第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その12


 ゼファーは闇に紛れた静かさを使い、戦場にオレたちを降ろしていた。竜の体重で地上に降りては足音が大きいからな。オレたちは低空で羽ばたくゼファーから、ロープを伝って下りていたよ。


 キュレネイのいそうな場所に、ダイブするというムチャな手もあるが……木々が深いもんでな。木々の枝に突き刺さる可能性は少なくないし、上空に漂ってくるにおいには、タイムラグもある。


 その場に降りても、キュレネイは過ぎ去った後の場合もあるわけだ。急がば回れ。確実な追跡を選んだ方が、効率が良くなるときもあるのさ。


『……じゃあね……っ。なにかあったら、よんでね……っ。そらからも、さがしておくから……っ』


 静かにつぶやいて、ゼファーは夜空へと向かう。ゼファーを追いかけるようにして、空を見たが、星は見えなかった。雲がかかり始めている。予想の通りに、雨が降ることになりそうだな。


 地上でなら、ジャンはキュレネイを追跡出来ると断言していた。たとえ雨が降ったとしても。そいつはいいが、雨に打たれれば体力が削られてしまう。


 戦場で体力を失うことは、死に直結する。


「ジャン。急ごう」


『は、はい!こっちです、ついて来て下さい!』


 巨狼に化けたジャンは力強くそう宣言し、オレたちを導くために夜の山道を走り出す。南下する。ここは、すでにキュレネイよりも北の場所。今いる場所より、南にキュレネイはいるはずだった。


 溜め池のある丘を下り、森へと入っていく。この森林の木々は多彩だったよ。様々な種類の木が生えている。細い木も、太い木も、背の高い木も、背の低い木も。


 暗い森のなか、日光を求めてせめぎ合うように、木々は競走しながらも共存を果たした。枝葉の途切れた、空へのわずかな『すき間』があれば、その場所を目掛けるように木々は幹を伸ばして枝を曲げた。


 その結果が、この濃密で狭い森というわけだな。足下には、戦士たちの足跡がある。『ルカーヴィスト』の若者たちと……辺境伯軍の精強な兵士たちは、この狭い森を駆け抜けてみせた。


 隊列を組んで走るには、事実上狭すぎる道しかない。いや、道などないのだ。木々のあいだを、無理やりに走り抜けるしかない。


 夜空よりも、真っ暗で、フクロウ並みの夜間視力を持つ種族か、猟師や暗殺者などの、一種特別な訓練を行って来た者たちぐらいしか、こんな夜の森を走ることは出来ない。


 辺境伯軍の人間族ばかりの兵士は、ほとんどが走れない。もちろん、『ルカーヴィスト』を構成しているであろう亜人種たちの大半も、この闇のなかでは視界を確保できないだろう。


 極めて優れた才能か、特殊な訓練により研がれた感覚を要求されるな。森に愛された、エルフ族ならば、木々が放つ魔力を肌で感じ、夜の森でも迷うことはないらしい。森のエルフのリエル・ハーヴェルはそう語った。


 つまり、オレたちが気にしなければならない外敵は、もう一つ増える。


「……ジャン。『ザットール』の、エルフの気配はするか?」


『……わずかに。森に、か、隠れていますし……枝から枝を、跳ねるヤツもいます……』


「ここは連中のテリトリーだからな。『ザットール』の連中、辺境伯軍の夜間警備を受け持っているというわけだ」


 夜間の森ならば、辺境伯軍はうろつかない。ここにいるのは、『ザットール』か、それ以外……つまり、『ルカーヴィスト』だ。友軍を誤射する確率も、友軍から誤射される確率もゼロ。


 『ザットール』の狩人やら暗殺者、軽装の戦士たちが、この森を巡回しながら、森のあいだを這うように進む、山道に拠点を築いた辺境伯軍を守っている。それなりに、数はいるな。少人数で、あちこち彷徨いている。


 この森の達人たちだ。地の利を得る彼らから、完全に身を隠すことは、オレたちとて容易いことではない。


「……殺す?」


「……仕留めるか?」


 ミアとシアンが同時に聞いてくる。オレは首を縦に振る。


「可能な限りは接触を避けるが、狙われたら重傷以上を負わせるしかない。油断出来るような連中ではないだろうからな」


 キュレネイを追いかけて進むのだ。敵をキュレネイに誘導する形になることは、避けたい。単独で、これほどの深い森……普段のキュレネイなら問題はないが、今、彼女は孤立しているし、その精神状態は……自殺願望を抱く者に近しい可能性がある。


