第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その32


 呪術師キースはうずくまり、ガタガタと震えている。意識はもう、あるのかないのか。ヤツの全身は泡立ち始めている。ふくらんだり、しぼんだりと忙しいものさ。左眼だけで見ると、全身を赤い『糸』が縛り付けているし、体内でも暴れている。寄生虫みたいにな。


 酷い痛みを伴うのか、キースの顔は血とヨダレを吐き出しながら、歯を噛みしめている。目は黄色い涙を流していた。血涙ではないな。体の中の何かが融け出してしまっているのだろう。体内がドロドロに融けているからこそ、泡立つのかもしれんな。


 ヒトをやめるつもりらしい。自分たちの呪術で、自分を強化するか。命を捧げる戦い。宗教に支配されたテロリストらしい自己犠牲ではあるな。


「……ジャン」


『は、はい!!なんでしょうか!?』


「コイツの呪いの臭いを覚えておけ。オレの魔眼でも覚えて追跡出来るようにするつもりではあるが、お前の鼻が役に立つ可能性もある」


『ボクの鼻が……?』


「ああ。『ルカーヴィスト』どもが、これからも、このクソみたいな呪術を使うっていうのなら、呪術で変貌する肉の臭いを把握しておけば、被害者が追跡出来る」


『どこで、だれが呪われているかを、分かる?』


「そうだ。そして、コイツらみたいに自分を戦力として使う場合は……怪物の『養殖場』をどこかに作っているかもしれん」


『『養殖場』……なるほど。コイツら、自分たちを怪物に変えられるわけですもんね』


「奥の手として使うんだ。農夫が化けたモノよりも、もっと強靭であるだろう」


『そ、それと、わざわざ戦うんですか?』


「当然であります。敵戦力が、どれほどの脅威を持っているのか。それを推し量るのも有益な軍事行動」


『た、たしかに……敵を知る……って、ことですね』


「そうだ。オレたちは、『ルカーヴィスト』について知らないことが多すぎる。しかし、市民を攻撃するこの手法は、見過ごすことは出来ない。知るべきだ」


『は、はい!!覚えます!!呪術師の臭いも、怪物の臭いも!!』


 ……やがて、『ヴァルガロフ』がハイランド王国軍に制圧された後でも、『ルカーヴィスト』どもは、ハント大佐や『自由同盟』の脅威になる可能性は高い。連中の排他的な性格を目の当たりにした今となってはな。


 駆逐すべきテロリストどもめ。ホント、クソ邪教徒どもだな。もしも、ヤツらを追い詰めたとき。ヤツらが、自分たち自身を怪物に変えてでも戦力を確保しようとする時が来たら―――ジャンの鼻で嗅ぎつけて、その場所をゼファーで焼却してやる。


 その時のために、しっかりと頼むぜ、ジャン?……コイツらは、おそらく、その戦略を実行する日が来るさ。


 オレの魔眼の『呪い追い/トラッカー』では、呪いにかかった犠牲者や、オレそのものに向けられた呪いしか追えない。経験を積めば、より多くのことが可能となるのかもしれないが……今のところは、まだムリだ。


 そのときは、ジャン・レッドウッドの鼻に頼るしかない。追跡に関しては、ジャンの右に出る者はいないはずだからな。


「キュレネイ。その『ゴースト・アヴェンジャー』に見覚えは?」


「ないであります」


「……そうか」


「少数精鋭。それが、『ゴースト・アヴェンジャー』。しかし。私の記憶は、欠落しているようでありますな。コレも、私を知らないようでした」


「……『ゴースト・アヴェンジャー』は、記憶を操作されている?」


「可能性は、高いと思われます。手段は不明。経緯も記憶にありません。ですが、そう考えるのが妥当かと」


「……記憶まで奪うか」


 ……その方が、ヒトを操りやすいからか?自我や感情を形成するためには、記憶というモノも重要そうだ―――ロロカ先生がここにいたら、オレは残酷な物語を、より精密に知ることが出来たかもしれない。


