第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その29
「……あらためてですが、キュレネイ。私はあなたの姉であり、『ルカーヴィスト』の大神官、エルゼ・ザトーです」
「……ふむ。まったく、記憶に思い当たらないであります」
「『ゴースト・アヴェンジャー』の記憶障害は、そんなものです。ただの事実として、覚えておいて下さい。今の貴方なら、忘れることはもうないでしょうから」
「……分かったであります。私には、どうやら姉がいるようでありますな」
「ええ。それでいいのですよ、キュレネイ」
聖女の笑みを浮かべながら、エルゼ・ザトーはキュレネイ・ザトーの頭を撫でていた。微笑ましい姉妹の時間……だけならいいのだが、オレは警戒が抜けない。ドアの外には大勢の『ルカーヴィスト』の青年たちが、ナタやら斧を握りしめて待機中だ。
しかし、キュレネイとエルゼの会話には、意味がある。次に語り合う機会など、彼女たちには無い可能性が高いのだから。『ルカーヴィスト』は、明日、滅びる。太陽が昇り、辺境伯軍の侵攻が始まれば、その圧倒的な物量差の前に、滅亡は必死だった。
「……マイ・シスターは、これから、どうするでありますか?」
「……そうですね。作戦を実行することになります」
「あのバケモノを使うでありますか?」
「ええ。『シェルティナ』……アレに化けて、私たちは特攻することになる。そのまま、私たちは滅びることになるでしょう」
「……それで、いいのでありますか?」
「辺境伯軍の数を、少しでも減らすことが出来るでしょう。『シェルティナ』には、誰もがなれるワケではありません。用意出来る『シェルティナ』は、100ほど。この平地で迎え撃つことになる……」
100体の『シェルティナ』が陣取る『そこそこ開けた場所』か。『シェルティナ』の巨大な怪物としての力は、十分に発揮されるだろうよ。しかし、辺境伯軍は精強だからな。
「残りの辺境伯軍は、1万3500……君らは、せいぜい、1000の弱兵に100体ほどの『シェルティナ』か……削れても、1000がいいところだ」
「刺し違えられるのならば、我々は意志を示したことになる。十分に、戦い抜いた。四大マフィアに食い物にされて来た、この土地……貧しい者は、富める者の奴隷として、一生、生き続け、搾取される。間違った戦神の信仰を正すために、私たちは十分な戦をした」
聖戦主義者どもは、いつだって切ない正義を持っているものだな。エルゼ・ザトーは微笑みのまま、自分たちの滅亡を受け入れる。
それが彼らの生きざまか?
少数の貧者。そんなものが戦い抜いて、富める多勢に勝てるなどとは、本人たちでさえ考えてもいないのだろう。意地を示せば満足であるのか?……あるいは、自分たちの掲げた『正義』に殉じれば、それは意味のある死と呼んでもいいのだろうか?
『正義』は人それぞれ違う形をしているものだ。彼女たちが、滅びに美学を感じるのならば、それもそれで彼女たちなりの『正義』の完結方法なのだろうが……。
一つだけ、引っかかることがある。
「……四大マフィアへの攻撃を、君たちは考えていないのか?」
「……ソルジェさま。私たちは、敵の敵同士であり、味方ではありませんよ?」
「手の内を明かす気までは、ないっていうことか」
「はい」
「つまり、『ヴァルガロフ』を攻撃する手段を、すでにアスラン・ザルネは仕掛けているということだな」
「まあ。口車に乗せられてしまいましたね。私としたことが、不覚であります」
「……っ!?」
キュレネイが、エルゼ・ザトーの語尾に反応する。反応するが、記憶が蘇るほどではないらしい。彼女は、エルゼの用意してくれた紅茶をすする。
「……温かいで、あります」
「そう?寒かったでしょう、キュレネイ。温かいお茶を、たくさん飲むといいわ」
「……イエス」
姉妹の会話は続かないな。キュレネイには、本当にその記憶がないのだろう。キュレネイが失った記憶の多さは、計り知れない損害だが……今、エルゼと隣り合わせに座り、紅茶を飲んでいる時間は、キュレネイの思い出にはなる。価値のあることだ―――。
「―――それで、長よ。我々は、どうするのだ?」
うちの『虎姫』さんが、進まぬ会話を早めようとしてくれた。結論を要求されているよ。たしかに、どうするべきかな。
「オレたちは当初の目的であった、キュレネイ奪還を完了した。この土地ですべきことはもはや無いとも言える」
「そうだねー。辺境伯も暗殺しちゃったし、アスラン・ザルネも仕留めたし……ふわー」
あくびをしながら、ミアは紅茶にたっぷりと砂糖とミルクを入れて、小さなスプーンでかき混ぜている。オレはミアにタオルをかけてやる。濡れたまま寝てしまうと、風邪を引いてしまうからな……。
「……辺境伯の暗殺か。キュレネイ、あの攻撃は見事ではあったが……我々の作戦を、認識していなかったのか?」
「ノー。シアン。私も理解はしているであります。辺境伯の暗殺が、辺境伯軍の兵士の作戦目標を変えかねないでありますな」
「……そうだ。ヤツらが、難民へ牙を剥く可能性も、あったのだぞ?」
「……正直なところ、そうなればそうなったで、『パンジャール猟兵団』に対する敵が減る。そう判断していたであります」
「……難民と、辺境伯軍を、戦わせたかったか?」
「イエス。最後に出来る、ご奉公。そんなつもりでした。私は、優先順位をつけていました。難民さんたちよりも、皆の方が大切だと考えていたであります」
「その気持ちは嬉しいがな」
「キュレネイ、猟兵はー、『仕事』も『仲間』も守るんだよ?……そうしないと、ゴハンを買うお金も貰えないんだからね?」
