第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その32
「……ミア」
「了解」
雨と夜に遮られた、黒き竜の飛翔。地上ばかりを睨んでいては、むろん、気づけるはずもなかった。奇襲とは想定外の方向から行うべきであるが―――竜の奇襲は、圧倒的にこちらが有利なことが多い。
9年前は、堂々と名乗って攻撃をしていた。アホで血気盛んなガキだったわけさ。だが、時と場合を選ぶべきだよ。オレは、キュレネイ・ザトーを取り戻し、いつも並みには冷静だ。
いい戦術家であるべきだな。『パンジャール猟兵団』の団長として。ミアやジャンに、卑怯な戦い方も教えなければならない。敵も、同じことをするからな。
まあ、竜はそういるものじゃないが……『鷲獅子/グリフォン』に頭上から襲われる夜だってあるわけだしな―――。
―――シュパンッ!!狙いをつけていたミアが、スリングショットを放つ。ルクレツィアが作ってくれた、『毒弾』だな。納屋の屋上で見張りについていたエルフ弓兵の顔面に、そいつは命中していた。
ルクちゃん特性の、麻痺毒が彼の体をまたたく間に蝕んでいき、その弓兵はゆっくりとその場に膝をついた。
上手いこと倒れてくれたよ。落下しそうなら、どうにか地面に墜落する前に、回収してやろうと考えていたが……動けなくなる前に、屋根の上で腹ばいになった。
アレならば落ちないだろう。
さてと。畑と屋敷にいる敵サンの視野から逃れるように、納屋の裏手にゼファーで着地する。
地味な作業のスタートさ!
竜の背から飛び降りた猟兵たちが、納屋へと向かう。ミアが鍵を解除して、オレたちは素早く納屋の中に飛び込んでいた。広い納屋は、三階建てさ。小さな階段と、板で区切られた、それぞれの階層。
その三つの全てに、乾燥中のイシュータル草の固まりが置かれていたよ。
「牧草ロールみたいになってるぜ……」
「値段は、数百倍の価値があるであります。家畜のエサにするには、あまりにも高価であります」
「……す、数百倍……どれぐらいの、銀貨になるんだろう」
「……喋っているヒマがあれば、動け」
「は、はい!了解です、シアンさん!!」
ジャンはテキパキと働いた。あの脅威的な腕力を用いて、押し固められた乾燥イシュータル草の固まりを、あちこちから引きずり出してくる。一個の重さが、百キロ近くはあるだろうが……それを顔色変えずに、引っ張り出しやがる。
ああ。
ホント、どうしてこんなに強いのに、弱いんだろうか?
不器用な身体能力を有している『狼男』の働きに、変なため息を吐いてしまう。だが、オレだって働くよ。この重たい草の固まりは、ミアには運べないし運ばせるものかよ。100キロぐらいの敵なら、ミアだって背負って投げるだろうが、それは一瞬の体術のコト。
そんなものを引きずり出したり、背負って運ぶのは、大人の体格と筋力の仕事さ。大人の猟兵たちは、麻薬の原材料を、その背中に背負ったり、引きずったりして、納屋の中で移動させていく。
ミアはそのあいだに、ロープと、この乾燥麻薬草の雨天の運搬時に使うのであろう、巨大な獣毛のカバーを盗んで来てくれていた。
この押し固められた乾燥イシュータル草の束を、そのカバーで包む。それをロープでグルグル巻きにしたあげく、さらにそれらをロープで縛って連結していく。ゼファーで運ぶからね。
地味な農作業だったよ。すぐに終わる。ジャンは、それを引きずって外に出ると、素早くゼファーにロープをくくりつけた。
『いってくるねー!』
ゼファーは可愛い声でそう言い残すと、北の夜空へと消えて行く。少々、イシュータル草を引きずり、ちょっとだけ草が漏れているが、問題は無さそうだ。
90%の量でも届けば、かなりのものさ。ゼファーが、『ルカーヴィスト』たちの屋敷に、あの草を届けるあいだ、オレたちは次の略奪に取りかかる。同じことをしていくだけだ。
イシュータル草の束を、引き出しては、それらをロープとカバーで梱包した。二度目はさっきよりも早く、そして美しく梱包することが出来たような気がしたな。
