第四話 『祈る者、囚われる者』 その9
ニコロは不自由な左脚を引きずりながら、背後にあった酒瓶だらけの棚に手を伸ばす。見たことのないラベルの書いてある酒瓶を掴むと、彼はそれをオレに手渡してくれる。
「……コイツは?」
「うちで一番のヤツですよ。他のは価値が知れてますが……そいつは、ちょっと値がつけられません」
「ほう?」
なになに?
……うむ。どうにも古くて読みにくいラベルだが……『シャトー・ガベルア』……?
困ったことに聞いたことがない銘柄だった。コイツが、高級品だと言われても、オレにはピンと来なかった。高級品の酒ってのは、有名だからだ。ぶっちゃけ、味よりも希少価値が保証されているから高額なわけでね。
オレは首を傾げながら、ニコロ・ラーミアに訊いていたよ。悪気はない。ただの好奇心としてね。職場にバラなんて飾るような彼にしては、ダサいプレゼントじゃないかとな。金になる酒なら、コイツを隠すように並んでいた酒瓶たちの方だったよ。
「……なあ、ガベルアってのは、酒好きのオレですら知らん銘柄だぞ?コイツの、どこが高級品なんだ?」
「あはは。高級酒じゃありませんよ。でも、味は本当に素晴らしい赤ワイン。もう潰れちゃったワイナリーの……遺作ってカンジのヤツです」
「無名のままのワイナリーの、遺作ね。なるほど、それでは、どうにもこうにも、金にはならんな」
「ええ。まったくもって、お金には化けません。でも、いい酒なんです。もらっておいて下さい。巻き込んじゃった分の、報酬ですよ」
「ほう。酒場をやっている男が自信を持ってプレゼントに選ぶ品か」
「はい。なかなかの美酒です」
美酒。
いい響きだ。
「今、呑むか?」
「……おい、ソルジェ・ストラウスよ」
「……ああ、スマンね。冗談だよ、冗談……」
ちょっと本気だった。戦いの前に一杯ってのも、悪いもんじゃないと思うんだが。まあ、人それぞれ色んな考え方があるものだからね。オレは雑嚢のなかに、そのワインを入れるよ。割れなきゃいいがな。
作業していたのは、オレだけじゃなかった。ニコロ・ラーミアもだ。彼は床板を引っぺがしていた。花の甘い香りに隠されていた、火薬の臭いに猟兵の鼻が反応してしまう。
「ああ、マフィアさん家の床裏らしく、火薬が一杯か」
「マフィアの家を誤解しないで下さい。私が変わってるだけですからね。まあ、見ての通りです。敵が、この私の職場に近づいた瞬間、爆破して吹っ飛ばします」
「……しかし、オレたちの鼻を誤魔化せる程度の火薬……質が悪いぜ?」
「……威力も、知れている。建物が崩れるだけだろう」
「そうですね。でも、虚を突けて、ソルジェ・ストラウスさまと……そして―――」
「―――私は、シアン・ヴァティ。『虎』だ」
「……なるほど。有名な『虎姫』さまですね。私の職場を盛大に爆破して崩壊させます。この火薬は威力よりも閃光や爆音に特化している……つまりは、花火の一種です」
「……オレたちの使う、『こけおどし爆弾』と同じってか」
官能小説家―――いや、恋愛小説家志望でもあられる、シャーロン・ドーチェの最高傑作の一つ。爆音と閃光で、敵を混乱させるシロモノさ。
「……音と閃光に紛れて、私とソルジェ・ストラウスで、斬りまくるか」
「ええ。お二人ならばマトモに殺し合いをしても余裕でしょうけれど、可能な限り早く、確実に敵を殲滅したい。私よりも、ヴェリイ・リオーネさまが心配なんですよ。美学に反したりしますか?」
「いいや。常套手段ではある」
「ああ。そういう狩りは、嫌いでは、ない」
シアンの黒い尻尾が、楽しげに揺れ出している。
「なら、良かったです。コイツは、二段構えで、爆発するようになっています。一度目の大爆発から、ちょうど30秒後に、もう一度同じ規模の爆発をしてくれる」
「ほう。二度目の方が、気を引けるかもしれないな」
「そうだと思います」
「いい詐欺だ。さすがは、『アルステイム』という言葉で、君のことを褒めても気分を害したりしないか?」
「しませんよ」
「そいつは、良かった。走れるか?……難しいようなら、手と肩を貸してやってもいい。お姫さま抱っこ以外なら、何でもやるぞ」
「大丈夫ですよ……この壁だけ……外に倒れるようになっています」
ニコロは壁の一部をやさしく撫でながら、深い自信をうかがわせるような表情になっていた。魔眼で確かめてみたところ、たしかに、その壁には何らかの細工がある。
「緊急の脱出路か?」
「ええ。左脚の動きが悪い分、色々と考えていますし、準備もしているわけです」
「なるほど。そいつは頼もしい限りだよ」
「……爆破のタイミングは、長がすべきだ」
「私じゃ、信用なりませんか?」
「……そうだ。私は、他人を信じられない。ここまで仕込んでくれているのなら、お前は不要。自分の生きる道だけを、考えておくといい」
「……私の、死に場所なんですけど?」
「知恵が利くヤツは、生き残るべきだってことさ。君なら、ヴェリイ・リオーネを支える力があるだろう。脚力も大事だが、賢さも十分な武器になる……」
