第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その44


 東の山陰から太陽が昇る。朱を帯びた焼けるような光が、戦場となる場所を照らしていく。眼下に広がる濃霧のなかで、朝が始まった。


 獣や鳥たちは静かなものさ、大勢のヒトの動きがあったから、怯えて静かに黙っている。朝日を祝う小鳥たちの歌もない。静かな朝ではあるが……辺境伯軍は隊列を組み始めていた。兵士たちの動きは早く、手慣れたものである。困ったことに、練度が高い。


 ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 霧の静寂を破る、角笛の音が響いていた。低く伸びるように続く音が、やまびことなり地上にこだましていく。進軍を告げる軍隊の歌だ。辺境伯軍の兵士は、霧のなかでも隊列を崩すことはないまま、一斉に丘を降り始めたよ。


 狙いの通りだ……彼らは、今、『背徳城』に漂っていた、イシュータル草の煙を嗅いでいるだろう。しかし、霧に融けているのは草木と土のにおいもあるのさ。異臭に気がつくのは遅れるよ。


 霧の下にいる辺境伯軍の視界は、かなり悪いものだ。濃霧と森林に、イシュータル草を燃やす煙が混じっているからな。それでも丘を降りたヤツらは広がっていく。『ルカーヴィスト』の隠れる森を、包囲するために、南北へと部隊を展開しようと考えている。


 中央の集団は、そのまま直進するのさ。大型の盾を構えた歩兵たちが、最前列に配置されているな。あの盾兵で、『ルカーヴィスト』の矢を防ぐつもりだ。


 まずは攻撃することよりも、敵を囲むことに意識を向けている。当然だな。この霧は双方の姿を隠す効果があるのだから。


 霧が晴れた後に、猛攻が始まるだろう。包囲して、殲滅する。数的有利を最も活かせる方法であり、可能な限り多くを殺す手段でもあるな。


 敵の考えは読めるが、止めようがない。敵の数があまりにも多すぎるからな。しかし、嫌がらせはしてやるべきだ。太陽は、濃霧のなかに影を浮かべてくれている。その影を頼りに、オレは獲物を探し始める。


 敵があまりにも多いからな。外すことはないが……矢の数が無限にあるわけじゃない。敵を混乱させるためにも、外すことなく、一発で。そして、可能ならば強兵を仕留めるべきだ。


 強兵は30人殺すこともあるが、弱兵は1人に殺されるもんだから。死を与える者を選べるのなら?……強兵を殺すべきなのさ。


「……敵は、まだ上空に無警戒だ。霧に守られている気になっているんだろうがな……いいか、最初の攻撃は、必ず当たる。よく狙え。体格が良くて、強そうなヤツから殺すぞ」


「わかった。攻撃は、集中させる?」


「いや。こちらも一カ所に留まらない。敵全体に混乱を与えるために、ゼファーで移動しながら射殺していく。今は兵種よりも、強兵を選んで殺していくぞ」


「了解であります」


「……狙いを、つけましたわ、ソルジェさま」


「よし。狩りを始めるぞ。帝国人に、鋼の味を教えてやれ……撃て!」


 先制攻撃は、オレたちだ。四人の矢と弾丸が、霧に沈む戦場へと放たれる。オレが狙ったのは、中央の戦列にる槍を持った大男だ。そいつの兜を貫いて、矢が頭骨を射抜いていた。即死を与えられた強兵の体が、前のめりに倒れ込む。


 四つの殺人は成功していた。無警戒なはずの上空からの攻撃に、敵は対応することは出来ない。辺境伯軍は、矢がどこから飛んで来たのかも認識出来なかっただろうさ。


「敵襲だあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


「敵は、どこだ!?」


「霧と林に隠れているのか……ッ!?」


 上空という発想を最初には選ばないだろうな。まだ、狙えるが……作戦には忠実であるべきだ。広く混乱を起こし、イシュータル草の煙を、より多く吸い込んでもらわなくてはならない。


