第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その10


 またゼロニアに夜が訪れようとしている。ゼファーが舞い上がった空は青みがかった闇の色をしていた。星と月が見える……オレは雲の形から、北の山岳地帯に、遠からず雨が降りそうだと気づいていた。


「……ジャンよ。雨でも、キュレネイを追いかけられるな?」


「出来ます!」


 力強く即答されて、オレは嬉しくなる。ジャン・レッドウッドが、即答するときほど、信じられるものはないからな。


 キュレネイのシャツを嗅いで、猟兵女子たちから白い目で見られたことは悲しい出来事だが、その甲斐はあったようだ。


「……で、でも、雨が降るなら、早く見つけるに越したことはないです」


「当然だな。キュレネイに、ひとりぼっちで寒い思いをさせてはいけない」


「で、ですね……!」


『いそぐね!!とりあえず、きたにいけばいいんだね!?』


「う、うん!北だよ。キュレネイは、北に向かっている……彼女は、馬を、乗り継いだんだ」


『わかったー!!』


 漆黒の竜翼が空を叩き、北部の山岳地帯を目掛けて飛んで行く。かなりの速さだ。馬とは比べものにならない。だが、キュレネイ・ザトーに追いつけるとは、考えられん。


 綿密な準備をしつつ、『アルステイム』のサポートを受けた。キュレネイの馬術は完璧だ。身軽なケットシーたちにも、遅れは取らん。オレたちさえも、出し抜くことは不可能ではない―――。


「―――早馬を、乗り継ぐ。では、戦場に、到達している頃だな」


「ええ。そ、そうだと思います、シアンさん……『アルステイム』さんたちは、かなり速い馬をそろえているみたいですから」


「『ゴルトン』の輸送隊の馬は、大型だったな。『マドーリガ』は、小柄で機動力がありそうなヤツだ。『アルステイム』は……速度を重視した足長のヤツかもしれん」


『……じゃあ、『ざっとーる』は?』


「おそらく、小柄で脚の太い馬だろう。山道を、荷物を背負って歩かせるには丁度いい」


『おおきなうまで、ばしゃで、はこぶんじゃ、ないの……?』


「かなり細くて急な山道もあるからな。馬車を引かせるよりも、荷物を背負わせた方が便利だろうな。馬車が、通れない道もあるからな」


『なるほどー』


 ……用途に合わせて、馬を使い分けることもある。集団の方針を読めば、用意する馬の種類も読める。


 もちろん、推理や予想の類いであって、絶対ではないがな。四大マフィアは仕事の住み分けを守っていた……ならば、使う『道具/馬』をも限定したかもしれん。


 そうすることで、それぞれの仕事の領分を侵すことを防ぐことになるからだ。四大マフィアはお互いを尊重することを、かつてはしていたわけだからな。


 ……しかし、その『掟』も終わった。今では『アルステイム』と『マドーリガ』は『自由同盟』に、『ゴルトン』と『ザットール』は辺境伯ロザングリードについているのだ。


 乱世の常ではあるとは言え、ジェド・ランドールのような古株たちは、それを快くは思わないかもしれんな……アッカーマンは、ジェド・ランドールの『何』を恐れていたのだろうか?


 ―――いや。今はどうでもいいことだ。今は、キュレネイ・ザトーの捜索に集中するとしよう。オレの脚の間にいるミアは、じーっと北の方角を見つめているのだから。


「……お兄ちゃん。キュレネイが、北の山岳地帯に入ったとして、どこに向かうの?」


「北東に立て籠もっている『ルカーヴィスト』。ここに、アスラン・ザルネはいると考えられる」


「アスラン・ザルネ……そいつが、キュレネイのターゲットなんだね?」


「その可能性は高い。だから、キュレネイは最終的には、北東部に向かうだろう。『アルステイム』からの情報で、敵の配置は分かっている。キュレネイなら、オレと同じ予測をするだろうな」


「じゃあ、他のターゲットの場合は?」


「……辺境伯ロザングリード。ヤツを殺そうとする可能性もある。それが、二番目に怪しいターゲットだ。三番目は、辺境伯軍そのもの。無差別に攻撃して、数を減らそうとするかもしれない」


「……どれも、敵だもんね」


「そうだ。そして、それらは山岳地帯の真ん中から北東にかけて、並んでいる」


「た、ターゲット候補は、みんな、北東部周辺にいるってことですね?」


「……でも、南から入るのかな?……『東から大回りするルート』もあるけど?」


 そうだな。そのルートも存在してはいる。『北の砦』のヤツらが、使おうとしていたルートだよ。馬で走り抜けることを考えれば、そのルートを使う方が素直で、早く着くだろう。細い山道を、無理やりに馬で駆け抜けることを考えればな……。


 可能性は二つ。だが、こちらにはジャン・レッドウッドがいるのだ。


「ジャン。キュレネイは、東に向かった気配はあるか?」


「い、いいえ!ありません。キュレネイは、このまま北に向かって一直線です……つ、つまり、北部の山岳地帯からすれば、南から入りそうです!」


「……東を回れば、荒野を走る距離が増える……ゼファーの速度と、長の眼からは、逃れられんと考えたか」


「徹底的に、オレを避けようという方針だな」


 少し、さみしい気持ちになってしまう。『家出娘』を探す父親ってのは、もしかして、こんな気持ちなのだろうか……?


