。
彼女は、明日の戦の総大将だからな。前線に出てもらいたい。指揮官としての能力では、『ヴァルガロフ』の戦士たちは納得することはないだろう。
最前線で、敵と戦うことを選んでこそ、新たな『四大自警団』の盟主としての地位は確立する。テッサ・ランドールには、伝説がいるのだ。彼女の存在感を、より明確にするためにも、彼女は象徴として相応しい実績を手に入れる必要がある。
……戦の後の、『政治』にも、それは有益なのだ。
『ヴァルガロフ』の誰もが認め、そして『自由同盟』側からも存在を無視することの出来ない『英雄』になってもらわねばならない……。
伸び始めた無精ヒゲを指先に触れながら、そんなことを考えていると。オペラ座の扉が勢いよく開く音が聞こえていた。
シアン・ヴァティとキュレネイ・ザトーが、無数に並んだ客席の向こう側に見えた。あの扉を蹴破り、この場所に雪崩込んで来たのだ。
しかし、すっかりとくつろいでしまっているオレたちの姿を見ると、二人とも残念そうに鋼をしまっていた。
「……出遅れてしまったようでありますな」
「……そうだな。つまらん……」
『虎姫』の黒い尻尾が不機嫌そうに、ビュンビュンと左右に揺れていた。キュレネイが、それを見つめている。捕まえたがっているのかもしれないが、失礼だから止めておくべきだった。
いい子のキュレネイは、フーレン族の尻尾を掴むような行為はしなかった。もしも、オレがそんなことをすれば?……セクハラと断罪されるのだろうしな。
「……何を、にやけている、長よ」
「いいや。ご苦労だった」
「イエス。団長も、マイ・シスターも、テッサ・ランドールも、ご苦労さまであります」
二人も舞台の側にやって来る。テッサは、仲良しではない『虎姫』を睨む。
「……いい獲物だったぞ。私は、神殺しだ」
「……フン」
『ルカーヴィ』を斃したことを、『戦槌姫』は自慢したいようだな。シアンも、戦士として、強敵と戦い、それを仕留めることを誇りとしている。羨ましいのだろう。尻尾のヒュンヒュンが、さっきよりも速くなっているから。
「マイ・シスター、ケガはないでありますか?」
「ええ。私は大丈夫よ、キュレネイ。ソルジェさまと、テッサさまが……」
「私は軽傷だ」
「オレは肋骨が折れてるぐらいで、戦えるよ。痛いだけで」
「なら。大丈夫でありますな。さすがは、団長であります」
「……まあな」
過剰に心配されるのもイヤだが、あっさりと大丈夫と断じられるのも、少しだけさみしいものだ。まあ、いいけどね。肋骨が折れたぐらい、戦場では傷の内にも入らないのは事実だし。
「……それで、ミアとジャンはどうした?」
「……ああ。私の判断で、外を警備させた」
「ふむ」
「……外に出すわけにはいかない相手。ジャン・レッドウッドの嗅覚で、『ルカーヴィ』の逃走を警戒、ミアで追撃と足止めし、ゼファーの火力で焼き払う……」
「文句のない作戦だよ、さすはシアンだ」
「……まあ、な……長よ。鎧が、かなり歪まされているな」
「なかなかの強敵だったよ。神と呼ぶには、相応しい存在だったかもしれない」
「……『予言者』の子供たちは、神の夢を、見たのか……」
「そうかもしれない。何であろうと、封印すべき力だ。『予言者』の存在はな……」
「……エルゼ・ザトーよ」
「なんでしょう、シアンさま?」
「……お前ならば、『予言者』たちを、解放することが、出来るのか?」
「おそらくは。キュレネイの頭から、私は、彼らの脳に与えられたダメージを、いくらか回復させる呪術を回収しています……それを、彼らの脳に刻み……『予言者』としての呪術を解呪すれば、『予言者』の力は消える」