「……重傷以上。じゃあ、可能なら、殺しは禁止だね」


「『ザットール』の戦力も、取り込みたくはあるからな」


「そっか。なら、『毒弾』を使う」


「『毒弾』?」


「ルクちゃんがね、作ってくれたの。敵に『毒』を与える、スリングショット用の弾丸」


 そう語りながら、ミアは手甲のギミックをいじくり、スリングショット・モードに変化させる。


「麻痺用の弾丸。10個だけ、あるの」


「さすがだぜ、我が友ルクレツィア」


 ……ミアの大ファンとして、何かをミアにしてやりたくなったのだろう。そりゃそうさ。ミアにお膝に乗られたら、何かをしてやらずにはいられなくなるものさ。オレ、ルードに家を買ったもの。


「エルフのハンターを見つけたら、コレを使う。ジャン、見つけたら、知らせて」


『う、うん!』


「……まるで、猟犬の、ようだな」


『ぼ、ボクは、『狼男』です。『犬男』とかじゃ、ありませんからね』


 『犬男』よりは『狼男』の方がカッコいいと、ジャンも考えているらしい。


「……分かっている。立ち止まらずに、さっさと走れ!」


『りょ、了解ですっ!!』


 シアンに睨まれて、ジャンは再び走り始めた。オレは隊列を組ませたよ。ジャン、オレ、ミア、シアンの順番だ。


 エルフの仕掛けた罠を、ジャンなら気づけるハズだし、オレも魔眼で罠とキュレネイの発見に集中している。対策は十分だが、もしもというコトがあるからな。


 罠に引っかかり、爆破でもされたとき、オレがミアの盾になるつもりだ。鎧を着けているのは伊達じゃない。シアンは、背後からの襲撃に備える係だな。彼女ならば、背後から迫る敵に気づかないフリをして、攻撃を誘うことも出来る。


 実力を考えると、この配置がベストだった。


 だが、もちろん防御だけを考えての隊列でもない。反撃も考えているさ。突然の襲撃者に対して、前からはオレが防ぎ、後ろからはシアンが防ぐ。その直後に、襲撃者に対してミアがオレやシアンの影に隠れて襲いかかるという戦術だ。


 ミアの姿を『隠す』。守るためにも、攻撃させるためにもな。死角からミアの神速の攻撃を浴びれば、誰も止めることは出来ないからだよ。エルフの弓兵に狙撃されても、オレとシアンが防ぐし、その直後には『毒弾』の出番になるだろう。


 森のなかを、ジャンは進む。オレたちよりも、30メートルほど先行させて、その後を追いかけるようにしている。


 辺境伯軍の足跡や、そのにおいが残っているおかげで、道に迷うことはないが、理想通りに道が走っているとは限らない。ときおり、止まらなくてはならない。ジャンは、目当ての方向へ近づく道を選ぶ必要があるからな。


 30メートルも、オレたちが走っているあいだには、ジャンは気づく。追いつく前には巨狼は走り始めるのさ。こうすれば、ジャンよりも足が遅いオレたちも、立ち止まることなく走りつづけられるわけだよ。


 それ以上は、離れられない。ジャンだけで、キュレネイに接触させるワケにもいかん。キュレネイの実力なら、ジャンに大きな傷を負わさず、気絶させることだって出来るからな。ジャンを気絶させられたら?……オレたちは、キュレネイを見つけられない。


 しばらく森を走っていると、雨がぱらつき始めた。


 良くない条件になる。ジャン嗅覚が、落ちるし……雨音に暗殺者や待ち伏せを企む『ザットール』の戦士たちにも、かなり気づきにくくなる。視界が雨で遮られ、聴覚も雨音に邪魔されるからだ。


 こちらの足音が、聞こえにくいことは利点ではあるものの。聴覚に関して、エルフ族と勝負するのは冒険が過ぎるというものだ。


 エルフの長い耳に、それ以外の耳が勝つことは、絶対にムリなのさ。オレたちは、この雨音のせいで、より不利な条件で『ザットール』のヤツらにも襲われる可能性が出て来た。


 可能性だけなら、杞憂に終わることもあるが―――ジャンが、足を止めて、身を伏せる。尻尾を横に振り、敵発見の合図をオレに送ってくる。


「……敵だ。止まれ」


 静かにつぶやき、ゆっくりと止まる。急に立ち止まれば、雨で濡れた土に足を取られることだってあるからだ。七歩使って、安全に止まりながら、身を低くする。大きな木の幹に隠れるようにしながら……。


 オレは魔眼を発揮する。150メートル先だ。木々が織りなす遮断の向こうに、その弓兵はいた。こちらの気配に、気がついているようだな。


 太い枝に足の裏をつかって乗ったまま。その細身の影は、短弓を構えようとしていた。枝を足裏で押すようにしながら、背中を木の幹に預けてバランスを取る。腕を使い、弓に矢をつがえて、弦を引いていく。


