第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その1
目を覚ましたのは、朝というよりも、八時を過ぎた頃だった。夜間の戦闘と長距離移動をこなしたせいで、ガッツリと眠ってしまったようだった。森のエルフ族の肌が温かくて、抱きしめていると気持ち良すぎるからかもしれん。
リエルは八時直前には起きていたようだが、周囲の者が誰も起きていないことを察知して、観察モードに入っていたようだ。何を観察していたのかって?……オレの口元に生えようとしている無精ヒゲらしいよ。
そんなものを数えたところで、何にもならないとは本人も承知の上さ。でも、時間を持て余すということは、そんなものである。無意味なことでも、ついつい集中してしまうもんだよ。
正妻エルフさんの視線を、じーっと浴びていたせいか。オレは目を覚ましてしまっていた。野性の勘には、自信があるほうだからね。
「……むう。起こしてしまったか?」
「……うん。でも、いい時刻っぽいし」
「そうだな。もう8時15分だぞ」
「……君にしちゃ、怠惰を許してくれているな」
「眠ったのが、遅すぎる。早起きを強制出来ん。皆、まだ泥のように眠っておるからな」
「確かにね。馬やイカダに揺られるのも、それなりにキツい」
「スケベな旦那サマも、美少女エルフのヨメを襲わなかったしな」
「……君も眠たそうだったから。襲えと言うのなら、今からでも襲えるぜ?」
「い、いや。朝っぱらか、そ、そんなことしてはダメだっ」
「なんで?」
「なんでって?……そ、その。ま、周りに気づかれてしまうではないかぁ……っ」
リエルちゃんの赤くなった顔を見るのは、本当に楽しいよ。ああ……それに、リエル・ハーヴェルは本当に美少女だからな……。
「す、スケベな顔をするなというのに……っ」
「いいじゃないか。オレたちは夫婦。いつでも愛し合うべきだぜ」
「そ、それはそうだが、その、周りの者に聞こえてしまうし……っ」
「リエルが、声を出さないように、がんばればいいじゃないか」
「ちょ、ちょっと……っ!?」
毛布のなかで逃げようとしていたエルフさんを捕獲して、抱き寄せてみる。甘い香水のかおりがしたよ。昨夜、『背徳城』に融け込むため、セクシーな服装と、愛らしい化粧をしていたが、この甘い香りも、その一環。
「いい香りだな」
「か、嗅ぐでないっ。エルフは、嗅いだりするものではないのだ……っ」
「じゃあ、どーいう風にしちゃうもんなの?」
「ふえ!?ど、どーいう風にとは……っ?」
「リエルが、されたいこと言ってくれたら、オレはそれに精一杯応えてやるつもりだぜ?どんな風にされちゃうのが、好きなんだ……?」
「せ、セクハラだぞ、そ、そんなことを、朝から聞くために、エルフの耳はあるわけではないのだあ……っ」
「教えてくれないから、ガルーナ流でやるしかないかな」
「ま、待てと言うに……っ」
そうは言っているものの、愛し合っているからね。リエルはオレから逃げたりしない。蛮族の指が、エルフのやわらかな肌を撫でていく。乱暴にはしないさ。最初は、ゆっくりと……。
「……そ、そんなところを、そんな風に、さわるでない……っ」
「じゃあ、どんな風にされるのが、リエルの好みなのか、ちゃんと声にして教えてくれないか?」
「そ、そんなこと、言えるか……って!?」
足音と近づく気配を猟兵の勘が察知する。敵じゃない。近くのテントから、何者かが飛び出して来たようだ。そいつは、オレたちがいちゃついているテントに近づき、その入り口を開け放っていた。いや、それどころか、素早くテントの中に潜り込んできた!?
「うひゃあ!?」
リエルが変な声をあげながら、毛布に体を隠してしまう。乙女っぽいな。正真正銘の乙女だけども。
「団長」
不作法な侵入者こと、キュレネイ・ザトーはいつもの無表情をオレに近づけてくる。美少女の顔を至近距離から二連続で見られるのは、男としては嬉しいコトだが、一体どうしたキュレネイ・ザトーよ?