「……そうしてやれ。可能な限り、すぐに……そして、資料も廃棄しろ」
シアンは金色の双眸を険しくしながら、エルゼとテッサを睨みつける。
「いいか。『ヴァルガロフ』の指導者たちよ。『ルカーヴィ』の『有用性』は、証明されてしまったのだ……ハイランドには、『呪い尾』という、幼き者をバケモノに変え、使役する術がある」
「どこも同じようなことを、考えるもんだな」
「……残念ながら、悪人の発想は、似ている。しかし、呪術の全てを否定したくはない。須弥山が掲げた、真の意味の呪術は、誰にも破滅を求めない」
災いから守護するための呪術。そういった呪術も、ハイランドにはある。『シャイターン』の呪いさえからも、王妃を救うことが出来る程に、守護の呪術は強いのだ。
「……だが。『呪い尾』と、『シェルティナ』……そして、『ルカーヴィ』は、ヒトを材料とすることが、よく似ている」
「ハイランド王国軍が、それらを知れば、悪用すると言いたいのですね?」
「……そうだ。ハント大佐は、悪しき手段を、望まないだろう。だが……戦となれば、手段を問わんとする軍人もあふれる」
「『シェルティナ』は、辺境伯軍との戦で、戦果をあげたな」
「イエス。強かったであります」
「……そうだ。有効な『兵器』なのだ……」
「『虎姫』よ、お前の祖国は、この力を、どう扱うと考えているんだ?」
「……テッサ・ランドールよ。言っただろう?……手段を問わぬ、軍人もいる。使おうとする。『オル・ゴースト』の呪術を、ハイランドには渡すな」
ハイランド王国人である、シアン・ヴァティの言葉は深刻に受け止めたい。シアンはハイランドの軍人たちを見てきた。『白虎』も、『虎』も知っている。そんな彼女は、『オル・ゴースト』の呪術を、ハイランド王国軍が『悪用する』と断言していた。
「……誰もが、高潔でいられるわけではない。『オル・ゴースト』の残した呪術は、軍事にも使える。その呪術を残しておけば……ハイランドの軍は、利用する。そして……その呪術は、残酷な生け贄を求めるのだ」
多くの『灰色の血』の子供たちの犠牲の果てに、『ゴースト・アヴェンジャー』も『予言者』も作られた。『シェルティナ』も『ルカーヴィ』も、ヒトの犠牲を強いる。
オレたちには、『オル・ゴースト』の呪術がもたらす痛みが、よく理解できた。
「……テッサ・ランドール、エルゼ・ザトー。お前たちなら、『オル・ゴースト』の呪術を、葬り去ることが可能だということを、理解しておけ。廃棄すべきだ」
「オレもシアンに同意見だぜ。『オル・ゴースト』の呪術は、捨て去るべきだ」
「……そうですね。私は、医療用の情報とそのための記録以外には、未練はありません」
「私もだ。親父には悪いが、あんな神など、そうそう作られてたまるものか。しかし、『虎姫』に、ソルジェ・ストラウスよ」
「……なんだ、テッサ・ランドール?」
「何を訊きたいんだ?」
「お前たち、ハイランドの傭兵だろう?……飼い主のために、『有益な情報』を残していたほうが、ずっと儲かるんじゃないのか?……どうして、破棄しろと言うんだ?」
「……私は、祖国が歪む姿を、多く見たいわけではない」
「なるほど。分かる気もするな。私も、『ヴァルガロフ』の生まれだ。故郷の堕落は、大きな心の痛みとなるものだ。似ているからな、ハイランドも、『ヴァルガロフ』も」
「……ふん」
どちらも、マフィアの悪人どもに牛耳られていた。その意味では、よく似ている。シアンが、これほど心配するのも、ハイランドに残る、悪人どもの支配力を懸念してのことだろうな……。
アイリス・パナージュ『お姉さん』やら、『ピアノの旦那』たちが暗躍しながら、悪徳役人どもを排除しているのだろうが、長らく『白虎』に支配された国だ。それだけでは、浄化される日は遠い。