ミアの説教に、キュレネイは反省する。
「分かったであります」
「なら、私は許しちゃう!……この雨で、辺境伯軍も動きたくないもんね。この土地の難民さんたちを虐殺しようとして、雨の中、夜中に動く気力もないはずだし!お兄ちゃんも、そう考えてたでしょ?」
「まあな」
もしも、難民たちへの攻撃が行われるとすれば、『パンジャール猟兵団』でも散発的な攻撃を加えて、妨害はしようと考えてもいたよ。
それに、ここの難民たちを攻撃すれば、『ザットール』も辺境伯軍と戦うことになるしな。アレだけ夜間の戦闘能力がある射手を、今夜の内には敵には回さないとは判断してもいたがね―――。
「―――もちろん、私も、そう考えていたであります」
本当だろうか?……ミアの発言に乗っかっただけの気もするけど。まあ、たしかにこの雨は状況を変えている。
辺境伯ロザングリードが死んだとして、人身売買のルートが破綻すると兵士たちが考え、潜在的な敵である難民たちを処刑したくなったとしても。この夜の雨のなか、行軍し、体力を使い切るというのは得策ではない。
この戦いは前哨戦でしかないからな。辺境伯軍の真の敵は、もうすぐやって来るハイランド王国軍。連中はそう考えている……この雨は、ヤツらの行動力を狭めているのさ。
まあ。
そもそもだが……。
「キュレネイ。ロザングリードは、討ち漏らしたんだな?」
「え?」
「……何?」
「そ、そんな?あそこにいたのは、たしかにロザングリードですよ!?」
自信満々に主張するジャンが、そこにいた。嗅覚に関しては、絶対的な自信を持っている……だが、あくまでも嗅覚である。誤差ってのがあるもんだよ。
「あの大きなテントの中にいた。それは分かっている。ジャンの鼻をオレも信じている。だが、あの金色の鎧は、あまりにもロザングリード過ぎただろ?」
「ど、どういうことですか!?」
「……なるほど。『囮』というわけですね」
猟兵たちではなく、敵の敵こと、エルゼ大神官さんが答えてくれたよ。
「オレはそう読んでる。まあ、キュレネイが首を捻っていたから、そんな気がしているだけなんだが……実際のところ、どうなんだ?」
「アレは、おそらく影武者であります」
「か、影武者?」
「ええ。ジョン。覚えているでありますな?『フェレン』で、見かけた、あのご老人」
「ボクはジャンだけど……うん。あの人だよね?執事のおじいさん」
「……なるほど。彼だったか」
元・ファリス『王国』の騎兵。負傷し、槍を持てなくなった執事。軽い剣ならば、振り上げることが出来ていたが……。
「……ヤツは、主君想いの人物だからな。『ルカーヴィスト』の奇襲攻撃が必ず行われるであろう今夜。主君になりすまして、あんなに目立つ鎧を着ていたか」
自分の『正義』を貫いて、命を落としていった男が、あそこにもいたわけだな。
「イエス。なかなか見上げた根性ではあります。組織の長のために命を散らす、何とも共感出来る健気さでありましたな」
「……オレのためには死なんでいい。そんなヒマがあったら、必死に生き抜け」
「イエス。がんばるであります」
キュレネイが前向きで嬉しくなる。しかし、その一方で、一人の若手が暗くなっていた。
「……そ、そうだったんですね。あそこのテントから、辺境伯のにおいがしたから……ボクは、ミスが多い……」
「ここまで来れたのは、ジャン。お前の鼻のおかげに他ならない。気落ちすることはない。今回の作戦のMVPは、ジャン、お前なんだから」
「ぼ、ボクが、MVP?ほ、本当ですか、ソルジェ団長!?」
「ああ。ちょくちょくミスもあった。だが、それを補いうる、十二分な大活躍だ」
「う、うう!!がんばった甲斐が、ありました……っ!!」
ジャンが感涙を薙がしているな。MVPといっても、別に報酬を別個に用意してあるわけでもなく、ただの思いつきだったのだが……その内、何か実際に形となるものを授与してやった方が良さそうだ。
そうでもしないと、あの感涙が重すぎる……。
「……影武者か。小賢しいが、見事」
「ああ。ロザングリードも、大なり小なり負傷しているのか、それともピンピンしているのかは分からないが、どうせ生きてはいるだろう。腕が立つ、頭が切れる。そういうヤツってのは、確実に殺さない限りは、生きているものさ……」
「……それで、今後は、どうする?……『ルカーヴィスト』を平らげ、南下していく最中ならば、ロザングリードを暗殺する、最高のタイミングではあるが」
「それも一興だが……一つ、やっておきたい作戦もある」
「……何だ?」
「敵を苦しめるために、敵の敵に、手を貸す」
「……まあ。本気なのですか?……ソルジェさま、私たちに力を?」
「君らのためじゃないけどな。アスラン・ザルネを殺しちまったから、明日、ヤツに殺される予定だった、辺境伯軍の兵士が100か200増えちまった」
「そうですね。『先生』がいるいないでは、ずいぶんと敵への損害が違いますから」
「それに、指揮官が一人消えたということも、損害が大きかろう。君らは烏合の衆だ。エルゼが一人いたとしても、明日、本当に皆が戦列を維持出来るものか。逃げる者も、増えるだろう」
「そうでしょうね。認めています。逃れることも、また、生き方であり、聖なる意味を帯びた戦いでもあるのですから」
「……まあ、殉教者になりたい者たちを、止めるほど無粋な性格はしてないつもりだが、敵に与えるダメージが、かなり減るかもしれないということは、問題だ。ロロカの隊が受ける損害を、ムダに増やすことになるからな」
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