 鉄靴の内側をつかい、ゼファーに移動を開始しろと告げた。ゼファーは静かに北上する。中央を攻撃した後は、北に向かう連中を攻撃したい。乱れぬ隊列を組んで動く連中を追いかけながら、我々は再び矢を放つ。


 狙うのは、強兵。体の大きい戦士を狙う方針は維持している。この攻撃も成功だが、目と勘のいい兵士がいたのか、こちらの位置を気取られた。


「竜だあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


「空から、攻撃されているぞ!!」


「矢を放てえええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


 矢が放たれる。しかし、濃霧と煙の混じった視界では、こちらを狙うことなど不可能であるし……すでに移動は果たしている。中央へと戻りながら、再び狙撃を実行した。


 中央の部隊もようやく敵が上空にいると気づいて、こちらを射るのだが、霧に紛れて飛ぶゼファーに何百本の矢を射たところで命中することはない。


 運だけでは当たるものではないさ。こちらは高速で移動しているのだからな。今度は丘に近づき、丘に陣取る弓兵たちを挑発する。ヤツらより高い位置にいて、東から吹く風の影響もあるからな。オレの弓なら、ヤツらに届く。弓兵の一人を射殺してやるが……。


 反撃してくれないね。


 霧のとばりは、丘の下よりは薄いはずだがな。ゼファーの姿は見えているはずなのに。


「反撃して、矢を射てくれたら、敵の上に落ちるんだがな」


「敵は冷静でありますな」


 キュレネイはそう語りながら、丘の上の弓兵を射殺した。挑発しても、ムダらしいな。仲間に対する誤射を招きたいが……そいつに乗ってくれない。じっと耐えている。つまり、オレたちは攻撃し放題ではあった。


 5人ほど射殺した後で、オレはゼファーに南下を命じたよ。南に回り込もうとしている部隊にも、攻撃を加えるために。攻撃は成功する。強兵と思しきヤツらを何人も仕留めていくが……焼け石に水ではあるな。


 反撃の矢をヤツらは放つ。雑な攻撃だが、まぐれ当たりを避けるためには、離脱するしかないのさ。


「……数が、多すぎる」


「オレたちだけで、止められる数じゃない。だが、攻撃されて、自分たちも攻撃することで、敵の呼吸は乱れていく。より多く、霧に潜む煙を吸い込ませることになる」


「それに賭けるでありますな」


「そういうことだ」


 中央の隊列の上空を飛び抜けながら、再び矢を放つ。何人かが死ぬ。何人かだけだ。死者を出し、無意味な反撃を放ちながらも……ヤツらは、前へと進んでいく。


 前進は止まらない。隊列も乱れない。オレたちに、30人近く殺されてはいるが、1万3500の内の、たった30人だけ。それでは、軍隊の行進を止めるほどの威力にはならない。


 無力を感じるな……舌打ちしそうになる。


 そのとき、異常に気がつけた。こちらが攻撃していない場所で悲鳴が上がったのさ。


「な、何をする!?」


「友軍だぞ!?」


「こいつ、いきなり斬りかかってきやがったぞッッ!!」


 イシュータル草の効果が現れ始めたらしいな。戦場にある恐怖や緊張が、幻を見せたらしい。仲間を攻撃したようだ。影響は、着実に出始めている。あちこちで、おかしな現象が起き始めている。


 笑い声や、泣き声が聞こえてくるな。うずくまり、嘔吐する者もいる……イシュータル草の煙は吸い込み、兵士たちは薬物の影響下にあるわけだ。


「効いてきたようですね」


「そうらしいな……ちょっと、試してみるか。ミア、キュレネイ、もしもの時に備えて、『風』で矢を防ぐ準備をしていくれ」


「ラジャー」


「了解であります」


「……何を、試されるんですか?」


「騙せるかどうかだな。敵が、麻薬のせいで判断力を失ってくれているのなら、誰の命令でも聞くかもしれん」


「ソルジェさまの命令でも、ですね」


「そういうことだ。ダメ元で、やってみるよ……」


 胸一杯に空気を吸い込んで、辺境伯軍の中央部の隊列に向けて叫ぶ!!


「敵だあああああああああああああッ!!北に回り込まれたぞおおおおおッッ!!北に向かって、援護射撃を放てええええええええええええええッッッ!!!」


 十数本の矢が放たれていた。オレたちではなく、北に向けてだ。そして、十数人の兵士が北に向かい、ムチャクチャな勢いで突撃していく。


 連中は、幻覚にさらされているようだな。敵の姿が本当に見えているのだろう。それらの兵士が林の間を全力で駆け抜けて、北を進んでいた辺境伯軍の隊列に襲いかかっていた。


「ぎゃあああああッ!?」


「な、仲間だぞお!?仲間どうしで!?」


「こ、コイツら、狂ったのか!?」


 敵の同士討ちが始まった。狂気は伝染するらしい。オレが偽りの命令を与えなくとも、剣戟の音や悲鳴や怒号に、イシュータル草に混乱させられた心は反応したのだ。よく訓練された辺境伯軍の兵士たちは、『敵』の姿を見つけると即座に鋼を叩き込む。


 敵の隊列が、大きく乱れ始めている。散発的ながら、あちこちで戦いが発生しているからだ。よほど醜い『敵』の姿を見たのか、暴れる兵士たちは容赦ない。殺した兵士にもさらに攻撃を加えていく。


 戦場では悪夢を見るものだが……そいつに麻薬まで混じれば、あんなことになるということか。薬物なんて使っちゃダメだな。


「『友軍』の援護をしてやるぞ」


 オレはそんな皮肉と共に矢を放つ。狙ったのは、暴れる兵士を止めようとする兵士だ。せっかくの混乱を、沈静化してもらっては困るからな。


 混乱を深めるために、混乱していない者を目掛けて矢を放つ。強兵よりも、今は、冷静な者が邪魔な時間帯だ。幻覚に操られる強兵は、オレたちにとって最大の武器にもなるからな……。


 敵もバカじゃないし、イシュータル草の愛好家もいるようだ。この霧の成分に気づき始めた者もいる。


「これは、ちくしょう!!『ザットール』どもの、麻薬だッ!!麻薬の煙が、霧の中に紛れ―――」


 オレ以外のおしゃべりなヤツも邪魔だからな。そいつの胸を射抜いてやったよ。


 さらに混乱を招くために、オレはまたウソを戦場で叫んでいた。


「『ザットール』だああああッッ!!『ザットール』のエルフが、本陣を襲撃しているぞおおおおおおッッ!!」


 隊列が、あちこちで止まる。『ザットール』に背後から奇襲されたら?……辺境伯ロザングリードの命は、今度こそ無いかもしれん。敵には迷いが生まれている。元々、『ザットール』はエルフ系ばかり……帝国人からすれば、信用出来るような連中ではない。


 隊列に、乱れが生まれているな。背後が気になって戻りたがる者もいるし、体調を崩す者もいれば、暴れる者もいる。


 隊列の足並みが、乱れているんだよ。タイトに詰められていて、ほころびのない隊列ではない……進み過ぎる者と、遅れていく者たちがいる。敵の群れに、細切れが生まれているな。とくに中央。最初に進軍を始めた連中が、突出し過ぎている。


 彼らは比較的、イシュータル草の効果が少ないのかもしれない。考えられることだ。イシュータル草の煙は、空気よりも重たく、地面にたまるらしい。行進する兵士たちの脚や体が、その煙を蹴り上げたり、体によって持ち上げられたりしたのさ。


 隊列の先頭を歩く者よりも、その後ろにいる者たちの方が、より多くイシュータル草の煙を吸い込んでしまうというわけだ―――どうあれ、孤立している。決定的に離れているわけではないが、あの連中だけなら、『反撃されずに仕留められる』そうだぜ。


 さてと、そろそろ、『ルカーヴィスト』の出番だな。頼むぜ、君たちは仲間のためにも、より多くを殺さなければならない。連携するぜ。オレたちと一緒に、帝国人をぶっ殺すぞ!!


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