第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その24


「あ、アントニオおおお……アントニオおおお……ッ。ご、ごめんよおおお……ッ」


 農夫は己の足下に倒れている死体に、そう語りかける。死体の名前は、アントニオというらしい。農夫は、アントニオを見ながら……そして、嘔吐していた。噛み千切られた肉が、ヤツの口からボトボトと落ちていく。


 咀嚼されていない肉。呪いに深く心を支配されていたとき、この哀れな農夫は、より哀れな農夫のことを、かなり急いで喰らっていたようだな。嗚咽しながら、農夫はノドに肉をつっかえてしまう。


 窒息するかと恐怖したらしく、指を口のなかに突っ込むと、胃袋が吐き出す力だけではどうにもならなかった肉片を、無理やりにつかんで引きずり出した。我々は、見守るしか出来なかったよ。臆病なのかね?……恐怖を感じるが、グロ過ぎてドン引きしている。


 農夫は、己の口から出て来たものが腸だと分かり、ゾッとしていた。


「お、おれ……じ、自分の腸を……は、吐いちまった……のか!?」


「違うな。口から吐けるとしたら小腸からだ。お前の吐いたのは、大腸。それは自前のものじゃない」


「お、オレのじゃ……な、ないなら……ッ。あ、あ、あああああああああああああああああああああッッッ!!?あ、アントニオの、アントニオのだあああああああああああああああああッッッ!!?」


 言うべきではない事実だったかもしれん。彼は、深く傷ついている。自分の口から、友人の大腸が出て来たことの意味を理解して、絶望と苦悩が混じった叫びを放ち……再び嘔吐していた。


「団長。命令を決めるべきであります」


「……そうだな。時間がない。だが、情報を得たい。おい、お前は、友を喰ったが、それはお前の意志ではない。呪術で操られていたことだ。誰に、呪いをかけられた?教えてくれ、情報がいるんだ!!」


「……の、呪い……?……知らねえよお……オレたち、畑仕事、していただけなんだよおおおお……そ、そしたら、アントニオが、いきなり、オレをブン殴って来て……それから、オレは、オレも、アントニオをブン殴って……ああ、そ、そして、そして…………っ」


 罪深さに苦しんでいるようだ。


「イースさま……イースさま……お、オレに、オレに……慈悲を……お、おゆるしください……っ」


 祈りの時間は、彼には必要になるだろうな。だが、彼に付き合い時間をムダにするわけにはいかない。


「……いきなり、操られたか。村に、怪しい者は来なかったか?」


「……あ、アンタたちが……来た」


「オレたち以外にだ」


「……来てる……四人、馬で来てた……ヤツらは、そうだ……じゃらじゃら鳴る、変な杖を持っていた。一人で、二つ……左右の腕に持ち、それを、ぶつけ合わせて、じゃらじゃら、鳴らすんだようっ」


「……そいつを聞くと、呪われるのか」


 だとすると厄介な武器だな。耳栓しながら戦うしかないのか?……まあ、そんな分かりやすい呪術もないか。偽装かもしれん。音に意識を集中させて、他の手法で呪いをかけてくるという可能性もある。


 使い手を見つけ次第、すみやかに殺す。何にしたって、それが一番ではあるな。


「あ、あの音を聞いていたら!!……こ、心に……イヤなことを、思い出すんだ。モヤモヤしながら、畑で、虫を見つけては潰していた……そ、それから、アントニオのヤツに、な、殴られて……い、イヤなことが、心のなかで、一杯になって……ッ」


『い、イヤなことって、何ですか!?』


「…………ッ」


 黙ってしまった。それほど精神的に辛いことか。ザクロアで、『アリアンロッド』の妹神も、人の心の傷をえぐって来たな。途方も無い回数、オレはセシルの叫びを聞かされたぞ。その苦痛に疲れ果てた精神を、操られるということか。今回も、それなのかね……。