「長よ、落ち込むな」


「別に、落ち込んではいないさ」


 強さを美徳とするガルーナ人の男は、そんな見え透いた嘘を口にした。琥珀色の双眸には通じなかっただろうがね。


「……あいつなりの、思いやりだ」


「……そうなんだろうな」


 オレから離れようとする行為そのものが、オレを守るための行動だ。嫌われたあげくに、避けられているわけではない。理屈で考えれば、そんな結論が浮かぶ。でも、どうしたって感情が先走る。


 キュレネイに、避けられる?……その事実は、理由がどうあれ、オレの心を苦しめるのだ。罪悪感のせいだろうか?……キュレネイを、あんな予言のせいで遠ざけてしまった。信じてやれなかったのだ。


 そのことに対する、オレ自身の罪悪感。そいつがあるから、オレは自虐的な傾向に陥っているのかもしれない。ほほを叩く。夜空を流れる冷気を顔面と、開いた両目に当てながら、オレは集中力を高める。


 考えるべきときだ。


 キュレネイの行動の意味を。そうでなければ、失うかもしれない。全力で、探す。それが、オレのすべきことだ―――。


「―――『長を、殺す』。キュレネイ・ザトーは、その『予言』を知り、『それ』を信じた。『予言者』の力を、疑っていないことになるな、長よ」


「ああ。それは、つまり、『意に沿わぬ殺人』をさせられる可能性がある……自分自身のことを、キュレネイはそう判断したということだ」


「……だろうな。そうでなければ、そんな『予言』など、信じるはずが、ない。この逃亡は、長を守るための行動だ……キュレネイ・ザトーに、殺意など、ない」


「操られる可能性を、彼女は考えているんだろうな……」


「ねえ、お兄ちゃん。『操る』とか、そんなのって、カンタンに出来ちゃうもんなのっ!?……したくないことを、キュレネイは、させられちゃうの!?」


「普通はムリなことだな。だが、キュレネイたち、『ゴースト・アヴェンジャー』の頭には、強い呪いが仕掛けられているんだよ」


「呪い……そ、そのせいで、操られちゃうんですか?」


「ああ。『ゴースト・アヴェンジャー』になる方法は、訓練だけではない。呪術や、薬物でも、心身の『変異』を強いられているようだ」


「へ、『変異』……って!?」


「キュレネイの髪の色は、水色だ。うつくしい色だが、異質な色ではある。彼女は、他の『ゴースト・アヴェンジャー』たちよりも、『変異』を強いられたのかもしれない」


「の、脳に、呪いとか……か、髪の色まで、変わっちゃうようなことをされて、無事なんですか!?」


「……無事じゃないさ。キュレネイは、笑えない。表情がほとんどない。それは、やはり異常なことだ……それに、記憶障害もある」


「な、なんですか、それ……?」


「テッサ・ランドールは、女優の護衛をしていたキュレネイのことを覚えていた。だが、キュレネイは、テッサのことを『知らない』と断言した。テッサは、闘技場の英雄でもあるし、『マドーリガ』の長の娘だぞ?……超がつくほどの有名人だ。知らぬはずがない」


「超がつくほどの有名人。で、でも……キュレネイは、覚えていなかったんですか?」


「ああ。過去のことを多く話したがらないのも、もしかすると、『変異』を強いられた結果、覚えていないだけなのかもしれん」


 『辛いから逃げた』。記憶を忘れなくてはならないほどの苦痛だったから、耐えきれず、それを選んだ―――『首狩りのヨシュア』は、そんな風に自分以外の『オル・ゴースト』を表現していたな……。


「そんなの、ヒドいよ……っ!!キュレネイは、昔の記憶まで、アスラン・ザルネってヤツに、盗られたの!?……お母さんとの、思い出だって、あるかもしれないのに……っ」


「……ああ。とんでもなく、ヒドいことだよ……」


 ミアがオレの脚の間で回転し、オレに抱きついてくる。お兄ちゃんだからな、腕を回して、しっかりと抱きしめるさ。


 しばらくのあいだ、誰もが無言だった。オレは、暗む地上を見下ろしていた。キュレネイを乗せた馬は、いない。とっくの昔に、もっと北へと行っているのだろう。沈黙を破り、ジャンがオレを呼んだ。


「……ソルジェ団長」


「なんだ、ジャン」


「……気をつけて下さい。ボクは、『お母さん』に……『アリアンロッド』に操られて、呪われた血を、覚醒させられました」


「そうだったな」


「……そ、そのあと……ボクは、孤児院の仲間を、み、皆殺しに、したんです……ッ!!したくないことでも、させられる!!そんな呪いは、確かに、あるんですよッ!!」


「……ジャン。それでも、お前は、呪いに負けなかった」


「は、はい。騎士のおじいさんが……助けてくれたから……ッ」


「猟兵は、負けるようには出来ていない。『侵略神/ゼルアガ』に操られても、お前は、踏みとどまった」


「……キュレネイにも、出来ますか……?」


「もちろんだ。呪われたとしても、操られたとしても。キュレネイ・ザトーは、オレたち仲間を裏切ることはない。それは、絶対だ」


「は、はい……そうです、よね……ボクなんかにも出来たんだ。キュレネイは、ボクよりも、ずっと強い子だ……だから、大丈夫だ」


「ああ。たとえ、キュレネイ自身が、自分を信じられなくても。オレは信じるぞ。キュレネイは、オレを殺したりはしない。呪われ、操られようとも……そんなことを、彼女はしない」


 ……だからこそ、見つけなくてはならない。


「見つけるぞ。彼女が、自分の命を、この戦場で費やしてしまう前に。そんなことが、オレを守ることであり、『パンジャール猟兵団』への貢献なのだと……思うなよ、キュレネイ・ザトー!!」

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