第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その13


「見つけたの!?」


 ミアの弾む声に、オオカミは首をブンブンと振る。横に振ったのか、縦に振ったのか、よく分からない。


「どっち!?」


『……キュレネイか、『ゴースト・アヴェンジャー』だよ。似ている……戦闘をしているんだよ。血とか汗とか、ま、魔力も混じると……ますます、キュレネイに似てしまう』


 戦闘中か。オレたちと同じく、偶発的に『ザットール』の待ち伏せと遭遇してしまったのか、それとも辺境伯軍が山道に作っている拠点を、襲撃したのか。


「どこだ、ジャン?」


『東です。こ、ここから、500メートルぐらいです』


「……ならば、辺境伯軍の拠点だな。長よ、どうする?」


「キュレネイの可能性は、あるんだな?」


『はい……戦闘で、出血している可能性も……そのせいで、においが強い。は、判断は、正確にはつきません!!すみません!!』


「いや。それはしょうがない」


 そもそも嗅覚だけで、ここまで分かる時点で、とんでもないことだからな。


「そ、それで、どうしよう?」


「迷っていても仕方がない。東に向かうぞ」


「……全員でか?」


 目を細めるシアンがいた。彼女は、『外れ』だったときのことを考えている。ジャンでさえ、半々と言うのだからな。気持ちは分かるが―――。


「―――ああ。離れ離れになれば、回収出来なくなる。それに……エルフと雨の森の中で戦うことは、少数では、時間がかかってしかたがない」


「……たしかに、な」


「行こう!!議論よりも、考えるよりも、行動!!ジャン!出発!!」


『こ、こっちっだよ、みんな!!』


 ジャンに先導されて、オレは走る。背後を走るシアンが、語りかけて来た。


「……長よ、ゼファーに」


「わかっている。森のほうを見晴らせておく」


「……その方が、いいだろう。キュレネイ・ザトーを、逃したくはない」


「ああ……その通りだな」


 魔眼でゼファーに連絡を入れたよ、森を見張ってもらうのだ。拠点を上と下から見る必要はない。


 森の上空をゼファーが旋回していれば、キュレネイはゼファーに気づくだろうし、ゼファーに見つからないルートを選ぶ必要が出てくる。移動のスピードは、遅くなるはずだ。


 それに、これから行く拠点は、すでに偵察済み。


 情報は入っているぞ。


「……敵の拠点の規模は、比較的小さい。とはいえ、50名はいるだろう。野戦病院はないが、負傷者もそれなりにいる」


『はい。血のにおいが、します……!人間族の血だ……つ、つまり、辺境伯軍の兵士』


「『ゴースト・アヴェンジャー』ならば、夜の闇に紛れて、襲撃し、数を減らす。その後は……特攻するかもしれない」


「特攻……っ」


「一人で、50人道連れに出来たら、悪いレートではないという発想だろうよ」


「……たしかに、悪くはない。哲学は、分かるが……どんな手段で、敵を、巻き込む?」


「そこまでは分からん。どうあれ、死力を尽くす。死ぬ気の戦士だ、殺されるまでは、暴れ抜く」


 ……それは、キュレネイ・ザトーであってもだ。50人と引き替えでは、あまりにも少ない。だが、自暴自棄になっていれば、どうするか分からんぞ。


 ゼファーの接近に気づいて、死ぬ気になっているかもしれない。オレは、命令してしまっているのだ。命令を絶対に守る、キュレネイ・ザトーに。『裏切り者を殺す役目』。『パンジャールの番犬』。それこそが、彼女の望んだ、初めての役割。


 オレたちを裏切る者に、死を与える処刑人―――それが、彼女が望んだ、悲しい仕事だ。彼女が、与えられた役目から逃れるとは思えない。キュレネイは、全うするさ。オレたち仲間のために、いや、『家族』のために。害となる裏切り者を、殺す。


 ……その裏切り者が、自分自身であったとしても。


 ああ……あんな役目を、与えなければ良かったのだ……ッ。必要な任務かもしれない。裏切り予防の抑止力になるかもしれない。だが、それでも……そのときが来れば、オレが果たせばいい任務だ。


 焦っている。


 だからこそ、焦るなと、オレの理性とやらは訴えている。


 でも、ムリだよ。戦場で再会した瞬間に、キュレネイ・ザトーが自分の首を切り裂くイメージ。そんな不吉な光景が、脳裏にちらついてしまう。


 感情が、理性を駆逐していく。戦場に突っ込むというのに、無策のままだ。


 たかが50人。猟兵が4人もいるなら、力押しで倒せるさ。だが、戦術を帯びずに突撃して行くことを、良しとすべきではない。そのはずなのに、今は……どうにも、頭が回らない。キュレネイの死を、感じる。失いたくない、ただ、その感情だけが頭のなかにあった。


「……制圧するぞ。力と、速度で、敵を殺しまくる!!」


 ただ一つの戦術を語る。敵を殺せば、一人でも多くを、一秒でも早く殺せば。それだけオレたちは安全となり、さまざまなことをするための余裕を手にすることが出来るのだから。


 速度と鋭さに任せて、手当たり次第に敵を減らす。それで、十分だ。それで、いい。今は、血が沸騰しちまっていて、細かな作戦など、出来やしないさッ!!


