第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その9


 教会の裏手に、キュレネイ・ザトー捜索隊は結集する。見送りチームもいるけどね。ガンダラとミーティング中のオットー・ノーランを除く、全員がそこにいたよ。


 長丁場を覚悟済みだからな。皆、食事も済ませ、装備品も補充している……ふむ。オレが一番、遅れてしまっているようだ。


「待たせたな」


「……いや。北の戦況も、把握しておくべきだ」


 シアン・ヴァティに許されて、オレは安心するよ。


「ああ。色々と情報は手に入った。戦場がどう動くかも、かなり読めた……キュレネイがどこを攻撃するかも、候補が絞れそうだ」


「さすがお兄ちゃん!!」


「ああ。この任務だけは、失敗出来ないからな」


「うむ!そうだな。このキャンプは任せておけ!」


「たのむ。皆、それぞれ与えられた仕事をこなそうぜ」


 猟兵たちは、その言葉にうなずいてくれる。オレは何だか、この一体感がたまらなく嬉しいよ。そうだ。多くは語るまい。オレたちは、それぞれの仕事を達成すればいいだけだ。


「仕事に入ろう。まずは、確認だが……ジャン!」


「は、はい!!」


「キュレネイのにおいは、北に向かっているな?」


「は、はい!キュレネイの気配は、北に感じます……た、ただし」


「どうした?」


「その……普段のキュレネイとは、ち、違うにおいというか……香水だと思います」


「……なるほど。キュレネイめ、知恵を、使ったな」


「むう。香水を使い、ジャンの鼻から逃れる対策をしたのか……」


「さすがっすね」


「……では、キュレネイのにおいを、追いかけられない?」


「い、いえ。そ、その。精度が低くなるかもしれません……こ、香水を追いかけても、香水瓶を崖から投げられたら?あ、あるいは、馬車の荷台や、早馬に仕掛けられたら?……ボクの鼻は、どれも追いかけられます」


「……ジャン・レッドウッド対策は、バッチリというわけだな。よほど、ジャンに追いかけられたくないのか……そもそもだが。体のにおいを嗅がれて追いかけられるとか、女子からすると、生理的に受けつけん部分もあるからな―――」


「―――え?」


 真剣な表情のリエルから出たその言葉は、ジャンのやわらか目のメンタルに突き刺さっていたようだ。まるで、変態であるかのように言われているからな……生理的に受けつけん。なかなか辛い言葉だ。


「……だ、団長っ?」


「お前の鼻は役に立っているぞ、ジャン」


「……で、です……よね……っ?」


 まったく、ジャンのメンタルも弱すぎるな。目が泳いでいるし、引きつっているみたいに、変なリズムでまばたきもしていた。動揺しているのが、一目で分かる。


「ジャン。安心して、対策はしてるよ!!」


 自信満々のミアが、ジャンの足下に近寄っていた。ジャンは、ミアの接近に反応し、ビクリと体を揺らしているな。


 女性に対して、恐怖を抱いているのか?……リエルの言葉によって、自分の存在が女性に嫌悪されているしまっていると思い込んでしまったのだろうか?……打たれ弱いメンタルだぜ。自信がなさ過ぎる……。


「た、対策って……っ?」


 語尾のあとに、変な呼吸音が混じっていたな。小さく空気を吸い込むような?……なんていうか、不審者みたいだ。オレがジャンに対して初対面だったら……ジャンに近づくミアを止めているところだな……。