 ヒトの劣等感や後悔、そういう逃れにくい部分を刺激して、ヒトの意志を削ぐ。己の自我よりも、他者の言葉に従わせたくするというのかね。自分の責任を放棄して、何かに従えば?……そいつは、一人で背負うよりも、ずっと楽なことだからではあるからな。


「お、オレだって!!……オレだって、したくて、したかったワケじゃないんだああああああ!!そ、そうじゃない……あんなことに、なるなんて……だ、だいたい、アントニオが、そそのかしたんだ……あの行商人の連れていた子が、か、かわいいから……って」


 僧侶じゃないからな、彼の懺悔を聞いているヒマはない。命令を皆に告げ―――。


「―――あああああ!?また、まただああああ!!あの音が、あの音が聞こえるんだあああ!!ちがうんですうううううう!!だって、だって、あの子が、抵抗するから!!だから、オレたち、こ、殺して、運河に捨てたんだああああ!!」


「……子連れの行商人の子を、襲ったのか。禁欲的な田舎者らしい犯罪だぜ」


 よく聞くようなハナシではあるが、とんだロリコン野郎だな。


「隊長、コイツ、ぶっ殺しちまいましょうぜ?」


「ガキを犯して殺すようなヤツを、生かしておく必要もないでしょうよ?」


 それもそうではある。しかし、コイツはどうしてそんなことを自白している?オレたちに?……いや、オレたちにではないらしい。まだ、コイツの頭のなかに残っている、呪いに対して叫んでいるのか。


 ……かつて犯した罪を認識させて苦しめるのか。何というか、カルトどもの歪んだ宗教観を感じるな。


「み、認めるうう!!お、オレも、オレも……た、たしかに、悪かったんだあああああああああ!!だ、だから……も、もう、ゆるし――――――うぐうッ!?」


「……え!?」


「お、おい……コイツ、顔が、歪んで……?」


「いや、全身が、ボコボコしてる……っ?」


 子供殺しの農夫に、さらなる異常が起きていた。ヤツの頭部が歪むように膨らんでいる。膨らみ、うごめき、しぼみ……また、膨らむ。それは全身で起きていた。まるで、沸騰しているみたいだったよ。ヤツの肉体は激しく動き、それをヤツは苦痛に感じるらしい。


「いたいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!ゆ、ゆるしてえええええええ!!オレだけじゃないです!!オレだけじゃない!!知ってたよおおおおおおお!!み、みんな、薄々、オレたちだって、し、知っていたんだあああああああ!!」


『だ、団長!!こ、これは……ッ!?』


「……わからん。呪いが、暴れている。ヤツの自白が……罪の告白が、引き金なのかもしれない」


「ざ、懺悔すると、あ、あんなになるってのか!?」


「懺悔っていうか……ご、拷問みてえだが……ッ。い、いや、そんな生易しいモンじゃねえのか……ッ」


「か、かわるうううううううううううううううッッッ!!?お、オレが、かわっちゃうよおおおおおおおおおッッッ!!!」


 魔眼の力を使い、それを観察していく。沸騰するヤツの全身から血があふれるように流れ始めて、皮膚が剥げ落ちていく。赤い肉と、黄色い脂が見えた。その肉が、歪みながら膨らみ……骨は長くなって、湾曲を帯びていく―――。


 農夫はヒトの形から大きく逸脱してしまった頭を、抱えながらも振り回す。現実を拒絶したいかのようだし、その心情を察することは難しくもなかった。歪みきり、それは、もはやヒトではなくなろうとしている。


 魔眼が、ヤツの体にあふれている呪いの魔力を把握した。ヤツの肉体を歪めているのは、脳の奥から伸びる呪術の『根』。神経や血管を辿るかのように、それは全身に張り巡らされている……それが、ヤツを内側から矯正―――というか、大きく歪めている。


 罪の意識で、心を壊し……肉体を暴走させ、あげく変異させるというのか?……呪術や錬金術でヒトをモンスターに出来るってことは、知ってはいるが……オレは、それを目の当たりにしているようだな。