 戦闘の音が聞こえる。鋼が奏でる剣戟の音だ。


 『襲撃者』は、辺境伯軍に気づかれてしまったようだ。何人かを、遠距離から殺して、乱戦に突入したのだろうか。分からない。しかし、『炎』が夜空を焦がすほどの勢いで、宙に踊る。


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンッッッ!!!


 爆音が鳴り、地面が揺れる。爆風で吹き飛ばされたせいで、雨粒が消える。雨音が消え去り、次の瞬間、空へと吹き飛ばされていた、魔術の熱量に蒸発しきれなかった雨粒たちが、一斉に地面へと降り注ぎ、強く叩かれた土が、バシャバシャと一瞬だけ強く歌う。


 かなりの威力の魔術だった。密集した敵兵に使えば、5、6人は仕留めることが出来るだろうな。森を抜けて、坂に出る。この急斜面を登ったところに、山道の湾曲部に作られた辺境伯軍の拠点があるのだ。


 オレは竜太刀を抜いて、脚力任せにその坂を登っていく。突撃するときは、鎧を身につけた大男のオレが一番でありたいからな。『風』の魔力を脚に帯びさせて、その坂を誰よりも速く駆け上る。


 戦場を睨む。


 戦場は、炎に焼かれていた。酒だか夜間用の照明燃料に、火が燃え移り、そこら中が燃えている。雨のにおいと、焦げた血肉のにおいが混じる。怒声と、共に辺境伯軍の兵士が鋼を掲げている。


 キュレネイを、攻撃しているのか。ひとりぼっちのキュレネイ・ザトーを―――そう思うと、オレの頭のなかにある、何かがキレてしまう。理性が消し飛んでいたよ。精神の中心だか、最も深いところにいる、原始的な本能が、解き放たれていくことは分かった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ストラウスの剣鬼が、ガルーナの野蛮な血が、雄叫びを歌わせる。血潮に奔る怒りの熱量が、肉体を爆ぜるように躍動させた。


 乱暴なものだ。力任せに大地を蹴りつけて加速する。技巧も、『風』の加護も吹き飛ばすような、ただただ獣じみた動きだった。


 剣鬼の貌を見て、獲物の顔が引きつっていたよ。怯えの感情が、鍛錬に固められた兵士の覚悟も崩していたらしい。あまり、深くは考えちゃいなかった。相手のことを全く考えることはなかったな。どんな構えをしていたとか、どんな武器を持っていたのか。


 そんなことさえも考える間もなかった。


 竜太刀をただ振り回して、そいつの肉体を斜めに斬り裂いていた。上半分がズレて落ちていく。血が爆ぜるが、そんなことにも興味は湧かない。


 敵兵が放つ血霧と、天から注ぐ雨粒を突き破りながら、脚は大地を打ちつけて、宙へとオレを導いた。次の獲物を見ていた。


 殺すべき敵。キュレネイを取り囲もうとしている、オレの敵。オレの『家族』を襲おうとしている、死すべきヤツに鋼を打ち込んだ!!


 ガゴギュウウウッッ!!


 悲鳴を上げることはなかったが、竜太刀が兜と頭骨と首を真っ二つにしながら、胸元の鎧にまで食い込んでしまう。ムダに、力を使い過ぎている。意味がない。もっと、鋭く動けたはずだ。


 鋭く動かなければ、キュレネイを襲うヤツらを、速やかに排除することが出来ないじゃないかよッ!!


「クソがッ!!」


 鉄靴の底を、死んだくせに、竜太刀に絡みついたままの獲物に叩き込み、何メートルか先まで転がした。雨のせいか、よく転がり、松ヤニ混じりの油が燃える場所に、その死体は到達していた。


「ば、ば、バケモンだ……ッ」


「な、なんだ、コイツ……ッ」


 雨に濡れた顔で、兵士は震えている。


 地上を燃やす赤い炎のせいで、そいつらは赤く見えただけだったんだがね。走り、ストラウスの嵐となり、そいつらを四連続の斬撃で、刻んで斬り殺してしまうまで、そんなことにも気づけなかった。


 返り血だと思っていた。


 キュレネイを斬り、彼女の肉体から解き放たれた血を、この敵どもは浴びてしまったのではないかとな。そんなことを考えていた。


 炎に赤く燃えて、血に赤く沈む大地の上で。返り血と人肉の脂に汚れた竜太刀を担いだまま、オレは世界を睨みつける。殺す。殺す。殺す。単純明快な意志は、衝動と化して、野蛮人の体を奔らせる!!


