第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その31
エルゼ・ザトーはオレたちと手を組んだ。全てにおいて協力を約束しているような蜜月的な状態ではないが、辺境伯軍への攻撃を成功させたい―――という考えでは一致しているからな。
『ゴースト・アヴェンジャー』も、アスラン・ザルネもいなくなった。他の指導者も戦場で死んだらしい。攻撃的な者たちの多くは、とっくにあの世に行った。
誰もが殉教する必要はない。殉教することを真に挑む者たちは、おそらく少数さ。オレたちはエルゼから『標的』の情報を得ると、その部屋を出て行く。盗み聞きしていた若者たちは、オレから目を反らす。
アーレスの魔眼が、連中の心を教えてくれる。怒りの赤と、恐怖の青と、期待するような黄色……色々と混じっている。それはそうだ、若者とは悩むものだろうよ。
「……生きることも聖なる戦いだ。君らは、その言葉の重さを考えてもいい頃合いだ」
「……っ」
「邪魔したな。ちょっと、出てくるが、すぐに戻るよ。エルゼに協力してやれ」
「言われないでも、分かっています……」
「そうだったな。彼女は、君たちの大神官だからな」
無言のまま、若者たちはうなずいていた。彼女は信頼されているようだ。やさしいし、あの微笑みは魅力的だしな。ちょっと怖いところもあるが、アレもカリスマの元かもしれん。
屋敷のなかを歩く。大暴れしたこともあり、『ルカーヴィスト』たちは目を覚ましていた。ホールには武装した『ルカーヴィスト』が集まっていて、誰もがオレたちを警戒するように見ていたよ。
ほとんどの者が、負傷者だな……包帯でぐるぐる巻きになっているヤツらばかり。想像以上に、戦闘能力を発揮することは難しいだろうな。
……エルゼの統制が効いているからでもあるが、オレたちに詰め寄る者もいないとはね。戦意は、かなり落ちているか。
まあ、オレたちが戦意を削いだこともある。アスラン・ザルネを殺したあげく、本拠地で好きに暴れ回って、無傷で生き延びた。『強さ』を見せつけられて、彼らは自信を喪失した。蹂躙するという行為は、相手の闘志を砕くからな。
戦いに怯えを抱いている。自分たちの『弱さ』を再認識しただろう。勇気は翳り、恐怖ばかりが育っていく。たった数名の侵入者にも対応することが出来なかった。自信なんて持ちようがない。
事実として……彼らは弱者だ。取り柄と言えば、若さだけ。しかし、若さだけで補えるほどの実力差ではない。どんな作戦を用意したとしても、明朝から始まる戦は敗北は必然である。むしろ、怯えてしまう方が正しくはある。
―――かつて、ガルーナの蛮族たちは、勇敢にも大量の敵に挑み……砕け散った。何を得たのだろう?……勇者であることの名誉は守った。ガルーナ人は誰もが勇敢だった。だが、皆、死んで、国は滅びた。
静まりかえる薄暗い場所。闇のなかからこちらを不安げに見て来る若者たちの瞳を、オレは見回していた。もちろん生きてはいるのだが、まるで、もう死んでいるかのような表情だったな。
彼らの一部には、悲壮な決意を抱いている者もいるが……ほんの一部だ。
この群れは弱い。元々の弱さに追加して、オレたちの襲撃で自信まで失ってしまったらしい。正しい自己認識ではある。君たちは、明日、戦士でいるべきではない者たちだ。
玄関のドアをジャンが開き、ミア、シアン、キュレネイが外へと出て行く。オレは最後を選んだ。鋼を持つ者たちの群れから離れるのだからな、鎧をまとった者が一番後ろにいるべきさ。
闇より暗い貌の若者たちを、オレは再び見回したよ。黙って見つめられるとね、演説癖が出てしまう。ガルフ・コルテスから受け継いだ、『パンジャール猟兵団』の団長が持つ悪癖だよ。
「……なあ、お前ら。負け戦に美学を求める行為は、『未来』を招くとは限らんぞ。オレも、9年前、敵の群れに特攻をしてみたが……守るべき者の全てを失っただけだった」
無言。無言はつづくが、オレの舌だけは口のなかで踊ったよ。
「弱いことは罪深く、勇者であることは栄誉を帯びる。しかし、死に逃げて、生きることをあきらめることは正しいのか?」
ガルーナ人の生きざまを否定するワケじゃない。ガルーナ人は、生粋の戦士ばかりだったから。だが、ここはガルーナではないのだ。この暗がりで怯えた瞳が、その証。
「……『未来』が欲しいのならば、『未来』に生きるべき者たちを残すことに尽力しろ。そうでなければ、誰のための『未来』なのか、分からなくなるぞ」
沈黙は終わらない。だから、オレは自分のすべきことを成すために、行動を始める。ゆっくりと雨の降る場所へと向かい、その玄関のドアを閉めていた。
『『どーじぇ』、こっちだよー』
「……ああ。待たせたな、ゼファーよ」
雨のなか、ゼファーは屋敷の目前に着陸していた。
見張りの連中も、こちらを凝視してはいるものの、弓矢を向ける者はいない。エルゼの統率力はやはり高いし、連絡網と命令系統は健在だ。複雑な作戦が、行えるな……『ルカーヴィスト』の現存戦力は、屋敷のなかの連中を含み、『攻撃』に向いている連中ばかり。
マジメで、臆病。悩むほどの知性があり、ルールを重視する。命令に忠実ないい駒さ。ガンダラがいたら、彼らに向いた作戦を作ってくれるだろうがな。残念だが、ここにはいない。テッサ・ランドールに、辺境伯軍の潰し方を教えているところだ。
……でも、オレも君らに作戦をくれてやることは出来る。
それを使えば、君らは現状のままよりは、かなり多くの損害を敵に与えることも……犬死にするヤツを減らすことも出来るぜ?