「うん。私には、ジャン対策への対策があるの!!」


「ぼ、ボク……対策、されまくってるなぁ……っ」


「キュレネイが、香水でにおいを誤魔化すのなら……『これ』を、使って!!」


 ミアが何かをバッグから取り出していた。布だな。布というか、シャツだ。予想出来たのは、一つだけだった。


「これは、キュレネイのシャツだよ!寝るとき、よく来ているシャツ!!だから、キュレネイの成分が、たっぷりと染みついているはず!!……はい。ジャン」


 ジャンの目の前に、ミアはそのシャツを差し出していた。まるでシャツに噛みつかれたことでもあるかのように、ジャンは怯えながら、その衣類から後ずさりする。


 墓穴を掘っているような気がした。ジャンの、そのリアクションの一つ一つが、彼自身を追い詰めていくような気がしてならないのだ。


「どしたの?」


「い、いや、な、なんでもないよ……っ?」


 なんて、怪しげな言葉だったことか。ミアは、首を傾げたまま、ジャンに近づいていく。キュレネイのシャツを握りしめたまま。


「どうでもいいけど、早く嗅いでよ、ジャン。キュレネイのにおいが、落ちちゃうよ?」


「だ、大丈夫だよ……っ。もう、分かってる!キュレネイのにおいは、分かったから!」


「ううん。足りない。絶対に足りない。だって、キュレネイは賢いから、香水以外にもジャンの対策しているかもだし。はい、受け取って…………?」


 ミアに殺気が混じる。暗殺妖精、ミア・マルー・ストラウスは、13才とは思えないほどの威圧感を放ちながら、ガタガタと震えるジャンに、そのシャツを握らせていた。


「さあ、早く!キュレネイのにおいを、鼻に覚え込ませて、ジャン!!」


「ど、どうしろと……っ!?」


「顔に押し付けて、クンクンするんじゃないの?いつも、しているようにして!!」


 語弊に満ちた言葉だったな。


「い、いつも、そ、そんなことは、し、してないから……ね……っ!?」


 真実を語れども、その不審者みたいな自信の無さが、悪い方にジャンを追い込んで行くようだ。墓穴を掘る。一体、何人分の自分を埋葬するつもりなのか。


「…………気持ち悪い」


 リエルが、小さな言葉で……本当に小さな言葉で、そうつぶやいていた。小さいが、それだけに本気さが伝わってくる。


 何とも痛ましい状況でもあるが、性格の悪いギンドウ・アーヴィングは笑っていた。腹を抱えて、笑っていたよ。だから、シアンに、その尻を蹴られていた。


「さあ!!早く!!クンクンしなさい、ジャン!!…………死にたいの?」


 暗殺妖精、ミア・マルー・ストラウスの迫力に追い詰められたジャンは、ついにミアの命令を聞いていたよ。


 泣きじゃくりながら、ジャン・レッドウッドはキュレネイ・ザトーのシャツに顔を押し当て、必死に鼻をクンクンさせていた。なんだか、間違っている行為のようにさえ見えてしまうが、不思議なことに正しく理に適っている行為である。


 何も間違ってはいないのだ。


 なのに、その行為を見ている、リエル、カミラ、ククルの表情には、ジャンに対する軽蔑の表情が見て取れた。いや、軽蔑というか……ドン引きしている。少女のシャツをクンクン全力で嗅いでいる青年を擁護してやれるほど、あらゆる女子の心が寛容であるとは限らない。


 感情は理性とは異なる意味で、残酷な側面を持っているものだから。


「覚えた?」


 ミアの言葉に、涙目のジャンはうなずいていた。


「う、うん……覚えたよ。覚えたから、大丈夫…………大丈夫ですよね、団長……っ?」


「あ、ああ。大丈夫だよ。問題の無い行動だった」


 そう言ってやることしかオレには出来ない。猟兵女子たちにも、ジャンの行為にドン引きしていない者もいる。ジャンにそれを実行させたミアと、シアン・ヴァティであった。


「……それで、キュレネイ・ザトーを、追跡できるか、ジャン・レッドウッド」


「は、はい。追跡出来ます、シアンさん……香水とかに、誤魔化されることなく、キュレネイを、追いかけることが出来ますぅ……っ」


 泣きそうな顔で、そう発言するジャンがいる。この状況では、これほど頼りになる言葉は他にないはずなのに。何故だか……ジャンの偉大さが減衰しているな。


「じゃあ、さっそく、ゼファーに乗って!!」


「う、うん……っ」


 ジャンはトボトボと歩き、ゼファーの背には軽やかに飛び乗ってみせたよ。身体能力のカタマリのような人物でもあるのだが……あの華麗な動作を見たぐらいでは、シャツをクンクンする光景がもたらしたマイナスの評価を、打ち消すことは出来ないかもしれない。


