第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その23


「も、もうすぐ、来ちゃいます!ゆ、ゆっくりですけど、キュレネイは、こっちに迷わず来ているんです……っ!?」


 ジャンがそう言いながら、この部屋に入ってきた。慌てているな。オレも、ちょっと慌ててしまう。混乱は伝染するからな。自分にも聞かせるための言葉を選んでいた。


「落ち着け。ゆっくりなら、備える余裕はある」


「は、はい」


 アスラン・ザルネの首を掴みながら、死体から竜太刀を抜いた。そして、崩れ落ちそうなる死体となったヤツを襟元を持ち上げて背中に乗せるように抱えると、この部屋にあるベッドに運ぶ。


「お兄ちゃん!」


「ああ」


 以心伝心さ。ミアは毛布をベッドから取り去ってくれた。そこに、オレは悪人の死体を置いて、毛布で隠蔽する。


 寝ているのか、死んでいるのか、分からないように……眠っているときは魔力は下がるからな……それに、この下にオレがもぐれば、オレの魔力を、死体の魔力と誤認するかもしれない―――。


「―――行くぞ」


「は、はい……どうぞ……っ」


 ジャンの背中を台にして、シアンが天井に音も無く取りついていた。天井の梁に、彼女は指を引っかけて、しなやかな体を筋力で絡ませる。見事なもんだ。勢いに頼らない、移動。そのおかげで無音というわけだ。


「マネしよう」


「オッケー……っ」


 オレはミアに背を向けて、階段に化ける。ミアはオレの体を登っていき、シアンと同じように、跳躍することもなく天井にしがみついてみせた。


 身軽な猟兵女子たちは、天井という死角に張りついてみせた。キュレネイに対して、落下して奇襲を仕掛けられる可能性はあるな。拘束したい。見られたら、すぐに彼女は逃げ出しそうだから。


 とにかく、ミアとシアンは隠れるのが上手い。この二人が本気で気配を消せば、猟兵の索敵からも逃れることもあり得る―――やってみるべきさ。


 さてと。オレは、ベッドの下に潜り込み……ジャンと目が合う。


 あいつ、隠れる場所を見つけられず、死ぬほど不安げな顔で、オレを見て来る……どうするべきか?ジャンはとんでもなくオロオロしているな。器用さや機転には欠くタイプなのだ。


 ……オレはあごを振って、『シェルティナ』の死体が寝かされている剖検台に行けと指示を出す。ジャンはその剖検台の裏側に、すべり込む。気配を消すのに必死だ。呼吸を止めたあげく、両手で顔をおおっている……不器用な行為だが、効果はある。


 オレもホコリと泥のにおいがするその場所で、下らん虫のように静かになる。石をひっくり返したら見つかる、名も無きしょうもない虫になった気持ちだったな。だが、無音だ。体を微動だにせず、心のなかを静かにする。


 思考もすることなく、ただ落ち着く。その方が気配を隠せるからだし、安静時のヒトの魔力を模倣することで、アスラン・ザルネの死体が眠っているように偽装したい。


 足音が聞こえる。ゆっくりとだが、確実に近寄ってくる。体重の軽い、女の足音だ。は幅も大きくない……。


 自分の脈打つ心音に混じって、キュレネイ・ザトーの足音が、こちらへと近づいてくる……キュレネイの足音かと思うと、嬉しくなってしまうな。狩人の気持ちと、保護者の気持ちがぐるぐると心のなかで混ざっていく。悪くない感覚さ。


 コンコン!


