第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その28
雨のなかで、オレは笑って。キュレネイの頭を撫でてやる。
「犬あつかいでありますか?……ペットも『家族』でありますが」
「いや、そういう意味じゃなく。なんか、嬉しくてついな?」
「そうでありますか。まあ、すでに『犬』は一人いるので、十分ですな」
もしかしなくても、ジャンのことなのだろう。苦笑いしてしまう。
「ジャンも、心配していたんだぜ?」
「ふむ。私が、団長を殺すとでありますか?」
「そんな一瞬もあったが、すぐに考えを改めていたよ」
「一瞬ありましたか。なるほど、記憶しておきましょう」
良い方を記憶して欲しいもんだがね。すぐに、その考えを改めたんだからさ?まあ、いいか。今は、キュレネイを奪還出来たことで、心が軽い。雨は降っているし、狂信者どもの真っ只中だっていうのにね。
「……しかし、不思議でありますな」
「何がだ?」
「屋敷の中がずいぶんと静かであります。もっと、大騒ぎになっていても良いはず。誘導が、足りなかった?」
「いや、十分に目も引けていたし、ヤツらも、追跡の意欲はあったはずだ」
「……では、なぜ?……私と団長は、いい『囮』になっていたのに?」
「……思い当たるフシは一つあるんだ。お前の姉さんが、オレたちと友好な関係でありたいと考えているのかもな……」
「私に、姉などいないであります」
「いるみたいだぜ。お前、色々と忘れていること、多いみたいだからさ」
「……バレていましたか。あまり、多くは思い出せないであります。常識的なことや、礼儀作法、品行方正さなどは、全て理解し把握しているのでありますが。残念ながら、記憶が少ないのであります。どんな名前でありますか?」
「エルゼというらしい」
「……分からない」
「そうか。なら、今から覚えればいい。お前には、姉さんがいる。エルゼ。お前と一緒の水色の髪をしている」
「……ふむ。マイ・お姉さまも、『ゴースト・アヴェンジャー』?」
「そうだった。もう、引退しているようだがな。今は、『ルカーヴィスト』のリーダーをやっている」
「なるほど。悪の大幹部。私の姉らしいかもしれません。私の『家族』には、魔王とか竜とかいて、ペットには犬男がいる程でありますからな」
「ジャンは、ペットじゃないぜ?」
猟兵女子はジャン・レッドウッドに対して、評価が低いな。タフで、鼻も利くし……善良ってほどかは分からないが、別に悪いヤツじゃない。印象が薄いから、評価が上がらないのだろうか?
オレたちと出会った直後の、クールに尖りまくっていたジャン……オレはいい反骨心だと期待していたのにな。だが、あの態度にイラッとしたギンドウによって、ボコボコにされてからこっち、どうにもジャンは気弱になっている。
何か、露骨なイメージ向上の手段はないものか?……たとえば、不良集団とかにでも絡まれて、カッコよく駆逐してみせるとかすれば、株が上がるのだろうか?
……まあ、ジャンの力でシロウトなんぞ殴ったら、骨がグチャグチャになりそうだから、女子ウケは狙えないかもしれんな……不良集団を骨が飛び出たミンチ肉の塊にしたところで、世間サマは喜んじゃくれんだろう。
ああ。なんで、アイツ、あんなに強いのに弱いんだろう?
「……む。索敵に感あり。誰か、こちらに来るであります」
キュレネイの伸ばした指が、屋根の端っこにハシゴがかけられる光景に向けられる。誰かが、階段を上がってくるようだな。
軽い足音。そして、この儚げな魔力……想像出来たのは、ただ一人の元・『ゴースト・アヴェンジャー』。
「……エルゼか?」
「はい。ソルジェ・ストラウスさま」
大神官サマが直々にオレたちを追いかけて来てくれたらしい。彼女は、オレを見て微笑み。すぐに視線を隣りに移す。キュレネイを見ているな。キュレネイも、また同じ。
「水色の髪であります……団長、もしかして?」
「ああ。彼女こそが、エルゼ。君の姉らしい」
「はい。私の名前は、エルゼ・ザトー。覚えていないかもしれないけれど、私はあなたの姉なのよ、キュレネイ?」
「……マイ、お姉さま……でありますか?」
「ええ。そうです。雨のなかでは、つもる話も進まさそうですね。お二人とも、こちらへ降りて来て下さい。『ルカーヴィスト』は、『パンジャール猟兵団』を歓迎いたしますわ。私たちの、『敵の敵』なのですから」
あの聖なる笑みを浮かべたまま、彼女は屋根の上をフラフラと歩き、あのハシゴに、ちょっと危なっかしく掴まっていた。そのまま、ハシゴを下りていく。
キュレネイは、オレの腕を引っ張った。
「アレが、マイ・シスター……?信じていいでありますか?」
「ああ。信じていいさ。オレには、ちょっとした確証があるからな」
「確証?」
「ああ、言葉遣いでね」
「ふむ。私のほうが、アレよりも、素晴らしい言葉遣いでありますが?」
「今この瞬間も、お前は彼女が自分の姉だってことを証明してもいるんだよ」
「……そうですか」
「ジャン曰く、二人とも同じにおいらしいぜ」
「……ジャンは、私の体臭に、詳しいのでありますか……?」
無表情だが、それだけに分かる。ドン引きしているってことがな。
「考え過ぎだ」
……ミアにキュレネイのシャツをクンクンさせられていたコトは、伏せておこう。
やがて不運にも誰かが、そう言えば……という形で、あの思い出の扉を開いてしまい、ジャンに不幸が訪れる日もあるのだろう―――アイツ、運が悪いから、弱いんだろうか?