 彼女の知識量ならば、キュレネイのされた行為の損害を、オレより理解してしまうだろうからな。賢者は悲劇も分析出来る。キュレネイの失ったものの大きさを、オレは知りたくもあるんだ。


 ……どうにも、感傷的にならざるをえない。オレの知っているキュレネイは、一度だって笑ったことのない子だからな。


 キュレネイが失った記憶。そうだ、彼女がカルメン・ドーラについても多くを語らないのは……語れるほど記憶が残されていないのかもしれない。きっと、彼女との思い出は、キュレネイにとって大切なモノのはずだったろうにな―――奪ったヤツがいる。


 『お師匠さま』か?……ああ、必ず殺す。殴るだけでは足りないぜ……。


「団長。集中力が、乱れているであります」


「……すまんな。戦場で、考え過ぎちまうのは悪い癖だよ」


「イエス。でも、フォローするでありますから、大丈夫です」


『そ、そうですよ!!ボクたちだって、いるんですから!!ソルジェ団長は、情報も集めなくちゃならないわけですし……そ、その、大丈夫です!!』


「分かってるよ。オレもお前たちをフォローするさ―――」


 ―――今は。呪術師キースに集中すべきときだな。


「うぐう……ッ」


 うなりながら震える呪術師キース。彼にもついに『変異』の時間が訪れるようだ。


 『呪い追い/トラッカー』のための情報を得るためだが、その光景は、かなりのグロテスクさがある。歪みながら膨らんでいく肉体か……さてと、『これ』を受け入れられる理由?


 熱狂的な『ルカーヴィ』への信仰?


 ……どうだろうか。そういう要素も少なからずあるとは考えられるが、キースはそう長いこと戦神の教えに晒されて来たわけじゃない。『ルカーヴィスト』どもと合流したのも、長くても3年前……現実的には、それより、もっと短い期間だ。


 子供殺しを告白した農夫が怪物に変異したことから、『罪悪感』に応じて、変異が促進するのかとも考えていたが……『自己嫌悪』が反映されてのことなのか?戦神の聖なる戦士に『生まれ変わりたい』という願望は、それが由来なのかもしれない。


 そうだとすると、あまり同情してやる気も消えちまったな。


「があああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』


 呪術師キースの肉体が、弾けるような勢いで膨らんでいたよ。そして、彼は立ち上がる。その醜く肥大化して、皮膚と筋肉が裂けてしまった、ズタボロの顔をオレたちに見せつけながら。ヤツの肉の下で、新たな形を求めて骨が歪むのが分かった。


 変わろうとしている。


 キースは笑っていたよ。耳まで裂けた口から、煮崩れしたように壊れる歯茎から歯がポロポロと落ちてくる。痛ましいが、新たに巨大な牙が生えてくるから、彼には問題が無いようだ。今の牙は、さっきまであった歯よりも肉を食うことにだけは、適しているだろう。


 長年の虐待にまつわる栄養不足のせいで、それほど大きくなれなかった体は、今では分厚いローブを内側から破裂させるほどに巨大だったよ。この『変身』を、キースは喜んでいるのかもしれない。唇のなくなった口を、歪めて、獣のような牙の列を見せつけている。