『オル・ゴースト』の呪術は、『白虎』で呪術を取り扱っていた者の、復権につながりかねないってことさ。須弥山の螺旋寺……武術家としての『虎』たちの中にも、呪術が好きそうな人物たちもいるからな。
アイリスお姉さんからの報告書にもあったな。螺旋寺の重鎮らしき『虎』、『呪法大虎』……名前だけで判断するのは偏見かもしれないが、その名前で呪術に興味がないとは、オレには考えることが出来なかった。
ハイランドは、武術大国であるが―――呪術の国でもある。『ヴァルガロフ』と、似ているところは、やはり多いのだ。
「……『虎姫』の考えは、理解が出来た。だが、ソルジェ・ストラウス。お前は、どうして飼い主に損をさせる?」
「ん。『オル・ゴースト』の呪術が、オレの騎士道に反するからだ」
「……ほう。お前は、商売が下手そうだなあ!」
「そうかもしれんな。しょせんは蛮族なんでアホなんだよ。でも、すべきじゃないことぐらいは分かる。『灰色の血』のガキどもを、苦しめる可能性がある……そんな道は、断ってしまえ」
「イエス。さすがは、ソルジェ・ストラウス団長であります」
「うふふ。ソルジェさまらしい」
キュレネイとエルゼが褒めてくれて、うれしいよ。『多種族の混血/灰色の血』……そう、彼女たちは『ヴァルガロフ』ではともかく、他の土地では最も孤独な立場に晒される。
最も少数派である彼女たちは、誰にも守られることはないのだ。アスラン・ザルネのように、迫害され流浪の身となる者もいるほどに。
この難民があふれる乱世において……『灰色の血』の子供たちを用いて作られた呪術が、戦の兵器として利用できるという事実が広まれば?……難民のなかに、ごく稀にいるであろう『灰色の血』の子供たちは、確実に人買いに誘拐され、呪術の実験台にされるさ。
そんなものを認めるほど、ストラウス家の四男坊は愚かではない。アーレスよ、そうだろう?オレの騎士道は、正しい道を選んでいるはずだ。
「……ハハハ!……亜人種びいきの、魔王らしい言葉だぞ、ソルジェ・ストラウス」
「そうなのかもな」
「まあ。お前がそう言うのなら、我々としても気が楽だ。『オル・ゴースト』の呪術を回収する仕事を、お前が依頼されていなくて助かった」
「そんな仕事だったとしても、同じ結論になったはずだ」
「そうかい。お前が、商売熱心な傭兵じゃなくて、助かったよ。おかげで、私は……『オル・ゴースト』の呪術に苦しめられる者を、これ以上は見なくて済む」
……ジェド・ランドールが抱いていた『正義』の本質とは、慈愛だったのかもしれない。彼とそっくりな深緑の瞳が、今はやさしく二人の乙女たちを見つめていたよ。
最後の『ゴースト・アヴェンジャー』である、キュレネイとエルゼだよ。彼女たちザトー姉妹も、『オル・ゴースト』の悲しい犠牲者だからな。
「……テッサ・ランドール。そろそろ、『ヴァルガロフ自警団』が、出発する時間だ」
シアン・ヴァティが、その時が近づいたことを教えてくれる。
そうだな。
忙しいことに、これから北上する。西の砦に向かい、仲間と合流しようとしている辺境伯軍の動きを、断ち斬るのさ。そして、辺境伯ロザングリードを討つ。
それが、『ヴァルガロフ』に与えられることになる、最良のシナリオだと、オレとテッサは信じているんだよ、ジェド・ランドール。
戦神バルジアの用意した楽園から、見守っていてくれ。
この戦に勝てば、ゼロニアの自治と自由を残す道に、つながるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます