第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その43


 ……やさしくもあり、厳しくもある。そうだな、『強い教え』といことなのかもしれない。戦神バルジアの教えというものは。何だか、強く生きろと、言われたような気がするよ。


 『ルカーヴィスト』たちにとっては、聖なる戦いだ。仲間のために、盾となって死ぬことも。仲間の死を背負って、これからも間違いなく苦しい日々を生き抜くことも。たしかに、どちらもが、どちらのための戦いだ。


 死ぬことも、生きることも。


 戦いという絆でつながっているのか。戦神バルジアの大神官さまは、笑顔のまま、仲間たちに手を振って、こちらに走って来た。


「お待たせいたしました」


「……いいや、待っちゃいないさ」


「エルゼちゃん、ゼファーに乗って!」


『うん。えるぜ、どうぞ?』


 ゼファーがエルゼのために、背を低くする。


「手を伸ばすであります、マイ・シスター……というより、その『戦鎌』は、邪魔なので私が背負っておくであります」


「ええ。ありがとう、キュレネイ」


 姉妹はあの巨大な鋼を手渡していた。『ゴースト・アヴェンジャー』、最強の武器。この聖なる戦いに、彼女たちがそれを持ち込むことは正しい気がする。まあ、空中では振り回せないが、背負うことで、ちょっとした盾代わりにもなるからな。


 刃がデカい鋼ってのは、使い方が複数見つかることもあるもんさ。


 オレたちは、それぞれの配置についたよ。


『みなさん、ぼ、ボクについて来て下さい』


「おお。エルゼさまが、聖なる下僕を召喚なされたか!!」


「獣だ。さすがは、エルゼさま、竜につづいて、赤茶色の巨大な獣まで呼んだ!!」


 ……なんだか、エルゼへの熱い支持が、ジャンを戦神が遣わした聖なる動物という認識にしているようだな。


 ジャンは、困ったような顔をする。巨狼モードでも、表情は不思議と把握出来るよな。犬……いや、オオカミって、感情表現が豊かだから。


『ぼ、ボクは、そういう者じゃないんですが……?』


「さあ、聖なる下僕よ」


「我々を、導き給え」


『……は、はい。と、とにかく!ついて来て下さいね!敵は、ほとんどいないはずですけど、戦場では、何が起きるか、分からないんですから!』


 何だかジャンが逞しく見えた。やはり、経験はヒトを磨くな。エルゼの下僕っていう認識は、ちょっと冴えないが……いい仕事っぷりだ。さすがは昨日のMVPだよ。


「……しゃべるな、バカども。呼吸を乱すことは、歩調を崩す。編成が持つ利点を、最大限に活かすために、与えられた歩調を保つことだけを、考えろ!!」


「は、はい!!聖戦士さま!!」


「りょ、了解っすよ!!」


 鬼教官ぶりを発揮するシアンが、そこにいたな。彼女の指導力と、強い語気、そして鋭い金色の双眸を浴びせられると、凡庸な人物たちも持てる力の限界までを発揮させられるようだ。


 たしかに、会話は無意味だ。疲れることにもつながるし、敵に気配を悟られる。集団での移動は、一定の速度を乱すことで遅れてしまいがちだからな。


 彼女がしんがりを努めることで、退却していく『ルカーヴィスト』たちを守るだけでなく、その行進の速度を保つことにもなりそうだ。


 夜明け前の濃い霧のなかに、『ルカーヴィスト』たちの片割れは消えて行く。シアンは双刀を抜きながら、警戒態勢になる。研ぎ澄まされた刃のように、今の彼女の集中力は鋭いものがあるだろう。


 達人中の達人に、背中を守られる安心感ってものを、彼らは味わうことになるだろう。むろん、緊張感もな。静かに、乱れず、霧の中を歩き抜いてくれよ?


「……さてと。準備はいいな?」


「うん!オッケー!」


「はい」


「万全でありますな」


『ぼくも、いつでもとべるよ?』


「ゼファーは、いい子ー」


 脚の間にいるミアが、ゼファーの首をナデナデしてやる。ゼファーは楽しそうに、笑ってくれたよ。疲労を残してはいないようだな。輸送任務が続いているから、疲労を心配していたが……笑い声に疲れは感じなかった。


 若さということかな。寝不足気味のせいで首が痛いオレとは、大違いだぜ。


「よし、ゼファー!朝陽が昇る前に、オレたちが先に空に向かう!」


『らじゃー!いくねー、とぶよー!!』


 翼を大きく広げて、ぬかるみを残す庭を駆け抜けていく。スピードを得たゼファーは、強力な脚で地面を押し込んで、空へと昇る……。


 濃霧を切り裂くようにして、濃霧の上空へと抜けた。土と草木のにおいに満ちた、やや酸味がある霧を抜けると、新鮮な空気を鼻が吸い込んだ。朝の訪れを控えて、静かな冷気をまとった空気が、肺に吸い込まれる。


 いい空気だ。


 やはり、山岳地帯の空には、清涼な風が走っているな―――しかし、これから、少々、この空気には危険な物質が混ざることになる。


 闇のなか、辺境伯軍がいる丘は、すでに行動を始めていた。炊事のための火が見える。濃霧にぼんやりと薄まるが、ロザングリードの兵士どもは温かい朝食を腹に入れて、殺戮のための栄養を補給している最中だったよ。


