第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その39


 頭脳明晰なエルゼ・ザトーは、負傷者の容体も把握していたよ。


 遠からず死ぬような重傷を負った者から、アスラン・ザルネは『シェルティナ』に化ける呪術をかけたようだからな……その人物たちの体内に、『人造ルカーヴィ』の『肉』を移植することで。


 ……合理的な判断ではあるが、負傷者の弱みにつけ込んだ行為でもある。しかし、終わったことはどうにもならない。100人の死にかけは、『シェルティナ』へと『変異』することを選び。


 勇敢なる200人の戦士たちは、仲間の撤退を完遂させるために、辺境伯軍と戦うことを選んだ。オレたちに出来るのは、より多くを無事に撤退させることだけさ。


「こちらに、おいで下さい」


「ああ」


 そこは、屋敷の一階にある負傷者だらけの土間……かつては、ここに農作物を持ち込んで、小作農たちがイシュータル草の茎と葉を分ける作業をしていたらしい。かなり広い作業スペースだから、今は野戦病院になっている。そこら中に、ケガ人が寝転んでいる。


 ……エルゼが教えてくれたよ。


 かつて、ここで行われていたのは、過酷な労働だったらしい。夜も昼も問わず働かされて、眠気に襲われた者は、麻薬を打たされてでも働かされていたようだ。とっくの昔に、小作農の若者たちは、イシュータル草の中毒になっていた。


 この土地で、貧しい家に生まれてしまったら?


 マフィアと組んだ農園主に過酷な労働を課されて、そのあげく麻薬中毒にされる。わずかな稼ぎも、禁断症状を抑えるための麻薬を買うために消えて行くのさ。


 搾取する側からすれば、あまりにも合理的な仕組みであり、搾取をされる側には、まったくの救いの無い構造だった。


 正しくないことが、あまりにも長くつづき、あまりにも広範囲に行われていた。『ヴァルガロフ』が持つ、虚飾に満ちた繁栄。それを支えて来たモノの一つが、この土地の貧しい者たちの苦しみだったのさ。


 ……彼らは、それゆえに自暴自棄となり、抵抗と暴力を選んだ。『ルカーヴィ』が招く『滅び』を求めて、アスラン・ザルネたち『オル・ゴースト』の亡霊どもと契約してしまった。その戦いの末路が、ここにある。


 多くの若者たちは、苦しんでいた。


 負傷者は多い。それはそうだ。圧倒的な戦力の差があるのだからな。よく戦った方だが……悲しい末路でもある。


 死に瀕する苦しみにもがきながら、『シェルティナ』への『変異』を、彼らはどんな気持ちで受け入れたのだろうか?……それぞれに独自の感情があっただろうが、満足出来る結末であった者は、かなり少ない。


 しかし、それでも。


「君たちに約束するよ。出来るだけ多くを、助ける……」


 『ルカーヴィスト』の負傷者たちは、喝采をくれることはない。別に求めちゃいないけどね。それでも、オレは運ぶべき者の一人に肩を貸す。右膝に矢を受けてしまったドワーフ族の青年だった。