 ヤツは、『神の戦士』になれたのさ。かつての情けない自分を、文字通り脱ぎ捨てて。バケモノにしか見えないが、ヤツにとっては聖なる形状なのだろう……。


 グロテスクな光景だが、こういうモノにまったく動じないのがジャン・レッドウッドの怖いところだった。いつもより、はるかに冷静さ。


 ジャンの心も、どこか病的な質がある。臆病者のくせに、フツーのヒトが怖がるようなバケモノがへっちゃらなんだ。まあ、そういうトコロも好きだけどよ。


『ソルジェ団長、コイツの臭いが、ヒトから怪物に変わりました。ヒトの体からは、嗅ぐことのない何かに変わった……もしかしたら、コレが、この臭いが……呪いの臭い?』


「そうかもしれない。覚えておくべきだ。コイツは、ヤツらにとって切り札の呪術かもしれん」


『は、はい!!』


「追跡が出来れば、有効である可能性は高いであります。アッカーマンと辺境伯を暗殺するための手法。『オル・ゴースト』の……『ルカーヴィスト』の切り札の一つ」


『うん……ッ!!覚える!!覚えるためにも……コイツを噛み殺して、『味』も知るべきだよッ!!』


 巨狼の貌に闘争意欲のシワが寄る。いいセリフだぜ、ジャン・レッドウッド。噛み殺して『味』も知るってか!!『パンジャール猟兵団』の『狼男』らしくて、痺れるよ!!


『ヒャハハハハハハハハハハハアアアッッ!!オレを……殺すだってええええ!?オレは祝福されて、『シェルティナ』になってんだぜえええええええッッッ!!?』


 巨大な赤身剥き出しのバケモノは、やけに饒舌に語ってくれる。やはり、嬉しいらしいな。見せびらかすつもりだ。己の新たな姿と、新たな役目を。『シェルティナ』。初めて聞く言葉だが……それが、コレの名前らしい。


「……『シェルティナ』ってのは、どういう意味だ。赤黒い不気味な死体くずれって意味か?」


『……ハハハッ!!安い挑発だなあ。オレには、もう、そんな言葉は効かないさ。教えてやるよ、『シェルティナ』ってのはなあ、殲滅中、『ルカーヴィ』に仕える、聖なる騎士なんだよッッ!!無敵で、不死身の、聖なる獣の使徒なんだよおおおおおおッッ!!』


「なるほど。『使徒』って意味か。ヒトから生まれ変わって、聖なる存在とやらに化ける……そう騙されて、踊らされて、生きた兵器にされただけか」


『ちがうッ!!『シェルティナ』は、聖なる存在だッ!!尊い、戦士、あがめられるべき使徒なんだよッ!!』


「はあ?そいつは、どうかな?……その吐き気がするほどに、おぞましい姿を、君は誇っているようだが……我々、三人からすると、ドン引きするほど醜い姿だぞ」


『悪しき者には、真の美しさなど、分からぬものだ』


「いいや、悪人にだって美醜の区別はつくものさ。ああ、君は、とても醜い。きっと、邪悪な神官にでも、そそのかされているに過ぎないんだろうよ」


『…………わらうな』


 『殲滅獣の使徒/シェルティナ』が、赤い瞳でオレを睨みつけていた。顔の皮の大半が引き千切れた醜い顔だけど。怒っていることは、その言葉の冷たさで分かるよ。劣等感のカタマリか。


 だからこそ、言葉で煽ってみる。最大の攻撃力を見せろよ。この不気味な怪物が、どの程度の脅威なのかを推し量らせてくれ。効率的に殺していては、他の者に伝える情報として価値が薄いんだ。


 君には酷なことだろうが、君のことをバカにする。オレは怒っているし、君は、本当に愚かな男でもあるからな。怒ってくれよ?全力で殺しに来い。そして、他の者のための攻略法になってくれ。


「……ん?オレの躾の悪い口元が、歪んでいたのかい?そいつは、失敬。愚か者を笑うのは、良い大人のすることじゃないな……ああ、みじめなキース。君は、ヒトを超えた気でいるがね。真実は、ヒト以下の不気味な道具に、成り下がっただけの、愚か者なんだよ。笑ってしまって、ゴメンよ?」


『オレを、笑うんじゃないッッ!!オレを、オレを、オレをッ!!笑っているんじゃねえええええええええッッッ!!!この、邪悪な、異教徒がああああああああああああああああああああッッッ!!!』


 聖なる使徒は殺意を叫び……にやつく魔王に全力で跳びかかって来たよ。見せてもらうぜ、『ルカーヴィスト』の切り札をな。

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