「……とにかく、彼女に続こう。お前を雨に打たれっぱなしにするのは、保護者として辛いことだからな」
「ふむ。今夜の団長は、私にやさしいであります」
「いつもそうだろ?」
「イエス。おおむね」
「……おおむねなら、十分だ。たまには厳しいこともするけどな」
経営者だし、家長だもん。オレ、無意味な甘やかしはしていないはず……せいぜい、ミアにせがまれるがままルードに家を買ったぐらいだよ。
「では、行くであります」
キュレネイは、スタタと素早さを見せびらかすような足音を立てて、あのハシゴへと取りついていた。ハシゴの外側を、ブーツの内側で挟むようにして、器用にスーッと降りていく。
オレは、彼女には見劣りする動きで後を追いかけた。
「―――こちらへどうぞ」
下の階……あのナイフが刺さった肖像画がある部屋には、エルゼと……猟兵たちがいた。ミアとシアンとジャンがね。他には、誰もいない。部屋の外には、武装した狂信者どもが、やきもきしながら待機中だ。
「お茶の用意がしてあります。あと、乾いたタオルも」
たしかにお茶の準備がしてあったよ。この破壊された家具ばかりのそこに、ちいさなテーブルが持ち込まれていて、温かそうなお茶が入っているであろうティーポットが乗っている。
雨のなか、ゼファーで飛び回ったり、色々とあったから……温かいモノは飲めるのはありがたいね。
「いただくとしよう。さあ、キュレネイも」
「イエス」
騎士らしくキュレネイの手を引いて、あの破壊されてはいるが、この屋敷で最も上質な部屋へと連れ込んだ。
「キュレネイ!!」
ミアが軽やかなリズムで走り、キュレネイに飛びついた。フロント・抱っこモードで、猟兵女子たちは合体する。
「もう、逃げないよね?」
「……はい。あと、62年間は」
「永遠がいいなあ」
「じゃあ、永遠に」
「良かった!!お帰り、キュレネイ!!」
「……はい。ただいまであります、ミア…………シアン。心配かけたであります」
「……ああ。だが、辺境伯軍の陣を、単騎で突破したのは、見事だった」
「家出して、馬を乗り回していたら、褒められたでありますな」
「……あ、あの、キュレネイ、ボクも心配し―――」
「―――皆さん。お茶の準備が、出来ましたので、こちらへどうぞ」
セクハラを怒っているのであろうか?……エルゼ・ザトーはジャンの言葉を遮っていた。気が弱く、さらに言えば女性に対して免疫が少ないジャン・レッドウッドは、エルゼの言葉にただ閉口するだけであった。
……そして、イスの数は、また一人分だけ足りないから。ジャンは、オレの背後に待機することを選んだようだ。もしかして、まだ微妙にキュレネイを警戒しているのかもしれないな。
まあ、いいや。
お茶を注ぐためのコップの数も、明らかに一人分ほど足りないが……エルゼはタオルだけは人数分以上を用意してくれていた。清潔に洗われたそのタオルを、ジャンに手渡してやる。
「……ありがとうございますっ!!」
「……そこまで嬉しがるなよ」
なんだか、心に刺さるから。
……とりあえず全員で濡れた髪を拭いたよ。女子だけなら、身体の方も拭きたいのだろうが、魔法の目玉を持つ竜騎士さんと、女子ウケがイマイチ悪い『狼男』がいる前では、猟兵女子ズは服を脱いだりはしなかった。
冗談はともかく、狂信者どもの屋敷で、武装を全面解除するってことは、ありえんことではある。武装を外せば、あちらさんの攻撃を招く可能性もあるからな。
弱みを見せるのは、お互いに良くない。
攻撃の誘惑に駆られた若い戦士が、この部屋に飛び込んで、オレたちと戦闘を起こすことになるかもしれないからな……。
オレは、あまり、そういう結果を望んではいない。『ルカーヴィスト』の戦力を減らすことが、戦略上のデメリットになるから?
そんなことよりも、キュレネイとエルゼのあいだに、姉妹の会話というものを与えてやりたい。指揮官としては、感情的な判断だって?……いいのさ、オレはそんなに上等な頭をしたヤツじゃない。
キュレネイは、エルゼを見ている。敵を警戒する心と、姉への親しみを持つ心。そのどちらが、彼女の中で大きいのかは分からないが……敵意だけではないことが、あの無表情の顔のなかで輝く、赤い瞳を見ていれば分かるんだよ。
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