 脚を引きずる彼を、半ば強引に牽引して、オレは彼を外へと運ぶ。彼は、怪訝な顔をしていたよ。納得がいかないことがあるらしい。


「疑問は受け付けるぞ」


「……アンタ……どうして、オレたちを助けるってんだ?」


「いつか仲間になるかもしれないからだ」


「……アンタが、未来のガルーナ王だっていうのか?」


「そうだ。近い未来には、そうなっている。君の傷が治る頃には、帝国人を追い出して、竜騎士姫の産まれた城を取り戻しているさ」


「……信じられねえぜ」


「くくく!それは当然だ。オレは今夜、初めて君に会ったんだからな」


「……大物ぶりやがって……」


「大物だからな。まあ、ガルーナの竜騎士ってのは、本当だよ」


 玄関を開いて、雨に濡れた土を踏む。ドワーフの青年は、暗がりのなかでゼファーを見ると、うおお!?……と、大きな声で叫んでいたな。


「……りゅ、竜!?……本当に、竜騎士なのかよ、アンタ!?」


「何だと思っていた」


「……いや。正直、このまま、外に連れて行かれて、口減らしのために殺されるのかとも考えていた」


「犬死にさせたいのなら、わざわざ手にかける必要もない。放置しておけば、辺境伯軍の兵士に、幾らでも殺されるんだからな」


「……そりゃあ、そうだが……オレは、アンタに、何もやれないんだぜ?」


「騎士道を磨く手伝いはしてくれているぞ」


「そんなモン、磨いてどうするんだ?」


「いい騎士になりたいね。家名に恥じぬ男になりたい。そして、道理をわきまえたガルーナ王になるためにもな」


「……変わった男だってのは、認めるよ」


「竜に乗る覚悟は出来たか?」


「……死ぬ覚悟をしていたんだぜ。トカゲに乗って、空飛ぶぐらいはワケないさ」


「竜だ。トカゲではない。体は温かいぞ」


「……何でもいいさ。よう、王サマの竜!オレを、食うんじゃないぞ!?」


『ていこくの、へいししか、たべないよ?』


「うおっ!?……ガキみたいな声だな」


「うちのゼファーは、まだ子供だからな」


「もっと、大きくなるってのか?」


「ああ、これから二回りは大きくなる」


「……マジかよ。とんでもねえ生き物に乗ってるな……」


「まあな。ほら、引き上げるから、ゼファーの背によじ登れ」


「お、おう!!」


 ドワーフの太い腕を持ち上げてやりながら、彼をゼファーの背に乗せる。ゼファーは負傷者を乗せやすいように、地面に対してピッタリと腹をつけてやっていた。


 ぬかるむ土が気持ちいいのか。うっとりとした顔になっている。


「落ちないように、掴まっておけよ?指には力が入るんだろ?」


「ああ。膝に矢を受けただけだからな……体重が、もうちょっと軽けりゃ、前線にも出られた」


「斧を振る力があるのなら、安心だな」


「……揺れるのかい?」


「揺らさないようには飛ぶよ」


『がんばるー』


「……ああ、竜ちゃん、がんばってくれ。高いトコロから落ちるのは嫌いだ」


 よく口が回るドワーフだが、傷を負っているのは膝だけじゃない。下っ腹に槍がちょっとだけ刺さった。刺し殺されるより前に、斧をブン投げて相手を殺したのだろうが、腹の一部に穴が開いている状態では、前線に出るべきじゃない。


 ……オレは、『ルカーヴィスト』の戦士たちに手伝ってもらいながら、負傷者を乗せていく。まずは、4人ほど乗せたよ。ドワーフ二人と巨人が二人。体重のあるケガ人だからな。仲間からしても、運ぶのに苦労するヤツから運ぶんだよ。


 4人は少なく思えるが、オレとエルゼも乗るからな。北の拠点にも、見張りがいるからな。エルゼがいれば、彼らは絶対に攻撃して来ることはない……。


 可能ならば、彼女もさっさと北の拠点に避難させたいところだが、彼女は明日、仲間たちと共に、歩いて北の拠点まで向かいたいと考えているようだ。気持ちは分かるが、敵は彼女を狙ってくる可能性があるからな……。


 彼女がいれば、敵に足止めされやすくなる。最高額の賞金首の一人だろうからな。敵はエルゼを見つければ殺到してくる。仲間たちと行進することは、仲間たちのリスクになる。そう説得すると、彼女は納得してくれた。


 明日は、ゼファーの上で、戦闘を見守ることになる。それでいいのさ。キュレネイの姉を死から遠ざけてやりたい。


 感情論だけでもない。『強硬派』が滅んだ、『新たなルカーヴィスト』のリーダーとして、テッサ・ランドールとの交渉を行って欲しくもある。彼女以外に、その役割を果たせる者はいない。