 あの体勢では、まともな射撃はムリ?……それは、エルフの弓使いを知らない者の意見だ。人間族の射手では、エルフのそれには及ばない。腕力では勝てるがね。


 あの聴覚を用いた空間把握の能力は、こんな閉鎖的な場所でも完璧な射撃を発揮する。エルフの射手は、この生い茂った木々枝葉の遮蔽をも射抜いて、こちらの肉に矢を当ててくる。


 場所を気取る力、曲芸的な姿勢からの命中精度……森に立て籠もるエルフの恐怖を、オレたちは雨音が融ける闇の中で、味わっているのさ。


 この150メートルは、あのエルフの弓兵にとって、絶対的な領域だ。無策で近づけば、並みの戦士ならば、確実に射抜かれるだろう。


 オレは、木に隠れたまま、魔眼で敵の姿勢を観察する。ヤツは気取った。こちらに何かがいることには気づいている。魔力を消して、足音もほとんどなく走っているオレたちに、よく気づいたもんだ。


 でも、何がいるかまでは把握していない。把握していれば、声を上げるなり何なり、仲間に合図をするはずだ。


 この豊かな森には、獣も多く生息している。クマに、イノシシ、角の短い鹿もいるかもしれないし、不気味なモンスターもいるだろう。『それら』か『敵』かまでは、まだ分からないのさ。


 かなり上等な戦士じゃある……しかし、キュレネイを探さなくてはならない今、時間をかけるわけにはいかないな。


「……ミア。ヤツの動きが読めるな」


「うん。でも、あと50メートル、前に進みたい。『風』で補強するとしても、あそこまで届かせるには、それぐらいいる……」


 本来ならば、時間をかけて、回り込む。虫みたいに時間をかけて腹ばいで進む。気配を消して、動くもんだがな。


「ここは、数の利を使うぞ。シアン、右に走ってくれるか?」


「あえて、音を立ててか」


「ああ。囮になってくれ」


「……わかった」


「シアンに引っかかったら、オレが全力で走る。あとは、分かるな、ミア」


「ラジャー」


 オレはうなずく。その直後、シアンがあの低い姿勢のまま、矢のような勢いで走り始めていた。無音の走りだし、その低い姿勢を見たところで、ヒトの動きとは思えまい。


 このまま、シアンなら、ヤツに気取られぬまま50メートルの距離までは近づけるだろうが、そこまで体力を使うことはない。シアンは、あえて、茂みに刀を当てて。物音を立てながら駆け抜ける。近くの岩の裏に逃げた。射撃はされない。


 弓兵が反射する。茂みが立てた音に反応し、そこに弓矢を向けてしまう。いい反応だが、そっちは囮だ。オレは木の幹から飛び出して、ヤツに向かって走り始めていた。


 地面を蹴り上げ、加速する。大胆なものさ。足音を立てる。人間族の割りには動物じみて速い動きだぜ。ヤツは1秒後には反応していた。こちらに視線も姿勢も向けてくる。もちろん、弓もな。


 だが、2秒後も撃っては来ない。こちらが接近してくるなら、より慎重かつ精確に狙うべきだと考えた。トータルで3秒も与えていたのさ。エルフの凄腕射手にな!何もしなければ、百発百中で射抜かれるさ。


 ヤツもそれを理解していたからこそ、余裕と確信を込めて矢を放つ。雨粒を射抜きながら、矢が迫る。かなりの速さ。『風』の『エンチャント/属性付与』を使っているのかもしれないな。


 速いが、真正面から来る矢を、オレの竜太刀が防げぬワケがないのさ。竜太刀で、矢を斬り裂いていた。撃ち落とされる矢を見て、ヤツは驚愕したかもしれないが……その鍛錬された技巧は肉体によどみを生まない。


 弓に矢をつがえる。絶対の自信を持つ射手は、より防ぎにくい角度で矢を放つため、枝を蹴り、宙に舞う。その姿勢からでも、当てるさ。エルフの身軽さは、森でこそ生きる。


 だが。その大きな動きのあいだも、オレは走っていた。トータルで何秒、走ったことか?50メートル近づくには、十分な動きだったよ。オレの背後からミアが飛び出していた。そのまま地面にスライディングしながら、『風』を帯びた弾丸をスリングショットで放つ。


 『風』に祝福された、矢よりも速い『毒弾』が宙にいるエルフのノド元に命中し、ヤツは空中で大きく姿勢を崩した。そのまま、矢を放つこともなく、地面に落下していたよ。


 ジャンは、風よりも速く走り。オレたちを一瞬で抜き去ると、落下してもがくエルフを、その大きな前脚で押さえつけて拘束する。エルフの体は、そのままルクちゃんの毒に侵されて、痺れてしまっていた。


「……いい狩りだったな」


 オレは、仕留めた獲物の周りに集まった仲間たちにそう語る。そう語った次の瞬間、ジャンが、反応していた。鼻をヒクヒク動かしながら、ジャンは口走る。


『……キュレネイ!?』

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