彼女はオレがたじろぐぐらいに、顔を近づけてくる。キスされちまうのかね?と、ユーモアが頭に浮かんで一瞬で消える。迫力があるのだ。無表情で感情が読めない。だが、何だか知らないが、とんでもない主張を感じる。キュレネイは、伝えたいことがあるらしい。
「ど、どうしたんだ?」
「団長、私、キュレネイ・ザトーは、とても―――」
「―――と、とても?」
「お腹が、空いたであります」
そう言いながら、キュレネイのお腹も、きゅるるるるう!と可愛らしい主張をしていたよ。エネルギー切れのキュレネイは、オレたち夫婦が包まれている毛布の上に着陸してくる。
「ぺこぺこであります」
「……そっか。朝食、たくさん作ってやるって、ハナシだったな?」
「イエス。待てど暮らせど、一日千秋。フライパンの音も、鍋の音もしません」
「そいつは、すまんかったな」
「子供など作っている場合では、ありません。子作りよりも、朝ゴハンを作って欲しいでありますから」
「わ、わかったから、どかんか、キュレネイ?」
「リエル?ああ、裸なんですね。やわらかくて、温かいですよ、リエル。とても、お腹が空いてきます」
「エルフは食べ物などではないぞッ!?」
「やわらかで、ふわふわです。リエルは、食べ物?」
「食べ物ではないと断言した直後に、何をほざくかあッ!?」
キュレネイの口から、ヨダレが垂れている。本気の食欲を感じるな。飢えた獣みたいだ。無表情なところが、真剣さと深刻さを感じさせてくるぜ。
「く、口を閉じぬか!?よ、ヨダレを垂らすなあ!?」
「これは、失敬。私は、育ちが悪いので、物覚えとか、態度も悪いであります」
「わ、分かったから、さっさと、どくのだ!?」
「どけば、子作りを中断して、朝ご飯を作ってくれるでありますか?」
「こ、子作りなど、しておらぬぞ!?み、未遂だ、未遂だからな!?私は、朝っぱらから子作りするような、破廉恥エルフなどではないからして!?」
「本当ですか?私の朝ご飯を作ることよりも、子作りを優先していたのではないのでありますかな?」
「ガンダラ風の語尾はやめろ。なんか、楽しくなっちまうだろう?」
「ユーモアは、うつくしい。でも、朝ご飯は、もっと尊い」
不思議な格言が誕生していたな。たしかに、朝ご飯をないがしろにしてはいけない。
「それで。団長、リエル。子作りなどをしていないとすれば、何をしていたのでありますか?」
「ふ、夫婦のプライベートを聞くなあ!?」
「聞かねば分からぬこともあらば、聞くべきでありましょうからな」
「変な言葉を!?……そ、そうか、キュレネイめ、お腹が空きすぎて、変になっておるのだな!?」
「あいむ・はんぐりー。質問です。私の朝食よりも、尊いユーモアとは、何でしょう?」
怒っているのかもしれないな。お腹が空きすぎて、攻撃的になっているのだろうか……?これを、攻撃的と言えるかは、よく分からないが。少なくとも、今朝のキュレネイ・ザトーは、やたらと熱心で、グイグイ前に出てくるんだ。
「ちょ、ちょっと、くすぐりあっていただけだ!!」
追い詰められたオレのヨメが、子供みたいな言い訳を放つ。オレの指は、そんな行為のために君の肌を撫でていてわけではないんだがな……。
「ふむ。くすぐられていたでありますか」
「そ、そうだ。あれは、断じて、え、エッチなことではないのだ!!」
「なるほど。くすぐり。リエルは、くすぐられなければ、起きられぬ不憫な体」
「アホみたいな設定を、私につけようとするでないッ!?」
「くすぐられたいのであれば、私の十本の指を貸しましょう」
「……え!?」
エルフさんが墓穴を掘ったらしい。キュレネイには、冗談は通じない。とくに、今みたいにお腹が減っていて、いつも以上に思考回路がおかしくなっている。
十本の指を波打つように動かしながら、キュレネイ・ザトーがエルフさんに迫っていく。エルフさんは、涙目だ。
「ちょ、ちょっと待て!!わ、私に、いったい、な、何をするつもりだああッ!?」
「イエス。連携であります。いざ、コンビネーション」
「ああ。オレも参加しろってことか?」
「はああああああああああああああああああああッッ!?な、何を言い出すのだ、ソルジェ・ストラウスううううううううううううッッ!?」
ヨメさんにフルネームで叫ばれてる。貴重な体験であるなあ。
「イエス。団長の指で足りないのであれば、私の十本の指を進呈するであります。二十本の指で、くすぐられれば、リエルの体もすぐに満たされるであります。そしたら、リエルも起きられるであります」
「そんな特異体質などではない!?」
「問答無用でありますぞ」
「ハナシを聞かんから、おかしなことになっていくのだあッッッ!!?」
「いざ。ミッション・スタートであります」
キュレネイは猟兵らしい身体能力を発揮する。風よりも速く動き、毛布のなかへと飛び込んで、リエルの裸の足を指でくすぐりはじめる。
「こ、こらあ、や、やめんかあ!?」
「むう。なかなか、笑わないでありますな。団長も、攻めるであります」
「了解」
「了解するでないっ!?」
なかなか楽しい状況だから、オレも乗っかることにした。リエルの肌を指でくすぐっていくのさ。
二十本の指にくすぐられて、毛布の下でエルフさんが、身をくねらせていた。
「ふにゃあああ!?や、やめろおお!?な、なにをするかあっ!?」
「リエルの体を、満たしてやっているのであります」
「へ、変な言い方を、す、するでな……あ、あは。あは、あははははははっ!!」
「リエルが、よろこんでいるであります」
美少女エルフさんが、笑い声をあげているから、そうなのかもね。
「いひゃあ!?ちょ、ちょっと、ソルジェ、ど、どさくさに、まぎれて……へ、変なところ、く、くすぐるでない!?きゅ、キュレネイ、あ、足の裏は、や、やめるのだああ!?うひゃ、うひゃはははは!?」
リエルが身もだえしながら笑っている。
ああ。オレ、気がついているよ。
リエルが、呪文を唱え始めていることに。とんでもない魔力を感じる。分かっているよ。『雷』が落ちるんだ。もう、後戻りは出来ない。今、止めても『雷』は落ちる。ならば?せめて、ユーモアを全うするのだ。
「うひゃひゃ!?お、おのれらああ……っ。『ら、らいていよお。わ、わが、けつみゃくに、な、ながれる、ちにおいてえ、あはは!!……い、以下、省略だああ』ッ!!」
とんでもなく適当な呪文だったがね。魔術の才があるエルフの弓姫が作り出した魔術は、いつものように強力であったよ。テントを落雷が引き裂いて、オレたち不届き者に天空からの雷撃が落ちていた。
我々は、ユーモアを全うしたのであった。朝から全身を焼かれるような電流を浴びたおかげでね、とってもよく目が覚めた。このアホみたいな騒動のおかげで、我々、全員が深い眠りから起こされていたのさ。
おはよう、悪人まみれの土地よ。今日も元気に働ける。そんな予感がするような、真っ青な空が頭上にあった。エルフの姫さまは、こんな空からも稲妻を呼べるのか。さすがだなって、感心したんだ。
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