 彼女には生き抜いた後にも、多くの仕事が待っているのだ。


「じゃあ、皆、行くぜ!」


「はい、ソルジェさま。どうぞ」


 オレの背中に掴まりながら、エルゼはそう返事してくれる。エルゼはゼファーに怯えなかった。怒りだけじゃなく、恐怖も抑制されているのか?……たんに、肝が据わっているだけの方な気もする。


 キュレネイも、ゼファーに物怖じしなかったからな。初めてゼファーに会ったとき……。


『いくねー!しっかり、つかまっていてねー!』


 竜の背にいる者たちは、オレとエルゼ以外、かなり緊張していた。重傷者でもあるからな。ゼファーは、可能な限りのやさしい離陸を試みる。助走を十分につけてから飛んだ方が、背にいる者を振り落とす縦の揺れが少ないからな。


 屋敷の庭を、尻尾を振り上げた姿勢のまま、ゼファーは馬の数倍速いスピードで駆け抜けていく。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!?」


「ひ、ひええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!?」


 悲鳴が響いたが、ゼファーは集中を惑わせることはない。ゆっくりと東から吹く風を翼に当てながら、大地を蹴って空へと帰還する……雨のない、重苦しさの消えた雨だ。


 ゼファーは嬉しそうに翼を羽ばたかせて、高度を急上昇させる。そうしなければ、目の前に広がる森の木々に衝突していたからな。


「ふむ。竜は羽ばたくときにも、重心が上下しないのですね」


「ああ。そういう飛び方だと、竜の背にいる者が、空に吹き飛んでしまうからな」


「なるほど。いい子ですね、私たちを守る飛び方をしてくれているわけですか」


『うん。ぼくは、いいこだよ。きゅれねいの、おねえさん!』


「エルゼと申します」


『わかったー。えるぜ!……ぼくは、ぜふぁーだよ!』


「はい。覚えました、ゼファーちゃん」


『えへへ!『どーじぇ』、おともだちがふえたよ!』


「良かったな」


『うん!』


 ゼファーは弾むような鼻歌を奏でながら、夜空の中で翼を広げて安定をまとう。そして、首を下げて、湿度の多い風を鼻先で切り裂いた。速度を上げるのさ。


 行くべき方向は理解しているからな。


 まっすぐと、北へと向かってゼファーは飛んだ。森を抜けて、崖のように切り立った山肌を飛び越えた。それからは、なだらかながらも傾斜のある山だ。蛇のようにうねる山道が見える……負傷者を引きずって、あの山道を上がるのは至難の業だ。


 至難の業ではあるが、不可能ではないというところが、ある意味では厄介だ。『見捨てる』ことを選べないからな。重傷者がいれば、かなり移動の速度は遅くなっただろう。


 オレたちはいい仕事をしている。そんな納得をしながら、ゼファーの飛行は進み、北の拠点はすぐに見えて来た。


 国境を守る、古い砦……その周りに、無数のテントと、はかなげな防御力しか持たないが、木の柵が立てられていた。見張りのエルフが、こちらに気がつく。慌てているが、射程に入るより遠い間合いを旋回して、エルゼの姿を見せた。


 エルゼは、あの聖なる笑顔のまま、手を振ったのだろうな。見張りのエルフが、土砂崩れ並みにやかましい声で、叫んでくれたよ。


「エルゼさまがいらしたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!絶対に、矢を撃つんじゃないぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 そのおかげで、砦にいる大半の者が、目を覚ましていた。テントから飛び出してくるのは、若い女たちと老人たちばかりだ。彼女たちも、『ザットール』の麻薬農園から逃げ出して来た者たちか。


 ゼファーで彼らの前に着陸する。見張りの戦士たちは素早く集まって来た。エルゼは彼らに指示を素早く与えたよ。見張りの戦士たちは、竜の背から負傷した仲間を引きずり降ろしていく。


 ……これを、何往復もする必要があるからな。オレとエルゼを乗せたまま、ゼファーは北の拠点の者たちに、別れを告げながら走り始めていた。


『じゃーねー!また、すぐにくるからねー!』



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