「おれはあああああああああああああ!!そ、そうですうううううううううう!!はずべきざいにんで、じゃあくな、じゃあくなああああ!!くずやろうですよおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 自虐?……いいや、悔恨の言葉だ。かつて、子供を犯して殺した過去を持つ農夫は、どうやら心底、その事実を苦しんではいるようだ。許すべきではない犯罪者だが、悪人というほどには、心が邪悪でもなかったのかもしれないな。


「……この呪術の形が、何となくは見えてきたぞ」


「ま、マジか!?」


「すげーな、隊長!?」


「どういうことなんだよ!?」


「この呪いは、ヒトの心の闇を探り、悔やむべき罪を認識させる。そして、その罪の重さを認めて、告白し、懺悔することこそが……『契約』らしい」


「け、『契約』……?」


「どういうことだ……?」


「……コイツが『ルカーヴィスト』どもの仕業っていうのなら、悔い改めるべき者がすがるのは戦神バルジア―――より正確に定義するなら、『ルカーヴィ』という状態の罰と破壊の神か」


「『ルカーヴィ』と、契約する……!?」


「ああ、宗教的な儀式に基づく呪術だ。『戦士』を作るんだろうさ。コイツのように、罪深く、魔物に成り果てるべき者を、『ルカーヴィ』の手駒とする……それが、コイツの『贖罪』になるって理屈だろうよ」


「罪をつぐなうために、ば、バケモノにされるっていうのかよ……っ」


「『ゴースト・アヴェンジャー』らしい、邪悪な理屈であります」


 キュレネイ・ザトーの心は、おそらく怒りを帯びている。顔は無表情で。言葉も静かなままだったがな。オレには、分かるよ。この子の怒りがね。


「……ああああああああッ!!わ、わかりましたあああああああああああああ!!おんみのために、は、はたらきゅましゅううううううううううううううううッッッ!!!』


 契約は成ったらしい。ヤツは、ヒトの皮を捨て去って、罪深い魔物の形状にへと成り果てていた。なんとも醜いその姿。鶏ガラにも似ているというかね。顔は前後に長く伸びて、嘴があるみたいだ。


 身長を2メートルぐらいに無理やり引き延ばして、背骨を前に屈曲させたような、そこそこの巨体であり、かなりの細身であったよ。その手足に巨大な爪を生やし、赤い手足は攻撃性を感じさせる長さを持っている。肉食の、攻撃的な怪物であることは疑えない。


 生まれたての家畜みたいに全身が真っ赤で、かつて農夫の外側だった皮膚と土に汚れた衣服が、まるで羊膜みたいにくっついていたのは印象深い。


 ……そうだ。


 コイツは、生まれ変わった。


 ヒトをやめて、殲滅獣『ルカーヴィ』の手下として生きることを選んだのだ。彼は自分の心と体を捧げて……贖罪の機会を得たようだな。醜く、狂暴な、殲滅の使徒の一員となったらしい。


 ヴェリイ・リオーネの言葉が、頭の中で響いていたよ。記憶のなかにある彼女の、軽蔑と怒りに張り詰めた声は、昨日、オレに教えてくれていたな。


 ―――その名は、『ルカーヴィスト』と言うの。よその人に分かりやすく言うのなら、『邪教集団』ね。


 ……たしかに、その認識が、オレたちよそ者には分かりやすい。この呪いは、実に悪趣味だよ。『ルカーヴィスト』どもが、サイテーのカルトだってことに、全くの疑問を挟めなくなるほどにな!!


『ささげますううううううう!!おんみのために、あくにんどもを、ころしますうううううううう!!おんみのために、『るかーう゛ぃ』いいいいいいいいいいいいいッッッ!!!』


 邪悪な使徒が大地を蹴って、オレたち目掛けて突撃してくる。方針は決定。コイツを、処分する!!

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