「……次、死ね」
シアン・ヴァティなりの心配りは、とてもシンプルで短い言葉になった。『虎姫』らしい、素晴らしいメッセージだよ。
死なせてもらえないことを理解したニコロは、不満げな顔をすることは無かった。
「わかりました。シアン・ヴァティさまも、とても良いヒトですね」
「……フン」
「で。この爆弾ちゃんは、『炎』をぶつければいいのか?」
「ええ。それで、すぐに表層の分は爆発……その衝撃で、真下に埋めてある火薬に変化が起きるハズ。錬金術師たちの計算では、30秒後に大爆発」
「火付けは一度だけでいいってわけだな?」
「はい。そういうことです」
「なら、建物を囲まれたら、その壁を倒して外に出る。それと同時に爆破だ」
「……了解だ。私は、時計回りに斬って回る。ソルジェ・ストラウスは逆を行け」
「ああ。全員、斬り殺すぞ。全員を生きて返さなければ、ここにもう一度、敵を引きつけることが可能だ」
「なーるほど。戦士も、暗殺者も、似たことを考えるもんですねえ」
「効率的に戦いたいだけさ。それでいいな…………よし、黙りだ。魔力も気配も、消しちまえ……」
仕掛けが施された壁に移動して、オレたち三人は息を潜めて気配を消した。待合所を囲もうとしていた連中が、『風隠れ/インビジブル』を解除していた。彼らは、こちらに気取られたことを悟った。
そして、オレたちが外に出て行かないことで、交戦の意志があるということも判断したらしい。オレたちを、彼らは知らないはず。『背徳城』の襲撃犯という可能性を否定はしていないだろうが……実際、どれほどの腕なのかは、理解できていないはず。
ニコロ・ラーミアの爆弾が、予想通りの威力を発揮すれば、こちらは奇襲のアドバンテージを帯びて攻撃が可能だ。
まあ、この壁が、いきなり外につながるというだけでも、十分にいい仕掛けじゃあるんだがね。
『アルステイム』の暗殺者たちが、待合所を囲んでいく。正面玄関はもちろん、窓とか、裏口がある場所をしっかりと固めていた。攻撃的な戦術だ。実に合理的に配置されている。どこの逃げ道から出て来ても、複数の角度で、複数の暗殺者が連携を仕掛けてくるのさ。
個々の戦力が互角なら、絶対に勝てないし、逃げられもしない。
いい作戦さ。
攻撃ってのは、合理的なもんだよ。
それだけに、意外性を発揮するモノには弱いもんだ。しっかりと組み上げられた役割分担と、濃密な連携だからこそ……想定外の出現には、返って対応しきれなくなるものさ。約束事が多いと、現場では動きが鈍るってわけだよ。
さてと。
そろそろ始めるかね。無言のままうなずいて、ニコロ・ラーミアに行動を促した。ニコロが壁の板木のあいだを、指で強く押し込むのさ。細かなカラクリが音も立てずに稼働して、板を止めていたロックが外れていた。
あとは、その部分に体重をかけるだけでよかった。壁が、ゆっくりと倒れて行き。暗殺者たちの警戒の間隙を突くようにして、その脱出路は完成していた。ドシイイイイイイイイインン!!という音がしたから、まったく隠密性はないがね。
倒れた壁の上に腹ばいになっているニコロが、呆気に取られている暗殺者の顔に向かって毒付きナイフを投げ放つころ―――オレは『炎』を呼んで、ニコロがせっせと溜め込んできた火薬の山に火をつけていたよ。
反応を確かめることなく、作戦に体を踊らせる。シアンと共に、脱出路から飛び出していた。オレは反時計回り。シアンは時計回り。その作戦内容を頭に浮かべながら……その瞬間を迎えていたよ。
ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンッッッ!!!
強烈な爆音だった。待合所のガラスが吹き飛び、激しい閃光が周囲を照らしていた。『アルステイム』の暗殺者たちが、音と光の攻撃を浴びて、本能的な怯みを発生させてしまう。集中して、待合所を見張っていたからな。
見つめていたモノが近距離で爆発したんだ。驚かずにいられるようなモンじゃない。こうなると予測済みの我々だって、鼓膜がジイイイイインン!!って響いている。空間認識が、わずかながらに歪んでいるかもしれない。
暗殺ではなく、戦場。それを経験していなければ、この至近距離からの暴力的な爆音と衝撃に、対応することなんてヒトには出来ない……ヒトどころか、竜にだって出来ないだろうよ。経験値ってのは、戦闘の中に発生した、唐突な混沌さえもクリアにする。
すべきことをするために。
猟兵の熟練に満ちた体が動いていたよ。火薬の酸っぱい臭いが満ちた空気のなかで、オレとシアンが大地を蹴って、鋼の描く軌跡に命を巻き込み―――そのまま冷酷に叩き斬る。命が裂ける感触を、指に覚えながらも、猟兵は次の獲物を目掛けて走る。
そうだ。
あと25秒で、次の爆発が来るらしいからな。急がねばならんよ。この戦場を、より深刻な混沌に呑み込み、ヤツらの組み上げられた戦術を破綻させてやらねばならんのだ。
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