 敵の群れに、中央から突撃していく。隊伍を組もうとしていたが、お構いなしだ。ただ走り、敵の斬撃だとか、突きがこちらを貫く前に、竜太刀を暴れさせるだけでいい。殺される前に、殺すのだ。


 一秒でも早く、一人でも多く!!


 熱を帯びた歌が、ムチャクチャな調子でノドから放たれる。ぶつかる鋼の歌を聞きながら、魔王は『雷』を解き放つ!!


 術の体を成していない、暴発的な魔力の照射みたいなもんだ。制御しきれぬ紫電の雷撃が、雨に濡れた鉄の鎧をまとう敵の肉を焼いていく。攻撃しようとしていた、その敵どもは、うめきながら肉体の制御を奪われる。


 何人いたか?知ったことじゃない。大した意味もない。一瞬も止まってくれたのだからな。そうすれば、竜太刀を叩き込み、竜爪の篭手から生やした爪で引き裂くことなど、容易いことだ。


 『虎』を真似た。双刀剣舞だ。だが、それにはシアンの動きのような美しさなどは欠片もない、ただの暴力の速射でしかない。力任せで、技巧を宿していない、反射的な暴力で、オレは目の前にいた夜勤の兵士どもを裂き殺していた。


 敵の密度が、かなり減る。


 ミアが敵を撃ち殺し、シアンが双刀で斬り殺し、ジャンがあの巨大な牙で兵士を持ち上げながら噛み砕いていた。敵の断末魔が、あちこちで聞こえていく。猟兵は、負けない。負けるようには、出来ていないのだ。


 獣のような衝動に、オレは発作されて―――残りの兵士に跳びかかる。長剣を握っている騎士のようだったな。技巧の熟練は、小賢しくも、ガルーナ人の鋼を二度も受け止めていた。


 しかし、三度目は異なる結末が待っていた。


 ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンッッ!!……と、痛ましい歌を鋼は放ち、ヤツの美しくも立派で、ドワーフに打たせた業物は砕け散っていた。


 アーレスの竜太刀に、勝てる剣など、この世にはないのだ。


「く、くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 腰に下げている、予備の剣に手をかけるが、動きに隙が多すぎる。離れながら引き抜くべきだぞと、お節介な言葉をノドの奥に呑み込みながら、その騎士の首を横薙ぎに斬り捨てていた。


「に、に、逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


「お、応援を、呼ぶんだああああああああああああああッッッ!!!」


 雨の果てから、兵士たちの叫びが届く。ヤツらは、馬に乗り、この小さな拠点を放棄していく。総崩れだな。


 オレは……竜太刀を振り、敵兵の血と脂と、それらにのり付けされて、未練がましく刃に取りつく、騎士の頸椎由来だと思しき骨片をふるい落としていたよ。


 敵兵どもが逃げ去った場所に……銀色の髪を見つける。銀色の髪で、赤い瞳の少女だった。キュレネイに、よく似ていると思ってしまったから……涙が、あふれそうになったが。別人だから、ガマンしろと心の中で叫んでいた。


 その『ゴースト・アヴェンジャー』は、全身を、剣で斬られて、腹には槍を突き立てられていた。それでも、オレを見ると……折れた長剣の先を向けてくる。彼女の周りには、5、6人の死体がある。


 彼女は、任務を果たしたのだ。一つの拠点を壊滅させたな。十分な戦いだ。


 助かることのない命に、オレは歩み寄り、その場にしゃがむ。長剣が振られて来るが、その勢いのない一撃は、竜鱗の鎧の肩に当たるだけ。磨かれ曲線を帯びた黒ミスリルの装甲は、彼女の剣を滑らせて、割れた切っ先を、雨に濡れた地面に落としてしまう。


 彼女には、もうそれを持ち上げる力もなく……最後に、ひ、ぐぅ、という死の呻きに若いノドを鳴らしながら……絶命してしまっていた。死んだままでも、見開いている彼女の瞳を、オレは敵兵の血にまみれた指を使って閉じる。


 彼女の、どこかキュレネイにも似ている顔を、敵の血なんかで汚してしまった。そのことが、少し罪深く感じる。でも、彼女はようやく眠れているんだよ。苦しみもない世界に、彼女は旅立ったのだ。


 それで、いいのさ。オレは、立ち上がった。立ち上がり、オレを見たまま、ガタガタと震えている臆病者の兵士に近づいていく。槍を、持っていないな。なるほどな。


「……お前か?」


「お、おれじゃ――――――」


 聞く必要など、ない言葉もこの世には多くある。オレはその一つを、腕力と鋼を使って掻き消していたのさ。


 こんなことは、ただの自己満足だろうが……オレは、あの少女の腹に、槍なんぞを刺した男の言い訳など、聞く気などなかったし、この指が握るアーレスの竜太刀で、ぶっ殺してやりたかっただけなんだ。

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