 ……今さらだが、気がついていた。


 巨狼モードになってから、シャツを嗅げば良かったのではないだろうか?……かなり見た目がマシに思える。ヒト型でやるよりは、間違いなく良かったはずだな。


 ……このアドバイスは、次回、同じようなことが起きたときにはしてやろう。ジャン本人も、自分の社会的評価を守るために、覚えておくべき方法だ。あとで、ゼファーの背の上で教えておいてやろう……。


 この場は、もはや手遅れだ。オレの妹分、ククル・ストレガに惚れられるとか、そういう素敵な出会いはジャン・レッドウッドには訪れそうにない。


「……あ、あれは、問題無い行為なんですよね?」


 真剣さを帯びた声で、ククルは、オレのヨメさんたちに訊いていたよ。


「う、うむ……そのはず。そのはずだが……」


「見た目が、良くない行動だったかもしれないっすね……ジャンくん。他に、やり方がなかったんでしょうか……オオカミに化けてから、すれば良かったのに」


 ……ジャンは、カミラの言葉を聞いてしまったのか。『その手があったじゃないか!!』という顔をしたよ。口を開けて、虚空を強く見つめているな。今、何が見えているのだろうか?シャツをクンクンする自分の姿だろうか……。


 うなだれたジャンを見る。何とも、不憫な気持ちになってくるな。ジャンが、こういうイベントをこなすことで、女性恐怖症とかになっていったら、どうしよう?


 ギンドウが、爆笑している。シアンに蹴られた後も、ゲラゲラ笑っている。間違いなく、この夜の出来事を、シャーロンのアホに報告するんだろうな。


 ……だが、ギンドウ・アーヴィングも、このオレも、確信を抱いているのさ。ジャンは己の名誉にムダな傷を負ってしまった気がするが、間違いなくキュレネイ・ザトーのにおいを覚えたはずだ。


 ミアの行動は正しいからな。ジャンは、通常よりもはるかに強く、キュレネイのにおいを認識している。たとえ、香水を使おうが使うまいが、もはやジャンの鼻は惑わされることなく、キュレネイを追いかけるだろう。


 アレは、一種の呪術であると思う。数十キロ離れた者を、嗅覚で追いかけるなんてことはな……そうだ。呪術も有効だ。アーレスよ、お前のくれた、魔法の目玉も使わせてもらうぜ。


 『狼男』の嗅覚と、竜の眼がそろえば?……問題はないのだ。


「お兄ちゃん、シアン!!早く、乗って!!」


「ああ!!」


「……行くぞ」


 オレとシアンも、ゼファーの背に跳び乗っていた。仲間たちが、こちらを見る。笑い転げていたギンドウも立ち上がり、マジメな顔を選んだ。


「団長たちなら、余裕でしょうけど。あっちも、戦の最中っすわ。死なないように、気をつけるっすよ……ほら。餞別っす!」


 ギンドウはオレにその袋を投げて渡した。『こけおどし爆弾』。たっぷりと、そいつが入っている。


「改良型っす。オレとシャーロンも、ちょこちょこ役に立っているんすよ。ボーナス、お忘れなく」


「……ああ。今度の戦が終われば、皆で呑むぞ」


「覚えておくっすよ!……じゃあ、キュレネイのこと、頼むぜ、ジャン。お前の鼻なら、必ず見つけられる」


「……は、はい!!絶対に、見つけます!!」


「じゃあ!!キュレネイ捜索隊!!出発だよ!!ゼファー、飛んで!!」


『らじゃー!!』

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