 軽やかなリズムで、ドアがノックされる。キュレネイは『ゴースト・アヴェンジャー』に化けたのか。魔力の質で、アスラン・ザルネには、この訪問者が『それ』だと分かる。ヤツは警戒しないだろう。


 声まねはしない。『眠ったふり』にかけるのさ。皆が沈黙し、気配を消している。誰もが集中しているが、古い沼のように静かに沈黙をつづける。虫よりも、カエルの気持ちだ。腹ばいからでも、ヤツらのように地面を押して素早く動くための動作は作れる―――。


 ―――ギイイイ!という音が響き……その古い木製のドアが開いていた。コツコツコツと、足音が近づいてくる。若い女の脚の横に、長い柄が見えた。『戦鎌』の柄だ。


 キュレネイは、コイツに『戦鎌』を振り落とすつもりだろうか?……どうあれ。もう逃がさないぜ。彼女の脚を確認する、ベッドの前にいる―――オレは、皆が連携してくれることを信じて、動き始める。


 威嚇するために、ベッドの裏側を拳でドン!と押した。アスラン・ザルネが動いたように感じただろう。


 それでも、『戦鎌』を振り落とすかもしれん。そんな攻撃がオレに命中すれば、あの『予言』が当たっちまうからな……急いで、ベッドの下から転がり出る。カエルさんの動きでね。


「―――え!?」


 キュレネイから見れば、反対側にあたる場所に、オレは転がり出たよ。『戦鎌』の巻き添えを食らう位置ではないぜ。


 直後に、ドオオンン!という、ドアが勢いよく閉められた音が聞こえたよ。天井から降りたシアンが、そのドアを閉めたのだ。


「確保ーッ!!」


「う、うんッ!!」


 ミアが上空から飛び降りて、キュレネイの『戦鎌』に取りついた。それとほぼ同時に、ジャンが、キュレネイの背中に抱きついていた。


「きゅあああ!!」


「え、え、ごめんなさい!?」


 セクハラ的な動きになっていたジャンが、突然に上がった悲鳴に、罪悪感を爆発させて跳び退いてしまっていた。


 減点すべきところだが、ジャンの絶対的な筋力による拘束は意味があった。


 一瞬だけだが、完全に動きを止めていた彼女から、ミアが『戦鎌』を奪うことに成功していた。最大の武器は、除去されたのだ。


「な、なにをするの!?」


 彼女がそう叫び、ジャンに平手打ちを決めていた。ジャンのほほが、その強打により豪快な音を立てていた。今日のジャンはいい仕事をしている、彼女の攻撃力と、注意を引きつけてくれた。


 最高の囮になっている。


 おかげで仕事が楽だぜ。オレは床を蹴り、ベッドの端を踏みつけながら、キュレネイに近づく。彼女がオレの接近に気がつき、振り向きざまにナイフを抜いてくる。いい動きだな……そこまで、拒絶するかよ。


「キュレネイ、オレは、お前を取り戻すぞッッ!!」


「……ッ!?」


 叫びながら、ナイフを握ったまま振り下ろされてくる彼女の右手の手首を、オレは掴む。そうしたまま、彼女を抱き寄せていた。右腕で彼女を胸に抱き寄せた。水色の長い髪に、指が触れる。


「は、離して……っ」


「離さないぜ。取り戻すために、来たんだ。キュレネイ、お前、オレたちの……『家族』じゃないか」


「……『家族』……っ」


「ああ。下らん『予言』なんて、気にするんじゃない。オレは、信じる。お前が自分を疑ったとしても、オレは、信じるぜ……お前は、お前はオレを殺さない。裏切るはずがないだろう、キュレネイ・ザトーが……」