「隙だらけだけど、攻撃しちゃう?」


「……いいや、こちらの武器は有限だ。それに、まだ暗いからな。ヤツらの陣取る丘も濃霧に沈んでいる」


「遠距離狙撃の命中率が、やや下がるでありますな」


「ムダ撃ちは、出来ませんね」


「ああ。長丁場になるし、矢にも弾にも限りがあるからな」


「鎧とか盾に当たらないように、するんだね?」


「そうだ。可能なら、頭を狙いたい……1万3500を相手にするには、さすがに足らないが、より多くを殺し、戦果を少しでも拡大したいからな」


「うん。分かった、お日さまが登るまで、もうちょっと待つ……集中力を使い過ぎなくても、一撃で仕留められるように……」


「そうだ。それまでは、魔力で敵の位置を探って、頭に入れておくんだ」


「ラジャー」


 いい子のミアが元気に返事してくれる。お兄ちゃんは、それだけで寝不足の顔が緩んじゃうんだよ。


 さてと。今、ゼファーには、オレ、ミア、キュレネイ、エルゼが乗っている。オレも含めて、全員が遠距離攻撃用の武器を使えるからな。ミアは、いつものスリングショットで、オレは竜太刀じゃなくて弓だな。


 キュレネイもエルゼも、『ゴースト・アヴェンジャー』流の弓を使えるらしい。武芸百般だな。オレの背にはエルゼ、最後尾はキュレネイだ。二人して、エルゼを守るようなポジションだな。


 戦闘能力は、どうしてもエルゼが最も低いから、この位置がベストだ。


 この全員が、『風』の攻撃魔術の才を持っているから、矢を切り落とすかまいたちを放てる者が四人もいるということだ。つまり、空対地の戦いにおいて、防御の面も悪くはない。弓兵どもが、死ぬほど矢を放ってくるだろうからな……ムダに近寄るのは危険だ。


 ……さすがに、1万3500の敵を相手に、オレたちだけでムチャをするつもりはないが、ゼファーからの援護射撃を、矢が尽きるまでは敵兵の群れに注いでやるつもりだ。


 敵は、あまりにも多い。


 1万3500……こちらも、大きな策を使うとは言え、100の『シェルティナ』と200の戦士だけでは、どうにもならない戦力差がある。


「団長、敵は、どう動くでありますか?」


「本隊は、丘の上に陣取ったままだ。中央と左右に展開していき、包囲し、呑み込むように動くだろう」


「……包囲を止めることは出来ないの?」


「それはムリだな。あまりにも敵が多く、対応することも出来ない。敵は、左右に広がりながら、中央もまっすぐに進む……」


「一呑みにされる形でありますな……」


「物量差が激しすぎるからな。とはいえ、せっかく、大量に盗んだイシュータル草が活躍してくれたら……ちょっとは混乱が起きるだろう」


「……あれって、麻薬なんだよね?どーなるの?吸うと?」


「精製されていませんから、慣れた者には効果は薄いですよ。戦神の信徒は、祝祭の日には吸うこともありますから効果は薄いですね……でも、初心者には、色々な効果が出るんです」


 これも社会勉強なのか?……エルゼはミアの質問にマジメに答えている。お兄ちゃんとしては、麻薬の効果を妹が知るなんて、良くないコトのようにも思えるけど……危険なモノがどう危険なのかを知ることも、大切なよーな……?


「―――要約すると、辺境伯軍の兵士は、アレが混じった霧を吸い込むことで、その多くが頭痛や目眩、吐き気……異常な食欲、多幸感、幻覚、幻聴などに見舞われます。その症状は多岐に渡りますが……混乱は必至です」


「どーなるの?」


「上手く行けば、味方が怪物に見えることもある。同士討ちも、期待出来ますね。過度な緊張下での、イシュータル草の煙の吸引は、悪い症状を起こしやすいものですから」


「なるほどー。怖いカンジ」


「ミアちゃんは、麻薬とか使ってはいけませんよ?……心身がボロボロになっちゃいますから」


「うん。使わなーい!」


「えらい子です……イシュータル草の煙は、あまり高いところまでは到達しません。地を這うように滞留します」


「霧に、隠せるでありますな」


「ええ。そういうこと。我々は、その影響を受けることは、ありません。上空には届きませんからね。計算では、今ごろ、丘の下にまで、霧と共に煙が充満しているはずです。それを吸いながら行進すれば、敵兵にさまざまな症状が出るはず……」


「効果は、どのぐらい続くでありますか?」


「戦場の興奮状態ですから、呼吸が多いですからね。あの霧の中で、十分に吸わせることが出来たなら、およそ4時間は、正常な判断能力はない。隊列を乱すことは、出来ます。そこから、敵に対する被害の拡大を目指すのが、今回の作戦です……」


 ……そうだ。オレたちは、麻薬の煙を敵兵に吸わせて、混乱を与えてやろうと企んでいるわけさ。


 麻薬サンの悪い症状が、たくさん出てくれるとありがたいんだがな。期待に反して、痛み止めの効果が出て、重傷でも動く敵が出る可能性もあるわけだよ。ギャンブルなところもある。


 まあ、エルゼの言う通り、隊列が崩れることは大いに期待出来そうだがな……コイツは全滅を想定した戦いだ。久しぶりの『負け戦』だぜ。地上にいる悲壮な決意をした若者たちを見ると、何とも言えない切なさを覚えたよ―――。


『―――『どーじぇ』、みんな。よるが、あけるよ』


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