『ただいまー!』
そうこうしている内に、ゼファーが戻って来てくれたよ。オレたちは再び、ゼファーにそれをくくりつけると、ゼファーを旅立たせる。
6回もそんな行為をしていると、略奪行為は終了していたよ。巨大な納屋は、空になっていた。
……あれだけの量で、どれぐらいの麻薬が生まれるものなのか?……想像もつかない。だが、かなりの量であろうな。『背徳城』でも、ガンガン焚いていたな。
聖なる祈りにも使う、お香みたいなもんさ。まあ、麻薬成分が大量に含まれているダメなお香だが。
ひとつまみ分が、銀貨3枚で売られていたな。あれを噛んでも、燃やして煙を吸い込んでも麻薬の効果が出るわけだ。
たったアレだけの量でも、深酒したような夢見心地にさせてしまうのだから……今夜、盗んだ量を使えば、かなりの効果が発揮出来そうだよ。
ゼファーが帰ってくる前に……オレとジャンは、畑へと走っていた。捕虜を捕まえるためだ。畑を巡回するエルフに近づく……雨に濡れたイシュータル草の畑に身を伏せる。
待ち伏せするんだ。
パターン通りの巡回を繰り返して、眠気との戦いを始めている弓兵が、オレたちの目の前を通り過ぎていく。オレたちはヤツの背後へと足音を殺して忍び寄る。
ヤツの首に背後から手を回して、首を絞めながら地面に体重を使って引きずり倒す。そのまま頸動脈を締め上げて、1秒半で気絶させた。
「さすがです……っ」
「力よりも手早くやるのがポイントだ。アゴを閉じられるよりも先に、頸動脈に圧をかける」
「はい。覚えます」
ジャンの腕力なら、引き千切りかねないからな。殺すときはともかく、捕虜として捕獲するには、力には頼れない。ジャンには、実戦で力に頼らない、真の技巧というものを見せておきたい。
不憫なことに、コイツも練習台に欠くところがある。力や速さ、フィジカルが強すぎるからな……全力に近い形での『練習』をすると、オレたちはジャンを圧倒してやることしか出来ない。
実戦という緊張感の伴う状況で、技巧の有能さを見せてやることで、ジャンに力に頼らない器用さを教え込ませたいもんだよ。
最強のフィジカルを持つジャン・レッドウッドが、『力押し』以外を覚えたら?……別次元の強さになりそうだ。そうなれば、『パンジャール猟兵団』、『最弱』のレッテルも外れるんじゃないか?
……シャーロンやギンドウ相手に、ジャンが勝てる日が来るのか……ってのは、楽しみなところだが。まだまだ、レベルの差があるだろうな―――。
「―――ジャン。縛れ。落ちたフリをする器用なヤツもいる。シャーロンなら、そうして油断させる。ヤツは、白目まで向くぞ」
「う。たしかに、以前、ダウンさせま気がした瞬間、ボクの方が気絶していたことがあります」
過去の敗北を思い返しながら、ジャン・レッドウッドは失神して脱力しているエルフの足首を縄で縛りあげていく。続けざまに、ジャンはエルフの手首を縛った。そうなって、ようやくオレはエルフの首から腕を外していたよ。
「獲物からは目を離すんじゃないぞ」
「はい」
「耳は、周囲を聞いておけ。お前の場合は、嗅覚も使ってな」
オレも嗅覚を使うが、人間族の鼻は、ジャンには劣る。シアンもそれなりに嗅覚が使えるが、さすがに『狼男』の能力とは、比べることも出来ないものさ。失神したエルフの口に、猿ぐつわを噛ませて、一仕事は完了。
「周囲を警戒するために、素早く視線を動かす。ああ、ロープで拘束する際は、ポジションを変えて、複数の方向を確認するんだよ。こちらが敵に気づけなかったとしても、敵がこちらに警戒して、接近の速度を遅くするためにな」
ジャンは、オレの言葉をうなずきながら聞いてくれていた。戦術を、理解するのは難しい。オレやジャンのようなアホ族の一員は、行動を理性で100%は制御出来ないものさ。
だからこそ、経験で学ぶ。
血肉に戦術の発想が融け込むように、実戦で、戦場で、覚えさせるのさ。戦場では否応なしに集中力が働いているからな……そういう状況での『学び』は、戦士の大きな糧になるものさ。