「あ、あの……」


「…………ん?」


 水色の『長い髪』がそこにある。


 キュレネイの髪と、全く同じ色だ。だが、彼女の髪は、ここまで長くはなかった。肩よりも、ちょっと長い程度だが。この人物の髪は、腰の近くまである。


 そして、キュレネイよりも少しだけ背が高くて、細身だった。


「……あ、あの。私は……キュレネイでは、ありません」


 そうだった。魔力も、ジャンによればにおいも―――完全に一致しているが、目の前にいる女性は、キュレネイではなかった。


 何故なら、オレたちのキュレネイは、困惑するような顔をしない。そんな表情を、浮かべる機能を……アスラン・ザルネに壊されているんだから。


 オレは、キュレネイではない女性から手を離していた。


 そして、次の瞬間。風のように現れたシアンは、刀を、その人物の痩せた首に当てていた。


「……武装を、解除しろ」


「……ええ。キュレネイ・ザトーの『家族』を、私が傷つけるわけにはいきませんから。ナイフをしまいますね」


 彼女からは敵意がない。シアンは、それを悟っている。だからこそ、シアンは彼女から離れた。刀は向けている……怪しいそぶりを見せれば、即座に攻撃出来るように。


 でも、その攻撃が実践されることはなかった。


 彼女は宣言した通りに、ナイフを腰裏の鞘に収める。慣れた手つきでな。


 ……あきらかに熟練を帯びた戦士の技巧であるが、彼女は……戦士と呼ぶには、あまりにも儚い。その真っ白い肌は、雪のようで、美しいが、何とも病的な白さであった。


 キュレネイと同じ色をした瞳を、こちらに向けながら、彼女は静かに微笑んでいた。


「……こんばんは、キュレネイ・ザトーの『家族』さん。私は―――」


「―――知っているさ。君は、『エルゼ』……『ルカーヴィスト』の、大神官……そして、キュレネイの『姉』」


「……はい。私の名前は、エルゼです。貴方は……?」


「オレの名は、ソルジェ・ストラウス。『パンジャール猟兵団』の団長だ。今は、『自由同盟』に雇われている。君の敵の敵ということだ。今夜は、君を殺すことはない」


「なるほど。分かりやすい説明ですね」


「―――おい、ジャン・レッドウッドよ」


「ひっ!?」


 シアンに近寄られ、ジャンが悲鳴を上げる。ジャンはガタガタブルブルと震えてしまっているな。あの金色の双眸に睨みつけられたら、しかたがないことだ。


「……キュレネイ・ザトーでは、ないではないか」


「だ、だって!?同じにおいがするんですもん!?ま、魔力とか、気配とかまで、同じじゃないですかあ!?」


「……く。たしかにな……っ」


 そうだ。エルゼとキュレネイは、とても似ている。さすがは姉妹というところか。しかし、オレは、彼女が他の『ゴースト・アヴェンジャー』たちと大きく異なっていることに、気がついている。


「……君は、本当に『ゴースト・アヴェンジャー』なのか?」


「え?」


「微笑む。キュレネイに似た顔だが、あの子は微笑まない。それが、少し、不思議でな」


「……私は、『先生』のおかげで……笑えるようにはなりましたが、悲しんだりは出来ませんから」


 そう語りながら、彼女はアスラン・ザルネの死体が眠るベッドに向かい、毛布に指をかけた。毛布がめくられて、オレが隠したアスラン・ザルネの死体が露見する。


 エルゼは微笑みを崩すことはなかった。


「……『先生』とは、そいつのことだろう?……アスラン・ザルネに対する呼び名だな」


「はい。本来は、『お師匠さま』とお呼びしていましたが、私が『大神官役』に選ばれたとき、その呼び名では、『ルカーヴィスト』の士気に関わると」


「だから。君は、その悪人を『先生』と呼ぶのか」


「はい。『先生』は……そうですね。悪人でした。悪人でしたけれど。それだけでもなかったんです。もう、死んでしまって、全ては終わりですが」


 微笑んだまま、エルゼはその白い指でアスラン・ザルネの見開いた瞳を閉じさせる。


「……満足なさったのですね。楽しそうに笑っておいでです」


「……まあ、そんなことは言っていたな」


「今夜のお客さまは、どうやら『先生』の知的好奇心を、満足させる答えを、下さった。『先生』の死にざまとしては、これ以上は無いと思います。『先生』は、いつも答えを探していたようでしたから」


 微笑みを絶やさないまま、エルゼはオレの顔を見つめてくる。キュレネイが笑っているようで、新鮮なような違和感があるような……まあ、この笑顔もどこかおかしい。


 『悲しみ』を表現出来ないのか。本来ならば、もっとアスラン・ザルネの死を悲しむべき状況なのだろう。彼女にとって、あの悪人は、仲間だったようだから。


「……ソルジェさま。少し、私とお話しをしませんか?」


 その申し出を、断る理由なんてなかったよ。

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