どう選択するかまでは、君らの問題だ。好きに選ぶがいいさ。
猟兵たちが竜の背に乗り終わると、ゼファーはその黒い翼を羽ばたかせながら、軽やかにその庭を駆け抜けて、夜空へと舞い上がっていた。
『ルカーヴィスト』たちの屋敷の上空を、ゆっくりと旋回しながら高度を上げていく。雨粒が顔面と鎧を打つが……その強さは、さっきよりも弱くなっているな。じきに、止むだろうな。
「寒くないか、ミア?」
「うん。ゼファーが温かいし、キュレネイも戻ったから、心も温かい!」
「……そうだな」
「私は、皆を温かくする、太陽のごとき存在なのでありますな」
「……背後から、『虎』に、抱きつくな」
「スキンシップであります」
オレの背後にいるシアンが、キュレネイに抱きつかれたらしい。キュレネイにしては、珍しいな。露骨に甘えるなんてね……さてと。
「ジャン、『ザットール』の気配は?」
「は、はい。エルフ系のにおいは、森のなかに多いですね。辺境伯軍を、夜通し守るつもりじゃないでしょうか?」
「ご苦労なこった。だが、こちらにとっても、それは好都合だな……」
『ねえ、『どーじぇ』。どこにいけば、いいの?』
「このまま、南にまっすぐだ。尖った山が見えるな?あそこを目指して飛んでくれ」
『わかったー!みなみだね!』
「ああ。このまま真っ直ぐ飛ぶと、やがて、崖がある……それを越えると、イシュータル草の畑があり、それらに囲まれた小さな村が、目的地だ」
『むらを、こうげきするの?』
「村にある、納屋を襲う。そこには、乾燥したイシュータル草が大量に貯蔵されているんだよ」
『それを、てにいれるんだね!』
「そういうことだ」
ゼファーは南に向かってくれる。この土地は、そう広いものではないからな。切り立った崖が見える。よほど身軽な者でも、体力を酷使しなければ登ることも降りることも出来ない崖だ。
優れた狩人や身軽な暗殺者なら、ここを突破することも出来るだろうが、軍隊が通るのはムリだ。辺境伯ロザングリードが、『ザットール』を信用していたら、ここからエルフの弓兵を降下させる作戦も用意したかもしれない。
だが、戦場での同士討ちを避けるためと……帝国人が持つ亜人種への悪感情ゆえか、それを選ばなかった。両者のあいだには、信頼関係が薄いのさ。
『ザットール』の戦士たちも、この戦で自分たちが排除されたことの意味を、理解しているだろう。信頼されていない。その事実は、彼らに警戒心を抱かせたはずだ。辺境伯軍への盲目的な協力はしないさ。
帝国人は、亜人種を信じない。その真実を体感した以上、『ザットール』の戦士たちはこの雨に打たれながら、辺境伯軍と戦いになる可能性を頭に浮かべただろうよ。
……イシュータル草の畑が見えて来た。
エルゼのくれた情報は、正確だな。『ルカーヴィスト』も、何度か襲撃しようとした、大農園主の麻薬畑……『ザットール』の錬金術師たちが、イシュータル草を精製して、純度の高い麻薬を作るための設備もある。
普段は、かなり守りが固い。腕利きのエルフの弓兵が昼夜を問わず守っているから。
だが、今夜ばかりは事情が違う。その腕利きたちは、戦場に走り、『ゴースト・アヴェンジャー』を始め、『ルカーヴィスト』の精鋭たちとの戦いに備えている。
戦況を様子見するために、『ザットール』の幹部たちもこの土地に訪れているようだ。そいつらは、ここまで前線近くには宿を取らない……この畑を守るために残されていた戦力も、そっちを守りに向かうだろう。
雨のおかげで、あの崖を『ルカーヴィスト』が登ってくるとも考えてはいない。崖からこっちには警備の者はいなかった。いるのは……ここから西。辺境伯軍の側面を守ってやりつつ、『ルカーヴィスト』にも備えるという考え方だ。
いい考え方だ。だからこそ、つけ込めるというものだよ。
今、この大農園を守る戦士の数は皆無……3名だけ。たったの3名だけさ。畑を見回る弓兵と、農園主の豪邸の屋上にいる弓兵……そして、巨大な納屋の屋上にいる弓兵。
「……広大な面積を、とても少ない数でカバーしているな。必要最低限だ。つまり、それぞれが決められた区画を巡回するだけで、連絡を取り合う機会が少ない」
「隙だらけでありますな」
「ああ。オレたちからすれば、とんでもなく都合の良い防衛体制といったところだ」
気が緩んでいる。敵が攻めてくる可能性は、あまりにも低いと考えているのさ。辺境伯軍と『ザットール』を同時に相手するほどの戦力なんて、『ルカーヴィスト』には無いってことを理解している。
完璧な理解だな。だからこそ、オレたちのような『部外者』のことまで想像が及ばない。敵を知りすぎるというのも考えものだな。お互いの動きを、理解出来てしまうから。最小限の対策しかしなくなるもんだ。ヒトはムダを嫌うから。
……さてと、マフィアの納屋から、麻薬の原材料を奪っちまうとするか。
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