「さて……と」
オレは、そいつを肩に乗せて走り始める。ジャンにさせなかったのは、オレなりの気遣いだ。より多くの重量を持ってくれていたしな。
ジャンは、オレの作業の補助だ。もしも、オレが失敗しそうになったら、ジャンが対応する。
しかし、基本的に体術による奇襲は、一人を二人で襲うよりは、一人を一人で襲う方が楽だし成功しやすい。ヒトの構造ってのは、ヒトと戦いやすく作られているということだろう。
体術という原始的で、合戦の最中では全く価値のない技巧も、闇討ちの奇襲やら、強敵との一対一という『特異な状況』では役に立つものさ……。
闇と雨音に身を隠し、オレたちは、背の高いイシュータル草に身を隠しながら、畑の柔らかい土を踏んでいく。足音をより消すために。もちろん、足跡は完璧に残るが、今回のケースでは、それは問題がない。
気配を消す。
証拠を残さない。
それが猟兵の鉄則ではあるが、取捨選択を行える柔軟さも、猟兵に『強さ』を与えるからな。そんな小言も、説教臭い老人のように、ジャン・レッドウッドの耳に聞かせながら、オレたちはその誘拐を完了させていた。
納屋に戻ると、女性陣が納屋の屋上で麻痺していたエルフを縛り上げていたよ。コイツは意識はある。目玉は動いている。目玉というのは、脳みそから直接生えているらしいと、解剖学者は語る―――。
「―――論より証拠だな。体の動きを奪う麻痺の毒でも、頭はモノを考えることも出来るし、目玉で状況を観察することも可能だ。覚えておけよ、ミア、ジャン。動けないからって、あきらめることはない。敵の種族や、魔力を盗み見れば、体内で使うべき『解毒』の魔力の練り方が分かる」
「……麻痺は、か、『雷』の属性の毒だから……」
「『炎』の魔力を活性化させるんだね?」
「そうだ。魔術の才は無くとも、『三大属性』の魔力はヒトが帯びている。心臓だな。心臓の魔力を活性化させれば、麻痺の『雷』は、早く抜けることがある。目を閉じて、呼吸を意識し、心拍数と対話しろ。そうすれば?」
「毒が、ぬ、抜けやすい」
「そうだ。エルフ族が呪毒に強いのは、それらのコントロールに秀でているからだ。ただし、たとえエルフという魔力の強い種族であろうとも……毒性が強ければ、そう簡単には解毒することも出来ない。こうして、長い耳にヒントを聞かせてもな?」
口が動かぬエルフは、眼球を動かし、オレを見上げた。
「強く有能な道具は、敵の才能をも圧倒する。そういうことを覚えておけ」
「いい武器を、揃えろってことだね」
「そうだ。いい手段を準備しろということさ。頼りになる、己の戦術を、磨いておくようにな。そして、呪毒にかかった時に備えて、己の体調が呪毒にどんな影響を受けているかを、冷静に判断するように」
技巧だけでなく、才能だけでなく、知識や道具に頼ることで、能力というのは色々と調整が出来るもんさ。
ルクちゃんお得意の『毒弾』も、たとえばリエル並みの魔力があれば、呪毒を崩す。ロロカ先生がこの会話を聞いていたら?
呪毒を解くために、体内の『炎』を活性化させる力がある『風』を高める。『風』を帯びた肺腑を操ることで、『炎』も連鎖するように強く出来るのさ。『風』で強くした『炎』で、『雷』の呪毒を解く―――そのために、心臓と肺腑の連動、呼吸を使うべき。
……それは、ややこしいから、あえては言わなかった。
「全部は覚えなくてもいい。ただ、経験して、知識を磨き上げればいい。そうすれば、より複雑かつ有効な手段を使えるようになるだろう」
「はい、分かりました、ソルジェ団長」
「うん。分かったよ、お兄ちゃん」
猟兵団長の『年寄り臭い/ガルフ・コルテス式』……あるいは、『老竜アーレス式』の講義が終わった頃、ゼファーが再びこの場所に着陸していた。
『みんな、おまたせ』
「ああ。それじゃあ、戻るとしよう」
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